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【1223】で、元祖青信号編集部より「455系電車 さよなら運転」についての書込みがあった。かつて首都圏と東北地方を結び、多くの人々に愛され親しまれた交直流急行形電車が終焉を迎えたことは、時代の流れとはいえ大変残念でならない。さよなら運転が仙山線と東北本線仙台〜郡山間で行われたと報じられているが、個人的には、元の急行塗装で上野〜仙台間の急行「まつしま」のリバイバル運転を実施してもらいたかった。しかし、俄かファンの殺到による混乱を考えると今回のような形が精一杯だったのかも知れない。何はともあれ、我々の世代にとって馴染みの深い車両が姿を消したことは一抹の寂しさを覚える次第である。私が東京に引越した昭和58年には、既に急行列車の運用から退き、東北本線黒磯以北、磐越西線、常磐線水戸以北のローカル用となっており、青春18切符で乗車することも多かったが、往年の健脚振りは変わらなかった。
1.クハ455−202+モハ454−202+クモハ455−202 S60.8.14 黒磯
453系のクハ451−25+モハ453−20+クモハ453−20(昭和38年製)を455系に車種統一のために昭和53年に改造した車両である。この当時は未だ旧塗装であった。
2.クモハ455−34+モハ454−34+クハ455−609 H3.8.10 本宮
クモハとモハは昭和41年日立製である。昭和61年から実施された近郊化改造により出入口付近の座席がロングになった。
3.クハ455−609 H3.8.10 本宮
昭和60年、サロ165−124に運転台を取付けた車両。黒磯駅で115系から乗換時、この車が見えたので急いで乗車したところリクライニングシートが通常の直角シートに取替えられおりガッカリした思い出がある。但しシートピッチは通常より幾分広かった。
4.クロハ455−1+モハ454−40+クモハ455−40 H4.3.23 会津若松
平成2年、磐越西線にグリーン車を連結するため、クハ455−44の前位に回転リクライニングシートを設置してグリーン室に改造、普通席も簡易リクライニングシートにして座席指定車として運用した。平成11年にグリーン車としての運用はなくなったが、座席等はそのままで普通車として使用された。
5.クモハ417−1+モハ416−1+クハ416−1 H3.8.10 白石
昭和53年、仙台地区に投入された近郊型で3両編成5本が作られた。交直両用車であるが、直流区間での営業運転実績はない。車齢、車体構造等から455系より長く活躍すると思われていたが、昨年7月定期運用から離脱した。
「日本の蒸気動車(下)」P39の隣の車両の件、加藤製作所を特徴付ける2列のリベット、扉の位置等から直感的に岡山臨港鉄道キハ3002の前身だと思ったのですが、湯口先輩のご指摘通り特定できないと言うより、間違っております。改めてRM LIBRARY No80 「中国鉄道の気動車とその行方」(高井薫平さん執筆)で検証の結果、キハユニ100でほぼ間違いないと思いました。決め手は客扉のステップです。RM LIBRARYに掲載されている写真及び形式図を見ますと、キハ二140は前から荷物扉、客扉と並び、客扉にステップがあります。それに対し、キハユニ100は前から荷物扉、郵便扉と並び、ステップがありません。キハ二140はほぼ原形のまま岡山臨港鉄道で使用されていたのでよく知っていたのですが、キハユニ100は戦後島原鉄道に行き、郵便扉の閉鎖等、車体の改造が行われた後の姿しか知らなかったため判りませんでした。
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【クモハ455-34.jpg : 111.7KB】
【クハ455-609.jpg : 88.2KB】
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【クハ416-1.jpg : 109.1KB】
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