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◎電化直後の札幌にて
昭和43年という年は、北海道の鉄道にとっても記念すべき年だった。8月28日に、小樽〜滝川間で電化が完成したのである。電気機関車、電車が初めて北海道を走り出した。その直後に札幌駅を訪れ撮影を行った。
ただ、電化に必要な車両は充足されておらず、札幌駅で見る限り旅客列車の半分以上が蒸機牽引で残り、朝などは、「まりも」を牽くC57、「石北」を引くC62が、通勤列車に混じって堂々と出入りしていた。ダイヤも、増発・改定は10月のヨンサントウ改正を待たねばならず、現行ダイヤで一部の車両を置き換えただけの電化完成だった。そんな中で、ED76500代に置き換わった列車があった(写真1)。函館発釧路行の長距離鈍行である。従来の九州地区のED76と違って貫通型であり、耐寒耐雪装備の初の交差型パンタの電機であった。電車も真っ赤な711系が投入された。電車で交流専用というのが、すごくインパクトがあった。
そんな世代交代の進む札幌駅で、1番ホーム端の切欠きホーム0番線でポツンと発車を待っていた単行のDCがいた(写真2)。定山渓鉄道のキハ7000だ。定山渓鉄道は東札幌から定山渓までの電化鉄道であるが、非電化の千歳線に乗り入れて札幌駅まで直通するDCを昭和32年に新製した。それがキハ7000、75000の4両で、札幌駅0番線を専用ホームとして発着し、豊平からは電車と併結され自身はトレーラーとなって定山渓へ向かって行った。しかし、地下鉄建設に伴い、この1年後には廃止されてしまう。二枚窓といい、白線の処理といい、いかにも地方鉄道然とした昭和30年代製造のスタイルをしている。
過日、初めて高架になった札幌駅を訪れた。周囲の高層ビルとともに、その変わりようには言葉もないほどだった。
【写真1 ED76の牽く列車.jpg : 330.7KB】
【写真2 定山渓キハ7000.jpg : 241.6KB】
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