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【1206】狩勝峠で危うく遭難しかけた若者の話その2
 湯口 徹  - 08/3/13(木) 13:01 -
  
ともかくせっせと狩勝随道が穿つ山を上った。2m以上の積雪は硬く締り、ゴム長がせいぜい10cmほど沈む程度で、その山自体そんなに高くないから、まあ楽勝か。ところが上りきって十勝側になると情勢がガラッと変った。

トンネルを越えると天候が一変するのは常識だが、この日は幸い天候変化はなかった。ただ積雪の硬さが全く違い、十勝側は雪がゆるんでいたからさあ大変。片足踏込むたびに腰のあたりまで沈み込む。手を使ってやっと這い上がるようにして次の足を踏込むとまた同じ繰り返し。雪の中を泳ぐ、とは「八甲田山死の徘徊」の表現だが、雪の深さこそ浅くともその通りであった。

それでもその奮闘中はまだよかった。突然クレパスと思しきところにズボッとはまり込んだのである。何が何だか分からないまま、気が付けば雪の中に完全に埋まっていた。雪がそれほど深くなく、緩みきらずある程度硬かったのも幸いし、窒息には到らなかった。しばらくぼんやりとした後、体を動かしてみたが怪我もないようだし、回りの雪もそう硬くない。

恐る恐る見上げると、雪穴の上にぽっかり青空が見えるではないか。天気が良かったのが最大の幸運で、これも新島襄の助力(校祖墓参に行っておけばよかった)であろう。気を取り直し、右、左と、交互に段を切り、少しずつ這い上がっていった。

何十分を要したか、単純極まる肉体作業を繰り返し、首から胸から全身雪まみれ、汗まみれでともかく穴からは脱出できた。と、汽笛が聞こえるではないか。あわててバッグからカメラを取り出しシャッターを切ったのが最初の挿入「狩勝峠1」である。

トンネルの上を越す時は、電線・電柱をガイドにする。何分場所探しなどの余裕皆無だから、電線がばっちり写りこんでおよそ他人様のご覧に供するものではないが、小生には「生還直後」の思いで尽きぬカットである。

列車の時間は狩勝信号場で上り下りとも調べていた。次の列車までしばらくあり、列車本数が少ないのを幸い、まずは服やゴム長の中に入り込み、体温で解けかけたり、反対にカチカチになった雪退治を懸命に展開。足だけが冷え切っていたと記憶する。

それから十分注意し、といってもあたり一面の雪で高低差など消えて平たくなっている斜面をそろりそろりと下りる。線路に到達した時は本当にホッとした。急に空腹を覚え、バッグにあったコッペパンをかじったが、不味かった。

本日最大のお目当ては釧路発函館行418レである。快晴で見通し抜群、Y2フィルターの効果でバックに雄阿寒、雌阿寒がバッチリ(画面右上)写っており、本務機C5744、補機D51、客車13両であった。この時の写真は鉄道ピクトリアル141号(1963年2月号=C55、C57特集)で見開きに採用された。

後の列車はオマケのようなもので、狩勝峠と記した立札を入れた下り(勾配も)列車などを撮りながら新内まで歩く。途中で線路班の3人連れに出会ったが、彼らは学校で小使、いや校務員さんが時間の合図に鳴らすハンドベルを、親父=熊除けに鳴らし続けていた。雪解け時は熊が冬眠から醒め、空腹だから一番危険だと教えられ、正直ゾッとしたことであった。

と、これで話は終わりだが、かようなことは家族にもついぞ話したことがなく、両親も倅がそんな経験をしたなど知らぬまま逝った。確かに若気の至りではあったが、就職後の「暁に祈る」や「サンパチ豪雪」では、万一を予想して単独行はせず、かつビバーグも想定した装備や食料の携帯を欠かしていないのは、万事これが原体験になっている。

1966年新狩勝随道の開通で根室本線は従前のはるか下で分水嶺を抜けるようになり、日本三大車窓の絶景は視野範囲を減じ、新内駅も廃止された。1981年には石勝線が開通し、滝川−新得間は根室本線の名は残っても完全なローカル線に。札幌方面とはトマム・夕張経由に切り替り、距離・時間とも大幅に短縮した。

廃線後新得−新内間が2軸貨車の競合脱線実験線に使われたのも記憶に新しいが、貨物大撤退で2軸貨車そのものが消え去った。かつての狩勝への一帯にはゴルフ場が出現しているが、熊は出ないのだろうか。

最後に、この一連のネガは富士フイルムだから、小生が「鎌鼬」(かまいたち)と名づけた、富士のこの時期独特のフイルムベース劣化をしている。6コマのネガが長さで10mm、幅で2mmぐらい縮み、ボッテリと膨らみ、それだけでなく画面全体に無数の傷のようなものが発生していて、アナログでは救いようがない。

この時は天気が良かったからネオパンでも幸いFを使ったため劣化程度は比較的ましで、SSでは壊滅的な被害である。こうなる前に猛烈な酢酸臭が出たが、その時点で富士フイルムが適切なアドバイスをしていれば、紙焼きするなど救いようもあった。然るに富士は企業防衛を優先してだんまりを続け、日本中計り知れない貴重な映像が失われたのである。

ネガを見る気もせず長年放置してきたが、今回思い立ってデジタル修正を試みた。以前鶴氏からも投稿があったが、小生の場合脱脂綿にフイルムクリーナーを含ませ、先ずはフイルム表面に発生しているものを極力こそぎ落とす。これは文字通り力任せだから、自分のネガでなければ怖くて出来ないだろうが、この効果も一時的で、すぐ元の木阿弥になる。

それから後はフォトショップの出番だが、何とか修正が可能なものと、絶望的なものがある。今回でも約半分はあきらめざるを得なかったし、これがSSだとキズの如きに加え青い輪のようなものが表面に発生し、これはどうにもならない。

以前にも何度も記したが、かような悲劇は1950年代半ば数年間のフジフイルム、中でも35mmのSSに集中して発生しており、他メーカーでは皆無である。フイルム製造会社が製品に何年間「法律的」責任があるのかは別にして、世界的メーカーに成長した富士フイルムに、生涯付きまとう汚点であることは間違いない。製品の欠陥よりも、それに対する無作為のために。


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