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【1330】でK.H.生さんが疑問を持たれた件、【1340】で回答したところ「あれではわからん」という声があったので補足する。
件の台車は【1340】でも書いた通り、元々西武501系のモハ501形が履いていた台車であるが、501系は初代と2代目があり、これが西武ファン以外の方にとっては混乱の元となっている。簡単に説明すると、初代501系は昭和29年から作られた車両で、モハは湘南スタイルの17m3扉車、中間サハは20m3扉車で、Mc−T−T−Mcが10編成作られた。(モハ501〜520、サハ1501〜1520)【1313】で紹介した上毛電鉄デハ238は正に初代モハ501の後身である。
昭和32年から初代501系の増備として、モハ521〜530、サハ1521〜1530(4連×5本)が作られ、モハは20mとなったが主電動機は初代と同じ128kWのMT30であった。話がここで終わると混乱は生じないが、昭和33年、初代モハ501形の置換えとして2代目モハ501〜520が作られ、主電動機と台車を初代から流用した。置換えといっても初代が廃車になった訳ではなく、形式をモハ411と改称、主電動機の取替え(100kWのMT15EまたはMB146C)、台車をTR14に履替えを実施した。更に昭和39年に形式を351系クモハ351形に改番した。(昭和39年1月、運転台付電動車の形式を国鉄並に「クモハ」に改称している)
話をモハ501形に戻すと、台車の空気バネ化が実施されたのは、TR25系を履いていた501〜510、DT13を履いていた511、512、DT12を履いていた513〜515の15両で(写真1)、TR22を履いていた516〜530はそのままであった。(写真2)
上信電鉄デハ100形の前身、451系について簡単に解説すると、昭和34年に作られた、西武初の3扉両開車として登場、正面は湘南スタイルから切妻に変化した。最初はモハのみ451〜470が作られ、従来のクハ1411形(3扉片開き)と組んだ。足回りは中古品で、台車はイコライザーのTR14A、主電動機は100kWのMT15Eであった。その後、クハ、サハ、中間モハが誕生し、更にTcのMc化、McのTc化等複雑な経歴を経ているが解説は省略する。(写真3)
話を上信電鉄のデハ103−クハ103に戻すと、デハ103の台車は西武クモハ501〜510のいずれかが履いていたTR25A(前回のTR25Cは誤りであるが、このタイプの台車はTR25A、25B、25Cと3種類ありタネ台車の違いだけで、外観はほとんど同じ)主電動機は128kWのMT−30、クハ103はTR11Aを履いている。
先週の5月19日、20日と仕事で高崎に行ったが、ED316と共に放置状態が続いており、荒廃が一層進んでいるように見えた。
参考までに451系の次に作られた551系の写真も添付する。
1. クモハ508(台車はTR25A) 昭和45年9月14日 小手指検車区
2. クモハ521(台車はTR21) 昭和45年9月14日 小手指検車区
3. クモハ474(台車はTR14A) 昭和45年9月14日 小手指検車区
4. クモハ556(台車はTR14A) 昭和45年9月14日 小手指検車区
451系に続いて昭和36年に作られた551系は再度正面2枚窓になった。
翌年の昭和37年に作られた601系からやっとカルダン駆動になったが、クハの台車は相変わらず中古のTR11Aであった。
【クモハ508.jpg : 48.4KB】
【クモハ521.jpg : 45.3KB】
【クモハ474.jpg : 46.6KB】
【クモハ556.jpg : 43.7KB】
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