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【1198】少し前の名鉄本線
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/3/8(土) 8:25 -
  
【1179】【1180】で湯口先輩より、またまた昭和32年に撮影された貴重な画像を公開して戴いたが、前回同様乏しい資料で判った範囲で解説したい。その前に【1168】「かなり前の名鉄築港線」の中の「サ11」と「サ21」について、乙訓の長老を通じて、長老のご友人である服部重敬様よりご回答を戴いたので紹介したい。

サ10形は明治40年11月、瀬戸電鉄テ3、4で後にレ3、4に改番、サ20形は昭和41年1月製造のレ5、6である。昭和26年5月に東名港線(築港線)の認可が下りているので、それまでは瀬戸線で使われていたのかもしれない。サ20形は丸屋根であるが、これは嵐山電車軌道と並び、我が国鉄道車両で最初期の採用の筈である。いずれも昭和32年に廃車となっており、それまで東港線で使われていたのだろう。

【1179】のモ102は、元谷汲鉄道のデロ1〜6で、黒野〜谷汲間開業に際して大正13年に製造。その後、50形を経てモ100形となっている。昭和25年夏に軌道線であった豊川市内線用に転属し、昭和28年の昇圧まで使用された。廃車は昭和34年に揖斐線で、その後再度揖斐線に転属したものであろう。(原文を一部修正させて頂きました)

【1179】の上から順に解説する。(ク2091とク2131は【1183】参照)
クニ2032(【1180】のクニ2031、ク2006も同様)
神宮前〜豊橋間と神宮前〜常滑間の前身の愛知電気鉄道の付2形(サハ2000〜2004、2006〜2010)として大正12年12月に日本車両作られ、後に2両が荷物室を設置して、サハニ2030形となり、名鉄合併後ク二2030形となった。後に荷物室を撤去して客室に復元しているが、復元工事で新川工場に入場している時に撮影されたのではないだろうか。

モ1063、モ1072
愛知電気鉄道の電6形(デハ1060〜1064、1066〜1074)として、大正13年から14年にかけて日本車両で作られた。本線の1500Vに備え、1060〜1064は複電圧、1066〜1074は1500V専用で作られた。名鉄合併後1066〜1074は、モ1070形に改称された。いずれも昭和34年までにモ3700形の種車となり姿を消した。

ク2265
名岐鉄道の前身、初代名古屋鉄道の1511〜1517として大正12年8月に名古屋電車製作所で作られ、後にデボ400形(401〜407)に改称された。戦後、昭和23年に電装解除され、ク2260形となったが昭和40年5月までに廃車された。

モ354
初代名古屋鉄道の1501〜1505、1510として大正12年8月に名古屋電車製作所で作られ、後にデボ350形(351〜357)に改称された。昭和37年までに廃車されたが、昭和18年に焼失し、2扉、丸屋根車で復旧したモ353のみ北恵那鉄道に譲渡されたので、こちらで見られた方も多いのではなかろうか。

サ2252
昭和18年に近江鉄道から購入した車両で前身は同社のクハユ25である。大正14年12月、彦根〜多賀間の電化完成時に電1〜5として加藤車両製作所で作られた木製車で、昭和3年7月1500Vに昇圧時、電装解除してサハ21〜25に、昭和4年12月、23〜25に荷持室、郵便室を設置して、サハ二23、サハユ24、25に、翌年の昭和5年12月に運転機器を設置してクハ21、22、クハニ23、クハユ24、25と目まぐるしく変化した。昭和18年に鋼体化、電動車化が計画され、車体、台車ともに新製されることになったため、旧車体は名鉄に譲渡し、サ2251〜2255となる予定であったが、時局柄完成が遅れたため名鉄に行ったのは、クハニ23とクハユ25の2両のみとなった。名鉄では当初5両入線することを想定して、サ2253、2255としたが、後にサ2251、2252に改番した。前回解説したサ2111の台車の件であるが、湯口先輩が撮影されたサ2252は、リンケホフマン社製の台車を履いているので、サ2251のものを流用したとも考えられなくはないが確証がなく、同時期に撮影されたサ2251の写真が発掘されれば解決するものと思われる。車籍は近江鉄道で鋼体化後のクハ21〜25が引き継いだため、名鉄での製造年等は、昭和18年新川工場か鳴海工場製となっている筈である。尚、鋼体化後の近江鉄道クハ(実際は機器不足のためサハ)21〜25については、複雑怪奇な運命を辿っているので別途解説したい。

サ2252の前にチラッと写っているのは、広見線、八百津線の前身、元東美鉄道のデボ100形(昭和5年日本車両製)で、名鉄合併後、モ300形、後にク2190形となって瀬戸線に入った車両であるが、詳細は瀬戸線の項で解説する。

ここから「少し前の話」で、今回は戦前に作られた本線系の車両を紹介したい。
上から
1.モ3403−サ2453−モ3453−ク2403  昭和42年7月23日 金山橋
 モ3400形は、昭和12年に登場した戦前の名鉄を代表する電車であった。この編成のモ3403−ク2403はモ3401−ク2401に改番の上、動態保存的に残されたが平成12年8月に廃車、現在モ3401のみが保存されている。

2.モ3401−サ2451+モ3821−ク2821 昭和42年7月23日 金山橋
 昭和42年から車体更新が開始されたが、この編成は2両単位で実施されたため、モ3800形−ク2800形との併結が見られた。

3.モ3401−サ2451−モ3451−ク2401  昭和45年10月4日 新岐阜
 車体更新後ストロークリームに赤帯塗装の時。個人的にはこの塗装は似合っているとは思わなかった。

4.モ804     昭和42年7月23日 金山橋
 元名岐鉄道のデ800形(801〜810)で、昭和10年日本車両製である。本来両運であったが、801と写真の804は片運化された。

5.モ3551    昭和42年7月23日 金山橋
戦時中の昭和19年に日本車両で作られた。当初電装品がなく、サハ代用で電機に引かれて使用され、昭和22年に本来の電動車となった。3扉ロングシートであったが、ラッシュ時のみならず、データイムでも意外によくみかけた


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