DRFC-BBS
※容量制限により削除された06年1月31日までの投稿写真を一部復活しました。詳細はこちら。
※新掲示板へ移行したため、この掲示板への投稿は受け付けておりません。

新掲示板アドレス(2008.08.03〜)
http://drfc-ob.com/wp/
左のフレームが表示されていない場合はトップページへ移動してください。

 投稿者絞り込み:   ページ移動:  
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃検索 ┃設定 ┃ホーム  
13 / 102 ページ ←次ページ前ページ→

【1414】九州だより
 K.H.生  - 08/6/9(月) 12:57 -
  
先月末に家の片付けで九州に帰っていました
この掲示板の良い点は各地の情報が入ることでしょう

日豊線小波瀬西工大前駅に運転停車中のED76。懐かしいロコ。

日豊線、新田原駅。最初の電化終点

添付画像
【DSC03610.JPG : 0.6MB】

添付画像
【DSC03612.JPG : 0.5MB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DSC03610.JPG
・サイズ : 0.6MB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DSC03612.JPG
・サイズ : 0.5MB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.7 [ja] (Macintosh; U; PPC)@softbank220017211057.bbtec.net>

【1413】CRHの旅 Part11 広州リニアメトロ4号線
 中国特派員便り  - 08/6/8(日) 23:50 -
  
地下鉄4号線は、川崎重工の技術援助により製造された、中国初めてのリニアモーター駆動式メトロ車両が走行する路線です。2編成6両は、日本で構体を製作し、中国で最終組立て製造されました。

その後、4号線用全車30編成120両が製造され、2008年12月完成予定の5号線にも45編成180両が投入されます。最高速度は、リニアメトロ車両としては、世界最高速度90km/h(運転速度は80km/h)を誇る最先端の地鉄です。

リニアモーター駆動式が採用された背景には、勾配の多い路線で、最高55‰も存在し、登坂力が必至条件だったようです。

同じ様式は、オリンピックを控える北京空港〜市内までの高速鉄道にも採用されます。こちらは、最高速度100km/hと聞いております。

中国の製造は、CRH2製造する同じ南車四方機車車両有限公司です。
川崎重工からの2つの最高鉄道技術供与を受けた南車の製造技術は、世界でも最高水準に達したろうと思います。

他国製の先頭運転席は、車内からは見えませんが、この車両は、鉄ちゃんには嬉しい仕切り中央扉にガラス窓があり、運転の様子や前方を見る事ができます。

車両長17mと短く、車幅は2800mmと一般的ですが、加速減速ともスムーズで、上下左右の揺れも少なく、乗り心地は満点です。
沿線には、大学やハイテク産業が集まる地区があり、最もふさわしい車両と言えます。

市内から3号線に乗車するには、2号線終点の万勝圍駅からの乗換えが必要です。万勝圍〜金洲は、41.3km、所要時間32分、運転間隔は8分です。広州東駅からだと、合わせて約60分の所要時間がかかりますので、途中で下車したりして、撮影される際は、丸1日必要と思って下さい。

各駅との違った趣向を凝らした駅になっていて、駅を見るのも楽しみです。全駅ともホームドア、エスカレータ、エレベータ完備のバリアフリー駅となっています。

市内は地下線を走行しますが、途中から地上に出て高架線を走行します。沿線は、まだまだ開発途中で、地鉄というより、郊外電車の感があります。

計画にはまだありませんが、終点部分では、高架部分を延伸できるようになっていますので、沿線開発が進めば、また延伸計画に入るでしょう。

4号線に乗車して、関心した事は、乗降客の安全確認です。
運転台には、運転手と車掌が同乗していて、駅に到着すると、まず車掌が降りて、ホーム上でドア開方作業を行います。続いて運転手も降りて、約15秒後にドアを閉め、2名で安全確認を行った後に、2名とも車内へともどります。

その間少し発車は遅れる事になりますが、乗降客の安全確認は、より確実に行えます。
運転時間の短縮は、高速運転で補い、駅では、乗降安全確認に十分に時間をかけて行う。

この作業のために各駅のホームの先頭車寄りには、乗客が侵入しないように安全柵が設置されています。欲を言えば、高台になっていて、前方をもっと見られたら良い。

鉄道にとって、他の何よりも最優先される“安全性”が、ATOやホームドアを含めて、第1に考慮されて徹底実行されている点は、見習うべきだと、思わずにいられませんでした。乗降客対応については、世界で最も安全な地鉄は、“広州地鉄”と申し上げて間違いありません。

終着駅では、降車客を降ろした後、一旦引き上げ線に入線して折り返す。また、混雑する駅では。2線3面のホームで、乗車と降車ホームに分けたり、京阪淀屋橋駅のように降車後に一旦ドアを閉めて、移動をしてから乗車客を乗せるなど、スムーズに乗降ができるようにしてあります。

建設計画設計の際には、各国を見て回り、徹底研究を重ねられた広州地鉄関係者の努力があったと思います。感服するというよりも模範的な地鉄と言い直さなければなりません。

全線121.3キロが開業していますが、2010年には、総延長255kmと、世界でも有数の地鉄網ができる計画です。
カナダ、ドイツ、日本の最高レベルでの車両を取り揃え、駅設備も充実した広州地鉄です。皆様も広州へお出かけの際は、是非乗車されて、ご検分してみて下さい

添付画像
【リニアメトロ.jpg : 171.8KB】

添付画像
【運転席.jpg : 206.4KB】

添付画像
【4号線.jpg : 221.7KB】

添付画像
【車内(3).jpg : 255.1KB】

添付画像
【夕暮れの金洲駅.jpg : 271.4KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : リニアメトロ.jpg
・サイズ : 171.8KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 運転席.jpg
・サイズ : 206.4KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 4号線.jpg
・サイズ : 221.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 車内(3).jpg
・サイズ : 255.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 夕暮れの金洲駅.jpg
・サイズ : 271.4KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@58-70-66-79.eonet.ne.jp>

【1412】阪大鉄道研究部部室で火災
 元祖青信号編集部  - 08/6/8(日) 18:42 -
  
ニュースによると8日午前3時ごろ阪大のBOXで火災があったそうな。
テレビではどこかのクロスシートと製作中の模型が燃えたと部員が落ち込んでいた。
コピーを貼り付けると詳しいが著作権者から了解無しにのせるなとクレームがつかぬとも限らないのでやめます。
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; InfoPath.1; .NET CLR 1.1.43...@p7103-ipbfp501kyoto.kyoto.ocn.ne.jp>

【1411】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-3
 湯口 徹  - 08/6/8(日) 14:38 -
  
IL TRENINO VERDE =サルディーニャ島「緑の列車」その3 マンダス〜イシリ

翌朝6時半起床、旧市街を1時間ほど散策後朝食=コンチネンタルの最も簡素・質実剛健なるものは、コーヒーあるいは紅茶にパンだけだが、少しマシだった。チェックアウト後空港へ。昨日未着の先達相棒のバックパックが到着している筈だが、何分ここはイタリアだから、現実に手にするまでは信用できない。

中心部は古い町並みで、やたらと一方通行―御堂筋並みに6車線なんてものもある。道を間違えて埋立地の港に出てしまい、やり直し。

バギッジオフィスには昨日の親父がおり、十数個のバッグが並べてあった。荷物あり!でいっぺんに機嫌が直り、一路マンダスを目指す。ここで略地図をご覧頂きたいが、赤線が現在運行中のTRENINO VERDE=FDS(Ferrovie della Sardegna)の鉄道線、緑線は休止=シーズンのみ運行。標準軌間の国鉄線は省略してある。

この鉄道は珍しくも軌間950mmで、ある英本(しか読めない)に本来1000mmで建設すべきところ、レール間の最短距離と、レール中心を間違えて、結果的に50mm狭くなったという話がある、と書いてあった。線路敷設終了後車両を発注する訳もなく、建設中にも貨車や機関車が働く。ヨタ話もいいとこである。

余談だが、世界最新国(1993年独立)エリトリアは、廃止済のほんのちょっとあった鉄道を白人観光客目当てに復活し、その軌間が950mmで、車両もサルディーニャそのもののブレダ製Cタンクロコにボギー客車である。てっきりサルディーニャのお古で復活したと思ったのは大間違―元来イタリアの植民地で、サ島と同じ技術で建設されていたのは、米国3フィーターのノウハウによる北海道の幌内鉄道と同様である。

またアラビアのロレンスがベドウィンをけしかけて爆破させた、旧トルコ領だった巡礼鉄道の機関車がいまだに砂に埋もれているそうだが、その軌間も950mmだそうな。

この日は日曜日で、車両基地がある街道町マンダスには人気がない。カリアリ〜マンダス・イシリの線は休日全面運休、マンダス〜アルバタックスのシーズン運行線は2往復。駅で聞いたらマンダスに宿はない、イシリならある(といったんだと思う)。ウッソォ!FDS刊行のパンフ(幸い英語だった)に出ているし、その観光案内所とはこの駅の出札だった。

駅には屋台に毛の生えた軽食堂があり、車で食事に来ている人もかなり。飯も飯だが、今夜の宿を探すべく、少し北のイシリまで行き、最初に見つけた安旅籠を前金を払って確保。晩飯も出来るというので頼んだ。

マンダスに戻り、アルバタックス行き列車の15時までにビールと食事を策したが、昼飯時を過ぎ無残にも閉店済。町を歩いたがことごとく閉まり、やっとバールを1軒見つけた。若い娘とボーイフレンドが店を閉めかけていたのを無理に入ったが、缶ビールと甘いクッキー?しかなかった。

15時マンダス発アルバタックス行に乗車。客は我々とオーストリア人鉄ちゃん2人の計4人のみ。列車は凸型BBディーゼルに客車2両、運転手、助手、車掌2人。

地図は大阪ジュンク堂でサルディーニャ全島20万1を入手しており、島ではロクな地図も得られなかった。めったやたらとカーブと勾配が連続し、沿線は時期により放牧すると見え、線路に沿いずっと柵や石積がなされている。主要な踏切には車で来たボランティア(であろう)が携帯片手に自動車を止めて列車を通し、他では列車が速度を落とし、警笛共に徐行していた。

乗客が4人ですることのない車掌はお喋りばかり。この線は景観抜群とSDR一番推奨なのだが、山間をグニャグニャと曲がり、上り続け、正直飽きてしまう。荷物がちゃんと着いていたら、初日マンダスに泊まり、8時30分発でアルバタックス着13時20分、同14時30分発で折り返し、マンダス帰着19時20分の予定だった。

それが半日遅れ、途中セウイで離合する列車で帰らねばならない。離合列車は団体でほぼ満席=日本ならさしずめ盛大な酒盛りだが、老若男女はミネラルウオーターとお菓子で、それも日本と変わらぬ盛り上がりであった。車椅子の人も何人か。

先述のように日曜日だから、マンダスに帰着しても接続列車は一切ない。皆の衆どうするのかと見ていたら、大方が迎えの車に乗って散ってしまった。すなわちこの団体はすべて地元民だったのである。我々は止めていた車でイシリに。

添付画像
【地図2.jpg : 323.1KB】

添付画像
【マンダスで.jpg : 336.7KB】

添付画像
【人気のない沿線.jpg : 345.6KB】

添付画像
【セウイでの離合.jpg : 327.0KB】

添付画像
【盛り上がる車内.jpg : 323.4KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 地図2.jpg
・サイズ : 323.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : マンダスで.jpg
・サイズ : 336.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 人気のない沿線.jpg
・サイズ : 345.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : セウイでの離合.jpg
・サイズ : 327.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 盛り上がる車内.jpg
・サイズ : 323.4KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR...@gl10-079.gl10.cilas.net>

【1410】記念写真(1)−'62EVE−
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/6/7(土) 17:39 -
  
1962(昭和37)年DRFCはEVEに参加。
展示:テーマ『鉄道』、鉄道模型運転。

期間は1962年11月25〜27日、場所は至誠館だったと思う。

写真に見える鉄道模型レイアウトがDRFCの初代作品である。製作者は厳島健一君(60商学部)と遠藤光一君(60工学部・電気)。また、製作費用一切が厳島君の個人持ちであった。2人は、あらかじめ厳島家にて製作しておき、学校に持ち込んでからは、2日間徹夜で配線し、レイアウトを完成させた。その後も幾度か活用された筈。

写真のコントロールボックスに、レイアウト概要が見える。これらは当時として相当に凄い作品で、ご覧の様に年少者から大人まで大勢の観客にも取り囲まれていた

記念写真は、成果が見えて一安心した時の顔。11月27日。

(後列右から)山下紘正(61機械)、魚住哲彦(61文学)、吉田耕司(62経済)、       中林英信(62法学)、鶴 紘明(60化学)
(前列右から)宮脇逸郎(60商学)、亀田満夫(60法学)、別所武夫(61経済)、       厳島健一(60商学)、でも何故か遠藤君が一緒に写っていません。 残念なことです。

【次回掲載予定】キハ35見学会の一コマ。

(大阪通信員さまへ)
ご希望のありましたコンパの写真などを探しましたが、生憎見つかりませんでした。何故かコンパの写真はありません。他のつまらない記念写真は山ほどにあるのですが。そんな訳で記念写真の一端を順次公開していこうと思います。

公開に差しさわりのある人はいませんよね。今のところはまともですが、その内きっと、ろくでもない写真が登場するものと思われます。どちら様もご期待ください

添付画像
【62605m.jpg : 86.2KB】

添付画像
【62606m.jpg : 74.6KB】

添付画像
【62602m.jpg : 73.9KB】

添付画像
【62603m.jpg : 86.7KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 62605m.jpg
・サイズ : 86.2KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 62606m.jpg
・サイズ : 74.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 62602m.jpg
・サイズ : 73.9KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 62603m.jpg
・サイズ : 86.7KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 2.0.50727)@ZP182079.ppp.dion.ne.jp>

【1409】CRHの旅 Part12 広州地鉄2の2
 中国特派員便り  - 08/6/7(土) 13:03 -
  
翌日は、雨が上がるのを待って、地上部を走る1号線坑口駅を目指しました。駅の西朗側に高架橋があって、ここからだと、駅員に注意されることなく撮影ができます。

ご覧のように1号線は、初期に投入されたシーメンス社製と追加のボンベルディア社製が走行しています。中国のすべての地鉄では、時刻表は設置されていませんが、3〜5分間隔で運行されています。広州市の大動脈です。

2〜4号線は全駅設置されています。1号線も殆どの駅に、ホームドアが設備され、他の未設置駅も工事が始まっています。安全面を重点に向かおうとする姿勢を見る事ができました。

乗降には、多少ロスが出ますが、日本の地下鉄にも設置されれば、転落事故で電車が止まる事もありません。是非とも設置を望みたい安全設備です。

黄沙駅で下車して、広州一の繁華街にも行ってきました。労働節初日とあって、駅から長蛇の列で向かう若者たちで道はラッシュ並みです。

目的は広州酒家の飲茶でしたが、残念ながら飲茶時間が終わっていましたので、適当な店を探して入ってみました。味は“当たり”で、サービスも良く満足できるものでした。見知らぬ土地で、美味しい料理屋を見つけるのも旅の楽しみにしています。

それでは、今回本命の4号線に向かうべきバスでの移動を試みましたが、どう聞き間違えたのか、全く反対方向に向かってしまい大弱りです。

広州は、広東語圏です。若者なら標準語(北京語)を話せますが、少し年をいった人は、広東語しか話せません。聞く相手を間違えてしまったようです。

急行バスだったので、途中の駅は無停車で、戻れるまで、貴重な撮影時間を失いました。
結局、この日は、4号線の全線乗車とロケハンにとどまり、明日帰国時間までを充てることにしました。

添付画像
【シーメンス製.jpg : 425.8KB】

添付画像
【ボンバルディア製.jpg : 402.8KB】

添付画像
【坑口→西朗.jpg : 341.5KB】

添付画像
【地下線へ向かう.jpg : 437.2KB】

添付画像
【広州の繁華街.jpg : 173.5KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : シーメンス製.jpg
・サイズ : 425.8KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : ボンバルディア製.jpg
・サイズ : 402.8KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 坑口→西朗.jpg
・サイズ : 341.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 地下線へ向かう.jpg
・サイズ : 437.2KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 広州の繁華街.jpg
・サイズ : 173.5KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@58-70-66-79.eonet.ne.jp>

【1408】少し前の東武鉄道野田線U
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/6/6(金) 23:40 -
  
引続き、昭和40年代の野田線に在籍した電車を紹介したい。今回は3200系以外の車両を紹介する。

1.モハ5456    七光台検修区   昭和43年9月16日
昭和17年日車製、デハ10系と呼ばれた戦前の日光線特急車の流れを汲むスタイルで、旧番はデハ1201形の1208、戦後の改番で現車号になった。時節柄ロングシートでスタイルも簡素化されていた。

2.モハ5461    大宮公園駅    昭和43年9月16日
昭和17年日車製、旧番はデハ1201形の1203、元は前述のモハ5456と同じグループであったが戦災で焼失、昭和23年戦災復旧車として復活した。車体はベコベコでいかにも戦災復旧車という感じであった。

3.クハ424     七光台検修区   昭和43年9月16日
昭和23年日車製で、戦後の混乱期に運輸省規格形(規格A´)で作られたが台枠、台車は中古品を流用した。昭和36年に正面に貫通扉が付けられた。

4.クハ425     七光台検修区   昭和43年9月16日
前述のクハ424と同じであるが、こちらは貫通化されずに原型を保っていた。台枠には木製車特有のトラスバーがそのまま残っていた。

5.クハ452     七光台検修区   昭和43年9月16日
元国鉄のモハ31083の戦災復旧車。車体を見た限りでは、モハ31(後のモハ11200台)そのものであり、旧車体を整備したのかと思いきや、昭和24年富士産業で新製したというから話がややこしい。

【4207】で井原 実氏が昭和45年8月2日にカラーで撮影された貴重な写真を公開されたが、nodasen1、nodasen2、ともにオール3210系のきれいな編成で、昭和30年に日光快速用としてクロスシート、クハ250と固定編成に改造したグループである。
nodasen1は先頭からモハ3236−クハ259+モハ3235−クハ258
nodasen2の車号は不明であるがモハ3230〜3233とクハ254〜257の組み合わせである。
nodasen3の貨物列車の電機は、野田線の前身、北総鉄道→総武鉄道から引継いだED3000形の3001〜3003のいずれかである。尚、ED3000形は昭和4年イングリッシュ、エレクトリック社製で、東武と合併後も引続き野田線貨物廃止まで使用されていた。

添付画像
【モハ5456@.jpg : 94.2KB】

添付画像
【モハ5461@.jpg : 86.3KB】

添付画像
【クハ424.jpg : 108.3KB】

添付画像
【クハ425.jpg : 91.6KB】

添付画像
【クハ452.jpg : 104.8KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : モハ5456@.jpg
・サイズ : 94.2KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : モハ5461@.jpg
・サイズ : 86.3KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : クハ424.jpg
・サイズ : 108.3KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : クハ425.jpg
・サイズ : 91.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : クハ452.jpg
・サイズ : 104.8KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NE...@softbank219188034030.bbtec.net>

【1407】Re:少し前の東武鉄道野田線T
 井原 実  - 08/6/6(金) 20:53 -
  
東武鉄道野田線のカラー画像をご覧にいれます。

豊春−八木崎間 昭和45年8月2日撮影

nodasen1 先頭(手前)3236

nodasen2 先頭(手前)不明

nodasen3 貨物列車 機関車は不明 最後尾はヨ140

添付画像
【nodasen1.jpg : 141.7KB】

添付画像
【nodasen2.jpg : 154.4KB】

添付画像
【nodasen3.jpg : 101.5KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : nodasen1.jpg
・サイズ : 141.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : nodasen2.jpg
・サイズ : 154.4KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : nodasen3.jpg
・サイズ : 101.5KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727)@121-87-50-60.eonet.ne.jp>

【1406】朝粥とCRH
 乙訓の老人  - 08/6/6(金) 15:52 -
  
6月15日(日)朝9時より当会中国特派員、小西啓文大先生の「中国新幹線情」
と題しての、ありがたい御講話を拝聴することが出来ます。大先生は現今の中国鉄道事情を理解している第一人者であります。当掲示板では当局をおもんばかって裏話は一切ありませんが、大先生は中国の庶民生活を経験した方ですから、どんな話が飛び出すか、とても楽しみです。当日、テレビ局の取材はお断りですから、ビデオ録画なし。今回を外しますと2度と御講話を聞く機会はありません。

会場:集酉楽(しゅう ゆう らく)電話075(561)7974 酒谷(さかたに)

場所:七条通り川端東入る南側 ファミリーマート京阪七条店2階

参加方法:電話による申し込み。〆切は6月13日。満員次第打ち止め。

会費:300円、当日会場で徴収。

日程:9時〜9時30分 講話。その後、粥を賞味しながら「おしゃべり」

終了:10時30分、居残りは自由。ビール、コーヒー、その他完備。

好評に付き、間もなく定員に届きます。お早くお申し込みください。ただし9日
(月)は定休日で受付不可。申し込みの際、クローバー会と名乗ってください。

なお会場では写真展「京都の特急」いまむかしを開催中です。
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)@p1141-ipad202kyoto.kyoto.ocn.ne.jp>

【1405】Re:尋ね人
 乙訓の老人  - 08/6/6(金) 14:35 -
  
「野本さん」とは「野本武」会員のことと思う。クローバー会会員の筈。
例年、年賀状を「大津市」の住所で頂いているように思う。
立山砂防軌道乗車を、「大津新住人」と果したことが本欄で報告されていた。
今もしぶとく生き抜いて居ると思われる。
DRFC再興の功労者である。
ニヤリとできない老人は後期を突き抜けてしまっているようである。


▼元祖青信号編集部さん:
>昭和39年頃、法学部の4年生で学生服で4年間を通した「野本さん」を同じ法学部の学生だった中林英信さんが探しておられます。
>お心当たりの方は中林さん又は事務局まで御連絡下さい。
>なお、この書き方をご覧になってある放送を思い出しニヤリとされた方は前期高齢者以上と認定いたしますので併せてお知らせ下さい。
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)@p1141-ipad202kyoto.kyoto.ocn.ne.jp>

【1404】尋ね人
 元祖青信号編集部  - 08/6/6(金) 14:14 -
  
昭和39年頃、法学部の4年生で学生服で4年間を通した「野本さん」を同じ法学部の学生だった中林英信さんが探しておられます。
お心当たりの方は中林さん又は事務局まで御連絡下さい。
なお、この書き方をご覧になってある放送を思い出しニヤリとされた方は前期高齢者以上と認定いたしますので併せてお知らせ下さい。
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)@141.39.150.220.ap.yournet.ne.jp>

【1403】34年前の香港2
 湯口 徹  - 08/6/6(金) 8:40 -
  
写真の順序を誤り、トレーラーを引く2階電車がずれ込んだ。何やら東京市が戦時中にテストしたが実用にならなかった(古いバス車体利用)代物に似ているが、香港は2階バスが主流だから、実態は知らない。ご存知の方のご教示を切望。

ヴィクトリアピークに上るケーブルカーは、現在は2両連結でやや角ばった車体だが、この時は1両で、見晴らしの良い麓側は運賃が倍の2HK$だったと記憶する。スターフェリーは今でも上階は倍の筈だ。

ともかくやたらとグネグネ曲がって長く、しかも途中に停留場があったのも印象深い。線路は3線式で、中央レールを両側の列車が共用する。通常のケーブルカーは片側が両フランジ、反対側がフランジレス車輪だが、ここは両側とも(通常の)内側フランジ=中間の離合部分に分岐がない構造なのである。

海外初体験は強烈なカルチャーショックが必然だが、やたらと積み上げた高層住宅にエレベーターがないこと、その外壁に狭いが一部屋建増しをしている(屋上から釣下した鉄骨骨組みを外からアンカーで外壁に固定)ことなど、すさまじいばかりのバイタリティに圧倒された。

添付画像
【トレーラー.jpg : 327.6KB】

添付画像
【二階電車3.jpg : 334.5KB】

添付画像
【ケーブルカー1.jpg : 320.0KB】

添付画像
【ケーブルカー2.jpg : 321.8KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : トレーラー.jpg
・サイズ : 327.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 二階電車3.jpg
・サイズ : 334.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : ケーブルカー1.jpg
・サイズ : 320.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : ケーブルカー2.jpg
・サイズ : 321.8KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR...@gl10-023.gl10.cilas.net>

【1402】CRHの旅 Part11 広州地鉄2の1
 中国特派員便り  - 08/6/5(木) 23:19 -
  
深セン地鉄、香港MTR、トラムに続いては、広州地鉄の全線乗車です。1、2号線は、以前に乗車しましたので、今回は3、4号線に重点をおきました。

深センを行きと同様にCRH1に乗車して広州東駅に向かいました。ほぼ満員です。これを見ても香港・深セン〜広州間の流動客が多いのが分かります。途中から雨が降り出し、あいにくの車窓風景となりましたが、揺れも少なく高速で快適なCRHの旅を楽しめました。

ホテルはいつものように広州東駅前を予約しました。雨が一段と強くなったのと、加齢を考慮して、しばしベットで休養のお昼寝をした後、3号線初乗車と、明日のために1号線の地上部を走行する西朗〜坑口間のロケハンに出かけました。

広州地鉄は、北京、天津、上海に次いで中国4番目の地鉄として、1996年に誕生しました。現在4路線が完成し、2010年に開催されるアジア大会を目標に急ピッチで路線延長、新路線の建設が進められています。

これは広州に限られた事ではなく、オリンピックを真近に控える北京や天津、経済発展の進む上海、大連、南京でも同様で、ようやく鉄道中心とした街つくりに方向性が向かいだしました。

つい最近までは、観光旅行は勿論、人民の自由な旅行や住所の移転居住は、認めない政策でした。鉄道といえば貨物、その殆どは石炭輸送が中心だったのですが、外資投資が認められる開放政策に転換した時点から、沿岸部に工場が立ち並び、全国から労働者が集まり大都市が構築されました。

そして、大都市間の移動にも飛行機だけでは、輸送人員に限界があり、高速鉄道建設が求められてきました。

都市内の移動にも、かっての中国と言えば、自転車が中心でしたが、新しい都市計画(中心部は、住宅地から商業地へ、住宅地は郊外へ)との転換から、一般民衆は、自転車からバス(公共汽車)へ、富裕族は自動車へと、交通手段が変わりました。そのため、広かった道路も渋滞が増えだし、地鉄、LRTや軽軌利用へとの変化が急速に求められています。

日本のように用地買い取りに何10年もかかる国ではありません。土地は国の物で私有地はありません。借地です。ここに道、公園、商業センターをつくると言えば、約1ケ月前には、壁ポスターに撤去日が公示されて、“早く転居先を探して出て行け!”です。

環境条件により、1平米当たりの公示料金が提示されます。不服があれば申請は聞かれますが、ゴネ得は許されず、遅くなれば逆に手間をかけすぎたと、値切られます。逆らっても得はなく、早く立退き料を受け取って、条件の良い住居を探すことが1番です。

四川大地震で見られたように、簡単に壊れる住宅の撤去は簡単です。私が駐在していた時も同様でした。夕方に工事が始まり、翌朝起きれば、付近一帯は更地になっていました。

鉄道と関係ない話で申し訳ありません。しかし、鉄道を建設する条件としての中国事情を説明しておきたいと思いました。

4路線の広州地鉄ですが、各路線特徴があって、中々、味のある地鉄ですので、じっくりとご報告させていただきます。
お手本は、香港MTRで、駅設備は香港と同様で、香港にいるかのようです。

まずは、広州東駅から1号線に乗車して体育西路駅で3号線に乗換えて、終点の天河客運路駅に向かいました。3号線は、最高営業速度120km/hを誇る高速地鉄です。

天河運路駅は、長距離バスのターミナルで労働節連休を郷里へ向かう労働者や学生で一杯です。車両は、シーメンス社製で車体幅2800mm、20m車の3両編成なので、求められる輸送余裕がありません。一応6両編成対応のホームとなっていますので、早めの増車が求められています。

直ぐに折り返して、万番広場駅へと向かいました。地上に上がると、混雑していた天河客運路駅がうそのような広々とした公園の中の駅です。バイクが10数台止まっていて、さかんに手招きをしています。初めは何だか分からなかったのですが、地鉄を降りた客が、何やら交渉をして、バイクに乗って行きます。

サイドカーを付けたり、バイク全体を3輪化して客室を付けた改造バイクタクシーは中国全土で見ましたが、これは改造なしにバイク後部座席に乗車するといった簡単な相乗りです。このバイクタクシーは、広州地鉄駅前のいたる所で見受けられました。

駅前付近は、まだ開発途上で、近くに喫茶店もありませんので、早々に引き揚げて、明日のロケハン地の視察に向かいました。

添付画像
【広州地鉄路線図.jpg : 179.9KB】

添付画像
【広州東駅.jpg : 404.4KB】

添付画像
【広州地鉄3号線.jpg : 273.2KB】

添付画像
【3号線終着駅.jpg : 259.8KB】

添付画像
【P1150494.jpg : 293.7KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 広州地鉄路線図.jpg
・サイズ : 179.9KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 広州東駅.jpg
・サイズ : 404.4KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 広州地鉄3号線.jpg
・サイズ : 273.2KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 3号線終着駅.jpg
・サイズ : 259.8KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : P1150494.jpg
・サイズ : 293.7KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@58-70-66-79.eonet.ne.jp>

【1401】ちょっと懐かしい台湾
 ブギウギ E-MAIL  - 08/6/5(木) 23:08 -
  
新幹線開業前の2006年、台湾を一周しました。台北ー高雄間は新幹線が開業しているので今日少し状況は変わっていることと思いますが、在来線なら特急でも乗れる環島一周切符という台湾一周できる割安な切符で台北〜台中〜高雄〜台東〜台北と特急、急行を乗り継いで廻りました。最近は日本製(日立)の電車も特急(自強号)で運用されていますが、まだまだ客車列車も多いです。基本的に客車の優等列車はモノクラス、食堂車無し、手動扉、空調付き、簡易リクライニングシート、固定窓ですが一部には一段上昇窓の古いタイプの客車もありました。乗る機会はありませんでしたが、スハ44タイプの鈍行用途の客車もありました。狭い窓割でクロスシートが並ぶ様はまさにスハ44に近似しています。それもそのはずで1970年頃に造られた日本製です。この鈍行客車は台湾に残る雑型客車として鉄道雑誌にも紹介されているのでご存知の方も多いことと思います。これらの客車群や貨車、有人改札がずらりと並ぶ様はまさにちょっと前の国鉄を彷彿とさせるもので、戦前の日本統治時代の経緯があるにせよ、車輌の形や古い駅も日本人には懐かしさを感じさせるものが多いです。台湾は日本同様に鉄道が趣味として広く認知されている地域でもあります。また行ってみたいと思います。

添付画像
【DSC_0065.jpg : 195.6KB】

添付画像
【DSC_0143.jpg : 169.5KB】

添付画像
【DSC_0194.jpg : 108.9KB】

添付画像
【DSC_0223.jpg : 205.6KB】

添付画像
【DSC_0244.jpg : 139.0KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DSC_0065.jpg
・サイズ : 195.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DSC_0143.jpg
・サイズ : 169.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DSC_0194.jpg
・サイズ : 108.9KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DSC_0223.jpg
・サイズ : 205.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DSC_0244.jpg
・サイズ : 139.0KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NE...@218.231.112.178.eo.eaccess.ne.jp>

【1400】Re:34年前の時計塔
 中国特派員便り  - 08/6/5(木) 23:08 -
  
湯口先輩、貴重な写真をありがとうございます。

いや〜、今とは全く違った九龍駅構内だったのですね。今では、立派な最新の高層ビルが立ち並んでいて、面影はありません。この時代に行っていたら、もっと感激が大きかったと思います。

ただ、2階建てのトラムだけは、一緒ですね。
京都も、N電が1部だけでも残っていたら良かったと思わずにはいられません。

是非とも京都らしいLRTが走ってほしいと思います。
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; ...@58-70-66-79.eonet.ne.jp>

  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃検索 ┃設定 ┃ホーム  
13 / 102 ページ ←次ページ前ページ→
ページ:  ┃  記事番号:   
(SS)C-BOARD v3.5.4 is Free.
掲示板についてのお問い合わせはこちら。