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【1367】懐かしの阪急210型
 ぷるぷる  - 08/5/23(金) 0:56 -
  
尼崎ホビスタでの運転会、盛会のうちに一日があっという間に終わりました。お世話いただいた岡さんをはじめ、役員の方々に感謝致したいと思います。

各人思い思いの車両を持ち込んで、建築物に接触したり脱線転覆や車軸不転、台車破損などのトラブルもあったものの、そこは模型の世界、それも楽しいトラブルで、中には一日中走りまくっていた車両もありました。

さて昨年の8月、当掲示板で「光明丹」が話題に上り、EVEの運転会の賑やかしに阪急の210型を作ったという話を書きましたが、68年度の西村雅幸さんが保管しておられ、今回思いがけなく運転会に登場しました。三十数年前に急造した三両編成は211-261-212で、211を68年度林 伸一さん、261を上記西村さん、212を私がそれぞれ分担して制作しました。基本的にペーパー車体ですが、211だけは車体の主要部分を真鍮で作ってあります。

今回、私がいったん引き取って窓ガラス入れなどリハビリを行うことにしました。写真は車番のインレタを張り替え、窓ガラスを入れたところです。ケータイで撮った写真なのでピントが甘くて見苦しいですがご笑覧ください。

ところでこの210型、雑誌に掲載された古い写真では212号車にもパンタグラフが付いていますが、私たちが現役だった頃には取り外されていたように思います。

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【1366】Re:山科クイズその2
 乙訓の老人  - 08/5/22(木) 15:05 -
  
▼湯口 徹さん:

老人もキャッチした。草津線へ回送中と、聞いたようにも思う。
梅小路で検査後、給油したのかもしれない。

キハの後につっかけ履いたにきび面がおれば、老人かもしれない。

>先回恐る恐る拙いクイズを出したら、何と何と、僅か200分後に藤本哲男氏からお答え―それも満点の―があって、老人は嬉しいやら、恐ろしい?やら。改めて当会メンバーの厚みに感心しましたぞ。思わず出た言葉「オロナイン軟膏三つ上げてください。」この意味が分かる人は間違いなく前期高齢者である。
>
>そういえば、故羽村 宏先輩は「青信号」誌にクイズばかり投稿した「大好き人間」だった。
>
>と、すっかり気をよくした老人は、すかさず第二問に。東海道本線山科大築堤(半径600m、勾配10‰)の東端、国道2号線橋梁上を走るキハ20の3連である。撮影日は失念したが1957年か58年か。
>
>草津線は蒸機時代京都始発で、京都−草津間はローカルを兼ねたC51牽引だった。1956年11月19日の東海道線電化完了で京都−草津間は電機牽引に、その後段階的にDC化されたが、列車は全て草津始発になり乗換えが必要になった。
>
>この時点裏縦貫線直通は「日本海」(急行)と各停が2本あったが、ディーゼル特急「白鳥」なんぞ想像もできなかった。すなわち山科を通るDC列車はないはずである。然るにこのキハ20の3連は如何なる列車か。諸兄の解説ないし薀蓄を披瀝されたい。
>
>なお山科大築堤はこの時点まだ花山(かさん)地区住民の京津線御陵への近道=生活道路の一面が残り、勿論国鉄は枕木で柵を作るなどして通行禁止に努めてはいたが、すぐ獣道が復活した。小生は築堤上を自転車で走ったこともある。
>
>湖西線に合わせ複々線化され、通行は完全にシャットアウト。東山随道東口の踏切も立体化され、琵琶湖疏水から下りる小道も消滅。ついでながらこの区間は戦時中に三線化=上りが線増しされたもので、建設に従事した朝鮮半島出身者が山科に集落を作って住み着き、小生の小学校時代の親友の一人もその子弟だった。
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【1365】山科クイズその2
 湯口 徹  - 08/5/22(木) 9:19 -
  
先回恐る恐る拙いクイズを出したら、何と何と、僅か200分後に藤本哲男氏からお答え―それも満点の―があって、老人は嬉しいやら、恐ろしい?やら。改めて当会メンバーの厚みに感心しましたぞ。思わず出た言葉「オロナイン軟膏三つ上げてください。」この意味が分かる人は間違いなく前期高齢者である。

そういえば、故羽村 宏先輩は「青信号」誌にクイズばかり投稿した「大好き人間」だった。

と、すっかり気をよくした老人は、すかさず第二問に。東海道本線山科大築堤(半径600m、勾配10‰)の東端、国道2号線橋梁上を走るキハ20の3連である。撮影日は失念したが1957年か58年か。

草津線は蒸機時代京都始発で、京都−草津間はローカルを兼ねたC51牽引だった。1956年11月19日の東海道線電化完了で京都−草津間は電機牽引に、その後段階的にDC化されたが、列車は全て草津始発になり乗換えが必要になった。

この時点裏縦貫線直通は「日本海」(急行)と各停が2本あったが、ディーゼル特急「白鳥」なんぞ想像もできなかった。すなわち山科を通るDC列車はないはずである。然るにこのキハ20の3連は如何なる列車か。諸兄の解説ないし薀蓄を披瀝されたい。

なお山科大築堤はこの時点まだ花山(かさん)地区住民の京津線御陵への近道=生活道路の一面が残り、勿論国鉄は枕木で柵を作るなどして通行禁止に努めてはいたが、すぐ獣道が復活した。小生は築堤上を自転車で走ったこともある。

湖西線に合わせ複々線化され、通行は完全にシャットアウト。東山随道東口の踏切も立体化され、琵琶湖疏水から下りる小道も消滅。ついでながらこの区間は戦時中に三線化=上りが線増しされたもので、建設に従事した朝鮮半島出身者が山科に集落を作って住み着き、小生の小学校時代の親友の一人もその子弟だった。

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【1364】Re:ISO1600の威力(国鉄色第四弾)
 893-2  - 08/5/22(木) 1:20 -
  
デカンショまつり号さん氏からISO1600の世界をご紹介頂きましたが
今は日の長い時期なので、その威力は日が短くなった頃に試したいと
思います。
最近の同世代の投稿を見ていると国鉄色などの無くなり行く車輌に
ノスタルジーを感じているのかそういったものが多いですね。
かく言う私も同じで学生時代に普通に走っていたものが今では
消滅もしくは風前の灯状態になっていることに気が付きそれらを
追いかけています。
時代は奇しくも、「三丁目の夕日」の映画化のヒット現象にもみられる
「昭和」を懐かしむ風潮にも符合しているように思います。
ということで、「国鉄色」では括れませんので「昭和」の鉄道を
少し・・・、
・名鉄のパノラマカー「豊橋-岐阜直通運転60周年記念号」
 名古屋鉄道本線 東岡崎−矢作
・381系しなの 中央本線 落合川−中津川
・489系はくたか 北陸本線 青海−親不知

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【1363】秩父鉄道わくわく鉄道フェスタ
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/5/21(水) 23:58 -
  
5月17日土曜日、秩父鉄道広瀬河原車両基地で毎年恒例の「わくわく鉄道フェスタ」が開催された。今年は天候に恵まれたこと(昨年、一昨年は雨)、元国鉄101系の1000形のリバイバル塗装車が展示されたこともあり、約5200人の人出で賑わった。

当日、通勤でいつも乗る金町駅7時3分発の電車で出発、この電車、平日は松戸始発であるが、土日は我孫子始発である。北千住で東武の区間急行太田行に乗換え羽生で下車。秩父鉄道といえば熊谷のイメージが強いが、常磐線沿線から秩父方面は、東武伊勢崎線羽生乗換えが速くて安い。

羽生駅は1〜4番線が東武、4番線と5番線が秩父鉄道で、4番線が東武と秩父鉄道の双方に存在し、しかも隣接している。会社が違うので間違うことはないのかも知れないが、何故このようなことになったのかというと、元々東武が1〜3番線、秩父鉄道が4、5番線を使用していた。橋上駅化した時に東武が浅草方面に副本線を設置し、1〜4番線としたのであるが、秩父鉄道の方は、4、5番の呼称を変えなかったためこのような結果になった。

リバイバル塗装が来ることを期待して3本見逃し、4本目の元都営三田線6000形の5000形に乗車。途中の東持田駅でスカイブルーと交換、もう一本待てば羽生で撮影できたが後の祭りであった。熊谷で車両基地直行の臨電に乗換えるため下車したところ、関西線色(ウグイス)が停まっていた。この編成は展示されず通常運用に入っていた。車両基地行の臨電は先程交換したスカイブルーであった。車両基地では既にカナリヤが停まっており、程なく寄居発の臨電が、中央線特快をイメージしたヘッドマークを着けて入線してきた。

103系より古い101系が第一線で活躍しているのは、誠に喜ばしいことである。冷房は両端の車両に付けられており、中間車は弱冷房ならぬ非冷房車である。たまたま昨夏、熊谷が40度を記録した日、羽生〜寄居間を乗車したが、とにかく暑く、一駅で冷房車に移動した。

写真上から
1.    4番線が並ぶ羽生駅
2.    標準色のデハ1005(元クモハ100−166)
3.    関西線色のデハ1009(元クモハ100−174)
4.    オレンジ色のデハ1011(元クモハ100−175)
5.    リバイバルカラー3色並び

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【1361】記念運転会
 ロギング太郎 E-MAIL  - 08/5/21(水) 18:55 -
  
先日は尼崎ホビダスへご参集の方々、お疲れ様でした。
 
ようやく運転風景の写真と動画をブログ化しました。
http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/44907/blog_id/62976/
にて。
但し動画は
http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Search/node/MovieSearchProcess/?search_value=%C5%B4%C6%BB%CC%CF%B7%BF&x=27&y=13
から
見て頂いた方が、やや画面が大きく精細になります。
取り急ぎ、ご連絡まで。
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【1360】変なもの探検隊20:古墳出土台車
 乙訓の老人  - 08/5/21(水) 16:58 -
  
【1297】の古墳出土の数々は興味引かれるものであった。名古屋電車製作所の広告は、京阪1号形増備車の時のもので、詳しくはピク誌をご覧あれ。天野工場のものは京津16号形のもので、詳しくは同上。その台車出土品が近江神宮前で1958年12月に見付けたのが、出土品22で、心皿がある。
さて、高松塚級のものが最先端を行ったボルスタレス台車、出土品11である。EUREKAと名付けられた1891年の特許品である。発明社はEUREKAは路面電車用で、ボギーセンターはないが、仮空の中心点は駆動軸より6吋中央寄りにに設定している。こうすることによって荷重の75%は駆動軸にかかり、牽引力を増すようにしている。ボルスターがないことにより、大きな空間が台車中央に確保され、大きな電動機と駆動装置を容易に入れることができる。
EUREKAは車体から角の操舵棒がでており、それがボギーセンターピン代用となっているようで、それを受ける角穴が出土品12にみえる。出土品13のバネ入り逆V形のものは、小車輪の脱線防止用のものらしい。これらはアムステルダムで出土されたブリル22Eである。EUREKAとは「発見の喜びの声」と言う意味だそうだ。
近江神宮前には「びわこ」分断のときの仮中間台車も出土されていた。

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【古墳出土台車22.JPG : 214.8KB】

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【古墳出土台車11.JPG : 205.4KB】

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【古墳出土台車12.JPG : 192.8KB】

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【1359】Re:上毛電鉄クハ501について
 田野城 喬  - 08/5/21(水) 12:31 -
  
藤本兄、
先日質問に答えていただいた上毛電鉄501の答えを記者さんに転送したところ次のようなお礼の記事が出ていましたのでお知らせします。

ありがとうございます。
レスポンス悪くて申し訳ありません。
まさか、あの記事に「答え」をいただけるとは。
本当にうれしい限りです。

にしても、こんなに詳しい「プロ」の方に読んでもらうなんて、うれしいやら、怖いやら。
ちょっと「温い」鉄道好きのコーナーですが、気を引き締めて行きたいと思います。

今後とも、よろしくお願いします。

ちなみに、育ったのが群馬なもんで、昔の資料写真はどうしても前橋中心になってしまいます。悪しからず。

そのうち、新前橋あたりを走る、スカ色のクハニ67あたりも紹介できたら、と思っています。
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【1358】山科クイズその1の答え
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/5/21(水) 0:06 -
  
小学校4年の時、こども会で湖南アルプスに遠足行った時の帰り、この編成に出くわし、子供心に何ちゅう編成やと思ったことがあります。

昭和32年10月1日より、快速電車の編成を基本5両から、基本6両、付属4両に組替時にモハ不足のため、付属編成5本中4本が写真のような珍編成となりました。

簡単にいうと、ラッシュ時の10連、クハ86+モハ80+サハ87+モハ80+クハ86の基本編成×2の4M6Tを、基本6+付属4とすると基本3M3T、付属2M2T、基本と付属を合わせると5M5Tとなり、Mが1両不足したため、一時的に付属編成を1M3Tとしたものであります。

この時の付属編成は以下の5本です。
@    クハ86137+クハ86310+モハ80212+クハ86122
A    クハ86045+クハ86046+モハ80213+クハ86050
B    クハ86329+モハ80322+モハ80323+クハ86328
C    クハ86119+クハ86321+モハ80209+クハ86134
D    クハ86141+クハ86317+モハ80255+クハ86142

まともな編成はBのみで、残りの4編成はクハ86を背中合わせに連結し、次のモハ80は上り側貫通路に蓋をしておりました。また、86321と86317は偶数向きに方転しております。

湯口先輩の写真では、正面に写っている車両はクハ86142と読め、前から2両目はクハ86300台の全金車ですので、Dの編成と思われます。また、これらの珍編成は12月中には解消していますが(MGの容量不足のため暖房が効かない)、写真で残されているものは非常に少なく、貴重な記録です。
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【1357】Re:運転会はおもしろかった!しかし・・・
 893-2  - 08/5/20(火) 21:45 -
  
▼田野城 喬さん:
ところでその時出会った友人と話していたら疑問が湧いてきました。どなたか教えて下さい。夜も寝られません。それは・・・

東淀川駅の京都寄り、神崎川の鉄橋を吹田方向へ渡ったところから右方向へ鉄道線路跡のような草むらが分岐しています。以前からこれが何なのか興味がありました。最近そこがきれいに整備されてどうやら方向から見て吹田を出て東海道線の上をまたいで東へ分岐した城東貨物線につながるのだなと思い出しました。最近開通した「おおさか東線」が新大阪へ入るための渡り線だろうとは察しがつきます。
疑問はこの後です。
この話をしていた某氏が東海道の旧線だと言うのです。吹田を出た旧東海道線は一旦南下して西へ向きを変えてここで現在の東海道線に接続していた跡だと言うのです。
私はそんなことを思っても見なかったのですが言われてみればそんな風にも見えなもありません。
あれはいったい何なのか、本当に東海道線はあんな風にふくらんで走っていたのか、それはなぜなのか、疑問はますます増大するばかりで今夜も眠れそうにはありません。
どうか物知りの皆様、安らかな眠りを私にください!

ご参考になるかどうかわかりませんが、
上記の内容に近いところの話が出ているサイトがありますので
URLを貼っておきます。一度見ていただければと思います。
今の阪急京都線も絡んだ話は興味深いです。
学生時代に通学の車窓から「廃線跡っぽいな。」と思っていたところが
やはり、そうだったのかと知りこの趣味の奥深さを思い知らされました。
このURL http://www2q.biglobe.ne.jp/~kodama/haisen.html
の http://www2q.biglobe.ne.jp/~kodama/tokaido1.html
です。他にも各地の廃線跡のレポートがありますので興味のある方は
一度見て下さい。(リンクをしているわけではありませんのでサイト
管理者にはお断りを入れておりません)
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【1356】山科クイズ=その1
 湯口 徹  - 08/5/20(火) 20:41 -
  
こんな写真があり、一体如何なる列車か。諸兄の適切な解説ないし薀蓄を募集する。

ヒント―撮影は1957年10月、山科駅。写り込んでいる車両は都合5両だが、画面をクリック拡大してよくよく見れば、5両中4両がクハ86(アルミサッシュの300台)であることが分かる。一体これは何であるか。回送や試運転の類ではなく、定期列車である。

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【1355】米っ子便り 現地最終版
 米っ子便り  - 08/5/20(火) 20:33 -
  
今まで、朝は快晴、でも昼からは、ヒョウや氷雨模様が続く不安定な気候ばかりで、中々撮影チャンスに恵まれませんでした。

特に雪の大山をバックの撮影は、順光は午後以降になり、撮影地に行っても雲がかかってしまったりで、中々チャンスをつかめませんでした。

そんな山陰の地にもようやく、新緑の季節がやってきました。天候も安定してきました。田植えが始まり、線路際に水田が増えてきています。

新緑の山々、若葉、水田、天候安定と撮影条件が揃ったところで、これからが絶好の活躍時期と張り切っておりましたら、突然の本社からの呼び出しで、直ぐの転勤を命じられ、ようやく土地勘のできてきた米子を去る事になりました。転勤先は地元京都です。

思い残しは、一杯あります。
木次線のトロッコ列車の乗車と撮影、9月に引退が決定しています水田を行くデハニ50、夕焼けの綺麗な宍道湖の湖畔を走る一畑電車、そして広瀬鉄道、出雲鉄道、倉吉線等々の消えた鉄道の散策。

それでも、天候を見ながら土日祭日には、撮影に励んだ日々を懐かしく振り返っております。

また、機会をつくって、深夜バスを利用して、思い残しを一つ一つ実現していきたいと思っております。

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【雪の大山とやくも.jpg : 107.7KB】

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【1354】Re:天然色で振り返る−5− 龍が森
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/5/19(月) 22:05 -
  
▼総本家・青信号特派員さん:
>その向こうに見えるのが、冬期のスキー客の宿泊用として、留置されているオハ31である。スキーシーズン以外は施錠されて利用することができないが、座席に板を渡し、そこで貸し寝袋で寝るようになっていたらしい。当時、龍ヶ森にはまったく人家がなく、こんな急ごしらえの宿泊設備でも利用客があったようだ。
>ハデな塗色であったことだけは記憶の中に残っていたが、改めてカラーで見直すと、17mダブルルーフ客車におよそ不似合いな厚化粧である。

1966(昭和41)年1月と、翌1967(昭和42)年1月の三晩客車ヒュッテに宿泊の経験があります。三段ベッドで毛布がありなかなか快適だった思い出があります。家族連れも結構宿泊していました。当時のもりてつニュースに案内があります。

当時スキー場への来場者は全員鉄道利用でした。シーズン中は盛岡方面からは直通の臨時客車列車が一往復あり、盛鉄の8600が曳いていました。一昨日は山田線で見た68622が今日の牽引だったりしました。大館からも盛岡行き客車列車が朝方到着しました。あとはディーゼル利用です。結構人が多く、乗降には随分時間がかかりました。『全員乗せてくださいね』表題の大阪通信員さんの作品が一昨年のDRFC写真展にありました。

1967年宿泊の時に、現在の大阪通信員さん、池田市のYさん二人と偶然、駅南方の撮影現場で出会いました。その後客車ヒュッテで食事をしました。その時のカラー写真がありますが、不幸にも顔の部分が傷んでいますので、掲載をあきらめました。モノクロは無傷でこちらの写真はHPに掲載済みです。

お陰様で40年前の感傷に浸っています。

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【1353】運転会はおもしろかった!しかし・・・
 田野城 喬  - 08/5/19(月) 18:22 -
  
昨日の大運転会はおもしろかった!
仕事と重なったため途中のひとときだけ出席しましたが、あんな大舞台で走れば模型たちも大喜びだったでしょう。
準備下さった幹事の方々、ご苦労様でした。

ところでその時出会った友人と話していたら疑問が湧いてきました。どなたか教えて下さい。夜も寝られません。それは・・・

東淀川駅の京都寄り、神崎川の鉄橋を吹田方向へ渡ったところから右方向へ鉄道線路跡のような草むらが分岐しています。以前からこれが何なのか興味がありました。最近そこがきれいに整備されてどうやら方向から見て吹田を出て東海道線の上をまたいで東へ分岐した城東貨物線につながるのだなと思い出しました。最近開通した「おおさか東線」が新大阪へ入るための渡り線だろうとは察しがつきます。
疑問はこの後です。
この話をしていた某氏が東海道の旧線だと言うのです。吹田を出た旧東海道線は一旦南下して西へ向きを変えてここで現在の東海道線に接続していた跡だと言うのです。
私はそんなことを思っても見なかったのですが言われてみればそんな風にも見えなくもありません。
あれはいったい何なのか、本当に東海道線はあんな風にふくらんで走っていたのか、それはなぜなのか、疑問はますます増大するばかりで今夜も眠れそうにはありません。
どうか物知りの皆様、安らかな眠りを私にください!
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【1352】Re:天然色で振り返る−4− ゆうづる
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/5/18(日) 8:54 -
  
▼総本家・青信号特派員さん:
>「ゆうづる」は、昭和40年10月改正で生まれた上野〜青森間の寝台特急。昭和42年までC62牽引で話題となったが、これは常磐線の仙台〜平間のこと、東北本線の非電化区間は、誕生当時からDD51重連牽引で、

DD51重連牽引の、客5レ 『ゆうづる』です。生まれて3カ月後の頃です。
乙供−千曳間、1965(昭和40)年12月30日。
時刻は午前8時を過ぎているが、まだ光の弱い高原の中でした。

下図は、同年10月1日改正、盛岡鉄道管理局発行ダイアグラムの部分です。

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