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【774】Re:阪神1000系とE233見ました
 K.H.生  - 07/2/28(水) 4:38 -
  
▼893-2さん:
やあお久しぶり。
きのう(2月27日付け)の日経の1ページ広告、川重はご覧になられましたか。
百年の歴史飾る名車両が歴代30種くらいピックアップされていて、楽しかったよ。
とはいえ企業広告だけにノスタルジーより近年の会社の力量を自慢する色彩もあって
その中にこういった新型車両が多く出ていて、2007年と言う時代を感じました。
TXEも西鉄の最新特急も川重なのだ。
わが故郷、西鉄の特急も長いこと乗っていないなあ。あれは48年の黄色い特急
2000系から川重になったと記憶します。
その頃はまだ炭坑もSLも西鉄ライオンズも、身売りされたりしかかっていたけど
九州で見ることができました。
そうそう博多っ子のオトメさんが今年から西宮に戻ってきてられますよ。
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【773】阪神1000系とE233見ました
 893-2  - 07/2/26(月) 23:53 -
  
1ヶ月ほど前、5年ほど変えていなかった眼鏡が見づらくなってきたので
変えました。近眼が3度くらい上がったと同時に老眼の気も・・・。
その眼鏡の試しも兼ねて阪神を撮影に、尼崎駅を通りかかると丁度
1000系がホームから見える位置でパン上げして並んでいました。
運転士と思しき集団が先頭車の前でなにやらしておりました。カメラを
向けたときにはその集団は消えていましたが、構内配線を難波乗り入れに
向けて変更した尼崎駅のホームから撮影しました。
また先日来このHPのトップページでも写真が出ていましたがJREの
E233を上京の際、東京駅で見ました。さすがに新車なので綺麗ですが
最近のJREの首都圏の車輌はどれも同じ造りに見えるのは年のせい
でしょうか。にしても東京駅でカメラを向けているのは学生風の人ばかり。
少し恥ずかしかったです。古い車輌の投稿が多い中申し訳ありません。
それにしても昨年の写真展以来、HPのカウンターの上がり方がすごい
ですね。

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【07年阪神電鉄1000系尼崎駅C.JPG : 226.9KB】

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【07年中央線E233東京駅@.JPG : 225.1KB】
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【772】おじん2人ヨーロッパ軽便 その14-1
 湯口 徹  - 07/2/22(木) 13:16 -
  
ブリエンツ・ロートホルン鉄道 その1

アッペンツェールのホテル早朝出立のため、ビーベラッハの悲劇を再現せぬよう、前晩クラーク立会いで鍵をフロントに投げ込む予行演習まで実施した2人であったが、次の日泊まったルッツェルンのホテルで、また悲劇が再発した。

古く狭いながら、我々にしてはグレードの高いシェフなるホテルに投宿。早朝出立とあって、クラークに掛け合いカード支払い手続きも前晩に済ませていた(筈であった)。

我々は機嫌よくバックパックをかつぎ駅へ。ところがあと僅かというところで朝交代した別のクラークが息せき切って我々に追いつき、もう一度ホテルに戻れという。何とカード支払いの手続きは済んだ筈が、肝心のサインをもらっていなかったと言うではないか!

結局ホテルから駅までほぼ2往復する羽目となって時間が切迫。ルッツェルン6時03分初発列車でブリエンツを目指すのに、数分しかなく全力走行を余儀なくされた。まさしくビーベラッハの悪夢の再現で、バックパックの2人は息も絶え絶え、泡を吹かんばかりの形相でルッツェルン駅によろけ込んだのであった。

これが日本のように改札口があれば、ユーロパスに日付を入れていないから多分間に合わなかっただろうが、ともかくインターラーケン行きに乗り込んだのと、ベルもアナウンスも汽笛もなく列車が動き出したのがほぼ同時。今度は本当に死ぬかと思った。

メータゲージのスイス国鉄(SBB)ブリューニック線は15,000V16 2/3ヘルツの交流電化。途中何箇所か120‰勾配・リンゲンバ、ッハ方式のラック区間があり、勿論各停だがインターターケン・オストまで74kmに2時間23分を要する。早朝だが幸い車内販売がありビールを求めた。まさしく命の水であった。

列車はマイリンゲンで折り返して方向が変わり、ジャスト8時にブリエンツ着。ブリエンツ湖東北側、SBBとは道を隔てた山側にへばりつくように小さな駅があって蒸機の煙が見える。アドレナリンが一挙に分泌するのが自分でも分かる。

これぞ名高きブリエンツ・ロートホルン鉄道(BRB)で、軌間800mm、全長7.6km。起点の海抜が566m、山頂駅が2,244mで7.6km間の高低差1,678m。これをほぼ1時間で上るのだが、勾配は平均22%、最急25%。‰ではないからお間違いのないように。最小半径60m。

列車は8時05分発。すでにある程度の乗客が待ちうけ、我等は出札でユーロパスを示すが、スイスパスならある割引はなし。往復が割引で54スイスフラン、ちゃんとした縦型硬券であった。

3個列車が束になって上る。赤い客車は遊園地並みに側戸式だが、短時間での乗降に適している。機関車が後尾から押し上げるが、客車が1輌/2輌のものがある。蒸機は1、2、5(1891年製17トン230馬力)、6、7(1933/36年製20トン300馬力)、12、14〜16(1992〜1996年製15.7トン300kW=402馬力)、DL9〜11(1975/87年13.6トン660馬力)がある。

動き出すとそれこそ興奮状態、やたらモードラでシャッターを切る。上れば上るほど景色がいいのに、待ちきれないのである。先ずは人口3,000人余、この鉄道と木彫工芸の村ブリエンツを抜けるが、このあたりはまだまだ緑豊かである。

離合所は3か所。最初のそれは標高1,019mにある。停車するや乗務員は給水に励み、乗客はカメラを持って右往左往。

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【BRB.jpg : 176.3KB】

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【771】老人『京阪特急』を上梓!
 総本家青信号・特派員  - 07/2/21(水) 0:32 -
  
京阪を心から愛する乙訓の老人が、残り少ない人生の思い出にと書き上げた『京阪特急』が、まもなく全国の書店で発売されることになった。
老人と京阪の結びつきは古い。3歳のとき、親にせがんで京阪電車に乗りに行ったと述懐するほどの太古の歴史がある。京阪百年の歴史の中で、実に3分の2世紀に渡って京阪を見守り続けてきたのだ。その後、老人らの世代の現役時代には、鉄道ピクトリアルに京阪特集を発表し、当会の名を広く知らしめたのは、歴史の1ページとして今も語り継がれている。それだけに本書では、京阪を知り尽くした老人らしい筆致が縦横無尽に発揮され、京阪特急50年の歴史と現状が生き生きと描かれている。
そして、本書では老人だけでなく、京阪にゆかりのあるクローバー会の面々が多数登場、車輌紹介記事や写真提供を行っている。いわば、老人とクローバー会の合作とも言える本である。
京阪特急の歴史と現状がこれ一冊ですべてわかる、JTBパブリツシング『京阪特急』、2月28日一斉発売される。

また、このたび老人の処女作『京都市電が走った街今昔』がなんと4刷りの増刷となった。また仁蓮上人こと田淵さんの『近鉄特急(上)』も3刷りの増刷である。鉄道書のような趣味書は、ある程度の部数が読めるため、初刷りだけで売り切ってしまうケースが多い中、2人の本は異例のロングセラーを続けている。

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【769】高松・琴平近辺古写真パート3(最終)
 某ぼけかけ老人  - 07/2/18(日) 11:13 -
  
2月6日[760]で乙訓老人が、「古写真」が突如現れ、突如終わって折角気負ったのにと気抜けされたようであるが、実はまだあった。今回が最後だが。

撮影は若林美雄氏、1937年8月21日および1940年4月11日である。

お後よしなに。

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【琴平参宮9、16.jpg : 191.1KB】

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【768】Re:お待ちください!
 田野城 喬  - 07/2/17(土) 17:17 -
  
▼早川 昭文さん:
>第2回DRFC・OB会写真展の時にでも持参します。

お言葉ですが当会には貴兄よりもっとボケて先行き短い人がたくさんおります。
そうでなくても廃車が始まっている113系の様な人々も出てきます。
次回などと言わず今すぐにでも掲載してください。そうでなければ後々「ああ、あのときに載せておけば・・・」と臍をかむこと必定です。
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【767】お待ちください!
 早川 昭文 E-MAIL  - 07/2/17(土) 14:48 -
  
 小生ボケ進行のアナログ人間です。田野城様にも先月写真をデジタル青信号にどのようにしてのせるのかご教示いただいたところですが未だに実行に及ばず悶々としております。第2回DRFC・OB会写真展の時にでも持参します。
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【766】Re:ベールの向こうを覗いて
 田野城 喬  - 07/2/16(金) 10:31 -
  
さすがは京王の金正男と言われていただけあってよくそこまで調べたものですね。
せっかくの事ですから写真も見せてください。ミカイがミカイ!ではなく見たい!
それともオヤジから見せてはいけないといわれたのですか?
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【765】ベールの向こうを覗いて
 早川 昭文 E-MAIL  - 07/2/16(金) 0:03 -
  
 2月3日総本家・青信号編集部より「将軍様の鉄道 北朝鮮の鉄道事情 国分隼人著」について解説があった。小生、この本は未だ読んでいないが、2001年秋に鉄仲間と訪朝したので、その時の北の交通機関の印象を簡単に述べてみる。
 当時、日本からは北京、瀋陽、ハバロフスク経由と名古屋からのチャーター便および新潟からの万景峰号、北京からの国際列車利用がルートであった。
(1)航空機
 入国は瀋陽から高麗航空(以前は朝鮮民航)のツポレフ154を利用。平壌順安空港は着陸から駐機まで10分以上かかるだだっ広い空港。外国機の姿は殆ど見られず
旧ソ連製のイリューシン76、イリューシン62、ツポレフ154、ツポレフ134、アントノフ24がパラパラと見られる程度。ロシアや中国が西側の飛行機を多用しているのに対し北では今日でも陣容は変わっていない。
(2)バス
 トロリーバス、一般バスともに見慣れないスタイルが多く、旧ソ連、中国、東欧のどこかで製造されたものと思われる。面白いのは日本の観光バスが結構見られることで、右側通行ではあるが、乗降用ドアは左側のままである。確認したのは東武、阪急、松電、大阪市などであるが、もっと多いはずである。塗装も日本時代のままである。トロバスは新義州でも見かけた。
(3)自動車等
 平壌市内では制服姿の若い女性が手信号できびきびと交通整理。昔、日本でも見られた手信号であるが、交通量が少なくてもきびきびやらないとえらいことになるのかもしれない。タクシーは見たことがない。要人用なのかベンツは時々見かけた。トラックと自転車はよく見た。地方では牛のひく大八車等を見かけた。主要道路は平壌、新義州、開城ともに広い。
(4)路面電車
 ロシアや東欧で今も見られるタトラで卵型と四角張った2種類があり、頻繁に運行されている。車庫見学も許可され平壌駅前から貸切で往復した。タトラは高田幸男君と旧東ドイツ、チェコ、ポーランドで見ていたので懐かしい。
(5)地下鉄
 ご自慢の高い天井とシャンデリアのある1駅だけ乗車が許可された。エスカレータでホームへ向かうあたり、昔の地下鉄梅田駅に似ていないでもないが人の数は少ない。車両は赤白のツートンカラーで3ドア4両編成。車内壁は濃い木目印刷。通路端上部には金日成、金正日親子の肖像画が掲げられている。これは列車も同じ。
(6)鉄道博物館
 鉄道建設の労働者を鼓舞する金親子の大きな絵や模型鉄道がある。大変驚いたことに日本製の金剛山電鉄の電車が館内に保存されていたことである。きれいに塗装されており、感無量であった。
(7)国鉄
 国鉄というのか人民鉄道というのかよくわからないが、総本家のご指摘どおり電化率は高いがスピードは出ない。平壌高麗ホテルの眼下にはDL、ELを何台も見ることができる。帰国に際し、国際列車北京行きを利用したが、北京行き2両、モスクワ行き2両のボストーク号そして新義州までの食堂車を含む北朝鮮客車で編成され、EL牽引で時速は3〜40km/h。途中交換するELは向日市の先輩がスコダ社製と言われたチェコ、ポーランドでよく見る武骨スタイルが多い。機関区のあるところではSLミカイの煙を見ることができたが廃車体もあった。沿線風景は首都ピョンヤンに比べずっと貧しそうであるが、飢え死になるような風景はない。新義州で2時間半停車、鴨緑江を5分で渡り、対岸の丹東に再び2時間停車。機関車はDL東風4号で複線PC枕木の鉄路を水を得た魚の如くひた走ったのは国分氏ご指摘のとおり。

 最後に小生1970年春に韓国でSLミカサを多数撮影したが、ミカイは見たことがない。逆に北ではミカイの名しか知らない。かつては同じ国で勿論1435ミリゲージ。満鉄のミカイ、鮮鉄のミカサの写真は多く見るが、何故韓国にミカイがなく、北にミカサがないのか、それぞれ若干はいたのか。朝鮮戦争の影響が何かあったのかどなたかご教示いただければ幸いです。
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【764】おじん2人ヨーロッパ軽便 その13-3
 湯口 徹  - 07/2/12(月) 9:37 -
  
スイス・アッペンツェール州 その3

また地図がない!と某おじん予備軍氏から一喝が。こっちも探してはいたのだが、何分当時の現地電車時刻表略図が東西南北逆で、ためらっていたらネコパブ社名取紀之氏のブログ「編集長敬白」2月10日に好天カラー写真と共にバッチリ掲載。これ幸いと、そっちをご覧頂くことにした。

軌間こそ1000mmで共通するが、ラック方式もシュトルプ/リンゲンバッハが、車体側面のレタリングもSGAや アッペンツェラーバン(AB)が、よく見ると連結器も2種あるのが分かる。

これらはこの地方の複数の私鉄が次第にABに統合されていったことを示す。上記「編集長敬白」にその経緯が詳しく出ているからぜひご覧を。なおSGAとはザンクトガレン・ガイス・アッペンツェール鉄道の略号である。

我々おじん2人はホテル・アッペンツェールを早朝出立のためクラークに相談。彼は部屋鍵で玄関扉を開け、その鍵を抜き取り、数メートル離れたフロントに投げ込め!と指示。

我等はその予行演習までこなして翌朝に備えた。これすべて[641](昨年9月21日)に記した、ビーベラッハの悲劇(早朝鍵が開かず、短時間で駅まで走り死にかけた!)再発防止のため=「備えあれば憂いなし」である。

ガイスでの客車2輌を引く電車は前頭で無蓋貨車2輌を推進している。これはスイス独特の方式で、貨車はエア操作で底が開くホッパー車。バラスや石炭を運ぶ。

標準軌間貨車を軽便線で運行する装置は数度紹介したが、[725](1月1日)掲載の説明図通りの装置がここで見られたのでご覧に供する。貨車はDB(ドイツ国鉄)で、スイスに直通している。

なお[745](1月29日)に記したアリシュテッテンはガイスの、[758](2月5日)ザンクトガレンはザンクトペルテンの間違い。歳のせいである。ご寛容を。

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【763】アンチクライマー
 K.H.生  - 07/2/11(日) 1:38 -
  
1つ前の書き込みの1番上のカラー写真、ゲテモノの電動貨車も最近の投稿ラッシュで次々と珍しい写真を見ていると何とも思わなくなる。
それより右隣で連結面を見せているクハの自連の左右にくっきりと残る飾りのような物は何であろうか。それはこの車両の出自を語る前世の姿の証拠品なのである。名称はこの投稿タイトルのこと。
多分この車両は950型だと思うが前身はWルーフの鋼製17m級客車、国鉄オハ31。アンチクライマーはこの重量感あふれる客車の両端デッキエンドの妻面下を引き締めていた。
この写真をみると更新当初の綺麗な出来栄えは生まれ変わって別人のよう。こんぴら電車の1員になりすましても、前歴好き刑事は、流れ出直し人生の跡を追いかけ、田舎芸者の過去を暴こうとするのである。
こんな性癖、けっして他人に自慢できるものではない。
閑話休題
絞り込み機能、結構な装置がついたがハンドルネームと実名を使い分けている投稿氏の正体も何となく分かってしまった。そもそもこの掲示板、利用規約をどの程度にすべきなのか。例えばスパムを防ぐためにパスワード式にする方法もあるが、情報源として楽しんでいる外部の読者に不便であろうし、実名だけというのも堅苦しく慣れ親しんだハンドルネームもありその辺が難しいところだと思う。
 (弘津興太郎)
                                                                                 
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【762】変なもの探検隊その18
 乙訓の老人  - 07/2/9(金) 14:52 -
  
いまではカーテン付きの客車なんて珍しくないが、老人が若い頃は先ずお目にかからなかった。窓構造のことを考えると、カーテンレール1本取り付けで済むのだから、安価で軽量化に寄与したことであろう。アメリカ・インターバンには、とても豪華なドレープが吊るされている例があり、職業意識を燃やしたものである。閑話休題。
仏生山、今橋車庫で競い合って鋼体化工事をやっていた時、こんな話を聞いた。先ず国鉄福塩線で休車中であったクハ6、モハ1を譲り受け6000形610、620号とした。610は局部改修で営業についたが、620は木部を徹底的に張替え、台車も近鉄から譲り受けたB.W.タイプのもので登場した。610はすぐガタガタになり、1960年春に仏生山詣での時は鋼体化工事の最中であった。「610のモニター部分に風道を設け、強制換気吸気が出来るようにする。」このアイデァが実現したのかどうか、その後乗ったことがないから知らないままである。次いで1964年訪問の時のことだが、高知客貨車区にあったオハ31137、31299を購入し、仏生山庫に錆びだらけで留置してあるのを眼にした。向井工場長は瓦町駅構内にあった木造2階建ての車両課に転任され課長となられた。さっそく訪問、オハをどうするのか聞いてみた。「両端デッキ部分を運転台にし、3扉の制御車として琴平線の木造車を一掃する。」その後、台枠利用の新車体となったのはご存知の通りである。両妻端面下部を見ればその名残が確認できる。(P50)
向井課長を訪ねたのにはもう一つ話があった。1960年春の時、「鋼製車で15m級、巾2.5m程度の車体の出物はないかなぁ」と持ちかけられた。思い付いたのは阪急320、380、500形である。しかし支線区でまだ使用中であり、手放さないであろうと、申し上げた。「ほかにないかなぁ?」そうだ、阪神の小型車群があるぞ。「阪神は大型車導入で小型車の整理をしています。いま残っているものの中でも、急行用の850形以降のものが良いのではないでしょうか。車体の手入れも行き届いているし、少し小ぶりだが65馬力モーター4個です。」「そのモーター何アンペアー?」 さぁ素人のかなしさ、即座に返答が出来ない。「帰宅したら資料を送ります。」 そこで奥野利夫師匠宅へ駆け込み、「かくかくしかじか」。形式図その他を取り揃えて貰い、送ることができた。その結果が聞きたかった。
「お蔭で日下部長が民鉄協会中小部会を通じて問い合わせたところ、阪神さんから詳細なお返事を頂く事ができ、近じか現車が入ります。長尾線専用とし、念願であった木造車の全車追放が出来ることになります。」
今回の変なものものは琴電デカ1(51)と、この車のプロトタイプになったのかどうか知らないが、阪神の中央運転台の貨車(P52、53)としよう。デカ1は貨物台に側面に向け仮設スロープを設置するとバラス運搬が可能。その後レッカーを装備した。阪神(113、115)は長物(レール、電柱、枕木等)専用で貨物台はフラットであった。114は架線修理台があった。阪神は1959年秋の撮影である。

添付画像
【変50.JPG : 40.5KB】

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【761】カーテンは他にもある
 湯口 徹  - 07/2/6(火) 16:52 -
  
乙訓の老人が驚かれたカーテンだが、そんなに珍しい代物だったのか。

小生とっさに思い出したのは西大寺鉄道のキハ7である。横引カーテンが風になびくので、すそを丸めて結び目を作ってある。何のためのカーテンか分からんが、こっちの方が面白いかも。

ところで塩江温泉鉄道1〜5も、このキハ7も、共に川車製である。何ぞ関係がありそうでもありますな。

電車にはこんな例はないのかしらん。

添付画像
【西大寺キハ7.jpg : 158.8KB】
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【760】変なもの探検隊その17
 乙訓の老人  - 07/2/6(火) 16:09 -
  
大人の高松周辺の古写真で次はなにかと身構えていたら、ヨーロッパへ戻り当て外れとなってしまった。当分あたふたしなくても良さそうだ。
ところで【746】で新発見が2つあり。先ずは塩江のガソリンカーの窓にご注目ありたい。なんとカーテンが見えるではないか。こいつはすごい。展望車なみではないか。続いては「何か分からん」の4輪車。高松付近で4輪車でシングルルーフとなると高松電軌の1形しか考えられない。これの現物にはお目にかかったことがないが、思い当たることあり。
1955年夏、志度に向け乗車中、終点手前の駅ホームにシングルルーフの廃車体があったので、その後で今橋車庫を訪れた時「あれなんですか?」尋ねたところ、「高松電軌の廃車体だ」と教えられた。荷物電車もシングルルーフ、明治末期の電車では珍しい屋根構造である。ここで思い当たるものあり。ピク誌79号だ。房前駅の廃車体の写真。なにしろピク誌は名刺版65%の大きさだが、ルーペで見てみたが、屋根構造は分かったもののその他は網掛け荒く判然としない。窓数は一緒である。さぁ断定するか、高松電軌1形と。ならば、本邦初公開となるのだが。いずれにしてもお宝鑑定団を呼ぶ必要がある。
次いで琴参だが、デハヨ28号が琴平駅に入線するところだ。琴参は1950年からビューゲル化開始である。28号が戦前撮影かどうか?とするより他ない。善通寺は師団があったので街路で写真を撮るなど、もっての外であった。兄が利用している老人の写真屋店主に戦前の写真を聞いてみたが、街路では出征兵士の万歳写真を撮った記憶しかないと言っていた。善通寺車庫の光景は懐かしい。いずれなんらかの形で「琴参電車あれこれ話」を展開したいと思っている。その時は写真提供お願いします。
今回の変なものは、琴参の無蓋電動貨車としよう。日頃は樫藪変電所の奥にありまともな写真など望めなかったが1960年4月、検査で庫内にあるのを発見、表に動かして貰った。製造所は日本商会なるブローカーらしき会社の作品。嵐電501号、叡電101号も同じ製造所である。モーター、制御器は京都・奥村電機製である。【746】に車庫での4輪車があるが、1952年に架線修理車となった27号である。常駐地はやはり樫藪変電所横だが、1957年に行ったら姿がなかった。デハヨ形で最後まで残った3両のうちの1両である。

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【759】北の“酷”鉄 ZAKZAKより転載
 本家・青信号編集部  - 07/2/5(月) 17:40 -
  
北の“酷”鉄…ミステリートレイン実態とは

 “鎖国”の影響でこれまで実態が不明のままだった北朝鮮の鉄道網や列車の車種、運行状況を詳細にリポートした「奇書」が出版された。なんと植民地時代よりも列車のスピードが遅くなっている事実や、金(キム)正日(ジョンイル)総書記(64)専用ホームの存在も発覚。不思議だらけの“鉄道王国”へ、いざ出発進行!!

 知られざる朝鮮鉄道局の全貌を明かした『将軍様の鉄道 北朝鮮鉄道事情』(新潮社、1995円)を上梓したのは、各国の鉄道事情に詳しいトラベルライターの国分隼人氏(42)。

 国分氏は鉄道ファンから「最後の秘境」と呼ばれる北の鉄道時刻表(2002年版)を独自に入手。パンフレットのような簡易な作りながらも「本来ならば国家機密であるべき電化、非電化区間がすべて記載されていた」(国分氏)。この時刻表をもとに戦前の時刻表を対比するなどして営業距離5214キロにもわたる北の最新路線図を完成させた。

 「電化されている区間が韓国や日本よりも多く、全体の80%にもなる。北朝鮮は石油が出ないため、『自力更生』を目指した金日成(イルソン)主席が進めた政策だったが、最終的にマイナスとなった」(同)

 特に最近の電力不足は運行ダイヤに大きく影響を与え、「時刻表はあくまで理想なのかもしれない。人々は口コミで運行状況の情報を得て駅に集まってくる」というから驚きだ。

 国分氏はまた、北京−平壌の国際列車をはじめ、外国人にはなかなか開放されないローカル線にも乗車することに成功。「本来、鉄道は軍用なので見せたがらなかったが、00年ごろから海外のツアー客を呼び込める価値を(当局が)知り、態度が軟化してきたので乗ることができた」

 「レールから何から昔のまま。電気機関車は開発された時点で時速80−90キロなのに、実際には30−40キロしか出さない」と、とにかく北の列車は遅いと強調する。保線が不完全なため、スピードを出せば脱線の危険があるからだ。

 「だから、国際列車はダイヤに余裕を持っている。中国に入ってからスピードを上げる。電気の信号がないのでタブレット(通行証)の交換をやっていたり、トラクターが引く荷台に乗って移動する人たちの姿が見えたり、日本人としてはちょっと懐かしい旅ができる」と、のどかな車窓が広がる。

 一部報道では人民が極貧生活を強いられているとされるが、「実際は中国の地方と比べて卑屈になるほど貧しい風景ではなかった。ただ、外国人が乗れるのは(半島の)西側のみ。東側はどうなっているかわからない」と話す。

 04年4月に大爆発事故が起き、駅舎ごと吹っ飛ばされた龍川(リョンチョン)駅は「援助のおかげか、きれいな白いマンションが建っていた」といい、すでに復興作業は終わっているようだ。また、「どんな小さな駅にも駅員がいた。怪しい人物が出入りしないか監視する意味があると思う。将軍様が立ち寄った駅のホームには、通常ないはずの屋根があった」といい、他の国の鉄道とはちょっと変なのも事実だ。

 中朝国境から平壌まではうまくいって所要5時間。戦前は蒸気機関車でも4時間15分というから、北の鉄道は確実に退化したことが実証された。国分氏は戦前の日本が生産した蒸気機関車が力強く貨車を引く姿をビデオに撮影し、付録DVD「北朝鮮の車窓から」に収めた。

 だが、SLは北にとって貴重な資源となる石炭を消費するため「解体されて、鉄にするため中国に売られている」ようで、国分氏が撮影したSLの映像は歴史的にも貴重なものとなるのは間違いない。 
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