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私もくだんの写真を取り込んでアップしてみて
これは3連窓、17mのオハ31では、と思いました。
湯口大兄の出番でもなく、まずイコライザー台車のTR11系
は間違い無さそうですし、スハ32系のWルーフ車ではもう
台車は鋳造構造のTR23になっています。
四国に3軸ボギーが渡ったことがあるか、の方が考証学的には
よほど面白いような気もいたします。
四国の後進性ばかり取り上げると出身の人は気を悪くされるかも
しれません。お許しを。
SLでも8620やC58くらいが中心です。パシなんて一度も走っていません。
むかし、Rail誌に戦前の四国に渡った人の手記が載っていました。
鉄道の全通も遅かったけど、1930年代でもとんでもなく古い木造
客車の宝庫だったようです。見てみたいと思いました。
興奮するのは鉄道ファンだけで、利用者は格差も知らず我慢していた
のでしょう。私も田舎ものですから感覚はわかります。
ただ気動車時代になり、そのフリークエンシーを活かした交通網は
立派でした。1970-80年代。
ミュージックホーンのついたキハは残ってませんでしたが
ヘッドマーク付き、キロの付いた急行/特急が島内を走り回り
やるなあと思いました。
当時路面以外は電車は一本もありませんでした。
でも架線柱のない写真アングルはどれだけ魅力的か。
瀬戸大橋が開通し、この島も普通の「陸続き」になりました。
北海道もその年に本州の延長に。
島国日本の鉄道のことを外国の人に最初に紹介するのに、新幹線より
僕は「海を渡る夢」ということを力説して欲しい。
九州人からでした。
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