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【1351】Re:ISO1600の威力(国鉄色第四弾)
 ロクイチ  - 08/5/17(土) 20:56 -
  
>デカンショまつり号さま

いろいろと国鉄色の投稿楽しませて貰っています。
>またまた、国鉄色を投稿させていただきます。
>先日、893−2氏がISO1600での撮影をされたことがないとのことでしたが、私は、デジカメ購入後、デジカメの利点を発揮すべくここぞとばかり撮影しています。

ところで、当方もデジカメ購入後、ISO1600での撮影を多用しています。

先日、この掲示板で紹介した貴殿乗車の「銀河」号を山科駅で撮影した際も、ISO1600で撮影しました。山科盆地にようやく朝日が差し込む時間帯の通過であまり露出がなくて心配しましたが、見事に撮影出来て嬉しく思いました。

○1枚目の写真はデジカメ購入翌日(2月25日)に出勤のさいに岸辺駅で撮影した101レ「銀河」号です。当方のデジカメの優等列車初ショットは偶然にも真っ赤なEF65として有名な1118号機牽引の101レ銀河でした。
貫通路や連結器、台車に雪が途中で張り付いた雪が残っているのが判ります。(写真をクリックして頂くと大きくなり、より判りやすいと思います。)

○2枚目の写真は、先週末にブギヴギ氏と乗車した「サロ581−16」の車内のようすを大阪駅発車前にノー・フラッシュで撮ったモノです。車内は改装されており583系の特徴のベネシャン・ブラインドは撤去され、厚手の横引カーテンになっていました。座席もオリジナルのモノから座り心地(寝心地)の良い体にフィットするタイプに換装されていました。テーブルも肘掛け内蔵の大きな折りたたみ式のものになっておりアルコールを楽しむのにも便利な広さでした。乗車率は3割程度でした。途中から、空いている席を向かい合わせにして、ブギヴギ氏共々、熟睡出来ました。

○3枚目の写真は、その乗車してきた501M「きたぐに」号をほくほく線分岐駅・犀潟で捉えたモノです。直江津駅でほくほく線の快速・越後湯沢行き一番電車に乗り換え犀潟駅に先行しました。ほくほく線の一番電車は2両編成でしたが、乗車率は7割程度の乗車率で、乗客の方々の旅装から、休日を東京方面で楽しむ方の乗車が多いようでした。

以上3枚は全てISO1600での撮影ですが、敢えて申し上げなければ普通の撮影状況の写真とほとんど差がないほど、ノイズも少なく当方としては安心して撮影出来る条件と考えています。会員諸氏のご参考になれば幸いです。

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【写真1(3).jpg : 475.9KB】

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【写真3(3).jpg : 374.3KB】
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【1350】天然色で振り返る 40年前の日々 −6−
 総本家・青信号特派員  - 08/5/17(土) 19:47 -
  
◎北海道の第一歩
花輪線、東北本線で写し、DRFCの仲間とともに深夜の青函連絡船「羊蹄丸」に乗って函館に着いた。時に昭和43年8月30日、初めての北海道だった。京都を出て一週間、3日連続夜行→ユース1泊(最悪の設備でほとんど寝られず)→狂化合宿2泊(騒ぎ過ぎと、夜に大雨がテントに浸水してまたまた寝られず)→連絡船1泊という具合で、畳の上でまともに寝られないままの北海道入りとなった。
例によって夜明けとともに五稜郭機関区へ向かい、朝陽の中でD52やC62をゆっくり撮影した。駅前へ出てみると函館市電が停まっている。周囲の風景は、まだ函館とあって内地との違いは感じられないものの、すべてがゆったりしていて、空気もさすがに冷たさを感じる。
五稜郭駅前までの市電路線は昭和30年に開通し、ここを始発とする1系統函館どっく行きが出ていた。函館の市街地からやや離れた地であり、国鉄線から市電への乗換客も大した数ではなかったようだ。結局、昭和53年には廃止されてしまい、函館で一番最後に開通した区間が、一番最初に廃止されてしまった。
車両は600形で、昭和29年に601〜605の5両が製造された。地方には珍しい3扉が特徴で、後のワンマン化の際しては後扉を埋め、2扉化されている。正面もサイズの違う二枚窓、片寄った方向幕、そして超大型ナンバーと特色のあるスタイルだ。函館市電の下部の塗色は、淡いグリーンというか、言葉ではなかなか表現しにくい色で、これを偲べるのもカラーのお蔭だと思っている。

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【函館市電.jpg : 153.6KB】
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【1349】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-25
 湯口 徹  - 08/5/17(土) 16:48 -
  
C.F.de Chamonix au Montenvers =CM

フランスであるシャモニーでスイスパスの効力が切れるが、ここから町を少し行くとシャモニー・モンタンヴェール鉄道が発している。5.2kmのメーターゲージだが、電圧が10,500V50ヘルツ交流で、最急勾配が220‰、全線シュトルプ式ラックだから平坦な駅構内、それに続く踏切も当然ラックである。冬季は運休の由。

ラック軌条上面はレール踏面より少し高くしてあるのが普通だから、その踏切区間も通常の軌間内舗装がやや山形というか、緩い屋根型になって人車の通行を妨げないようにしてある。

これもスイスパスやユーレイルパスが利かない完全な登山鉄道で、1,914mの Montenvers 展望台までおよそ800m程をひたすらよじ登る。1907年開通した時は蒸機で、その1両が駅前に勾配線を上る姿で展示してある。

一見1B1だが、両端=先・従輪と思しきはガイド車輪、動輪と思しきはクランクで、レールから浮いていて当然フランジがない。台枠内側に駆動とブレーキのピニオンギヤが沢山見え、2個のラックピニオンがシュトルプ式ラックレールに噛み合っている。キャブの前火室上の四角い箱は燃料=オイルタンクか。

赤い電車は洒落て綺麗だが、以前に記したBVB上部線と同じく、正規の乗車券を持って改札を通らない限り絶対に駅内に入れてくれず、仕方なくここでも柵の外からの撮影になる。電動車は所定の床下クリアランスが絶対に必要で、架線が高いからかパンタが車体に比しやたら大きい。押し上げられるクハは車輪径が小さく、床高がぐんと低いのが面白い。

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【ラック蒸機.jpg : 340.4KB】

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【1348】糸魚川から富山へ
 ブギウギ E-MAIL  - 08/5/17(土) 12:53 -
  
北陸で国鉄型を満喫しようとのロクイチ氏の提案を受け、5月9日、急行きたぐにでまず直江津へ向かうことにしました。天井の高いサロはなかなかのものです。きたぐにといえば、座席の自由席か3段寝台でしたのでグリーン車という選択は当たりだったと思いました。
筒石のトンネル駅を体験した後いよいよ大糸線のキハ52です。今日は旧塗装の125号車でした。100番台なので本来旧塗装の時代はなかったのですが、外見は0番台車と変わらないので違和感はありません。いったん南小谷までDMH17エンジンの重厚な音を楽しみながら折り返し、根知駅の近くで走行写真を撮りました。魚津で魚料理の昼食を食べ、今度は富山地鉄です。西魚津の駅などでオリジナルの14760系や元レッドアローの16010系、元京阪の10030系などを撮りました。今回は天気が悪そう(実際に曇りや雨だった)ので駅撮を前提とした機材にしていました。手振れ補正の暗いレンズだったので夕方になると走行写真が苦しかったのですが、初めから露出が2段暗いのを承知でRAW撮りしておいてパソコン上で修正をかけました。本当にデジタルになってフィルム時代には撮れなかったことにも挑戦できるようになったものです。昭和中期の雰囲気の残る富山地鉄(でも車輌は全車カルダン空調車)に、今回乗れなかった昭和30年代製の10020系も狙ってまた時間をとって行ってみたいと思いました。夜は富山のライトレールに乗ってからホタルイカなど地のものを肴に飲みにいきました。翌日ロクイチ氏は早朝5時半富山駅で急行能登や特急北陸の撮影に向かいましたが、私はいったん起きたものの朝寝してしまいました。二日目は南富山から軌道線に乗り、有名撮影地倶梨伽羅で何本か撮影しました。帰りは雷鳥パノラマグリーン車クロ4812001です。しかも運転席のすぐ後ろで迫力満点、切符を確保していただいたロクイチ氏には感謝です。今回も単独行では味わえない面白さや発見があり収穫の多い二日間でした。

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【1347】ISO1600の威力(国鉄色第四弾)
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/5/17(土) 0:54 -
  
またまた、国鉄色を投稿させていただきます。
先日、893−2氏がISO1600での撮影をされたことがないとのことでしたが、私は、デジカメ購入後、デジカメの利点を発揮すべくここぞとばかり撮影しています。1枚目の写真は、今年の1月13日にISO1600で撮影した国鉄色183・189系田町車6両の成田臨です。こんな形で撮影できるなんて、デジカメ様様です。成田線小林・木下間を走る9846Mで、時刻は16時46分ごろです。2枚目の写真は、同じ列車が成田に向かうところです。9847Mです。3枚目の写真は、1月27日に上越線 渋川・敷島間を走る鉄道友の会東京支部のお座敷ゆとり 惜別・新年会号です。EF6019とゆとりの組み合わせも過去のものになってしまいました。

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【1346】天然色で振り返る 40年前の日々 −5−
 総本家・青信号特派員  - 08/5/16(金) 21:53 -
  
◎龍ヶ森のオハ31
東北本線奥中山で最後の蒸機の活躍を記録し、花輪線龍ヶ森へやってきた。ハチロクが、重連、後補機で活躍する、憧れの撮影地である。この地で、DRFCの夏季大狂化合宿が2泊3日にわたって繰り広げられるのである。駅で写していると、つぎつぎとメンバーが列車から降りてくる。再開を喜びあいながら、キャンプ地へ向かって行った。
写真は、メンバーの到着を待つ間、駅構内で写したもの。ここまで貨物列車を押し上げてきたハチロクの重連補機が、静かに息を整えている。回送として元来た道を戻るまで、機関士もベンチで一休みだ。その向こうに見えるのが、冬期のスキー客の宿泊用として、留置されているオハ31である。スキーシーズン以外は施錠されて利用することができないが、座席に板を渡し、そこで貸し寝袋で寝るようになっていたらしい。当時、龍ヶ森にはまったく人家がなく、こんな急ごしらえの宿泊設備でも利用客があったようだ。
ハデな塗色であったことだけは記憶の中に残っていたが、改めてカラーで見直すと、17mダブルルーフ客車におよそ不似合いな厚化粧である。今月号の鉄道ピクトリアルの「SLブーム」特集を読むと、このオハ31のことに触れてあり、宿泊してみるとトイレのすごい悪臭に悩まされたそうだ。確かに走っていればタレ流しもできるが、止まったままの客車ではさぞ臭かったのであろう。
「色」だけでなく、「音」(乙訓老人談)、そして「臭い」も、鉄道の思い出として重要なアイテムなのである。

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【龍ヶ森のハチロク・オハ31.jpg : 128.6KB】
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【1345】ハドソンか、パシフィックか
 K.H.生  - 08/5/16(金) 9:57 -
  
43.10前の盛岡区、さすがに文献と写真でしか見たことがありません。

SL世代でないOBも増えてきているでしょうから一言補足すると
メイン幹線の王者旅客機としては、時代を遡ると
C62→C59→C53→C51の順になりC59までが2-C-1の軸配置のパシフィック型、
C62,C61,C60の3形式が2-C-2のハドソン型です。
C60はC59の従台車を2軸に改造した転用機で軸重を軽減したのは
中央幹線から余剰となったC59を地方線区に回すためです。

あと特急というのは昔はとても本数が少なく、客レのブルトレ以外の
特急というのは「つばめ」と「はと」と山陽路の「かもめ」遅れて東北の
「はつかり」くらいしかありません。
「ゆうづる」は新幹線開業後の特急増発時代の先兵ですが、DD51が安定する
直前でうまいこと平のC62が間に合いました。
これと熊本のC59が曵いた「みずほ」に遭遇できた方は僥倖といえましょう。

熊本にC59が“落ちた”期間は山陽線の全線電化の39年以降ですから
こういう地区の超大型機使用期間というのは、長い鉄道線区の歴史で
「ほんの一瞬」のことですから、鉄道マニアというのは奇特な人種だなあ
といつも苦笑してしまいます。

いずれにしても何十年も前の一瞬の邂逅を覚えており、それで一生楽しめる、
また共通の話題としてずっと通用流布するというのは、愉快な趣味です。
これは鉄道趣味ならではの社会的な部分を背景にした同時代性でないかと
私は思っています。
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【1344】天然色で振り返る 40年前の日々 −4−
 総本家・青信号特派員  - 08/5/15(木) 22:14 -
  
郡山から満員の急行「八甲田」に乗って、深夜1時過ぎに盛岡に着いた。待合室のベンチは、すでに寝袋族に独占されていて、やむなく通路に新聞紙を敷いて横になるが、固いコンクリートの上ではとても寝られたものではない。明るくなって、駅の裏手にある、盛岡機関区へ向かった。
東北本線は盛岡〜青森間が最後の未電化区間として残っていた。しかし、1ヵ月余り後のヨンサントウ改正で、いよいよ全線の電化が完成する。改正を前にした盛岡機関区は最後の煙の競演を見せていた。D51のトップナンバーがいる。初めて見るC61がいる。東北本線独自の小デフを付けたC60が続く…といった具合で大型蒸機が扇形線にあふれていた。そんななか、ラウンドハウスの横に、特急のヘッドマークが置かれているのを発見した。
区の方に聞いてみると、蒸機に付けても構わないとの返事。喜び勇んで、重いヘッドマークを同行の士とともに担ぎ上げて、次々に付け替えて写しまくった。写真はその一枚、「ゆうづる」を付けたC6016。
「ゆうづる」は、昭和40年10月改正で生まれた上野〜青森間の寝台特急。昭和42年までC62牽引で話題となったが、これは常磐線の仙台〜平間のこと、東北本線の非電化区間は、誕生当時からDD51重連牽引で、実際にはあり得ない組み合わせではある。朝焼け空をバックに飛び立つ鶴をイメージしたヘッドマークは、出色のヘッドマークとして名高いが、「ゆうづる」はヨンサントウ改正で583系電車に置き替えられるため、ヘッドマーク自身もまもなく消えてしまう。歴史的な大改正を前にして、蒸機特急の意外な晴れ姿を、区の粋な計らいで演出することができたのである。

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【C60ゆうづる.jpg : 96.3KB】
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【1343】天然色で振り返る 40年前の日々 −3−
 総本家・青信号特派員  - 08/5/13(火) 22:49 -
  
◎磐越東線のDD51重連
上野からは青森行きの夜行鈍行に乗って郡山で降り、磐越東線の始発列車に乗り換えた。いまでこそ磐越東線は、話題にも上がらない、たいへん地味な線区だが、その当時は、本州では唯一となったD60が、朝夕の客車列車、日中の貨物列車を牽くことで知られていた。そのD60も、まもなく迎えるヨンサントウ改正で、全面的にDD51に置き換えられることになり、注目を浴びていた。ただ、D60はほとんどが集煙装置付きで、パイプ煙突も多く、原型の面影は残していない。
朝の旅客列車は、船引付近で撮り、昼前に要田〜三春間に移動した。中間付近の絶好の大カーブで貨物を待ち受けると、やってきたのはD60ではなく、置き換えの済んだDD51の800番代車の重連だった。今でもどこかで見られそうな光景だが、新製直後だけに、あざやかな朱色が、暑い野山に燃えるように際立っていた。

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【磐越東線DD51重連.jpg : 129.7KB】
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【1342】鉄道趣味人にとっての骨董とは 其の壱
 今出川浄福寺  - 08/5/13(火) 0:15 -
  
 鉄道に関する諸物は、骨董品となりうるであろうか?
 個人の手許に有るとまず実用的ではなく、全く役には立たない。さらに古道具・古美術品の範疇にも含まれない。どうも骨董とは言い難いようである。せいぜい稀少価値の有る資料と言うべきか、それともコレクターアイテムとして市場価値がある物なのか。
 巷間蒸機のナンバープレートは高値を付けているそうであることからすると、まぁ個人の思い入れのある物がせめてもの骨董的価値を生み出しているのかも知れない。
 鉄道会社が整理されると、数多の物品、書類等が廃棄され、後世資料として残り世に出るものは甚だ少ない。当会の重鎮たる諸先生方をはじめ、斯界の研究者達の出版を通じてしか、我ら凡人は識る路はないのである。

 添付写真を見て頂きたい。これは花巻電鉄創業時より使用されていたという17瓩レール(出自・謂われを明記したシールは剥離してしまった)である。物差しを参考にして頂ければ、如何に高さが低いか分かられると思う。因みに37瓩レールの高さは12糎ある。
 この17瓩レール、聞くところに因れば、独逸製だそうだ。どの当たりに使われていたかは聞き漏らした。しかしながら、日夜風雪に耐え、15瓲も有ろうかという車輌の走行に良く耐えたものである。擦り減った傾きに哀れを誘う。

 花巻電鉄鉛線は、昭和44年夏廃線とされたのであるが、同年8月盛大に施行された龍ケ森合宿の帰り、当会有力者であるI氏と共に訪れた際買い求めた一品である。

 廃線といえども当時の事、訪れる者とて少なく真にひっそりとしたものであった。今日、廃止と聞けば、日頃の乗車とは無縁の輩が浮塵子の如く押し寄せ、恰も死肉に集る禿鷹のようで正視に耐えない。隔世の感である。野辺送りは静かに遺徳を讃え、送らして頂きたいものであろう。
合掌

添付画像
【17瓩レールs.jpg : 0.5MB】
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【1341】鹿島貨物(国鉄色第3弾)
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/5/13(火) 0:04 -
  
私の現在の被写体は、専ら国鉄色のEF65です。自宅から車で30分程度の成田線には、鹿島工業地帯に向かうコンテナ専用列車が一日三本設定されており、高崎機関区のEF65が牽引しています。首都圏における3月末のATS−P化実施により、EF65の一般型・P型・F型が引退を余儀なくされましたが、新たに貨物色に混じって国鉄色のPF型も転入してきました。インターネットで国鉄色が入線する土日には、カメラ片手に出没しています。
一枚目の写真は、有名なEF65535です。2008年2月24日の撮影で、成田線 佐倉−酒々井間です。なんとなく東海道本線 高槻−山崎間に似ており、お気に入りのポイントです。この上の高台には、当会OBのK中さんの御殿があるはずです。当日は、引退間近の鹿島貨物でしたので、結構な人出で、いろんな雑誌に取り上げられました。二枚目は、同じ場所で、2008年3月2日に撮影したEF651122です。関西ブルトレ牽引機も流れ流れて、東国で活躍しています。青のナンバープレートがいただけませんが・・・・
三枚目は、単線区間の久住−滑河間です。2008年2月11日撮影で、国鉄色ではありませんが、P型のEF65506です。貨物色は、いまいちですが、元ブルトレ牽引機が老体に鞭打って、コンテナ貨物を引いてましたが、これも過去帳入りです。最後の写真は、二枚目の写真と同じ2008年3月2日に撮影したEF651054です。最近、転出した1038号機に代わり高崎機関区に転入したカマで端正な顔でお気に入りです。

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【1340】上信電鉄
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/5/11(日) 23:54 -
  
【1328】で長老より、ドイツ製のホイッスルのお話があった。ドイツ製電気機関車で現役は、長老が書込みされている上信電鉄デキ1、デキ3、銚子電鉄デキ3が挙げられる。
一寸前といっても40年位前まで、岳南鉄道のデキ1と2が健在であった。また、上信電鉄電化時に用意された電車の電装品もドイツシーメンス社製であった。

国鉄のドイツ製電気機関車はアプト式のEC40を除くと、昭和2年に輸入されたED56→ED23が1両、ED57→ED24が2両、計3両を数えるのみである。長老が武蔵境駅で聞かれた警笛は恐らく当時八王子機関区に配置されていたED24のものではなかろうか。

【1330】でK.H.生さんが疑問を呈された台車の件
写真は高崎駅に廃車後、倉庫代わりに留置してあるクモハ103+クハ103のいずれかのものと思われる。クモハ103+クハ103は元西武鉄道のクモハ463+クモハ466で、昭和35年所沢工場製である。問題の台車はTR25Cという形式で、乗心地改善のため、DT12、DT13、TR22の枕バネ部分を空気バネに取替えたものである。当初は昭和33年製のクモハ501が履いており、上信電鉄売却時に履替えたものと思われる。

上信電鉄の電車は後日紹介することにして、今回はもう1両の電機ED316とドイツ製の私鉄電機ということで岳南鉄道デキ1と銚子電鉄デキ3を紹介する。

1.2  デキ1  昭和42年3月24日  高崎
大正13年シーメンス社製、この当時はパンタが原型のままであった。

3.ED316   昭和42年3月24日  高崎
昭和18年6月に国鉄に買収された飯田線辰野〜天竜峡間の前身、伊那電気鉄道のデキ1形デキ6で、昭和28年の改番でED316となった。昭和30年9月に廃車となり、昭和32年5月に譲受けた。伊那電気鉄道のデキ1形は大正12年石川島造船所製で電装品は芝浦製作所製であるが、車体は箱型に、電装品はデキ1と同じシーメンス社製のものと取替えている。近江鉄道に原形のままでED311〜ED315が残っているので皆さんご存知のことと思う。

4.岳南鉄道デキ1  昭和43年4月6日  岳南富士岡
昭和3年、アルゲマイネ社製で、デキ1、デキ2の2両在籍した。元宇部電気鉄道の1、2→宇部鉄道1、2→国鉄1.2と所有者が変わり、昭和27年3月岳南鉄道入りした。

5.銚子電鉄デキ3  昭和58年5月21日  仲ノ町
大正12年、アルゲマイネ社製、宇部の沖の山炭鉱が購入し、昭和4年宇部電気鉄道に譲渡、岳南鉄道のデキ1、2とは一緒にいたことになる。昭和16年銚子電鉄が購入している。現在は営業線上に出ることはないが、銚子電鉄のマスコット的存在で、仲ノ町車庫に留置されている。

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【1339】GW孫たちと過ごしました
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/5/11(日) 16:35 -
  
千葉・茨城県在住の孫、小6、小4、小1の鉄道ファン三君と遊んできました。
雨こそ降らないが天気はあまりよくなく、6日だけが快晴でした。気温は高め。
栃木県の真岡鉄道沿線は田植えの真っ最中でした。以下はその時の写真です。
上から順に、
1.上り6002レ、益子−北山間、5月3日
2.上り6002レ、茂木−天矢場間、5月4日
3.下り6001レ、市塙−笹原田間、5月5日、以上お爺さん撮影
4.下り6001レ、西田井−北山間間、5月6日、小6T君撮影

(未承諾広告)
この他の写真は、以下のHPをご覧下さい。
http://kabutogoe.web.fc2.com/mooka/mooka01/mahiro.html

の、『2008年5月SLもおか』からお進みください。

なお、2004年から撮影している真岡鉄道のページは唯今鋭意作成中です。

また、HP『蒸気機関車山路を行く』で、
『カラフル気動車』のページもはじめました。
40数年前の野山を走る気動車をカラーでご覧下さい。
http://www.k4.dion.ne.jp/~tsuru/

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【1338】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-24
 湯口 徹  - 08/5/11(日) 11:05 -
  
Transports de Martigny et Regions(TMR)=Martigny-Chatelard(MC)

モントルー、エイグル、ベーと南東に下ってきたCFF(スイス国鉄)は、マルティニでほぼ90度曲がって今度は東北に、シオン、ブリークに向かう。そのマルティニでは2方向に私鉄=現在ではマルティニ公共交通に統合=が分岐し、その西側がフランスのシャモニー・モン・ブランまで直通するMC。Cはスイス側最終駅の Le Chatelard を示す。

軌間1000mm、部分的に最急200‰のシュトルプ式ラック区間がある。その上山岳地帯ではトンネルの断面を節約してサードレールになり、しかも架線と入り混じる。電圧は830Vと半端な直流。

マルティニ駅に接するMCにはちゃんとしたプラットホームがあるが、片側は道路で、撮影には好適。赤と白の、いかにもスイスらしい好ましい電車だが、屋根の端が斜めに切り落とされたやや新しい車両、その部分に窓を設けた2両固定編成のパノラマ電車もある。

サイドには MONT-BLANC EXPRESS とも記され、スイス、フランス両国旗がデザインされているのも実に見事で洒落ている。写真では分からないが、動台車ホイルベースが日本では考えられぬぐらい長く、これはラック装置のためだろう。

電動車妻面に近い窓下に黄色いサボ?があり、目玉のマークが描いてあるのは、無車掌を示し、乗車券は乗車前(路面電車なら車内で)にキャンセラーを通さなければならない警告である。私服の検札員が無刻印を発見すると理由の如何を問わず無賃乗車とされ、有無を言わせず高額の罰金徴収だけでなく、著しく名誉を傷つけられる。幸い我々はスイスパスだからかような操作は不要である。

地図をご覧頂くと、マルティニから国鉄線にしばらく並行し、次駅から1駅間だけサードレールになって川に沿い南西に向かう。このあたり何となく南薩鉄道の伊集院−日置間を思い出す。サードレール区間の駅両端には黄色の標識があり、ガイコツマークもあって歩行=触電を警告している。日本なら厳重な柵を設けているだろう。

パノラマ電車は当会会員が叡山電鉄でも実現したが、誠に失礼ながら、ここの景観は比叡・鞍馬とは次元が違う。座席から窓をほぼ真上に見上げると、氷河を抱いた峰―それも2,500〜4,000m級の―が直接見えるからである。この電車はフランスのシャモニー・モン・ブラン駅での撮影で、すぐ山が迫っている。

スイスはEU等に一切加盟していないが、フランス国境ではパスポートコントロールも何もなく、電車は何事もなく通過。変わるのはフランス側の電車と離合しだすだけである。MCは先述のようにシャモニーまで乗り入れ、スイスパスもここまで有効だが、フランス側の電車はフランス国内に止まる。

なお以前はフランスに入った最初の駅 Vallorcine でパスポートコントロール(形だけにせよ)があり、MCの電車はここで折り返し、フランス側電車に乗換えた由。かつてザルツブルグ(ドイツ)から鉄道乗り継ぎでオーストリーに入国する際、やはり形だけパスポートを見せて細い通路を通ったことがあるが、EU加盟国間ではそれもなくなった。

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【1337】GW前後余話
 893-2  - 08/5/11(日) 2:23 -
  
巷では暦並びの悪いGWが終わってそろそろ休みモードが
抜けてきた頃だと思います。(中には毎日が日曜で関係ないわい
とおっしゃる方もおられると思いますが・・・)
各地からの便りもありましたので私からも少し。
今年は名古屋・岐阜あたりに縁がありGW前に仕事絡みで
名古屋に行った時に名鉄の7000系パノラマカーをと思い
意気込んでいきましたがあまりうまく撮れず、
代わりにピカチュウラッピングトレインが2列車も来ました。
また、GW休みにはこの連休で廃車と噂のJR東海の381系
国鉄色「しなの」を撮りにいきました。
国鉄色を見ると反応してしまうのは「デカンショ祭り号」氏に
同じですがこれも歳のせいでしょうか。
また「デカンショ祭り号」氏の583系はISO1600で撮影したという話を
聞きデジカメの画質の向上に驚きました。私はまだ怖くてISO800まで
しか使ったことがありません。一度挑戦したみたいと思います。
この、GWに先ごろ投稿のあった寒い国にいる御仁からの電話や
83年度の「松柏」氏が新たにデジカメ一眼を購入したニュースやら
結構動きがありました。「松柏」氏はそのうちここで写真のお披露目が
あるでしょう。期待しています。

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