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【1317】伊豆急行 藤本哲男 08/5/6(火) 19:56 [添付][添付][添付][添付][添付]
【1319】Re:伊豆急行サシ191 K.H.生 08/5/7(水) 1:12
【1326】Re:伊豆急行 デカンショまつり号 08/5/8(木) 23:31

【1317】伊豆急行
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/5/6(火) 19:56 -
  
【1277】で乙訓の長老が伊豆高原に行かれたことを書込みされたが、何年か前にサシ191の撮影に行った時のことを書いてみたい。

その前にサシ191について簡単に述べると、開業2年後の昭和38年東急車輛で作られた私鉄では珍しい全室食堂車で、当時サントリー社がビールの発売を記念して伊豆急行に寄贈したと言われ、サントリー社の飲料とつまみ、軽食類が販売されていた。国鉄から伊東線への乗り入れを拒否され、伊東〜伊豆急下田間のみの営業であったため、所要時間が短すぎ、飲食中に目的駅に着いてしまうことになり、利用者は少なかった。昭和47年頃食堂車としての営業は休止となり、伊豆稲取駅に疎開留置されたが、昭和49年6月サハ191に改造され、平成3年12月廃車となった。

この車の登場時より是非見たいと思っていたのであるが、機会に恵まれず、昭和48年5月にやっと実行に移すことができた。

この車の撮影だけでは勿体ないので、前夜京都を出発し、大垣夜行で東京へ、上野駅で東北本線の一番電車(当時は日光行)で、小山下車、両毛線の旧形国電、宇都宮で当時1編成だけ残っていた日光線の旧形国電を撮影。直ぐに東京に戻り、熱海から伊豆稲取へ。その後、沼津で御殿場線の旧形国電、三島で伊豆箱根鉄道を撮影後、新幹線で帰京した。

伊豆稲取駅で撮影後、駅事務所にお礼に行った時、助役氏から興味深い話をお聞きした。50歳前後の方であったが、以前草軽電鉄の北軽井沢駅に勤めておられたとのことで、草軽電鉄廃止の時、会社から勧められて移ったとのこと。こちらは息をつく間もないほど忙しいが、雪がないので助かる。動力者の免許保持者は東急に研修に行った。貨物列車の運転は元草軽の運転士が断然うまい。伊豆急は元草軽の社員で持っているようなもの等と40分位話し込んだ。あれから35年経っているが、今でも草軽電鉄出身の方はおられるだろうか。

長老が撮影されたハワイアンブルーの車は、開業時に作られた両運のモハ103で、伊豆高原電車区の入換用として残されたもので、イベント時には公開されているので、是非行って見たいと思っている。

話は変わりますが、デカンショまつり号さんのご自宅は松戸市でしょうか。この夏より207系の置換えが始まりますので、真面目に撮影しておこうと思っています。どこかでニアミスする可能性がありますね。

写真1.2.3  サシ191  昭和48年5月13日  伊豆稲取

写真4. クモハ73900   昭和48年5月13日  沼津(御殿場線)
昭和23年製のモハ63848改造のクモハ73174を、昭和31年大井工場で全金車体に改造した。東京地区で使用されていたが昭和44年4月明石電車区に転属し、京都〜西明石間緩行線で使用されたが、付属編成に組み込まれていたことが多く、偶数向きのため先頭に出る機会は殆どなかった。昭和46年12月沼津区に転属し、御殿場線で使用、昭和55年1月、115系と交替して廃車となった。

写真5. クモハ73902  昭和48年5月13日  沼津(御殿場線)
昭和28年製のモハ63形最終製作の63856を改番したモハ73400の事故復旧時に、昭和32年大井工場で全金車体に改造した。東京地区で使用されていたが昭和44年4月前述の73900と共に明石電車区に転属し、京都〜西明石間緩行線で使用されたが、やはり付属編成に組み込まれることが多く、偶数向きのため先頭に出る機会は殆どなかった。昭和47年3月沼津区に転属し、御殿場線で使用、昭和55年3月、115系と交替して廃車となった。

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【1319】Re:伊豆急行サシ191
 K.H.生  - 08/5/7(水) 1:12 -
  
往古、でもない73年頃の鉄道ジャーナル誌上で「スコールカー」サシ191の
行く末という記事を読み、大いに感心を持った記憶があります。
伊豆急という鉄道の野心とでもいいましょうか、五島と堤の箱根山戦争が
一段落して次に伊豆半島南部の観光開発で、今なら3セク国鉄、JR系になるべき
新線を東急系の私鉄が乗り入れ前提で開業させたこと事体が奇貨とでも
言い得ましょうか。

その栄光の裏面史に位置付けられるのが短命だった新製私鉄食堂車の
運命でしょう。寿屋(サントリー)がビールに参戦、佐治敬三社長の
トップダウン戦略だったにしろ、換算1億円級の投資失敗ですから
株主責任など五月蝿い今ならどんなに追及されたことでしょう。
寿屋は今でも非上場ですから、その心配は要りませんが昨今の蚤の心臓の
ような雇われ社長らを見ていると、こんな歴史事実だけでも若い諸君は
胸躍らせるのではないでしょうか。

伊豆急を例えると初々しい新進女優から円熟した美女に変身しましたね。
ただしJRと寝るのも、元のパトロン東急との付き合いにも昔と違って
淡白さを感じ、かつてのような細やかな色気は感じられません。
そのあたりがマニア(舞台ファン)から見れば物足りなさと言ったら
言い過ぎでしょうか。
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【1326】Re:伊豆急行
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/5/8(木) 23:31 -
  
藤本兄さま

住まいは、松戸からタクシー深夜料金で1万円の千葉県印旛郡本埜村というところで、カントリーライフを楽しんでいます。最寄は、北総鉄道 印西牧の原駅です。北総鉄道の印旛日本医大から先は、成田空港までの新鉄道工事が真っ盛りです。印旛沼の甚兵衛の渡し付近では、橋梁工事も行われています。完成の暁には、新スカイライナーが日暮里から36分で成田空港まで、走るとのことですが、どうなることやら・・・是非、機会がありましたら、撮影にお供もさせてください。
引用なし
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