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【1305】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-22
 湯口 徹  - 08/4/28(月) 13:13 -
  
TPC=Transports Publics du Chablais その7―BVB=Bex-Villars-Bretaye I

CFF(スイス国鉄)でエイグルから南に2駅目がBEX(ベー)で、やはり駅前からメーターゲージの電車が北東へ。現在ではエイグル始発の3線と共にシャブレー公共交通に統合されている。700V直流、Villars(ヴィラール)まではいわば下部線で、その先は上部線とでも称すべき区間である。

ベー駅前には巨大な鰻がくの字型になったように2両連結車が待っていた。連結面台車は車輪径が小さく端面・動台車部以外の床高を下げているが、連結部がカーブのためびっくりするぐらい食い違っているのをご覧あれ。確かに貫通扉も踏板もあるが、これを進行中に渡るのは度胸がいる。

スイス特有の標記である4/8は、この2両が動力を両端台車に集中させた永久連結車=8軸中動力が4軸であることを示している。出力は1,000kWというから、電機顔負けだがスイスでは珍しくない。

ベーを発し平坦線を進んでやたら狭い旧市街を抜け、その次からヴィラールまで、2枚歯アブト式ラック区間があり、また平坦線になって高級リゾート地ヴィラールへ。駅名には Villars-sur-Ollon とある。

ここで線路はスイッチバックして上部線となり、線路は確かにつながっているが、今まで乗ってきた下部線は欧州一般の開放的乗降システムでなのに比し、上部線は極度の閉鎖式に一変する。

これは以前にも記したBRB=ブリエンツ・ロートホルン鉄道等、ユーロパスが通用しない(高額の運賃を徴収する)登山鉄道や汽船でのシステムである。スイスパスなら割引があるのだろうが、ともかく所定の乗車券を買わないと駅構内すら入れてくれず、写真も網越し、望遠を使わざるをえない。

3コマ目「ヴィラールで」で右側の永久連結2両編成が下部線。左側金網扉が閉じられている線が上部線で、駅舎も道を隔てて別個にある。元来別の鉄道だった名残も勿論あるが、運賃システムが異なるのが最大の理由であろう。当然通し客は乗換えになる。

運転ダイヤは下部線が国鉄線に合わせたほぼ一時間毎で、所要40分、朝夕は途中までのローカル列車も若干ある。上部線は時期により5あるいは6往復、所要18分。冬季のスキーシーズンは下部線にかかわらず30分毎の20往復と、完全なリゾート運行になる。

上部線は駅構内を含め全線ラックで、車両定規=車体幅も若干上部のほうが狭いようだ。なお3コマ目は逆光のため、ついアナログの感覚で露光を多めにしたら、コントラストがやたらきつく修正が困難で、デジタルカメラではむしろ不足気味のほうが修正しやすいらしいことを痛感。アナログでの技術経験など全く役に立たないのは老人にとって甚だしく遺憾であり、気分を害すること著しい。

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【べー駅前2.jpg : 328.6KB】

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【ここからラック区間.jpg : 331.4KB】

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【いわば上部線.jpg : 345.8KB】
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【1304】Re:通勤の車窓 今昔 −6−
 K.H.生  - 08/4/28(月) 3:23 -
  
40年前の写真であるが背景のビルが健在
(当時は第一銀行が入居)なのと2つ後ろの明治屋ビルが
2008年現在でも残っているのがうれしい。
なにしろ大正12年竣工のオールドボーイなのだから。
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【1303】新世紀京都博
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/4/27(日) 14:29 -
  
4月10日、総本家・青信号編集部さん投稿「老人の友 その7」の上から5番目、嵐電四条大宮駅前を走る市電607の撮影時期の件、「新世紀京都博」の看板から昭和36年としましたが、総本家・青信号特派員さんより、件の博覧会を昭和39年4月に見学したので、その頃ではないかと言うご意見がありました。

私はN電と同時期の撮影と思い、昭和36年としましたが、展示されている熱海鉄道の蒸機を自前のカメラで撮影した記憶があったこと、(カメラを買ってもらったのが高1の時でそれまでは父の二眼レフを借りていた)同窓会の集合写真を見るとどう見ても中学生には見えないこと等から改めて日時を確認したところ、昭和39年3月23日となっており、京阪沿線の某高校1年の春休みでした。

以上のことから四条大宮の写真は、昭和39年、窓が閉まっていること、乗客の服装等から1月〜3月頃に訂正致します。

機関車と博覧会の関係は、主催者が蒸機の展示を希望し、物件を探していたところ、たまたま鷹取工場にあったこの機関車に目が留まり、国鉄に頼み込んで借りたというのが真相ではないでしょうか。

写真は上から(撮影日は昭和39年3月23日)
1.7号機の切開側
2.7号機の説明板
3.デオ200形
4.デナ1形
5.帰りに乗車したデナ1形のコントローラー

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【熱海鉄道7号機.jpg : 131.3KB】

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【7号機の説明板.jpg : 141.2KB】

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【デオ200の2連.jpg : 76.5KB】

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【デナ1のマスコン.jpg : 68.6KB】
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【1302】通勤の車窓 今昔 −6−
 総本家・青信号特派員  - 08/4/26(土) 23:34 -
  
◎堺筋本町
特派員の通勤の目的地である。
この「堺筋本町」、地下鉄堺筋線の開業時に付けられた駅名が、付近を呼び習わす地名として定着したが、このような縦横の座標軸で言い表す京都のような地名表記は、そもそも大阪には存在しない。堺筋本町駅の所在を住居表示で言えば本町一丁目であり、本来なら正真正銘の「本町」となるべきだったが、本町の駅名は昭和初期から御堂筋線にあり、それと区分するために付けられた苦肉の駅名であった。
かつての堺筋には大阪市電が走っていた。中心部を貫通する市電堺筋線は、東京なら銀座線、京都なら烏丸線に相当するメイン路線であった。そのあたりのエピソードについては、当会の大先輩の吉谷さんが「青信号」などに縦横無尽に書いておられ、現在の様子と対比するとたいへん興味深い。
さて、その堺筋本町、市電時代の本町二丁目を行く市電(写真1・昭和41年木村信之氏撮影)と、現在の同一地点(写真2)。左右の本町通にも市電靭本町線が走っていたが、昭和39年に廃止され、この写真には写っていない。2枚を対比してみると、なんと背後のビルが全く同じなのに驚かされる。この間40年以上が経過しているのに、である。それに続く、ビル群にもそのままのものが散見される。建て替えの激しい都心部にあってその光景は奇跡的である。
写真2に写っている小型のバスは「赤バス」と呼ばれる、一乗車100円の大阪市コミュニティバスであったが、この「中央ループ」は3月末をもって廃止されてしまった。赤バスは平成12年に運行が開始され、行政区ごとに、官公庁や病院などを小まめに回る地域密着型の公共交通サービスだった。他のルートが継続維持されるなか、この中央ループだけが真っ先に廃止されてしまった。
確かにタマに見る赤バスに客が乗っているのを見た試しがない。大阪中心部を走るバスは過去にいろいろな手が打たれたが、結局どの方法も定着しなかった。一時間に1、2本程度、しかも渋滞でいつ来るか分からないようなバスは、イラチの多い大阪のビジネス街では相手にされなかった。少々の距離なら歩いたほうが早くて正確だし、また大阪は自転車が異様に多い街でもあり、「歩きとチャリ」に赤バスは負けたと言えよう。
蛇足ながら3月に消えたものは鉄道界で話題を集めたが、バス界にも多かった。たとえば大阪の定期観光バスとして走り続けた二階建てバス「にじ号」は、乗客減もあって、バスはもちろん定観バスそのものが大阪から消えた。阪急淡路駅と新大阪駅を結び、阪急バスが委託運行を行っていた「あいバス」もわずか2年程度でなくなってしまった。

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【写真1 市電時代.jpg : 71.6KB】

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【1301】江若DD1352異聞
 総本家・青信号特派員  - 08/4/26(土) 23:15 -
  
はい、その田野城邸で3時間も話し込んでしまった特派員です。
再度、もと江若のDD1352のその後について、資料を漁っていますと、寺田裕一氏「ローカル私鉄車両20年」の岡山臨港の記事の中で、DD1352は「ブルーに白帯」との記述がありました。さらに同機は岡臨の廃止後、近くの水島臨港鉄道に移り(ただし使用はされなかったらしい)、その時のカラーが同紙に掲載されていますが、これが青というよりスカイブルー色になっていました。褪色と推測しましたが、褪色だけでここまで変化するのかどうか‥。あるいは岡臨時代のある時期にDD1352は塗色変更されたのかもしれませんね。
鉄道写真において、カラーで記録することの重要性を再認識しました。
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【1300】Re:上毛電鉄クハ501について
 田野城 喬  - 08/4/26(土) 22:01 -
  
▼藤本哲男さん, 西村雅幸さん:
ありがとうございました。
じつは本日編集部特派員さんが尋ねてきて、ご両人の話題になりました。
私の質問に藤本さんから回答がないので不思議だと言いましたところ、特派員氏は西村氏も高崎にいたので知っているはずだけど返事がないのは知らないのかも・・と言った言葉が聞こえて急いでお答え下さったのかもしれませんね。
藤本氏が知らないはずはないと思っていました。藤本氏が湯口先輩に感激していましたが同じ言葉を藤本氏にもお返しします。
クローバー会の会員で良かったとつくづく思います。

秋の総会の旅行にも参加して教えて下さい。
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【1299】江若の色ではお騒がせいたしました
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/4/26(土) 21:38 -
  
DC25の写真で納得です。岡臨時代は相当退色していたと考えるべきですネ。
いろいろとアドバイスありがとうございました。

藤本先輩の上毛の写真を見て 高崎で過ごした4年間をなつかしく思い出しました。デハ101は工事用とイベント用でしか走っておらず、大胡で寝ている日が
多く デハが走る日はクルマで追いかけをしたものです。
江若のお騒がせのお礼代わりにデハ101の工事列車と貸切の団体が記念撮影しているスナップをお届けします。工事列車は平成11年8月29日 新川・新里間にて、
記念撮影風景は平成12年2月6日 大胡車庫での撮影です。

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【jyoumou1-1.jpg : 220.3KB】

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【jyoumou2-1.jpg : 255.0KB】
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【1298】上毛電鉄クハ501について
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/4/26(土) 19:09 -
  
今週は昨日まで大阪で仕事をしており、その間に田野城先輩よりご指名がかかっておりました。2階建ての案件に対し、ぷるぷるさんより適切なご意見が寄せられ、更に湯口先輩より、NY市の2階附電車、オーストラリアの2階構造の蒸気動車の紹介があり、当クローバー会の実力を改めて感じさせられました。
その他にも、田野城先輩より上毛電鉄のクハ501について、西村雅幸氏より江若鉄道の客車の塗装ついてのご質問、その他にも過去からの案件が少々ありますが、簡単なものから書込みしたいと思います。

上毛電鉄クハ501について
田野城先輩のご指摘の通り元電動車を電装解除したものであります。前歴は元青梅電鉄のモハ503で昭和5年汽車会社東京支店で作られております。戦時中の昭和19年4月、国鉄(当時は鉄道省)に買収され、買収国電の一員となりました。昭和20年戦災で壊滅状態となった東急井の頭線(現在は京王)に貸出しされ、返還後は南武線で使用、昭和22年3月電装解除の上、サモハ状態で上毛電鉄が借入、昭和25年4月正式に譲受、5月に運転機器を取り付けクハ化しております。この車の特徴は当初から屋根上にベンチレーターがなく、幕板に通風口が片側に4カ所設置されています。

尚、買収国電については、佐竹先輩と弟さん執筆の、ネコ・パプ社発行「私鉄買収国電」が豊富な写真と吉川さんの解説で構成されており最も詳しいと思います。

江若鉄道の客車の塗装について
実は私もリバーサルで撮影した記憶があり、昨夜実家の物置を探したのですが見つかりませんでしたが、総本家・青信号特派員さんの言われている色でほぼ間違いないと思います。
私の印象では、一寸だけ青味のかかった深緑という感じです。DC251の写真がほぼ正確な色です。西村氏の写真では確かに青に見えますが、岡臨で撮影された昭和51年というと、恐らく10年近く塗り替えられていないことになり、褪色で青になったのではないかと思います。

余談になりますが、上信電鉄高崎駅構内の長年放置されている、クモハ103+クハ103はコーラルレッドが褪色により薄いピンク色のようになっており、環状線の103系もオレンジが褪色により黄色に近くなっている車両がありました。

総本家・青信号特派員さん撮影の自社のオハ27に国鉄から借入れ客車を3両連結した水泳臨の回送列車やDC251の写真を見ておりますと、学生時代の様々な思い出が蘇ってきます。

クハ501が健在な頃の上毛電鉄の車両を少し紹介してみたいと思います。

写真上から
1.    クハ501     大胡   昭和42年3月24日

2.    クハ701     西桐生  昭和42年3月24日
この車も元買収国電で鶴見臨港鉄道モハ110形のモハ111が前身、昭和5年新潟鐵工所製。昭和18年7月に国鉄に買収され、戦後の混乱期に電装解、昭和26年12月に譲受、昭和27年3月に運転機器を取り付けクハ化しております。銚子電鉄デハ301は同一グループの元モハ115で、今も健在ですが、最近は深夜の架線工事用に使用され、客扱いはしていないようです。

3.デハ81      大胡   昭和42年3月24日
東武鉄道デハ2形デハ10が前身、大正14年日車製。昭和22年10月モハ63形増備の見返りとして借入れの形で入線、昭和23年5月に正式に譲受となりました。当初、3扉、正面5枚窓を、昭和26年2扉、正面3枚窓に改造されました。専ら貨物列車の機関車代用として使用されました。

4.    デハ二51     大胡   昭和42年3月24日
昭和3年10月開業時に川崎車両で作られた車両で、桐生寄りに荷物室があります。

5.    デハ101     大胡   平成元年4月23日
デハ二51と同じ昭和3年10月開業時に川崎車両で作られた車両で車齢80年になりますが、現在も健在です。反対側は非貫通の3枚窓となっています。3年程前までは、平日朝のラッシュ時に大胡〜中央前橋間を一往復していましたが、現在は塗装を茶色に戻し、動態保存的存在で工事列車とイベント時に使用されています。

上毛電鉄の乗客数は、モータリゼーションの進行、並行する両毛線の電化による利便性向上、少子化による沿線の高校の統廃合等により、昭和40年代の最盛期に比べると3分の1以下に減少しており、厳しい状況が続いておりますが、昨年度上下分離方式による存続が決定しました。昭和42年に乗った時は昼間でも満員で、途中の無人駅から乗車したお婆さんと小学生の女の子が、車内で切符を買おうにも車掌が満員のため来られず、その内に下車駅(こちらも無人駅)に着いてしまいオロオロしながら下りて行った光景が印象に残っております。

添付画像
【クハ501.jpg : 94.0KB】

添付画像
【クハ701.jpg : 97.6KB】

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【デハ81.jpg : 123.0KB】

添付画像
【デハニ51.jpg : 124.7KB】

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【デハ101.jpg : 112.8KB】
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【1297】古墳出土の新聞記事
 湯口 徹  - 08/4/26(土) 12:26 -
  
100年前の新聞記事を「無理やり」読まされて、何やら体がかゆくなったなどと抜かす柔弱野郎がいる。これはもっと鍛えねばならんと、諸兄の迷惑そうな目なんぞ一切無視して今回は京阪大特集で追い討ちを。

先ずは鉄道時報1914(大正3)年5月31日号の名古屋電車製作所の広告から。京阪1型35号であろう。

2コマ目も同日同紙の天野車両製造工場製京津18号。これは同紙提灯持ち記事に挿入されていた写真である。ちなみに我々現役時代の京津20型(汽車会社敗戦後製真四角の粗製乱造電車)はこの台車(と機器も?)を使っている。

3、4コマ目は1913年4月4日京阪上り線で発生した25、24、23、22、9号がからむ大衝突事件で、軌道だから当時は閉塞信号がなかったのである。記事を全部打ち直すのが面倒で、スキャナーからの出力そのままだから読みづらい。画面をクリックし拡大してからお読みあれ。それにしても9号を除き綺麗に番号通り運行していたものだ。掲載は鉄道時報1913年4月12日号である。

と、これでまたまた、乙訓老人のお出ましがないと納まるまいて。速やかに義務を果されたい。

添付画像
【鉄道時報1914.5.jpg : 204.9KB】

添付画像
【鉄道時報1914.5.31.jpg : 212.4KB】

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【京阪大衝突1.jpg : 195.6KB】

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【京阪大衝突2.jpg : 379.0KB】
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【1296】江若の色
 乙訓の老人 E-MAIL  - 08/4/26(土) 6:36 -
  
本件については老いたりといえども、未だ色についても感覚は衰えておらんぞと、須磨の大人から蘊蓄が語られるであろうと沈黙していた。ここで逆襲をこころみる。先に紹介されたDD13の色はあまりにも青い。ほんの少し青味を帯びた濃い緑と表現した方がよい。耐候性は赤に次いで緑がない、とも言われている。
マンセル記号が出てきたが、これで処理するとあてにならない。それほど色はいろいろで、ぷるぷるさんも老人と同意見であった。富山時代、特別色の色合わせで苦労したが、調合顔料はそのもので使用するのではなく、色安定に工夫を凝らす必要ありと教えられた。残念ながらその知識がなく、今日に至っている。顔料についてはDRFCには飯の種にしていた輩がいる。
青いDD13を見て、サクラのいたずら?と思ってみたり、迷いはあるけど老人の感覚で建築界でつかわれている色見本カードを三原製作所へおくらせてもらう。
オハ31の屋根に使える木材は「マツモト」でも売っていた。何枚かストックしていたが、そうしたものは全て処分したが、引き取り手が掲示板投稿者にもあった。
尼崎へは、ガラクタを持ち込む予定でいる。お楽しみに。
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【1295】江若のDL、もう一枚
 総本家・青信号特派員  - 08/4/26(土) 0:44 -
  
岡山臨港のDD13、拝見しました。確かにグリーンというより青ですね。ローカル私鉄に譲渡された場合、塗色変更したとは考えにくく、江若時代もこの色だったのでしょうか。こちらの頭も疑問が駆け巡り、資料を探していると、ピク192号の私鉄車両めぐり「江若鉄道」に、DD13とオハ27についてはダークグリーンとの記述を見つけました。ただカンジンの1900形客車については記述は見当たりません。また、もう一枚、DC251のカラーも見つかりました。三井寺下車庫へDRFCで見学会に行った際に写したものですが、これもDD13と同色でなかったかと推察します。思うに、当初はダークグリーンだったものの、経年による褪色で、岡臨時代は青に近い色に変化していたということではないでしょうか。

添付画像
【DC251.jpg : 254.7KB】
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【1294】江若の色
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/4/25(金) 21:07 -
  
さすがにDRFC-OB会だと感激です。早速江若のカラー写真を紹介下さりありがとうございます。この写真を見て また疑問がわいてきます。昭和51年12月に岡山臨港で撮影したDD1352の写真が1枚あるのですが、ダークグリーンとは言いがたくブルーという感じです。DD13は江若当時の色のまま岡山臨港へ移ったと思い込んでいまして、客車は客車で別の色だったと思っていました。DD13と客車は同じ色だったのかという疑問です。更なるアドバイスをお願い致します。

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【1293】老人の友 その9
 総本家・青信号編集部  - 08/4/25(金) 11:49 -
  
老人には過ぎ去りし青春の想い出を、若人には見えざりし過去の栄光を。
お届けして参りました老人の友シリーズ、いかがでしたでしょうか?
心なしか老人たちが活性化したように思えるのは編集部の思い過ごしでしょうか?

(上から)
★七条大宮交差点の南東角から北西角を見る。
★EF58に牽かれて出発前のかもめ。オハニ36+ナロ10+ナロ10・・京都駅
★京都駅西方大宮陸橋付近。
★EF58牽引のアオダイショウつばめ
★マイテ39

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【1292】こんな色では?
 総本家・青信号特派員  - 08/4/24(木) 22:44 -
  
西村さん、江若のカラーを探してみました。ご指定の1900形は出てきませんでしたが、オハ27なら一枚だけカラーで写していました。三井寺下−滋賀間で写した水泳臨の回送です。記憶では、1900もオハ27も同じ濃いグリーン、さらには写真の先頭のDD13も同色だった記憶があります。DD13と1900は、朝夕の快速列車で編成を組んでいましたから一体化した塗色にしたと想像されます。
褪色カビ付きのポジゆえ、正確な色調は再現されていませんが、京阪の濃いグリーンより、少し青みがかった、青緑色であった記憶はありますが、なにせ40年前のこと、私のおぼろげな記憶を、湯口先輩や藤本さんらに補足していただければと思います。
内輪話になりますが、西村さんにもご協力いただいた『私鉄廃線跡を歩くIII』は、この江若鉄道も入れて、まもなく出来上ります。思い出すたびに江若はよかったですね。模型運転会、楽しみにしています。

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【1291】馬車電車とは
 湯口 徹  - 08/4/24(木) 6:51 -
  
[1287] の元祖青信号編集部さま

馬車電車とは、単純に「馬車と電車」のことです。二階建車両は市内乗合馬車時代に既に存在しまし、初期の鉄道車両=客車も電車も馬車を基礎にしましたから、二階建構造も路面電車や一部の客車に取り入れられたのです。欧州や豪州には二階構造蒸気動車も存在しました。二階バスもロンドンが有名ですが、香港、シンガポール等英国植民地に持込まれています。欧州では二階をオープンにした観光バスも健在で、確か東京にも?

昨年だったか、同様構造のペルーの観光列車で乗客が垂れ下がった電線で首を切断された事件がありましたな。

なお単に定員を詰め込む発想での二階構造は、兵士輸送のため有蓋貨車を改造した例や、三等より設備の悪い四等客車の例が満州にもあり、家禽車や運豚車並でした。

添付写真はオーストラリア最初の蒸気動車=ボギー自走客車で、エンジンシステムはローワン式。『RAIL MORTORS AND XTP's』より。

添付画像
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