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[1310]今出川浄福寺さんの Underground conduct system 興味深く拝読。線路軌間中央にかようなエレキテル装置を地中に収め、しかも極狭の開口部から集電するシステムには、土木工学的にも相当高度の技術が必要でしょう。しかも雨水等を排する、完璧な下水道システムも必然と思います。
これはサードレールシステムに限らず、サンフランシスコに代表される埋設エンドレスワイヤーでのケーブルカーも同じでしょうが。
我国の道路が実に貧弱だったのは、9〜10トンのセルポレー式蒸気動車が本来想定した都市内用としては橋梁や地下埋設物(特にガス)に重過ぎるとして不許可(呉)になり、発明者想定外の郊外路線で用いられた(瀬戸)ことからも分かります。
我国の併用軌道は大都会の目抜き通り以外無舗装が常態で、散水車が各地に活躍したのはそのためです。筑後軌道には動力車が牽引する付随散水車(容量二十八石五斗)があり、しかも6年半無認可のままでした。岡山電軌のは1958年7月23日、岡山駅前で、流石にこの時点ではヘェー、珍しい!と思った記憶があります。
京都市標準軌間のは大橋一央氏1939年12月8日壬生車庫で、北野天神さん鳥居前のN3号は撮影者不明。和服が圧倒的な皆の衆厚着ですから冬でしょう。散水車はけして夏だけのものではなかったのです。土埃は年中立ちますから。
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【京都市散水車.jpg : 259.5KB】
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