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長老が昭和35年4月2日に撮影された、C12の引く3両編成の客車列車の件、クローバー会には客車の権威の方が多数おられ、私ごときが出る幕ではないのですが、どうも勘違いされておられる感があると思いましたので、書き込みさせていただきました。
件の客車ですが、20m車にしては短く17m車に見えます。台車は米手作市様の仰せの通りTR11です。窓の枚数を数えると、一番前の擦ガラスはトイレで、それに続く客室窓は少々数えにくいですが15枚と思われます。また7枚目と9枚目の間の下に行先札があり、3枚×5=15枚でほぼ間違いないと思います。
客車は17mのオハ31ではないかと思います。念のため、RP誌アーカイブスセレクション「国鉄客車開発記」に掲載されている昭和33年10月1日現在の客車配置表を見ますと、高松にオハ31が11両配置されている他、松山にオハ31/24両、オハフ30/10両、オハニ30/4両、宇和島にオハ31/3両、オハフ30/5両、 小松島にオハ31/8両、オハフ30/2両、オハニ30/2両、徳島にオハ31/13両、オハフ30/7両、オハニ30/4両、高知にオハ31/16両、オハフ30/13両が配置されており、四国では主力として活躍していたことが判ります。
オハ31系は京都駅でも、草津線直通列車等で昭和39年頃まで見ることができました。京阪沿線の高校に通学していた頃、辛うじて撮影した写真がありましたのでアップしました。
1と2は草津線柘植行に連結されていたもので、当時亀山にはオハ31、オハフ30が多数残っておりました。
3はオロ31格下車のオハ27で、広島発京都止に連結されていたもの。オハ27は江若鉄道に3両譲渡され、廃止直前まで健在であったので、そちらで見られた方も多いと思います。
4は山陰線のオハ二30で、朝一番の上り列車に中央市場への買出客のために福知山から連結され、9時過ぎの下関行で戻っていきました。
1. オハ31455(天カメ) 昭和38年12月25日
2. オハフ30106 (天カメ) 昭和38年12月25日
3. オハ2792 (大ミハ) 昭和38年12月29日
4. オハ二3042(福フチ) 昭和39年9月26日
5. スユ3010 (名ナコ) 昭和39年9月23日
ところで893−2さん【1442】の一番下の飯田線は伊那本郷〜七久保間でしょうか。電車は先頭がクハ68416、3両目がクモハ51200か50008ですね。この手の写真を見ると飯田線の旧形国電の話をしたくなるのですが、この手の話をするとキリがないので止めときます。
【オハ31455.jpg : 93.0KB】
【オハフ30106.jpg : 107.3KB】
【オハ2792.jpg : 118.9KB】
【オハニ3142.jpg : 66.7KB】
【スユ3010.jpg : 104.3KB】
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