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【749】変なもの探検隊 15
 乙訓の  - 07/1/27(土) 10:40 -
  
18切符の旅を楽しんだ5人は瓦町駅の変貌ぶりに驚いたようだ。ここで在りし日の路線の変化を少々解説することにしよう。とはいえ、老人は1954年以後のことしか知らないが、諸先輩の記述動員となることは、あらかじめお断りしておこう。
1.)1911(明治44)年11月18日、東讃電軌・今橋〜志度間開業。1913(大正2)年10月15日、出晴〜今橋間延長、1915年公園前〜出晴間延長。以上は地方鉄道法による。1916年12月25日、四国水力電気に吸収合併。1917年7月13日、築港前まで全通。高松市内線は軌道法による。これで屋島と官線高松駅、船便と結ばれた。開業時の車両はラジアル台車付1〜12号。高松市内線全通時に新造されたのが、変1形と称する13〜16号の4両。1形は川崎造船所兵庫工場製、変1型は長崎電軌製。変なものではなく、変形1形とされたようだ。【742】の14号は本邦初公開のものと思われ、貴重なものである。1928年には50形51〜56号を梅鉢鉄工所で新造している。
2.)1912年4月30日、高松電軌・出晴〜長尾間開業。軌道法。1形1〜5号を梅鉢鉄工所で新造。これとは別に貨物電車1両も新造。番号不明。これが【728】で紹介された31号である。翌年1形4両、貨電1両を増備している。共にシングルルーフの木造単車。
3.)1926(大正15)年、琴平電鉄・栗林公園〜滝宮間開業、1000、3000形5+5=10両新造。1927年滝宮〜琴平間、栗林公園〜高松(現瓦町)間開業、翌年制御車5000形3両新造。なぜインフレ形式、車号となったのか不明。
この時点での瓦町駅界隈の路線図をTL25号から拝借、転載する。(図1)
戦時統合で四国水力鉄道線は、讃岐電鉄として1942年4月30日分離独立。同年11月1日、琴平電鉄を中心に3社合併、高松琴平電鉄となる。1945年6月、長尾線の改軌工事が行われ、高松市内線とつなぐが、1ヵ月後の7月3日夜の空襲で高松市内は壊滅状態となり、市内線復旧の見込みがたたず、市の都市計画により築港線建設のうえ市内線廃止とした。高松築港まで単線で延びたのは1948年11月26日、1953年6月には単線並列となり志度線も築港に顔をだすようになった。この後に老人は訪ねたのだが、このような経過を辿ったことを知ったのは後の話。この時の瓦町の配線図は(図2)の通り。大人が披露してくれた電車の撮影地点は、この線上のどこかである。
バブル崩壊で琴電は会社更生法の適用を受けることになり、と共に近代化を図っているが、事の発端はJR線交差地点から築港までの高架化にある。片原町から北進、浜辺へ出てJR高松駅前につなげる計画であった。その中に瓦町駅再開発事業が組み込まれ、百貨店誘致となり高島屋、大丸が名乗りを上げた。高島屋が有力であったが、いつの間にか「そごう」となり泡を掴み損ねた。京王帝都5000(1100形)系入線時の外部塗色は「そごう」の包装紙色であり、社員は見たくもない!と言っていたが、その気持ちは良く分かる。(P43)


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