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【486】三八豪雪 あれこれ話その1
 乙訓の長老  - 06/1/31(火) 17:53 -
  
《最初に下請けより用語の解説》
文中の「大人:たいじん、おとなではない」は湯口徹氏のこと。「旦那」は重澤崇氏のこと。《以下本文》

老人は1961(昭和36年)年4月就職早々、富山県西砺波郡福岡町の工場に勤務する事になった。北国の生活は生まれて初めてで、どんな所か知らずであった。それより武生から黒部間の北陸本線に繋がる電車訪問が出来ると、期待に胸をわくわくさせていた。
1日大阪発20時10分発521レでは、会社の先輩や入社式を終えたばかりの同期生達の万歳に送られた。京都でもDRFC の面々からも万歳と共に、酒を一本抱かせてくれた。その人物は
阿弥陀寺の後継ぎであったと記憶している。着任の2週間後、4月16日(日)に花見を兼ねて歓迎会をしてくれることになった。その前日、夕方から雪がちらちら降ってきた。翌朝、一面銀世界である。晴天だが、川べりで莚を敷いての宴会場は、寺の一隅を借りてのものとなった。これが北国の雪、2度目の出会いである。初回は以下の様な次第である。
この年の盆休みは塚口・須磨の大人宅へ直行、ピク誌「私鉄めぐり・京阪電鉄」を旦那や羽村兄と共に相談した。この時サン・ロク・トオ ダイヤ改正が話題となり、北陸トンネル開通前に杉津へ行く話しがまとまった。前年の秋には、4人と厳島君参加で杉津日帰りをしている。帰路、湯沸かしのためラジウスに点火したところ、黒煙がもうもうとオハ27(オロ31格下げ)洗面所に立ち込め、河瀬駅駅員をびっくりさせたが、汽車はいくいく煙は残るで事なきをえた。列車無線など無い時代の事ゆえ、お咎めなしであった。その後、正月休みに旦那、大人と3人で杉津へ雪景色の撮影に出かけている。
正月3日と記憶しているのだが、京都7時21分511レ青森行、もちろん普通列車である。杉津11時31分到着の筈が大遅れとなる。敦賀ではたいした雪ではなかったのに猛吹雪(P1.P2)である。昼の握り飯を食っていたら「この雪では間もなく運休になる。今日中に京都に帰るのなら次の上りに乗りなさい。」と、駅員に言われた。いくらも撮影できずだが断念した。米原に着いたら晴天であった。初めての北国の雪の体験はDRFC現役の時、杉津であった。                       (つづく)


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