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【1230】謹告:乙訓の老人情報
 元祖青信号編集部  - 08/3/30(日) 10:33 -
  
愛読者の皆様に謹んでご報告申し上げます。
乙訓の老人の投稿が少なくなったことに対して編集部へ問い合わせや脅迫メールが殺到して作業に支障を来しております。急遽担当者に見に行かしましたところご懸念のような事件・事故の形跡はなく至って健康に過ごしておられました。
某会員から投げ込まれた写真や資料の分析が忙しいとぼやいておられまして皆様のご心配(期待?)が杞憂だったことをご報告いたします。
決して投稿方法が分からなかったり忘れてしまってエラーが出たと言うことではありませんのでご安心下さい。
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【1229】Re:老人の友 その1 外道ですみません
 ぷるぷる  - 08/3/29(土) 23:14 -
  
▼総本家・青信号編集部さん:
>乙訓の老人様、この写真で薀蓄を一言。

懐かしさのあまり割り込ませていただきます。

この駅は京福電鉄北野線の終点であった北野駅ですね。右京区御室育ちの私は小一(昭和28年)から市内の学校まで電車通学を始めました。その頃、北野線は白梅町で市電西大路線と平面交差し、今出川通りを専用軌道で数百メートル東進していたのです。

駅を出ると道(御前通り)を挟んで向こう側には北野天満宮の杜が広がっていました。100m程で杜を抜けると中立売り通りで、通りに面して一の鳥居があり、N電の下の森とかいう電停がありました。N電は北進すると程なく今出川通りを渡って終点北野。南進すると中立売通りはすぐに左に折れて東西の通りとなり、北野車庫前です。

私は嵐電と市電の定期券を購入するため、時々北野まで乗ったり、京都駅前から帰宅するときなどはN電と嵐電を乗り継ぐこともあり、また北野商店街への買い物について行くときなど、この駅を結構利用していました。

構内は結構ゆったりしており、島式ホーム(だったかなー?)の2線に加え、別途貨物線のようなものが1線あり、時折濃緑一色の電動貨車(フモ501)が止まっているのを見かけました。

小3の頃だったと思うのですが、残念なことに千本今出川から少しずつ西進してきた市電今出川線が最後に残った区間、紙屋川橋〜白梅町間を開通させるとき、嵐電は北野〜白梅町間を廃止し、現在の北野白梅町駅が建てられました。写真を見ると駅本屋右側に謹告と読める立て看板が写っていますが、ひょっとすると同区間廃止の予告看板かも知れませんね。

いやー懐かしいですね。小一の頃、白梅町から自宅の最寄り駅の妙心寺駅まで小児定期運賃は1ヶ月90円だったと記憶しています。
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【1228】老人の友 その1
 総本家・青信号編集部  - 08/3/29(土) 15:37 -
  
乙訓の老人様、この写真で薀蓄を一言。

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【北野駅.JPG : 1.2MB】
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【1227】写真展のお知らせ
 田野城 喬  - 08/3/28(金) 12:20 -
  
このホームページを私事に使わせていただき誠に申し訳ないのですがお許し下さい。

私(我が社)が加盟している「京都写真材料商業組合:略称PPK」が昨年フォトギャラリーを開設しました。オープン記念イベントに顧問をしていただいている民主党の前原誠司衆議院議員に「SL写真展」をしていただいたところ大人気で多くの入場者がありました。
その時に私がDRFCのOBだと知れたので理事長から2匹目のドジョウではありませんが加盟店舗のお客さんの中からSL写真を募って作品展をしようと誘われました。もちろんDRFCのOBとして受けねば男が立ちません。しかし私には作品など無いので福田君にお願いして佐竹さんと小西君にご協力をお願いしましたところ快く引き受けて下さいました。イベント列車より現役時代の写真がいいので白黒が中心になると思われますが小西君には中国のSLを出してもらいましたのでこれはカラーです。
お忙しいでしょうがぜひぜひご来駕下さい。

日時:4月4日(金曜日)〜6日(日曜日)13時〜19時
場所は http://ppk.to.cx/gallery/ をご参照下さい。
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【1226】455系電車
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/3/28(金) 0:29 -
  
【1223】で、元祖青信号編集部より「455系電車 さよなら運転」についての書込みがあった。かつて首都圏と東北地方を結び、多くの人々に愛され親しまれた交直流急行形電車が終焉を迎えたことは、時代の流れとはいえ大変残念でならない。さよなら運転が仙山線と東北本線仙台〜郡山間で行われたと報じられているが、個人的には、元の急行塗装で上野〜仙台間の急行「まつしま」のリバイバル運転を実施してもらいたかった。しかし、俄かファンの殺到による混乱を考えると今回のような形が精一杯だったのかも知れない。何はともあれ、我々の世代にとって馴染みの深い車両が姿を消したことは一抹の寂しさを覚える次第である。私が東京に引越した昭和58年には、既に急行列車の運用から退き、東北本線黒磯以北、磐越西線、常磐線水戸以北のローカル用となっており、青春18切符で乗車することも多かったが、往年の健脚振りは変わらなかった。

1.クハ455−202+モハ454−202+クモハ455−202 S60.8.14 黒磯
 453系のクハ451−25+モハ453−20+クモハ453−20(昭和38年製)を455系に車種統一のために昭和53年に改造した車両である。この当時は未だ旧塗装であった。

2.クモハ455−34+モハ454−34+クハ455−609 H3.8.10 本宮
 クモハとモハは昭和41年日立製である。昭和61年から実施された近郊化改造により出入口付近の座席がロングになった。

3.クハ455−609   H3.8.10 本宮
 昭和60年、サロ165−124に運転台を取付けた車両。黒磯駅で115系から乗換時、この車が見えたので急いで乗車したところリクライニングシートが通常の直角シートに取替えられおりガッカリした思い出がある。但しシートピッチは通常より幾分広かった。

4.クロハ455−1+モハ454−40+クモハ455−40  H4.3.23 会津若松
  平成2年、磐越西線にグリーン車を連結するため、クハ455−44の前位に回転リクライニングシートを設置してグリーン室に改造、普通席も簡易リクライニングシートにして座席指定車として運用した。平成11年にグリーン車としての運用はなくなったが、座席等はそのままで普通車として使用された。

5.クモハ417−1+モハ416−1+クハ416−1     H3.8.10 白石
 昭和53年、仙台地区に投入された近郊型で3両編成5本が作られた。交直両用車であるが、直流区間での営業運転実績はない。車齢、車体構造等から455系より長く活躍すると思われていたが、昨年7月定期運用から離脱した。

「日本の蒸気動車(下)」P39の隣の車両の件、加藤製作所を特徴付ける2列のリベット、扉の位置等から直感的に岡山臨港鉄道キハ3002の前身だと思ったのですが、湯口先輩のご指摘通り特定できないと言うより、間違っております。改めてRM LIBRARY No80 「中国鉄道の気動車とその行方」(高井薫平さん執筆)で検証の結果、キハユニ100でほぼ間違いないと思いました。決め手は客扉のステップです。RM LIBRARYに掲載されている写真及び形式図を見ますと、キハ二140は前から荷物扉、客扉と並び、客扉にステップがあります。それに対し、キハユニ100は前から荷物扉、郵便扉と並び、ステップがありません。キハ二140はほぼ原形のまま岡山臨港鉄道で使用されていたのでよく知っていたのですが、キハユニ100は戦後島原鉄道に行き、郵便扉の閉鎖等、車体の改造が行われた後の姿しか知らなかったため判りませんでした。

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【クハ455-202.jpg : 105.7KB】

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【1225】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-17
 湯口 徹  - 08/3/25(火) 17:30 -
  
TPC=Transports Publics du Chablais その2=AL

ALとは起点終点の地名頭文字である。前回は例により粗忽振りを発揮し、2コマ目と3コマ目の写真を入れ間違えた。もう1コマCFF(スイス国鉄略号のフランス語表示)エイグル駅のTPC3線の新駅風景をご覧頂く。撮影時点(2007年7月)ではまだ工事が完了しておらず、CFF本屋前は掘り返し中だった。

左にチラリと覗くのがCFF、右に赤と白の電車がAOMC、青とクリームがASD、そのバックに見える茶色の屋根がCFFエイグル駅本屋で、右側の茶色電車ががAL。

ALは先回記したようにエイグルの町を抜け山に突き当たった途端アブト式のラック区間になる。車輌はごく常識的な、と思ったら何とマキシムトラクション台車をはいた新しい(でしょうな)電車もあった。

前回もエイグル旧市内の狭いメインストリートを抜ける電車をご覧いただいたが、今回の縦構図もほぼ同じ場所。実は我々3人が3連泊したホテルの部屋の窓からの撮影である。狭い道路がメインストリートで、右側の車はペンキで区画されたスペースに合法駐車中。1台だけは黄色の×印だからこれは違反=我らがホテルの入口である。

5コマ目にエイグルの地図を。下部黒の複線がCFF、その下部が新市域である。上から下りてくる赤点線の左がAL、右がASDで、両者は駅前でつながっているようだが、実際は山側からAL、ASD、国鉄線に最も近いのがAOMC。改造前まではAOMCは路面を走って町に到り、ASDと平面交叉して駅前入りしており、そのレールが残っていた。

ところで大分以前(2月16日アップ[1166])で、かつてスイス名物だった国私鉄をまたいでも即日届いた荷物託送システム=チッキが昨今すっかり形骸化したと記した。ところが重澤旦那から正確ではないとご注意を受け、そのご教示に沿い、謹んで訂正させていただく。

2005年5月以降、従前の Reise Gepack システムは Baggage Switerland と改名し、19時までに託せば翌々日9時にピックアップ可能(1個10スイスフラン)に。要はサービスダウンで、取扱う駅やバスステーション等もめっきり減っている筈である。

新たに Fast Baggage 制度が出来、これは従前通り9時までに託せば当日18時以降目的地で受け取れる。ただし1個20スイスフランと料金倍増である。当然だが駅員がいない駅には駄目で、システムは残存とはいえ世知辛くなった。

なおドイツ、オーストリー、フランスとスイス間ではBaggage International 制度が生き、荷物が託送できるが1個30スイスフランというから、サービスは有難いがお金もかかり、そうおいそれとは使えない。

しかも長距離列車はともかく、[1166]で書いたように電車は次第に低床車が増え、そうでなくとも手荷物搭載スペースが消えていく。託送荷物も現実にはトラック輸送に切り替わりつつあるように思え、利用が不便なようにしていずれは消えるのではなかろうか。自転車の車内持込みはヨーロッパの伝統として続くと思うが。

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【マキシム電車.jpg : 198.0KB】

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【1224】さようなら、381系『快速通勤ライナー』
 米っ子便り  - 08/3/24(月) 20:26 -
  
3月10日、青春18切符帰途を利用して、初めて『快速通勤ラーナー』に、出雲市駅から乗車しました。乗車前からホームは、長蛇の列で、特にグリーン車は人気でした。

乗客の多くは、松江に向かう通勤客、宍道までにほぼ100%の乗車率です。時間帯も良く人気の高さが分かりました。

久しぶりに車内で新聞をひろげる乗客を見ましたが、松江からは、約50%の乗車率です。厳しい山陰を走る鉄道の現状も見ました。

3月15日、米子のTV各局で、急行銀河の大阪最終到着のニュースが大々的に放映されていました。

しかし、ここでは、昨日朝になくなった山陰最高のサービスを誇る381系快速通勤ライナーは、報道される事もなく静かに消えました。

最終編成です。米子方面から
クモハ381-144+モハ380-66+サロ391-31+モハ391-69+モハ380-69+クモハ381-144

大勢の鉄道マニアに見送られた急行銀河と違って、米子駅から出雲市駅への回送で見送るのは、私一人でした。『ご苦労さん! さようなら!』と、声をあげて山陰最高の普通列車に手をふりました。

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【1223】455系電車 さよなら運転
 元祖青信号編集部  - 08/3/22(土) 17:34 -
  
455系電車 JR仙山線でさよなら運転

 昭和38年のデビュー以来、主に急行電車として東北地方などで活躍してきた「455系電車」が引退することになり、JR仙山線で22日、さよなら運転が行われた。引退は3月15日のダイヤ改正に伴うもので、山形駅は約300人の鉄道ファンでにぎわった。

 455系は交流区間と直流区間の両方を走れる電車として登場。JR東北線の仙台−上野間の急行などとして使われてきた。昭和57年の東北新幹線開通後は、普通電車としての運転が多くなり、最近は2編成がJR磐越西線を中心に走行してきた。

 さよなら運転に伴い、山形駅で駅員が花笠音頭を披露。ホームでは子どもたちが車両に「さよなら」と声を掛けていた。山形県天童市の小学4年生、花輪佳月君(10)は「いすが少し座りづらいけど、面白い電車です」と話していた。

 455系は23日にもJR東北線の仙台−郡山間でさよなら運転を行い、その後、廃車となる。

産経イザ!より転載 17:24更新
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【1222】穴があったら入りたい
 湯口 徹  - 08/3/21(金) 9:24 -
  
[1221]藤本哲男氏から、拙著「日本の蒸気動車(下)」17頁中国鉄道キハ1キャプションに「省電は?」と書いた右端に写り込んだ車輌について、中国キハニ140では、とのご指摘が。エエッ!と改めて見直すと、何と台車が菱枠ではないか。

ため息と共に冷汗滝の如く。何たる無様か。この写真は鉄道ファン編集長だった宮田寛之氏から頂戴したものだが、蒸気動車は何度かルーペで見ながら、右の車輌は一見して省電であろう。恐らく撮影は吹田工場?かと思い込んで検討もしないまま。

開け放たれた前扉の向うにもう1個扉が見える。お恥ずかしいなんてもんじゃない。侍なら切腹物の大ポカである。幸か不幸か湯口一族は大昔が猿は共通していても、由緒や経歴など不確かな百姓→平民だが。

とまあ恥じ入るばかり。改めてルーペを当てると、彼の車輌は車体裾リベットが2列で、加藤車輛製作所製であることは間違いないが、キハ140とは特定しにくい。キハニ110も同様だからだが、それにしても一言もない。最近山ほどあるTVでの責任者お詫び会見並みに、深く頭を下げるのみである。

それにしても思い込みは恐ろしい。小生元来の粗忽は自覚しているが、正直これほどとは思わなかった。他山の石どころではない。藤本氏よ、よくぞご指摘下さった。かいた恥はそそぎようがないが、今後再びかような大ポカ(小ポカは別にして)をしないよう努めます。
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【1221】少し前の名鉄美濃町線(2)
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/3/21(金) 0:49 -
  
今回は、モ510形とモ520形について話を進めたい。実は私自身、両形式については、不明な部分が多々あり、皆様のお力をお借りしながら解決できれば思っている。

少々古い資料であるが、美濃町線の昭和36年10月31日の配置は次の通りである。
形 式   車 番    製造年   製造所    旧車番等     旧形式
モ500  501~504  大正10年 名古屋電車  美濃電BD501~504 (BD500)
モ510  511~515  大正15年 日本車両   美濃電セミボ511~515 (セミボ511)
モ520  521~526  大正12年 日本車両   美濃電BD505~510 (BD505)
モ530  531・532  大正12年 梅鉢鉄工所  三重交通モ501・502
      533    大正13年 梅鉢鉄工所  三重交通モ504
モ570  571~573  昭和25年 日本車両 

 モ510形は大正15年製、モ520形は大正12年製で、製造年の新しいモ510形の方が番号が若いのは、上の表からお判りいただけると思うが、モ500形とモ510形は旧車番を生かし、旧BD505形(505〜510)をモ520形としたからである。

モ510形
元美濃電のセミボ510形(511〜515)のグループで、形式のセミボはセミスチールボギー車の意味である。大正15年から平成17年まで実に80年に亘り、ほぼ原型保ちながら活躍した稀に見る長寿車両であった。趣味誌(鉄ピク1986年12月名鉄特集等)には「昭和42年市内線・揖斐線直通運転開始時にHL化改造を行った」と記述されているものが多いが、実際には美濃町線時代にラッシュ時に連結運転するため、512〜514の4両は昭和37年に既に改造されていた。また、座席の転換クロス化も当初は514、515の2両で、511〜513は、511のHL化と共に翌年の昭和43年に実施されている。モ512が旧美濃駅に、モ513が岐阜市内の金公園に、モ514が旧谷汲駅に保存されている。

モ520形
元美濃電BD505形(505〜510)のグループで、形式のBDのBはボギー車、Dはデッカー社の電装品の意味である。車体は木製で、昭和39年から40年にかけて車体に鉄板を張りニセスチール化されている。こちらも趣味誌には「昭和42年市内線・揖斐線直通運転開始時にモ510形と連結するため改造を行った」と記述されているものが多いが、改造はモ510より多少遅れて昭和43年であったと思う。また、モ510形より1両多かったため、トップナンバーのモ521は、揖斐線直通改造を受けることなく昭和44年10月に廃車となっている。直通改造に当り、トラス棒が撤去されたのには少々驚いた。そのせいか末期頃の写真を見ると何となく車体が反っているように見える。昭和63年に廃車となり、平成までは持たなかった。廃車後モ524〜526の3両は静岡市内の焼肉店に売却され、モ524とモ525は前頭部のみ店の看板代わりに、モ526は原型のまま物置代わりに使用されながら展示されていたが、閉店と共に解体されてしまった。

昭和47年頃、モ510形とモ520形の美濃町線から揖斐線直通車に改造されるまでの過程を時系列にまとめたことがあるが、その時の資料が見当たらず、適当に書いた部分があり、詳細をご存知の方は是非補足をお願いしたい。

写真は上から
1.モ515(美濃町線時代) 昭和39年6月24日  新岐阜
 この時点で既に連結器、ジャンパー線が取り付けられ、HL化されている。
2.モ515(揖斐線直通改造後) 昭和48年1月21日 岐阜駅前
 正面窓のサッシ化とジャンパー線受けの取り付けが実施されている。また、床下機器の配置に変化が見られる。
3.モ523(美濃町線時代) 昭和42年7月23日  徹明町
 徹明町で発車待ちの美濃行き。この時点ではまだ田神〜競輪場前間の田神線が開通していないため、名古屋方面から美濃方面に行く場合、新名古屋で市内線に乗換え、更に徹明町で乗換える必要があった。
4.モ525(美濃町線時代) 昭和39年6月24日  徹明町
 徹明町で発車待ちの北一色行き。
5.モ525(揖斐線直通改造後) 昭和48年1月21日 岐阜駅前
 揖斐線直通改造時に窓のサッシ化が行われ、揖斐側の運転台にHLのマスコンが設置された。また、トラス棒がバッサリ切り落とされた。この時点では、市内線区間は単行で運行され、忠節で分割併合が行われていた。

【1211】の写真撮影年月日が一部間違っておりましたのでお詫びの上訂正いたします。
 モ12、モ34の写真(誤)昭和44年7月23日→(正)昭和42年7月23日

話は変わりますが、湯口先輩の「日本の蒸気動車」(下)私も読ませていただいております。
その中で、P17の中国鉄道キハ1のキャプションの「右側の省電は?」とありますが、台車、窓配置から判断すると、後に岡山臨鉄道のキハ3002となったキハ二140ではないでしょうか。

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【1220】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-16
 湯口 徹  - 08/3/20(木) 20:07 -
  
TPC=Transports Publics du Chablais その1

要領を得た地図がなく、エイグルの町の観光地図を入れておくが少々見難い。まずエイグルという小さな町はレマン湖の東端モントルーからSBB、いやフランス語圏だからCFFで5駅目、南=少し東寄りに約15km。駅前の広場にAL(Aigle-Leysin)、ASO(Aigle-Sepey-Diablerets)、AOMC(Aigle-Ollon-Monthey-Champery)の3私鉄が終結し、つい先頃まで広場での路面乗降が有名だった。

その3私鉄は現在も略号は同じ、かつすべてメーターゲージだが、現在はエイグルから更に8kmほど南のベーから発するBVB(Bex-Villars-Bretaye)を加えた4私鉄とバスを糾合し、TPRなる公共セクターになっている。

その上エイグル駅前が大改装され、駅前広場の南側に3線を移し、低いがプラットホームも作られるなど、かなり大規模な工事が行われている。街中の路面併用区間も一部付け替えられていた。

地図で赤丸に白抜きで2〜5、12とあるのがエイグル駅。ここから黒い実線が2本上に伸びており、その左側がすぐ点線になる。点線はラック区間を表しており、これが終点のLeysinまで続く。すぐ右側のASDは終点Diableretsまで、最急60‰。

AOMCはCFFに添い、一旦離れてOllonに寄った後CFFを越え、Montheyの町に。その終点の一つ手前で分岐し、シュトルプ式ラック区間を2回経てChampery(挿入の地図からは外れている)まで。

いかにもスイスらしいのは、ALは1500V、勾配も最急230‰に達する。ASDも1500Vだがラック区間はなく、AOMCは850Vで部分シュトルプ式、最急135‰。BVBは700Vと半端で部分アブト、最急勾配200‰。しかも連結器が夫々異なり、お互い乗り入れ等は出来ないし、その必要もない。

2コマ目は新設の「エイグル発着場」で左側茶色の電車がAL。次の青いのがASD、その右にちらりと見える赤と白の電車がAOMCである。3コマ目では左の茶色、青とカボチャ色がAL、その向うの青色がASD、そのもう一つ向うの赤いのがAOMC。

エイグルの旧市街を行く電車は茶色だからAL。きちんと一列に並んでいる自動車は白線で区画した合法駐車スペースに駐車中である。こんな狭い道路でも駐車が認められているのは日本では考えられまい。

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【1219】あかつきなは、銀河
 ブギウギ E-MAIL  - 08/3/20(木) 11:33 -
  
85年度車両班高橋です。先の投稿でロクイチ先輩が私のことをブギウギとかかれましたが、現役時代、落書のペンネームでブギウギを使っていましたので復活させていただきます。
 あかつきなは、銀河の最終日の様子はテレビで観ましたが、社会現象化したその喧騒めがけて行くパワーはありませんでしたので、私は最後の週、吹田−東淀川間(南吹田1丁目)で出勤前、写真を撮りました。名撮影地ではないので、他のカメラマンに気を遣うこともなく、いたって静かに撮影することができました。かつてその場所で彗星、明星、ゆのくに、雲仙、鷲羽など向日町回送も含め多彩な列車を撮影したものです。きたぐにもまだ12系+10系PCでした。そのきたぐにがまだ急行寝台で健在なのはうれしいことです。写真のようにその場所は現在高い柵がとりつけられ撮り難くなり、周りの田畑も殆どなくなりましたが、この場所もおおさか東線が延伸されればまた様相を大きく変えることでしょう。

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【1218】懐かしい九州の旅(Re:初めまして)
 K.H.生(弘津 興太郎)  - 08/3/20(木) 10:03 -
  
西村政幸様、初めまして。私が初めてお名前を伺ったのは
九州の小倉でTMSを読んでいた高校時代ですから、あれから
もう30年になります。
大学のクラブに入り、湯口さんが先輩と知り感激したり
佐竹さんとOBになってから親しくさせていただいたり、
「たった4年」がその後の人生の財産になり久しいです。

ネットという舞台の上ですが、西村様の名前を拝見してつい
嬉しく、書き込ませていただきました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

          ◇

写真は特に自慢するようなものでもありませんが、
1990年の8月15日に下りのムーンライト高知+山陽で西下、
広島で始発の各停乗り継ぎ、岩国から食堂車リニューアルなった
あさかぜに「立席特急券」で小倉まで乗車、九州に帰省して
近郊を家内に案内した際に写したものです。

1は岡山駅の深夜、「高知」と「山陽」が分割するところ
2は岩国でEF66引く「あさかぜ」を初めて写す
3は博多駅、上りの「あさかぜ」入線する華やかな時間帯。
向かいホームにはキハ58系の急行「由布」特急格上げ前の姿
4は雨の桂川、篠栗線回りで小倉に戻ったのでしょう。
キハ66+67が筑豊の主力の時代、駅にはSL時代の匂いが濃厚に
残っていました。

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【1217】写真展・朝粥と中国新幹線情報
 乙訓の老人 E-MAIL  - 08/3/20(木) 9:48 -
  
島国から大陸へ脱出を図るべしか、伯耆国で一人っ子となりコレステロール値が気になり、悩んでいるであろう特派員が、朝粥の会に登場します。
掲示板【900】で紹介された「朝粥食べておシャベリ会」から特派員に赤羽の矢が飛んできた。北京オリンピックに合わせ中国鉄道事情について30分、御講演いただきたいとの話。時は本年6月15日(日)午前9時、拝聴料300円(朝粥及び漬物など含む)当日徴収。会場:集酉楽サカタニ2階ギャラリー(京阪七条駅下車)東へ数百歩南側、コンビニ2階。拝聴申込受付は乙訓の老人まで、締切6月9日。拝聴希望者はEメール、携帯090−3654−8224、FAX075(211)8231で好評受付中。
この朝粥会に合わせ集酉楽サカタニ・ギャラリーで写真展「京都の特急」をクローバー会有志が開催します。京都に出入りする代表的な特急列車を集合させます。
もちろん山科の人間国宝の作品も展示されます。昨年6月の写真展同様、この一景も受け付けますが、老人は新幹線100系がダブルデッカーであることが分かる
一景を求めています。写真班の方よ、フィルムを点検して下さい。反応がないときは白羽の矢が飛ぶかも……。
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【1215】初めまして
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/3/19(水) 21:58 -
  
初めて掲示板に投稿します。京都を離れて30年以上が経ち、すっかり広島県人です。年々鉄分が薄れて 鉄道とは違うジャンルで余暇を過ごしていますが、やっぱり鉄道が終生の趣味であることを改めて感じています。これからもときどき掲示板に顔を出しますので よろしくお願いします。
 初顔のご挨拶代わりに写真を3枚添付します。 さてここはどこでしょうか?

1.広電555と新幹線確認車が仲良く並んでいます。
2.見慣れないこの車両は?
3.あやしげな車体が草むらに。

ここは私の住んでいる三原市の三菱重工の構内です。
1.広電555は廃車されたはずですが 健在です。三菱三原は糸崎駅の近くにあ  り、かつて蒸気機関車から始まり DL,EL,PCを生産していましたが、  今は糸崎ではなく、糸崎の対岸 和田沖工場で車両を生産しています。通常   車両工場はJRか私鉄にレールがつながっていて、完成車両はレール上を発送  されるものですが、和田沖工場の試運転線は外部とつながっていません。
   最近では国内向けには 広電のグリーンムーバーMAXなど低床路面電車を  製作し、JR新幹線用の特殊車両なども送り出しています。そのための試運転  線が工場の奥にあり 付近の道路からも離れていて まず目に触れることはあ  りません。なぜか広電555はこの試運転線上におります。
2.この車両はUAE アラブ首長国連邦ドバイ向けの無人地下鉄車両です。
  輸出車両は構内の岸壁からそのまま船積みされることが多く、目にすることが
  ありません。国内向け車両は低床トレーラーに積まれて、交通量の減った夜間  に出荷されることが多いです。
3.この色あせた車体は かつて1988年に開かれた「さいたま博」で会場内を  走ったリムトレインというリニアモーターカーの試作車両と思われます。ずい  ぶん長い間 工場敷地の片隅に放置されています。

ということで 多分皆様にはおなじみのない車両をご紹介しました。
当地へお越しの節は ご一報下さい。糸崎構内にあるC5776(三原製ではなく神戸製ですが)と日本セメント糸崎にいたDB機とあわせて ご案内致します。

5月の尼崎での運転会には是非参加しようと思っています。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。それまでには 何とか○○○○を完成しなくっちゃ。

今宵は届いたばかりの 湯口大先輩著「日本の蒸気動車 下巻」をじっくりと読みながら眠りにつきます。

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