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【1290】教えてください
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/4/23(水) 23:04 -
  
三原の西村です。来月の運転会にはとても間に合わないのですが、模型製作にはずみがついて江若鉄道を再現しようと夜な夜なカッターナイフを握っております。オハ27はダブルルーフの屋根板が手に入らないため先送りし、オハ1957〜1960から手をつけています。完成は多分夏ごろになるでしょうが、車体の色がどんな色だったかが判らずモヤモヤしながら作業を続けています。実車を見たことはあっても、さっぱり色は覚えていません。何かの記事で「ダークグリーン」だったと知ったのですが具体的に 例えば「京阪のミドリより濃い」と言われればもう少しイメージがわくのですが・・・。諸先輩方で江若の客車群のカラー写真をおもちであれば是非ご紹介ください。写真が無くとも マンセル記号でも○○のミドリと同じというヒントでも結構です。よろしくお願い致します。
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【1289】境線に『米子空港駅』誕生
 米っ子便り  - 08/4/23(水) 22:25 -
  
米子空港の滑走路延長に伴う境線付け替え工事で、6月15日に大篠津駅は廃止となり、空港近くに「米子空港駅」が誕生します。御崎口駅は『大篠津駅』に改名されます。

新設される『米子空港駅』は、現在新設工事中で完成すると空港から240mになり、徒歩5分に短縮されます。

米子空港駅は大篠津駅の「べとべとさん駅」、大篠津町駅は御崎口駅の「砂かけばばあ駅」を引き継ぎます。

既に3月15日時刻改正以来、今まで交換駅は、大篠津駅からリニューアルなった中浜駅に変更されていて、以前の交換風景は、過去のものとなっています。

5月連休中に何処へ行こうかと考慮中の方、是非に山陰鉄道発祥の地である境線の『大篠津駅』も候補にあげて下さい。

丁度、安来駅も駅舎のリニューアルが4月10日に完成し、鉄道開通100周年記念展覧会が駅舎内のギャラリーにて開催されます。(4月29日〜5月7日)
模型展や駅舎の歴史が写真等で紹介されます。米っ子も行って参りますので、またご報告させていただきます。

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【1288】もう一つ、質問
 田野城 喬  - 08/4/23(水) 21:10 -
  
湯口先輩、乙訓の長老、ぷるぷるさん、ありがとうございました。
思いもかけないお話を聞かせていただき編集部の書いているように感激しています。

そこでもう一つ質問を。
今日新聞を見ていると黄色い電車の写真が出ていました。毎月数回汽車好きの記者が自分の撮った写真を載せているのですが昭和50年前後からの写真が多く、また関東中心のため私の知っている車両は多くありません。今日の写真も「32年前の上毛電鉄クハ501」と書いてあります。コメントに「屋根にベンチレーターもエアコンもない・・・・モーターもないのに、運転室が車両の両端についている。通常、両運転台は一両で運行するためなのだが・・・すでに廃車になってから30年近くすぎており、真相は分からない」
素人の私が見てもなるほど両運のクハは間違いなく、クモハを電装解除したのではと思いますが誰かこの「真相」をご存じの方はいませんか?
多分いるな、この調子なら。
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【1287】Re:NY市の2階附新電車
 元祖青信号編集部  - 08/4/23(水) 20:32 -
  
▼湯口 徹さん:
>▲二階附の馬車電車は倫敦(ロンドン)が鼻祖で、久しく独占的の名誉を荷ふて居たが、此頃から紐育(ニューヨーク)市でも採用することとなり先月試運転をなす迄に至つた。
>
今更ながらにDRFCの層の厚さに驚くばかりである。
瞬時にして100年前の新聞記事が出てきたり詳細のコメントが出てきたり、博物館や図書館、いやいやJRの資料館でもこれほどではないと確信する。
こんな偉大な先輩・先達と直接話が聞けることを同僚後輩は感謝しなければなるまい。
そこで失礼は覚悟の上で質問をさせていただく。
湯口先輩の書き出しに馬車電車とあるのはどういう意味でしょうか?馬車で作られて電装されたのか当時路面電車を馬車電車と言ったのかお教え下さい。

また、集電が地中集電とありますが最近欧州で出来つつある地中に埋められた送電線をコレクターを使って集電する方法でしょうか?100年前からあったのですか?これは乙訓の長老様にお尋ねします。
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【1286】DRFCはゲテモノ好きの集まりか?
 乙訓の老人 E-MAIL  - 08/4/22(火) 21:53 -
  
参戦せよとの御宣託である。腰が馬鹿になって、立ち上がるのが遅い。従って玉手箱に立ち入ることなく、ウロ覚えなので逆ではなく、順襲とする。
大人紹介のNY市の新電車の名はBroadway Battleshipと言う。お気づきと思うが屋根上にポールがない。内燃機関を搭載しているのではない。これならぷるぷるさんのように構造規則による定規におびえる必要はなし。路中?集電している。なんでも15ダースあまりが新造されたとある。
断面図が出ているが、これのコピーが鎌倉から送られてきた。寸法図がないか、との問い合わせであった。幸いなことに元ポン友・姫路の洋装店店主(故人)が仕入れた物品の中に「戦艦」の図があったことを思い出した。電話したら即座にコンビニへ走り、鎌倉へ速達とした旨、連絡を得た。鎌倉の旦那は木材の軸組みで紙張りの工作物を作り、外部色については姫路へ問い合わせ着色したと、写真が送られてきた。玉手箱にあると思うのだが……。
2階建構造について興味をもっていたころ、同じ断面構造の図を鹿島さんから頂いた。なんでもアメリカのNY市近郊非電化線の通勤用に、関西のメーカーから輸出したものだそうな。これも玉手箱にあるはず。
目がしょぼついてきたので、今夜はこれにてお休みなさい。
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【1285】NY市の2階附新電車
 湯口 徹  - 08/4/22(火) 9:56 -
  
[1283][1284]と田野城・ぷるぷる氏のやり取りが続き、どうせ乙訓老人も黙っては居れずに参戦必至であろう。その間隙に乗じ、須磨老人も1911(大正元)年10月5日鉄道時報681号記事を紹介に及ぶ。題して「紐育市の二階附新電車」。( )は拙老による。

▲二階附の馬車電車は倫敦(ロンドン)が鼻祖で、久しく独占的の名誉を荷ふて居たが、此頃から紐育(ニューヨーク)市でも採用することとなり先月試運転をなす迄に至つた。

▲東京でも近来は追々西洋風になりつつあるが、殊に輪敦紐育等では事務所商店等と住宅と画然分れて居る為め朝夕一定の時間に或区域の交通機関に非常に多数の乗客が輻輳し、市民の不便は言語に尽せない位である。従つて此運輸交通上の欠陥を補ふ為め、地下鉄道、高架鉄道等が出来、或は更に既成の線路を延長する等種々の苦心をしている際である。其で此二階附の電車は或程度迄此市内交通機関の不足問題を解決するものと認められて居る。

▲此の紐育電車の発明した新機軸はいろいろあるが第一は乗客の席が車体の真中を長いなりに腰掛が背中合せになり、其の前を両側共通行することが出来るやうになつて居る、又二階は乗客定員が下と同様であるに拘はらず車両全体の高さが大層低く出来て居る、即ち従来の標準車体よりは十九吋程高い十二フィート十吋の高さである丈で、二回が附けられることになつて居る、従って二階にした為めに、例へば
橋の下とか高架鉄道の下とかを通るときに豪も差支へがないやうに出来て居る。

▲さて斯く従来の平屋作りの車両の特徴を失はず而(しか)も定員数を倍加し、且つ二階の内部の装飾や其の他がよく行届いて居り市内見物にも面白い所から乗客が不平どころか、大喜びで二階へ乗りたがる、此計画は全然大成功であると云はれて居る。

▲新車両の重要な点を摘記すると第一、八十八人の座席と、八十三人の佇立客合計百七十一人が運び得られる、是では余程の人出の時でも大抵一時に運び去ることが出来る訳である、第二には従来の二階附の車は高さが高過ぎたのと一つは客の乗降に手間取るのが大欠点であったが是は此新車両ではすつかり取り除かれて居る其訳は(イ)車台が低くて車の床と地面の間が誠に僅で従来の如くに二階の階段を踏むを要せぬこと(ロ)車掌を車外の地上に立たせて置いて賃金を集め且つ乗換券を渡させるやうにしたこと(ハ)二階へ行く階段は車体の両端にあって出入口は中央にある、是で二階行きの人間と然らざる人間との混雑を免がれること、(ニ)車掌は電気仕掛で二階の客に次に来る町の名前を知らせることが出来る、其の為め二階の客は次の町が来る前に階段を降りて来て出口に立つて居ることが出来る又出入口が中央にあつて、其処に少しの足の踏みかけ場も無いから、満員の場合には扉を閉じて置けば何人も這入ることが出来ぬ故強いて乗らんとして騒擾を醸すやうな憂ひがない。

▲階段がまた新工夫で出来て居り、階下から二階まで五フィート二吋あるのに、僅かの労で上り得られる、且つ両側に手欄が付いて居る、且二階の上り口で階段は二つに分れ、座席の何れの側へでも出られるやうになつて居る。

▲夏になると階上の窓が取り外されて、其代りに丈夫な手欄及び金網が付くやうになつて居る、階下の窓も取り外しは出来るが二階程には行かない、又喫煙は二階に限られて居る、冬窓を閉ぢた時には電気仕掛で換気法が行はれる仕組みで、一人につき一時間三百五十キュピックフィートの新鮮な空気を入れることが出来る、勿論温気法も完全したものである。

▲此新車軸の新工夫の一は、制動力の増減が乗客の多少によって自動的に自由になることである、それ故運転手は満員の場合と乗客の少ない場合とに拘はらず常に同じ様な工合にブレーキすることが出来る、且つ発車停車に多くの時間を費すことがない特徴がある。

▲車体の長さが十八吋丈普通のボギーより長いのを埋め合せる為めに、車体の両端は魚の頭のやうに細く尖って居る是は此車両の一特長でカーヴを廻る時などに好都合なことは云ふまでもない、又前にも云つた通り出入口が中央にあって且つ車体の床が非常に低い為め従来の車体のやうにニ段の階段を踏む必要がなく、足を車体に掛ければ已(すで)に足は車両の床と平行線にある訳である、階段なしの電車の名是から起って居る。

▲乗客の席には車体の真中に背中合せになって居るのは二階丈で、階下は写真にある通り普通の電車と同じく両側に相向ひに出来て居る。

▲中には二階附の電車が車の上部丈重くなつた場合に転覆の恐れがないかと云ふ人もあるがそんな心配は決してない、元来高さが十二フィート十吋と云ふのは少し大形の電車と大差なく、蒸汽列車の車体よりは低い位である、重力の中心は普通想像されるよりも遥かに下部にあるので決して転覆の恐れなどはないとの事である。

▲車体の全重量は四万六千封度(ポンド)、若し八十八人の座客があるとすれば一人当の重量は五百二十二封度である、若し定員通り百七十一人を乗せたる時には一人当の重量二百六十六封度に当ると云う。

▲車両の外観及内部の装飾は写真にある如く余程研究されたもので実に格好がよく出来て居る。東京の町で二階附の電車が今直ちに採用され得るか否かは別とするも、上来述べた所をよく研究すれば種々有益な改善のヒントを得られるであろうと思ふ。

以上だが、「フィート」は漢字転換が出来ずカナで表示している。いろんなことを考える人もいたと感心するが、それにしても百年近く前にステップレス路面電車があったのである。さらに階下で座っている人が立つときに頭をぶっつけない確率は幾許か。

さてさて、乙訓老人のコメントや如何に。

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【1284】Re:ご意見を聞かせて!
 ぷるぷる  - 08/4/21(月) 19:55 -
  
▼田野城 喬さん:
ここ数日事情により工房が操業停止していてやっと再開しようとしたらリクエストが来ました。先輩のご指名なので仕方なく鉄道企画部門を開店させます。

1.総2階建て車両を導入して床面積を倍増させる案
確かに2階建て車両は一般車よりも定員が増え、定性的には輸送力が増強できます。ただし次のような事情や制約によって倍増というわけにはいきません。

(1)国内のダブルデッカーは台車の上部は平屋部分にするかあるいは2階席にするかのどちらかです。なぜなら在来の鉄道は普通鉄道構造規則に則って建築定規や車両定規が定められており、車両断面の高さは台車のないところで2階建てにするのがやっと、という寸法だからです。それも中央部分の最も高いところを使っての話です。従って総2階というのは現在の台車構造では無理です。

連接構造にすると台車数が半減するので良いように思いがちですが車体偏奇を確保する必要から車体長を短くしなければならず、効果は?ですね。一軸台車の連接だと可能性が出てきますが、大量輸送用の車両に一軸台車では軸重が大きくなりすぎるので、飛行機並みの軽量車体が必要になるでしょう。

LRTにあるような左右独立した車輪を使うと良いかも知れません。ホイールに電動機を組み込み、減速機構を使わずにダイレクト駆動する技術もめどがついています。ただ、安定した高速運転のため、左右の車輪の回転数差を一定以内に管理する必要がありますが、全車輪をモーター付きにすればよいでしょう。

(2)台車の問題をクリアして次は車内の構造です。普通鉄道構造規則では通路の天井高さは1800mm(記憶に間違いなければ)と定められており、2階席は車側寄りは車両定規の肩のR部分に掛かり、通路高さが確保できません。従って現行ダブルデッカーにはロングシートの2階席は存在しません。

一方、階下席は平天井にできるので、ロングシートが可能となります。事実、某電鉄のダブルデッカーを計画したとき、私は階下席の窓からの景色が期待できないだろうと考え、サロン風の豪華なロングシート席を提案しました。

なお、現行のダブルデッカーは一般車と同じ床高さの部分に出入口を設ける必要があり、車内に階段を設けますが、ホームも2階建てでこの階段が不要ならその分の床面積を客室に使用することができ、こちらはプラス方向です。ただしこれも万が一の際の避難経路をどうするかという難問を抱えます。

以上のように仮に総2階建てができたとしてもアメリカのDSTみたいに普通の通勤車を単に二つ積み上げた構造にはできないでしょう。何せ彼の地はシカゴから西はトンネルも架線もないので車両定規は青天井?
でもこういうプロジェクトは私は大好きです。(どこか雇ってくれないかしら)

2.「3線運行」についても書こうとしたけど、色々書いてしまって疲れたので勝手ながら今日はこれでおしまいにします。ところで弊橋本工房では塗装待ちの車両が徐々に増えてきました。近日中にこれらの車両をこの掲示板でご紹介しましょう。

そうそう、5月18日の運転会が楽しみです。ところが、参加申し込みはまだまだ少ないそうです。車両を持ち込まなくてもぶらっと来るだけでもいいじゃないですか、是非お申し込みを。事務局に成り代わってお願いしますよー。

それにしても関西では未だに旅客減少が続いているというのに、東京は一極集中のおかげでウハウハ状態のようですね。ごはんの声が掛かりました。今日はこれで。
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【1283】ぷるぷるさん、藤本さん、K.H生さん、ご意...
 田野城 喬  - 08/4/21(月) 14:51 -
  
今日の記事にこんな話がでていました。可能なのでしょうかね?元JRマンだそうですのでずぶの素人ではありませんが、2階建てにしたら定員が2倍になるとか1階と2階と別のホームを造るとかちょっと首をかしげる内容です。われわれ素人にも分かるように解説して下さいませんか。

(記事より転載)
 通勤苦を解消する大胆な案を発表した人がいる。『満員電車がなくなる日』(角川SSC新書)の著者で、交通コンサルティング会社「ライトレール」の阿部等社長(46)だ。JR東日本での勤務経験もある鉄道マンが訴える運行方法と運賃の改革案を紹介する。

 満員電車をなくすには輸送力の大幅アップが不可欠。阿部さんはまず総2階建て車両を導入して床面積を倍増させる案を提唱する。当然現在の駅ホームでは運行できない。大きなターミナル駅などでは線路の両側にホームを作り、それぞれ高さを変えて1階用と2階用にあてる。中小規模駅ではエレベーターを設置して乗り降りさせる。

 運行間隔の短縮には、信号システムを改善するとともに、都営大江戸線などに導入例がある「鉄輪リニア方式」を使うのが効果的。通常の電車よりも車輪の空転や滑走が少なく加減速性能に優れた車両で、短い間隔でも安全な運行ができるという。

 比較的低コストで可能なのは複線(2線)と複々線(4線)の中間にあたる「3線運行」だ。真ん中の線路を朝は上り用に、夕方は下り用に使い、輸送効率を高める方法で、複々線化するより用地買収しやすいのが利点。「これらの対策をかけ合わせれば、輸送力を現在の3倍強〜5倍にできる」と阿部さんは言う。

 設備投資の原資として阿部さんが提言するのが、ICカードを活用した有料着席サービスだ。跳ね上げ式座席にカード読み取り機を付け、座りたい人はタッチして席を倒す。着席した区間や時間によって課金する仕組みだ。首都圏の数百万人の通勤客が片道200円ずつ往復負担すれば、年間3000億円の増収が見込めるという。

 「交通を公共サービスでなくビジネスという視点でとらえれば実現されて当然の施策。関係者が一致団結すれば今後10年で満員電車はなくせる」と阿部さん。通勤時の体力的な負担が減れば、居住エリアはさらに郊外に広がる。同じ経済的負担でより広い家に住め、消費は活発になる。利用者はもちろん、沿線開発に力を入れる鉄道会社にもメリットは少なくない。「満員電車は仕方ない」とあきらめる前に、もっと知恵を出し合う必要があるかもしれない。(海老沢類)
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【1282】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-21
 湯口 徹  - 08/4/20(日) 11:10 -
  
TPC=Transports Publics du Chablais その6―AOMC=Aigle-Ollon-Monthey-Champery

エイグル発着の3番目、国鉄駅に最も近いプラットホームがAOMCで、色は赤と白、850V直流。以前記したが、つい最近までエイグルではやや中心を外れた市街を併用軌道でエイグル駅前入りをしていた。現在では国鉄線に張り付いて専用軌道が新設されている。

3扉の電車、といっても、中間扉は片方に偏っている。恐らくは狭い方が以前喫煙可だったのではないか。今では当然全車禁煙である。また窓下の青いピクとグラムは、車椅子、自転車、スキーを手荷物室内に収納可、それに禁煙を示している。

Chalex (シャレ?)まで新設軌道が1.2kmほどあり、ここに車両基地があって、車窓から2軸の木製車体電機がいた。ただし周囲に民家も何もなく、鉄道関係者だけしか扱わない専用?停留場のようだ。

ここから一旦山の方へぐるりと迂回しオロンに立ち寄り、国鉄をオーバークロスしてモンティの町へ。ここでは線路がかなり広い道の片側に敷設されている。その手前の Collonbey はやや古い町並みで、民家の階段を勢いよく下りた途端に電車に出くわしたら危険であろう。

町の終点の一つ手前で分岐があり、ここから谷筋に分け入って最急135‰のシュトルプ式ラック区間が3か所を経、終点のリゾート地シャンペリに到る。ここの標高は1,043mで、当然のようにその先にロープウエイがある。

電車は短いのやら、長いのやら、新しい永久連結2両編成など。後者は両端の台車に動力を集中させた2/4で、連結面側の車輪径を小さく=その分床を下げていて、他線にも見られる新しい電車の傾向でもある。

このところ連日夕刻に雷雨があり、おまけに小生のチョンボでエイグルに帰る電車を1本逃がし、停留場の屋根の下で雨を逃れながら3人がぼんやり40分ほど待つという情けないことになった。

出発以来9日目、最年長の小生はやや疲労が目立ちだした。おまけに若い頃過労で複数回発症した腰痛の気配の如き予感も。あとの2人は元気そのもので、+1人氏は翌日早起きして往復3km以上歩き、上記車庫に出かけて木製電機も撮ってきた。歳はとりたくない。

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【短い電車.jpg : 199.4KB】

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【1281】Re:交流電化について
 ぷるぷる  - 08/4/20(日) 9:01 -
  
▼K.H.生(弘津 興太郎)さん:
最近、機関車・電車を問わず、インバータと交流電動機で駆動するシステムが一般化して、直流電化・交流電化の得失は車両に関する限り、論じる要素が一変したと言って良いでしょう。

>今国鉄がJR数社になり、日本の技術自慢の一つであった交流電化とは
>どんな立場なんでしょうか。

確かに商用周波数(50/60Hz)における交流電化は「日本の技術自慢の一つであった」事は事実でしょう。しかしインバータ駆動システムの登場で直流電化において非常に良好な粘着性能を得ることが出来るようになり、交流電化だから粘着が良いという事は言えなくなりました。

そのシステムはは電化区間のみならず、非電化区間においても適用でき、うまく計画すればディーゼル機関車やディーゼルカーの基幹部分を電気機関車・電車と共通にすることが出来る様になっています。事実、小海線のハイブリッドカーはディーゼル発電機を積んだ電車です。これは数種類の電化方式を直通運転する需要のあるヨーロッパにおいて早くから注目されてきました。

>長浜−敦賀間の直流変換は軽いショックでした。
>筑肥線の電化あたりであれ、と思ったのが最初です。
>また米沢−福島間のように最初は直流で後に交流化した歴史もあります。

これらは運転計画上の事情が反映された結果であって、旧来の交直(硬直?)選択の基準が時代の変化や技術の進歩によって変わってきたことを示していることに他なりません。 

おまけ:元電車屋としては旧国鉄が早い時期に電気方式のDL・DCをあきらめて液体式に偏重してしまったのは誠に残念で、機械屋さんの勢力に電気屋さんが負けてしまったのかなと邪推しています。
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【1280】Re:交流電化について
 K.H.生(弘津 興太郎)  - 08/4/20(日) 2:36 -
  
今国鉄がJR数社になり、日本の技術自慢の一つであった交流電化とは
どんな立場なんでしょうか。
小生は九州育ちなので赤い交流電機について、性能特性や長所を
覚えこんだ記憶があります。粘着係数の利でED級で13連、東北では15連の客レを
牽いていました。

ただ局所的な用い方をしたので、疑問に思うことも近年増えました。
長浜−敦賀間の直流変換は軽いショックでした。
筑肥線の電化あたりであれ、と思ったのが最初です。
また米沢−福島間のように最初は直流で後に交流化した歴史もあります。

機関車製造でかつては試作機を沢山外国から買い、分解して
類似品を国産化しました。
交流電機の開発の際もそういうことがあったのですね。
イグナイトロンからシリコン整流に変わったり、技術の発展は面白い
ものです。
今は青函連絡の機関車が作られていらい新造は止まっていますかね。

技術輸出もさほどなく、交直両用電車も持て余し気味であったら残念です。
新幹線だけが完成されたパッケージシステムといえるのでしょうか。
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【1279】熱海の「へっつい」機関車7号
 湯口 徹  - 08/4/19(土) 14:01 -
  
乙訓老人の誘い水に手もなく乗って、熱海駅前保存の7号機関車の講釈を。

1895年7月13日(10日が一般的だが13日が正しい由)小田原-熱海間約16哩を開業した豆相人車鉄道だが、時間表通りでも4時間5分を要した。1899年以降動力化が試みられたが、レールが9ポンド(4.5kg/m)と究極の貧弱さで、ある機関車はレールもろとも地面にめり込んだと、雨宮敬次郎口述『過去六十年事蹟』にある。

機械師真島磯五郎が作った「石油機関車」はまずまずの成績で、喜んだ雨宮敬次郎が懐中時計を与えた話が有名である。これらがすべて石油発動車=内燃機関車とされ続けてきたのは、小熊米雄「熱海の軽便鉄道を回顧する」鉄道ファン10号の有名な記事に原因するが、小熊自身がそう信じ込んでいた。

明治の新聞が「オイルエンジン」を誤訳したたのが根源?と思われるが、小熊に限らず、臼井茂信も石油発動機としている(「国鉄狭軌軽便線7」鉄道ファン268号)。正しくはすべて石油燃焼の蒸気機関車であった。

最後に横浜のフレザー商会扱いでボールドウイン最小のB型屋根つきトラムロコを購入。これは優れもので、会社は線路を610から762mm軌間、レールも16ポンド(8kg)に改修した。この工事が舞台になったのが芥川龍之介「トロッコ」で、「へっつい」の起こりもこの小説である。なお豆相人車鉄道は1905年熱海鉄道に改称している。

蒸気動力での再開業は1907年。機関車は国内鉄工所が上記ボールドウイン機をベルペア火室とも模造した。池貝、石川島、越中島各鉄工所、それに雨宮鉄工場である。たった1両だけ輸入し、後は全部国内で模造とは、まさに「ある程度能力のある発展途上国」の行動ではあった。後年我国最初の交流電化に際し、国鉄の見本機関車発注に、ヨーロッパのメーカーからマネするための1両だけなら売れないと断られている。

やっとこれで話は本題に入るが、この「へっつい」機関車は熱海鉄道→大日本軌道小田原支社の7号機(越中島鉄工所1907年製)なのである。それがなぜ鷹取工場にあったのか。

勾配連続の御殿場経由東海道本線改良のため丹那随道掘削に着手した国鉄は、1920年小田原開業でこの軌道を85万円で買収、随道資材運搬に使用する一方、熱海軌道組合に貸下げ、旅客輸送は続けられていた。

1922年12月21日国鉄新線が真鶴まで開通し、軌道組合営業も当然真鶴−熱海に縮小継続したが、翌年9月1日の関東大震災で復旧不可能に。車両は国鉄財産だから発電所建設など各地に散ったが、たまたま7号機が鷹取工場技能者養成所の標本機として唯一残存したのであった。

それも向かって左側の中身が見えるように切開されていた。[1275]総本家・青信号特派員氏の八瀬・新世紀京都博展示でもそれが分かる。しかしこの機関車と八瀬、ないし京都との関連は小生には理解の限度を越える。

結局は本来納まって然るべき熱海駅前に展示されたのは喜ばしい。切開部も修復されている。なお添付の豆相ボールドウィン機写真は鉄道時報1905年3月11日号「豆相人車鉄道の軽便機関車試運転の成績」から。右側が煙室、左端が運転台。この機関車はのち改軌かつ通常のタイプに改装されて他に転進している。

なお小生が始めて7号機関車を撮ったのは1955年7月16日―浪人1年目で、山科3時52分発の111レ(東京−門司・勿論各停)で兵庫へ。ここで和田岬線の木製客車とB50、D50(高架線に貨車や川崎製車両を押し上げるためD50がいた)を撮り、それから鷹取工場へ。さらに高砂工場にまで足を伸ばした。なお1960年5月20日にDRFCで鷹取工場見学会を催し、そのときにも撮影している。

それから半世紀以上。鷹取工場は跡形もなく、公園、ラグビー場、スーパー、住宅地になっている。鷹取のヤードは鉄道コンテナ基地になり、時折川崎製の新製電車が甲種輸送を待っている。その目と鼻の西寄り(阪神並みの近距離)に須磨海浜公園駅がつい最近開業し、無料自転車置き場を設置して、タダでさえガラ空きの山陽電車の客を無慈悲に奪っている。

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【1278】Re:少し前の東武鉄道
 K.H.生(弘津 興太郎)  - 08/4/19(土) 8:24 -
  
あまり詳しくは知りませんが、昔の東武は
板東武者の古強兵(つわもの)といった風情がありますね。
いいですね。

台枠を下からのぞかせた造りは木造車の時代を踏む
古い路線ならではです。
電関といい、南海の昔に通じる1067mm路線ですね。
何がいいのかっていうと、アメリカやヨーロッパの鉄道の
香りが少し漂うのですよ。
施設にも。

乗り入れ車がまた懐かしい。時代はデッカーらに比べ下りますが
東急の7000とドア間などが合わせてあり、非冷房時代の通勤車
ですが、いまの絶望的な通勤事情に比べ人間的な明るさを感じました。

いまの東京に行って働くことがあるにしても
好きな電車は残ってないし、懐かしい風景も殆ど見ることは
不可能なのでしょうね。
いい写真をありがとうございました。
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【1277】伊豆の踊り子
 乙訓の老人  - 08/4/17(木) 16:54 -
  
【1275】の熱海駅頭の現在の姿をおめにかける。7号機については曰く因縁がある由。青信号7号の表紙を飾ったのではなかったのではないか。
このあたり須磨の大人の出番であるぞ!
踊り子と桜は北川(ほっかわ)で下車した際に組み合わせることができた。
哲夫くんなら気付くと思うのだが、トンネルを出ると鉄橋だったのはここだった、との記憶で下車したのは良いとして、国道へ出るのにダウンアップがきつく、腰痛を抱える老人は2度と来るポイントでない、とつぶやきながら歩いた。
下田→伊豆高原はお年寄りご一行様から解放してもらったのだが、駅施設の余りの変貌ぶりに腰が抜けた。ヨロヨロと立ち上がった時、前方にピク誌表紙を飾ったハワイアン電車が目に入った。もう見られないと思っていたので、感激のあまり何度も百均レンズをふいた。駅から徒歩3分、さくらのトンネルはすごい!冥途の土産話にもってこいだけに4度潜らせてもらったが、鉄路ではないので姿は遠慮する。

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【1276】Re:4/19号週刊東洋経済
 ロクイチ  - 08/4/17(木) 6:47 -
  
>「鉄道革命」という題名だったと思いますがICEやTGVにユーロスター
>などの欧州鉄道のことや、シベリア鉄道の復権、CLB、貫通すれば世界最長
>鉄道トンネルになるスイスアルプストンネル、日本ではトヨタの
>ロングパスエクスプレスや佐川のSRC、先日西村雅幸先輩の投稿写真に
>あったドバイの地下鉄車輌の記事などまだまだ盛りだくさんな内容で
>思わず時間を過ごしそうになりました。マニアの記事などもあるようでしたが
>興味があればご一読されては如何でしょうか?結構内容は濃かったです。

893−2親分
企業舎弟からの業界誌の売り込み!?かと思いましたが、
違うようで、やれやれで何よりです。(笑)

当方も仕事帰りに中身も読まずに
書店に平積み状態で置かれていた当該誌を購入しました。
見出しは、アイキャッチがするタイトルが並んでいましたが、
さすがに環境問題から鉄道模型までといった総花的な内容で、
記事の内容のつっこみの浅さは仕方のないところでしょうね。

でも、またヨーロッパに出かけて直接、実際の現地の状況を
確認して来たくなりました。
(乙訓の老人にLRTについて啓蒙されたツアーから凡そ
15年が過ぎてしまいました。それ以来、LRT関連だけでも
4回ほど出かけてきましたが、最後に訪れてから5年以上
経過していますので、久しぶりに出かけて現状を確認したいモノです。)

桜の写真が続いているようですので、少し古いですが
先月末に、JR3社のICカード相互利用開始を記念して各社が
記念カードを発行しましたが、JRC発行のTOICAを求めて
18切符で東海道線の一番電車で中京地区まで出かけて来たついでに
乗車した名鉄パノラマカーの展望席からのお花見の様子の写真を
添付させて頂きます。)

添付画像
【IMG_1087.jpg : 346.7KB】

添付画像
【IMG_1093.jpg : 300.3KB】

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