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【1449】RE.RE.讃岐の2等寝台車 藤本哲男 08/7/3(木) 0:05 [添付][添付][添付][添付][添付]
【1450】Re:RE.RE.讃岐の2等寝台車 K.H.生 08/7/3(木) 10:43
【1451】Re:RE.RE.讃岐の2等寝台車 米手作市 08/7/3(木) 11:02

【1449】RE.RE.讃岐の2等寝台車
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/7/3(木) 0:05 -
  
長老が昭和35年4月2日に撮影された、C12の引く3両編成の客車列車の件、クローバー会には客車の権威の方が多数おられ、私ごときが出る幕ではないのですが、どうも勘違いされておられる感があると思いましたので、書き込みさせていただきました。

件の客車ですが、20m車にしては短く17m車に見えます。台車は米手作市様の仰せの通りTR11です。窓の枚数を数えると、一番前の擦ガラスはトイレで、それに続く客室窓は少々数えにくいですが15枚と思われます。また7枚目と9枚目の間の下に行先札があり、3枚×5=15枚でほぼ間違いないと思います。

客車は17mのオハ31ではないかと思います。念のため、RP誌アーカイブスセレクション「国鉄客車開発記」に掲載されている昭和33年10月1日現在の客車配置表を見ますと、高松にオハ31が11両配置されている他、松山にオハ31/24両、オハフ30/10両、オハニ30/4両、宇和島にオハ31/3両、オハフ30/5両、       小松島にオハ31/8両、オハフ30/2両、オハニ30/2両、徳島にオハ31/13両、オハフ30/7両、オハニ30/4両、高知にオハ31/16両、オハフ30/13両が配置されており、四国では主力として活躍していたことが判ります。

オハ31系は京都駅でも、草津線直通列車等で昭和39年頃まで見ることができました。京阪沿線の高校に通学していた頃、辛うじて撮影した写真がありましたのでアップしました。

1と2は草津線柘植行に連結されていたもので、当時亀山にはオハ31、オハフ30が多数残っておりました。
3はオロ31格下車のオハ27で、広島発京都止に連結されていたもの。オハ27は江若鉄道に3両譲渡され、廃止直前まで健在であったので、そちらで見られた方も多いと思います。
4は山陰線のオハ二30で、朝一番の上り列車に中央市場への買出客のために福知山から連結され、9時過ぎの下関行で戻っていきました。

1. オハ31455(天カメ)   昭和38年12月25日
2. オハフ30106 (天カメ)  昭和38年12月25日
3. オハ2792 (大ミハ)    昭和38年12月29日
4. オハ二3042(福フチ)   昭和39年9月26日
5. スユ3010 (名ナコ)    昭和39年9月23日

ところで893−2さん【1442】の一番下の飯田線は伊那本郷〜七久保間でしょうか。電車は先頭がクハ68416、3両目がクモハ51200か50008ですね。この手の写真を見ると飯田線の旧形国電の話をしたくなるのですが、この手の話をするとキリがないので止めときます。

添付画像
【オハ31455.jpg : 93.0KB】

添付画像
【オハフ30106.jpg : 107.3KB】

添付画像
【オハ2792.jpg : 118.9KB】

添付画像
【オハニ3142.jpg : 66.7KB】

添付画像
【スユ3010.jpg : 104.3KB】
引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : オハ31455.jpg
・サイズ : 93.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : オハフ30106.jpg
・サイズ : 107.3KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : オハ2792.jpg
・サイズ : 118.9KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : オハニ3142.jpg
・サイズ : 66.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : スユ3010.jpg
・サイズ : 104.3KB
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【1450】Re:RE.RE.讃岐の2等寝台車
 K.H.生  - 08/7/3(木) 10:43 -
  
私もくだんの写真を取り込んでアップしてみて
これは3連窓、17mのオハ31では、と思いました。
湯口大兄の出番でもなく、まずイコライザー台車のTR11系
は間違い無さそうですし、スハ32系のWルーフ車ではもう
台車は鋳造構造のTR23になっています。

四国に3軸ボギーが渡ったことがあるか、の方が考証学的には
よほど面白いような気もいたします。

四国の後進性ばかり取り上げると出身の人は気を悪くされるかも
しれません。お許しを。
SLでも8620やC58くらいが中心です。パシなんて一度も走っていません。

むかし、Rail誌に戦前の四国に渡った人の手記が載っていました。
鉄道の全通も遅かったけど、1930年代でもとんでもなく古い木造
客車の宝庫だったようです。見てみたいと思いました。
興奮するのは鉄道ファンだけで、利用者は格差も知らず我慢していた
のでしょう。私も田舎ものですから感覚はわかります。

ただ気動車時代になり、そのフリークエンシーを活かした交通網は
立派でした。1970-80年代。
ミュージックホーンのついたキハは残ってませんでしたが
ヘッドマーク付き、キロの付いた急行/特急が島内を走り回り
やるなあと思いました。
当時路面以外は電車は一本もありませんでした。
でも架線柱のない写真アングルはどれだけ魅力的か。

瀬戸大橋が開通し、この島も普通の「陸続き」になりました。
北海道もその年に本州の延長に。
島国日本の鉄道のことを外国の人に最初に紹介するのに、新幹線より
僕は「海を渡る夢」ということを力説して欲しい。
九州人からでした。
引用なし
パスワード
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【1451】Re:RE.RE.讃岐の2等寝台車
 米手作市  - 08/7/3(木) 11:02 -
  
>件の客車ですが、20m車にしては短く17m車に見えます。台車は米手作市様の仰せの通りTR11です。窓の枚数を数えると、一番前の擦ガラスはトイレで、それに続く客室窓は少々数えにくいですが15枚と思われます。また7枚目と9枚目の間の下に行先札があり、3枚×5=15枚でほぼ間違いないと思います。
>客車は17mのオハ31ではないかと思います。

実はオハ31だと書こうと思ったのですがあのように書いたのには訳がありました。
写真を拡大したのですが3連窓x5組で15コにも見えるのですがよく分からなかったのと、撮った人が格下げ二等車と書いていたこと、そして長く見えたことです。
この長く見えたことには説明がいりますが、この当時のカメラは精度の悪さをカバーするため広角よりのレンズを使うことが多かったのです。そのため写真の角度で撮ると実際より長く写ることがあります。
そのため一度書いたオハ31説をやめて「分からない」と逃げました。申し訳ありません。歳にはかないませんなあ。
ただ、三軸ボギー車をTR-11に履き替えた例はなかったと思います。その意味がないのとTR-11には耐えられないからです。京都駅草津線ホームにマハ29系三軸車がずらり並んでいたのを思い出します。
引用なし
パスワード
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