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【1550】「東京総合車両センター」一般公開
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/8/25(月) 23:27 -
  
8月23日(土曜日)午後、「東京総合車両センター」の一般公開に行ってきました。高齢者予備軍以上の方には「大井工場」と言った方が判りやすいと思います。JR東日本が「夏休みフェア」と称し、例年夏休みの終わり頃の土曜日に開催しております。今年は、昨年までの展示車両の一部が鉄道博物館に行ってしまったため、何が展示されるのか注目していたところ次の通りでした。

展示スペースの右から順に、クモハ12052、EF5861、201系ケヨ54編成、E233系3000番台、EF65501、485系お座敷「せせらぎ」、その隣に、クモニ13007(廃車済車籍なし)、元クモユニ143−2の牽引車(廃車済車籍なし)が停められておりました。

JR東日本のHPやポスターになかったEF5861にはビックリ。クモハ12052は綺麗に再塗装されておりました。近々引退が予想される201系ケヨ54の方向幕は「通勤快速勝浦」を表示しており、相棒のケヨK4編成は試乗会で使用されておりました。EF65501は「あさかぜ」のヘッドマークを付けておりました。

クモニ13007は、褪色甚だしく悲惨な状態ですが、撮影可能な位置に停められたのは久々ではないかと思います。同車は昭和8年、両運のモハ34007として作られ、昭和23年に荷電に改造、昭和62年3月30日付けで廃車となっていますが、折角ここまで残ったので、是非再整備の上保存していただきたいものです。尚、大阪緩行線で新聞輸送に使用されていたクモニ13009(元モハ34011)も同じグループです。

1.EF5861とクモハ12052
EF5861は今後どうなるのでしょうか。クモハ12052は、昨年は色褪せていたが、綺麗に再塗装されていました。もう1両のクモハ12053も気になるところです。

2.クハ201−114
ケヨ54編成で、中央線に続いて京葉線からも引退が噂されています。関西では車体更新され、まだまだ元気で活躍しているのに対し、JR東日本では正に風前の灯です。

3.EF65501
この後ろにEF641001が連結されておりました。

4.クモニ13007
前述の通り昭和62年3月30日付で廃車となりましたが、その後も工場内の入換作業等に使用されていました。こちらからは見えませんが、反対側は雨樋が破損しており、早急な整備が望まれます。

5.クモユニ143−2
この車も廃車済のため車籍がなく車号は書かれておりません。工場内の入換用となっていたが現在は使用されていません。

添付画像
【EF5861.jpg : 81.0KB】

添付画像
【クハ201-114.jpg : 74.6KB】

添付画像
【EF65501.jpg : 73.1KB】

添付画像
【クモニ13007.jpg : 133.9KB】

添付画像
【クモユニ143-2.jpg : 92.3KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : EF5861.jpg
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【1549】8月を振り返り
 K.H.生  - 08/8/25(月) 11:02 -
  
拙生のへっぽこな投稿は別として、夏の江若、京都周辺の煉瓦橋の話題と
地元らしい話題で盛り上がり、空前の活況を呈しました。
この電子サイトに投資して何年、ようやくエンジンフル回転に
なってきた感があります。
とくにお盆を過ぎましたが、大西顧問の存在がジョイントになり
いい「有機体」になったなあ、とこの会の行く末に泉下の故人も
喜ばれているのではないかと思います。
アルコールは入っていませんがこれぞ同志社スピリットだと、
50手前の中堅は、体の中に流れるものを感じました。

それから「飛び道具」の進歩。須磨の大老が感嘆されただけでなく
深夜業の拙生でも場に加えさせていただけるという嬉しさは
近代社会の僥倖ならではでしょう。情報の共有が花咲く時代だと思います。

個人的には盆から後の2週間弱で3人の「朋遠方より来たり」になり、
近年ない再会の季節になりました。
12日に岡崎より帰省の78年大西氏、17日に九州小帰のついでに博多で78年乙メ氏。21日に関東より来阪の79年垣谷君です。
紅顔の若者らもいつの間にか白髪混じるおっさんになり、これから人生をどう歩むか、岐路に立つときになりました。

最後に小帰の最中に下関で見かけた風景を添付しておきます。
新快速の華として国鉄時代に登場した117系と北九州時代に通学で乗車した421/415系の遭遇です。
馴染み深い2つの電車が並んだ姿に深い感慨を感じました。
上京29年、いまのわたしがあるのは、きっと電車がそばにいたからでしょう。

添付画像
【shimonoseki(2).jpg : 162.4KB】
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【1547】長岡京駅付近の煉瓦アーチ
 総本家・青信号特派員  - 08/8/24(日) 20:23 -
  
掲示板を賑わしている、もうひとつの話題、桂川鉄橋西の避溢橋(正しくは木へんに共)に関連して、長岡京市内にも残る同様の煉瓦アーチ橋に、乙訓老人、K・H生さんから言及されています。
同市内の長岡京駅前後には、ふたつの煉瓦アーチ橋が現存しています。ひとつは、上り方にある「神足六連橋」、もうひとつは下り方にある「老ケ辻三連橋」です。いずれも明治9年の鉄道開業時に造られたもので、当初は単線開業でしたが、橋梁は複線規格で造られていました。
前者は掲示板に記されているもので、六連のうち二連を府道が使用しており、車からでもよく見え、以前から知られています。用途も近くの小畑川の洪水に備えた、避溢橋で、橋脚には流水の抵抗を少なくする、「く」の字形の水切りまで付いています。掲示板の管理者親子の住まいもすぐ近くです。
後者の「老ケ辻三連橋」は、犬川という河川を渡る橋梁で、避溢橋ではありません。付近には大きな道路もなく、住宅が建て込んでいるため、なかなか見つけにくく、それほど知られた存在ではありませんでした。最近になって、その歴史的価値を認めた長岡京市によって、付近が遊歩道化され、橋梁の直下から観察することも可能になりました【写真1】。天下の東海道本線だけに複々線上を頻繁に走る列車のすぐ下で、130年前の鉄道遺産が静かに息づいています【写真2】。
問題の桂川西の避溢橋もほぼ同サイズと想像されますが、これが二十五連もあったとは、さぞ壮大なものだったことでしょう。

添付画像
【写真1 老ケ辻三連橋.JPG : 412.8KB】

添付画像
【写真2 老ケ辻三連橋.JPG : 377.0KB】
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【1546】往く夏に 江若鉄道再び
 総本家・青信号特派員  - 08/8/24(日) 13:32 -
  
暑かった夏も過ぎ、北京オリンピックも終わり、時の移ろいを感じさせる今日この頃、掲示板で夏の話題を独占していた(?)江若鉄道もそろそろ終わりを迎えます。
私なりに江若のことを纏めて見ました。

【1533】で大阪通信員さんがクイズを出された運賃表は、藤本さんが新旭駅と解答されています。新旭駅は終点・近江今津駅に近い駅です。なにせ運賃の高い江若のこと、なかなか奥地へは行けず、ついつい本数も多い南部に行くことが多かったため、新旭の写真は、最終日当日に列車から写した駅名標しか残っていません【写真1】。きっとこの奥にくだんの運賃表があったのでしょうね。この運賃表で気になっていたのは、北浜・淀屋橋までの連絡運賃が495円と、5円の端数が出ていること。当時、大人運賃は10円単位のはずと思っていました。当時の時刻表に戻って調べてみると、10円単位なのは国鉄だけで、一部の私鉄はまだ5円単位の運賃が残っていたのですね。
でもなぜ新旭の運賃表が大阪・日本橋に安置されているのでしょう。

【1532】で西村雅幸さんがワフ450の模型を製作されたとのこと、私も貨物列車の最後尾にチョコンと連結されていた緩急車を思い出します。廃止当時、江若には、12両の貨車が在籍していました。ただ、貨物列車は国鉄から直通の貨車ばかりで、自社貨車はほとんど動くことはありません。ただ、2両あった緩急車だけは、常時、貨物列車の後部に連結されて使用されていました。ワフ450【写真2】は、元国鉄ワフ28000で、昭和24年江若入線です。有蓋車・緩急車は戦前から鋼製でしたが、戦時中に製作された同形式は、資材不足のため、再び木製に戻っています。

【1524】で西村さんがキニ3竣工時の写真を発表されました。その写真を探求されていた須磨の大老が、わずか2時間でその写真データを入手され、クローバー会の連携と通信の進化にいたく感動され、昼から一人で祝杯を上げられたという逸話を聞きました。そのキニ3、のちのハフ3は、三岐鉄道キハ1〜5と同形と大老から聞きました。三岐のうち1両が別府鉄道へ転じ、キハ2になっています。確かに江若ハフ3【写真3】、別府キハ2【写真4】の荷台を取り去った姿は同形だとよく分かります。ちなみに江若ハフ3は、荷物室は撤去、客室化、別府キハ2は実質キハニで製造のため、荷物扉があります。
大老からは私のリクエストに応えていただき、最盛期の水泳列車を披露していただきました。どうしても読みたかった「鉄道ファン」の記事の出所も教えていただき、感謝いたします。

最後は、文字どおり江若最後の日の仲間です【写真5】。同志社北小松学舎に泊り込み、最終列車を見送って三井寺下車庫へ戻ってきたときの記念写真です。キハ11には廃品を使って徹夜で作り上げた当会のヘッドマークが燦然と輝いています。掲示板でお馴染みの藤本さん、西村さんの姿も見え、故大西友三郎顧問の姿も見えます。後のDCが走ることはもうありません。昭和44年11月1日、どこまでも秋の青空が広がっていました。

添付画像
【写真1 新旭駅.jpg : 104.0KB】

添付画像
【写真2 江若ワフ450.jpg : 136.8KB】

添付画像
【写真3 江若ハフ3 .jpg : 173.9KB】

添付画像
【写真4 別府キハ2.jpg : 151.4KB】

添付画像
【写真5 最終日.jpg : 243.9KB】
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【1545】Re:これな〜に
 米手作市  - 08/8/24(日) 13:16 -
  
※長老のご依頼で代理投稿

大西顧問を偲んで
出たぁーと思った。30年ほど前のこと、EVEで久しぶりに顧問に会った。「しゃべりにおいでよ」と声掛けがあり伺ったら、巻物を取り出された。神戸鉄道局の線路図であった。西から追ってゆくと桂川橋梁を前にして漢字表記が目に入った。「避溢きょう(木へんに共)」である。顧問は「桂川増水の時の洪水対策の施設があるらしいが、「きょう」の漢字としての意味がわからん。」とつぶやかれた。身近な漢字を趣味対象とする人に尋ねてみたら、中国語の煉瓦積みのアーチ型の構築物の事だと、教えてくれた。これで2人の疑問は解消した。
それで遠出の出来ない顧問は、老人に現地を観察するように下命された。竹藪の傍から自転車で30分弱、下津林地区は東海道線を挟み水田が残っており、農業用水路が2ケ所で築堤を北から南へ抜けていた。そこを潜ってみたら上り線(北側)複線分が煉瓦造りであった。5年ばかり前、仕事で現地近くへ出向いた時に立ち寄ってみたが、築堤には金網柵があり立ち寄れなくなっていた。水路は残っていたが、既に役割を終えたようで、農家組合の管理下から離れたのであろう。
顧問が晩年に煉瓦に拘っていたのを覚えているメイトもいると思う。今出川校地の建物群の調査を始めた結果、図書館で資料集めに没頭、中でも隧道の煉瓦巻きに興味を示していた。写真を撮って来いの注文を受けたメイトはいないかな?製造所と運搬方法まで調査対象であった。京都では桂川べりの川勝寺(せんしょうじ)村ー現在の阪急西京極駅西南一帯)で製煉工場があったことが知られているが、ここで造られたものが川船で送られたかも……と、2人で想像して楽しんだものである。
実は老人のあばらや近くにもいくつか「きょう」」がある。よく知られているのは6連だ。長岡京市馬場の地で、本掲示板の管理者宅近くである。JR京都線長岡京駅上り方で下り複線分がそれである。露出している。この「きょう」については向日市側に建設の経緯に関する資料が残っていた。(つづく)
引用なし
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【1544】Re:これな〜に
 米手作市  - 08/8/23(土) 15:18 -
  
▼K.H.生さん:
>工法的には神足(長岡京)駅手前、馬場地区に残る煉瓦アーチに相似してるのではないかと推測しています。確認できるといいですね。

乙訓の長老から地図を提供していただきましたのでご覧に入れます。
@明治22年陸地測量部作成
A昭和7年作成
B現在

K.H.生さんの言うとおり神足に8連レンガ橋が現存しているそうです。(長老談)
近々、歴史の生き証人・長老様から直々の論文が発表される予定です。今朝ほど一時間近くかかって論文をアップしようとされたところ「あなたは会員ではない!会員しか投稿できない」と拒否された、と言ってご立腹でした。介護士が急遽呼ばれているらしいので復旧次第のアップまでしばらくお待ち下さい。

添付画像
【鉄路閣明治22年.jpg : 0.6MB】

添付画像
【鉄路閣昭和7年.jpg : 484.2KB】

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【鉄路閣現在.jpg : 0.6MB】
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【1543】Re:これな〜に
 K.H.生  - 08/8/23(土) 14:23 -
  
私も話だけは聞いたことがあります。
(2期上の宗安先輩から)
出所は故大西友三郎さんあたりだろうと思います。
写真が出てきたのは初めてですね。
京都駅周辺の線路配置は一度変わっているとのことですが昭和初期よりもっと
古いことと思っていました。
工法的には神足(長岡京)駅手前、馬場地区に残る煉瓦アーチに相似してるのでは
ないかと推測しています。確認できるといいですね。
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【1542】これな〜に
 米手作市  - 08/8/23(土) 0:16 -
  
京都以外にお住まいの方には見られない京都新聞の記事です。
なんでも東海道線の桂川付近にこんなレンガ橋があったそうです。しかもいまも埋もれているかもしれないとのこと、掘ってみたいとは思いませんか?
当会のOBで実際に見たことが有るかもしれない世代の方は須磨の大人や乙訓の長老など数名しかおられません。

見聞録やご存じの情報をお教え下さい。

添付画像
【桂川25連橋.jpg : 0.7MB】
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【1541】仙台市電T
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/8/22(金) 20:37 -
  
【1429】で長老が昭和34年9月に仙山線作並機関区訪問記を書き込みされ、【1429】でtsurukame様が4年後の昭和38年11月の様子を、【1429】で小生が更に1年半後の昭和40年3月の様子を書き込みしたが、5年半の間の変化を多少なりとも感じていただければ幸いに思う。

山形〜山寺間の直流電化は昭和35年11月1日に完成しているにもかかわらず、tsurukame様が乗車された列車は86が引いていたということは、電気機関車が足りず、蒸気機関車も併用していたのかもしれない。

撮影されておられるED1719の引く客車列車は非常に貴重な記録で、本来同機は八王子機関区の所属で、昭和38年7月11日〜11月30日、39年1月21日〜2月12日、同年9月7日〜12月1日の間、作並機関区が借入れている。

現在の仙山線は全線交流電化で、719系電車を主力に、701系、E721系で運転され、仙台市の近郊区間の愛子まで昼間20分間隔、以遠山形までは1時間間隔で18往復運行され、写真の頃とは比較にならない位に便利になっているが、仙台〜山形間には高速バスが5〜20分間隔でJRの4倍、72往復も運行され、バス会社のドル箱路線となっている。

さて、仙台市内には大正15年11月25日から昭和51年3月31日まで50年間に亘り市電が走っていた。最盛期には約16キロの路線があったが、昭和44年3月末に北仙台線1.2キロが廃止、7年後の昭和51年3月末に残りの路線が一気に廃止された。地下鉄が開業するのは11年後の昭和62年7月15日であった。

仙台市電の特徴は、開業当初から市営であったこと。形式に「モハ」が付いていたこと。ボギー車は、昭和23年製のモハ100形から昭和38年3月のモハ400形最終増備車まで新車で登場したが、その後の増備は全部中古車であったこと等であろう。

全形式を撮影できた訳ではないが、何回に分けて紹介したい。

1.モハ43(形式モハ43形)   昭和40年3月22日  仙台駅前
昭和13年、梅鉢鉄工所で43〜45の3両作られた。当時流行の流線型であるが、車体が短いため、余り良いスタイルとは言い難い。初めて乗った仙台市電がこの車で、車掌が女性であったこと、窓ガラスのビビリ音が大きかったことが今でも印象に残っている。

2.モハ104(形式モハ100形) 昭和43年9月4日  仙台駅前
昭和23年から27年まで24両作られた。当初はモハ80形(81〜94)を名乗っていたが昭和29年の改番でモハ100形(101〜124)となった。昭和23年製の101〜105の5両はワンマン化されることなく昭和49年に廃車となった。

3.モハ122(形式モハ100形) 昭和43年9月4日  仙台駅前
モハ116〜124は昭和27年製の最終増備車である。106〜124の19両は昭和42年からワンマン改造が実施され、最終日まで働いた。

4.モハ181(形式モハ180形) 昭和43年9月7日  仙台駅前
昭和38年9月に営業を廃止した琴平参宮電鉄から同社の82、84〜88の6両を譲り受け番号順にモハ181〜186とした。モハ181〜183は昭和25年廣瀬車両製、184〜186は琴平参宮電鉄善通寺工場製で、184、185は昭和29年、186は昭和33年製である。仙台市電では最も大きかったが、高床車のため乗り難いということで、ラッシュ以外は余り使われず、昭和45年に廃車となった。

5.モハ184(形式モハ180形) 昭和43年9月4日  仙台駅前
善通寺工場製のグループは、モハ181〜183とはヘッドライトの位置が異なっていた。

【1539】これなーに?の回答です。
画像のEF6620はJR貨物の試験塗装機です。
JR貨物が新塗装を決めるのに、何種類か試験塗装を行いました。この塗装はEF6620のみで、また、EF66の試験塗装機はこの1両だけでした。

添付画像
【モハ43.jpg : 140.4KB】

添付画像
【モハ104.jpg : 109.9KB】

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添付画像
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添付画像
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【1540】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-11
 湯口 徹  - 08/8/22(金) 10:21 -
  
IL TRENINO VERDE サルディーニャ島緑の列車 サッサリ−テンピオ−パラウ

先回入れたアドレスをクリックしても画面が出ないぞとお叱りを。FDS(Ferrovie Della Sardegna)の公式ホームページのそれを入れ直しておく。クリックしていくと、我々が現地で入手したパンフレットの2008年版が全部見られ、英語も併記されていて、およその情報が得られよう。地図、時間表、料金表、写真もある。
http://www.initaly.com/regions/sardinia/treno.htm

また前回サッサリ−ヌルヴィ(34.7km)を電車化と記したが、これはサッサリ−ソルソ間(10km、14往復)の間違い。前者は我々が行った時は5往復だったが、現在では2往復しかないようだ。

なおFDSでは生活路線を英文で Public Transport Line、夏季のみ運行線をTourist Line と区別しており、料金差が激しい。サッサリ−ヌルヴィは辛うじて前者に残っている。なおサッサリの海抜は176m、ヌルヴィは463m。

翌日一旦ソルソから事のついでに国鉄線(標準軌間)島の北西の終点ポルト・トレッスまで行ってみたが、駅といっても何もなく、面白くも何ともない。隣に考古学博物館があったので、2ユーロ払って見学。若い係員が辛抱強く待っていて、帰りに日本語のパンフをくれたのには驚いた。島に入って出るまで8日間、日本人には一人も出会わなかったからである。

ヌルヴィに戻り、テンピオを目指す。鉄道線路はグニャグニャと曲がりくねり、道路も同様だが、途中町ととんでもなく離れた駅があり、かつての北陸本線杉津(村落まで地図上で2km、高低差150m)を思い出した。こんな路線で自動車に負けない方がどうかしている。

テンピオ・パウサニア駅はやや大きく、構内も広く風格があり、海抜は548m。サッサリから91.3km、ヌルヴィから56.5km。サッサリを9時05分に発した列車がテンピオに到着するのは11時40分。帰路は16時50分→19時00分の1往復のみで、一体誰が乗るんだろう。

しかしこのカーブ、勾配が連続する線路にしてはずいぶん早く、ギリシャと同じく、動力車の出力が大きいことに尽きる。JRも最近でこそヨーロッパ並になったが、かつてのキハ51なんぞは発展途上国にも劣った。ひとえにDMH17系への「しがみつき」が根源であった。

テンピオは高原リゾート地らしく、少し歩いて手ごろで小奇麗なホテルも見付かった。荷物を置き、17時発のパラウ・マリーナ行きに乗車。DLが客車2両を曳くが、途中乗降もほぼ皆無で、車掌2人はお喋りばかり。沿線は牧草地帯で道路に遠く、Arzachena(発音が分からない)からはほぼ併行。

パラウ着18時25分、ここで機関車を付け替え、推進運転でゆっくり進む。途中スイッチバックがあり、今度は牽引で終点パラウ・マリーナへ。15mの高低差をクリアするための1.14km迂回で、その終点のやたら狭いこと。目の前がすぐ超大形フェリーの発着場で、やたら車が止まっている。テンピオから90分かけ、540m以上を下ってきたことになる。

添付画像
【人里はなれた駅.jpg : 320.6KB】

添付画像
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添付画像
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添付画像
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【1539】これな〜に?
 米手作市  - 08/8/21(木) 15:42 -
  
ゲテモノ写真によるクイズが人気とか!
参戦します。
これはなんでしょうか?

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【1538】藤本哲男様ありがとうございました。
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/8/19(火) 19:07 -
  
早速に暖房車の解説を感謝致します。ありがとうございました。
大正15年に作られた暖房車が、昭和40年代まで健在だったのですね。
ちなみに形式番号の「ヌ」は、「ぬくめる」の「ヌ」でしょうか。

残念ながら、小生は青信号 54号、ならびに RM LIBRARY44 両方共に持ち合わせておりませんので、読者、投稿者の共通の話題となることも必要ですが、江若鉄道などの話題が一段落してからで結構ですから、ついでの折などにさらなる詳説を載せていただければ幸いです。
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【1537】福北ゆたか線
 K.H.生 WEB  - 08/8/19(火) 9:11 -
  
帰省のついでに乗ってきました。
弊ブログに写真と記事を載せてます。
とても本版(BBS)に出すレベルではありませんので
関心のある方はリンク先をご覧ください。

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【DSC04066.JPG : 144.1KB】
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【1536】Re:オハ27 オヤ304とスヤ372
 井原 実  - 08/8/17(日) 22:49 -
  
【1532】のオヤ304とスヤ372は、どちらも後に車体を振り替えた2代目が存在しますので、写真をご覧にいれます。

■オヤ304 昭和55年7月全検時に、オハフ33565(岡ツヤ)をオヤ304として出場させました。便所・車掌室は締切、洗面所撤去、床下に水槽無し。撮影:昭和55年8月3日吹田貨車区

■スヤ372 昭和55年1月全検時に、オハフ33280(大ヒメ)の標記を書き替えただけのようで、洗面所、床下の水槽も残っていました。撮影:昭和55年3月16日吹田貨車区

2代目はオハフ33の戦前製、戦後製のコンビとなり、職員の通勤用として吹田貨車区〜岸辺間を毎日朝夕往復しました。東海道本線下り線の外側に単線で吹田工場構内から千里丘の手前まで試運転線が延びており、岸辺駅駅舎の吹田方に仮設ホームがあって職員が乗り降りしていました。阪急電車の正雀工場搬入用の線路もありましたが、今は撤去されています。
時刻は、貨車区7:58→8:00岸辺8:00→8:02貨車区と、貨車区16:58→17:00岸辺17:00→17:02貨車区でした。末期はDE11が岸辺方に付き、行きは牽引、帰りは推進していました。構内入換扱いなので列車番号はありません。
この通勤列車も昭和57年11月14日で廃止されました。3枚目の写真はその最終日の朝の様子です。私の他にカメラを持った人を一人見ました。下り外側線を疾駆する117系快速も懐かしいですね。

なお、スニ3073も昭和39年2月に幡生工場でスエ3048に改造され、小郡機関区救援車となりました。じつはこれにも2代目があり、2代目はなんと20m車のマニ36303(元スロ603)が化けたものでした。

添付画像
【オヤ304(2代目).jpg : 0.6MB】

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【スヤ372(2代目).jpg : 382.5KB】

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【通勤列車最終日.jpg : 372.1KB】
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【1535】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-10
 湯口 徹  - 08/8/17(日) 12:09 -
  
IL TRENINO VERDE サルディーニャ島緑の列車 ソルソ・ヌルヴィ

また前後するが、サッサーリとヌルヴィ/ソルソ/アルゲーロ間3区間は生活路線で、運賃も各1.81、1.03、1.81ユーロ(往復は各3.10/1.76/3.10ユーロに割引)、本数も多い。先回サッサーリに同じ950mm軌間で市内路面電車を建設中と書いたが、2004年に750Vの RIGHT RAIL 3kmが開業し、5車体6軸(奇数車体が各2軸)の超低床電車が運行している由。

我々は建設中の線路に沿って歩いてみただけだが、全線単線、離合はでき、基点はサッサーリ駅前、終点は大きな公園。なおヌルヴィへの非電化区間も電車化されるとインターネットに出ていた。http://www.flickr.com/photos/gudotoni/2698781780/をご覧頂きたい。

ところで我々は「鯰」ディーゼルカーでヌルヴィまで試乗。乗車券は日本なら昔のマルスのような横24cm(パーフォレーション共)、縦7.6cmのコンピューター発券で、これにはすこしガッカリ。片道35km、上記のように往復3.1ユーロだから高くはないどころか、激安である。ロンドンの地下鉄(恐らく市内交通で世界一高い)などと大違い。

1か所の乗降口はなぜかサイド中央になく偏っている。よく知らないが、窓2個の方は以前1等だったのではないか。先達=ツアコンの相棒が車掌に何やら掛け合い(イタリア語の素養はないはずだが)、車掌が運転室に行って戻り、我々2人は運転室に招じ入れられた。

この「鯰」は電気式とトルコン式の2種があり、速度は運転パネルにあるレバーで決めるようだ。運転手は気のいい小男(小生の肩までしかなかった)で、英語を解し、一生懸命案内してくれる。

その内何と小生に運転してみろと、座席を代わるではないか。故吉谷先輩はヨーロッパの路面電車で片端から「わいは大阪の市電の運転手やってんけど、今は地下鉄しかのうて、あかんわ」とドイツ語やら何やら語やらで相手と仲良しになり、運転させて貰っていたと聞く。

せっかくだからご好意に甘えたが、運転といっても自動車ではないから、要はデッドマンペダルさえしっかり踏んでいればよい。本物の運転手の熱心な沿線案内につい気を取られ、ペダルが疎かになると速度がてきめんに落ちる。結構根性を入れて踏まねばならないものであることを痛感した。

そのうちオシロが近づいて俄か運転手は本物と交代。時間表にはなかった回送車との離合があった。駅長も小男で、この島に大男がいないわけではないが、やはりイタリア本土(それも南と北では雰囲気も習慣もずいぶん違うが)とは一味違うようだで、早い話が人種が違うのだろう。

途中車窓から、かなりの高地に町が展開しているのが見える。日本でも高野山(イタリアならさしずめアッシジか)がそうだが、あくまで例外であろう。しかし、以前ギリシャでも触れたように、こんな山の上の町とは、水耕民族には理解を超える。何千年にもわたり異民族の征服が繰返された国だからなのだろう。しかし当然に鉄道の駅は離れた麓になる。

ヌルヴィで折り返す。駅舎は大体共通したデザインだが、その優雅で小さいながらどっしりした様は、ギリシャにも共通する。我国のそれなりに落ち着いた木造駅舎は、今やどこへ行ってしまったのだろうか。日常メンテの手を如何に抜くかしか関心がない、寒々としたコンクリートやプレハブもどきは情けない。

添付画像
【ソルソ近く.jpg : 329.8KB】

添付画像
【気のいい運転手.jpg : 334.6KB】

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【オシロでの離合.jpg : 307.0KB】

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