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【1214】2008年春 青春18切符の旅 2の1
 米っ子便り  - 08/3/18(火) 20:18 -
  
青春18切符の旅の第2回は、餘部鉄橋を立ち寄っての京都までの行程です。

米子8:39(鳥取ライナー)→10:14鳥取11:10→11:53浜坂12:24→12:38餘部(撮影)13:31→15:03豊岡15:07→15:40和田山15:46→16:42寺前16:47→17:30姫路17:57(新快速)→19:16高槻19:20→19:29長岡京   今回は2列車増えて、9列車の乗継です。

帰路は、3月14日で消える381系『通勤快速ライナー』に乗車するために夜行バスでJR出雲市駅着としました。

夜行バスの切符を購入に行きますと残席は2席のみと言われました。数多くのブルートレインが廃止に至った背景には、高速道路整備による安価な夜行高速バスの存在があったと実感しました。

鳥取では、56分もの乗継時間ありましたので、駅前の魚市場に行ってお土産と道中の酒のあての物色です。丁度、美味しい肝が入った大きな『はげ』、ぴちぴちはねる『甘エビ』と、見た目は悪いのですが、甘エビと同様に美味しい『どろエビ』を購入しました。

車中での昼食は、名物駅弁『カニ寿司』と決めていましたが、これは、紅ずわい蟹を浜ゆでして冷凍解凍されたカニ肉が寿司飯にのっているだけです。この時期は、もっと美味しい脱皮した若松葉蟹があります。これをご飯にのっけた方が美味いに決まっています。たっぷりと、足が入ったボイル仕立てを購入しました。

鉄ちゃんが、一般人には理解しがたいように、グルメに興味のない方にはご理解いただけないと思いますが、私は乗継時間を利用して、駅近くの市場に寄って地場の食料を買って、車中で食べることが大好きです。特に山陰線沿線にはそんな所が一杯あります。

春到来の餘部鉄橋を見ながら、撮影までの待ち時間に一杯やりながらと、思っていましたら、写真の通り、鉄ちゃんのみならず撮影ツアー客までいて、とんでもない状況です。

JR社員も2名が勤務していて、次は何時何分に何が来るかとの説明にもやってきます。まさに観光地でした。
好天なら夕刻までの撮影準備もしておりましたが、これでは食事もできません。予定通りの列車で退散することにしました。

しかし、13:31の2両編成のDCが着くと、唖然としました。さっき来た列車はガラガラでしたのに200%以上もの超満員です。荷物もあったので最後に押し込みながら乗車しました。

車内は、蒸し風呂状態です。餘部鉄橋に乗車するツアーが組み込まれていて、乗客の多くは老人達です。香住駅に着くなり『救急車を呼んで下さい!!』との悲鳴が聞こえました。 

ツアー客が降りたガラガラの車内には、70過ぎの男性が白い顔で横たわっていました。直ぐに蟹を冷やしておいた氷を提供しました結果、救急車が来るころには、顔色が戻り安心しました。

多分、桜が満開となる頃には、こういったツアー客多数も列車に乗ります。行かれる方は気を付けて下さい。
肝心の餘部鉄橋の様子ですが、養生の柵が設置されていて以前のようには撮影できません。お含みの上、撮影にのぞんで下さい。

米っ子も桜満開の時期に再度訪れる予定です。大岩駅の桜並木も関西線の笠置駅以上に見事です。若桜鉄道も再訪したい所です。4月初旬前後は大忙しになりそうです。

姫路駅では、全国一と思っています美味しい駅そばを久しぶりに堪能しました。

添付画像
【米子駅スタート3420D.jpg : 396.0KB】

添付画像
【鳥取→浜坂→餘部.jpg : 368.8KB】

添付画像
【JR餘部駅.jpg : 384.1KB】

添付画像
【餘部鉄橋171D.jpg : 368.2KB】

添付画像
【はまかぜ1号.jpg : 331.8KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 米子駅スタート3420D.jpg
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【1213】2008年春 青春18切符の旅 2の2
 米っ子便り  - 08/3/18(火) 20:14 -
  
追加の写真です。

添付画像
【餘部撮影地と174D車内.jpg : 411.1KB】

添付画像
【440Mと1238D.jpg : 299.1KB】

添付画像
【寺前→姫路 5652M.jpg : 327.0KB】
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・名前 : 餘部撮影地と174D車内.jpg
・サイズ : 411.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
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【1212】Re:少し前の「すこし前」岐阜市内線
 893-2  - 08/3/17(月) 23:46 -
  
湯口大先輩より下記投稿がありびっくりしてしまいました。
先年の写真展の際は最も若輩の私にも気軽に声を掛けていただき
ありがとうございました。

一つお尋ねが。[1201]の893-2さま。読み間違えであれば誠心誠意お詫び致しますが、これは「ヤクザの兄さん」とお読みするのでしょうか。

これには、以下のようないわれがあります。(だったと思いますので
もし修正があればご指摘願います)
私が入会した82年当時4回生だった79年度の旅行班の方に
割と過激な発言と言葉遣いをされるペンネーム「893」と
おっしゃる方がおられました。
私は、生まれも育ちも大阪市内の南部でほぼ河内といわれる
ところでありました。当時、車のナンバープレートは日本で
一番交通マナーの良いといわれた「泉」ナンバーの範囲であり
昔「三菱銀行猟銃立てこもり事件」の犯人は私の家から100m
くらいのところに住んでいました。(いまでも住んでいたマンションは
健在です)また、家の近くの銭湯には体に絵を描いた人がいつ行っても
入浴している環境に育ったために、私にとっては通常の言葉遣いをしても
他の品の良いところで育った皆様には、かなりの怖い人に見えたようです。
その上、当時のメガネは度付きの偏光レンズで紫外線が当たると
レンズが黒くなるものであったので余計にイカツク見えたようです。
そこで、誰からともなく「893」2世ということになり私の適当な
性格がとどめを刺して「それやったらええか。」と受け入れたことで
めでたく「893」2世を襲名することになりました。
個人的には結構気に入っており、40歳を越えたいまでもこのペンネームを
使い続けています。
ところで、先日の投稿のなかで1名昔のペンネームと異なる方がおります。
それは「ロクイチ」氏であります。当時は「コロコロ」と名乗っていた筈
ですが・・・。謂れはそのうち本人から語ってもらいたいと思います。
こんなものでご勘弁いただけますでしょうか?
一応、当時の私の白黒写真を貼っておきます。先輩の真似をしたわけでは
ありませんが84年9月に行った狩勝峠の新線です。
他は惜別の「あかつき」「なは」と20系「銀河」です。
下手ですがご笑覧ください。

添付画像
【IMG_0012.jpg : 207.9KB】

添付画像
【IMG_0108.jpg : 229.3KB】

添付画像
【IMG_0059.jpg : 250.8KB】

添付画像
【IMG_0007.jpg : 244.5KB】
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・名前 : IMG_0012.jpg
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・名前 : IMG_0059.jpg
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【1211】少し前の名鉄岐阜市内線(2)
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/3/15(土) 23:44 -
  
【1207】「少し前の名鉄岐阜市内線」で単車最終日について書いた処、早速湯口先輩より、昭和32年頃の貴重な画像を公開戴いたので、前回同様判る範囲で解説したい。

モ20
元瀬戸電気鉄道テ1形の23〜27のグループで、大正8年京都の丹羽工場製である。名鉄合併後モ20形21〜25となり、昭和24年に25が20に改番された。元はオープンデッキで扉は後付けである。モ23は昭和35年に岡崎市内線に転属し、昭和37年同線の廃止と共に廃車、残りの車両も昭和38年までに廃車となった。ちなみに写真のモ20は昭和34年4月に廃車となっている。

モ27、モ28
揖斐線の前身、岐北軽便鉄道が大正3年3月忠節〜北方間開業時に日本車両で製作した3〜6のグループである。大正10年11月美濃電に合併、名鉄合併後モ15形を経て、モ25形となった。昭和38年までに廃車となった。湯口先輩が撮影された時点でもオープンデッキであるが、その後、廃車時までの間に扉が取り付けられたどうかは把握していないので、ご存知の方よろしくお願いします。

モ65
岐阜市内線の戦災車をモ50形として、昭和21年から22年に名古屋造船所で車体を新製したグループで50〜66の17が在籍した。昭和29年から35年にかけて岡崎市内線に転属し、同線廃止後と共に廃車となった。

モ70
【1161】「少し前の名鉄美濃町線」のモ71と同一グループで、元瀬戸電気鉄道テ1形の17〜22として、大正2年4月名古屋電車製作所製である。名鉄合併後モ10形14〜19を経て、昭和24年の改番でモ70形70〜75となった。廃車はモ74のみ昭和38年8月、その他の車両は昭和39年10月であった。

ここから本題に入る。
「単車の最終日であったから勉強を抜け出して撮影に行ったのだろう」と思われている方がおられるようであるが、それは間違いで、当時は現在ほど情報網が発達しておらず、地域の情報は地元に知合いでもいない限り仕入れることは難しかった。偶然とはいえ、訪れた日が最終日というのは、宝くじに当たったような気持ちであった。

最終日に在籍していた単車は下記の通りである。
形 式  車番     両数   製造年   製造所    旧所属 
モ1   3       1    明治44年  天野工場   美濃電
モ10 10〜12・14・16 5    大正3年  名古屋電車  美濃電
    17・19     2    大正7年  名古屋電車  美濃電
モ30 30〜34     5    大正9年  名古屋電車  瀬戸電
モ35 39       1    大正9年  名古屋電車  美濃電

ボギー車及び北陸鉄道からの転入車については次回以降とし、前回に引き続き
単車の写真をご覧戴きたい。
上から
1.モ12  昭和44年7月23日  岐阜駅前
2.モ19  昭和39年6月24日  長住町車庫
3.モ34  昭和44年7月23日  岐阜駅前
4.モ39  昭和39年6月24日  岐阜駅前
5.モ72  昭和39年6月24日  長住町車庫

添付画像
【モ12.jpg : 104.3KB】

添付画像
【モ19.jpg : 96.8KB】

添付画像
【モ34.jpg : 108.5KB】

添付画像
【モ39.jpg : 80.1KB】

添付画像
【モ72.jpg : 108.3KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : モ12.jpg
・サイズ : 104.3KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : モ19.jpg
・サイズ : 96.8KB

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・名前 : モ34.jpg
・サイズ : 108.5KB

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・サイズ : 80.1KB

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・名前 : モ72.jpg
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【1210】少し前の「すこし前」岐阜市内線
 湯口 徹  - 08/3/15(土) 10:34 -
  
[1207]藤本哲男氏の「少し前の名鉄岐阜市内線」で3、10、17、33、554号が紹介された。小生もその「少し前」にほんの「ひと覗き」しただけだが、重複する外側引き戸/戸袋を設けた〜10を外し、20以降のみをご覧頂こう。

すぐ反応するのはまだ許されるとしても、同じヒマ老人が投稿し続けるのは極めて感心しない(自分で書き込み、自分で非難して世話はないが)。そこでだが、かの筆マメな乙訓老人は昨今如何あらせられるのか。丸々1か月以上の音信不通ではないか。玉置宏でも1週間だった(意味が分かる人は相当の年配である)。コタツにもぐりこんでばかだとボケまっせ!。老人よ!パソコンに触るべし!

一つお尋ねが。[1201]の893-2さま。読み間違えであれば誠心誠意お詫び致しますが、これは「ヤクザの兄さん」とお読みするのでしょうか。

添付画像
【岐阜市内線20.jpg : 199.5KB】

添付画像
【岐阜市内線27.jpg : 192.5KB】

添付画像
【岐阜市内線28.jpg : 189.5KB】

添付画像
【岐阜市内線65.jpg : 197.8KB】

添付画像
【岐阜市内線70.jpg : 199.3KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 岐阜市内線20.jpg
・サイズ : 199.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 岐阜市内線27.jpg
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・名前 : 岐阜市内線28.jpg
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・名前 : 岐阜市内線65.jpg
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・名前 : 岐阜市内線70.jpg
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【1209】Re:おじさんの集まり
 ロクイチ  - 08/3/14(金) 0:29 -
  
2月の3連休に「ヴギウギ」氏に誘われて「なは」号で島原鉄道を訪ね、0系新幹線でクローバー会員諸氏と親交を深めて来て以来、「撮り鉄」の血が再び騒ぎ出してとうとうデジタル一眼レフ一式を購入してしまいました。(購入に際して、「米手作市」氏、「893−2」氏、「ヴギウギ」氏等、当クローバー会メンバーの皆さんにもいろいろとアドバイス等を頂き、鉄道写真向きのデジタル一眼をコスト・パフォーマンスの最適値で購入でき、改めてクローバー会の有難さをしみじみと感じることが出来ました。感謝!感謝!です。)

今回のデジタル一眼のカメラ購入後の感想は、IS(手ぶれ補正)・AF両機能、大容量CF、ズームレンズの性能向上等々、とても楽しくストレスなく写真を撮る環境が出来ていることに対して目から鱗・浦島太郎の想い一入です。丁度、良い時期に本格的な鉄道写真の趣味が復活出来たと正直感じております。(改めて手許にあるポジ等を調べたところ2001年3月のノルウェー国王夫妻と天皇皇后両陛下が御乗用になったお召列車の撮影以来、本格的な撮影行に出かけて居ませんでした。実に7年ぶりの鉄道写真復活です。そういえば、このときも「893−2」氏、「デカンショ祭り号」氏、85年度T氏たちと蒲田駅前でお召し列車撮影後の宴を昼間からビール片手に愉しんだことを思い出しました。)
 
デジタル一眼の購入のキッカケを作ってくれたのはEF5861(ロクイチ)の現役引退の情報でした。先月27日に品川から田端へ向けて久しぶりにロクイチが(最後になるかもしれない)本線走行を行うと言うメールを友人から受け取り、それではと、かつての鉄道写真仲間の皆さん達にいろいろと最新カメラ事情のアドバイスをもらってカメラの購入をしたのが先月24日。その帰途、折角の機会だからと思い二日後の26日発の寝台急行「銀河」の寝台券を購入(マスコミが騒ぐのでどれだけ大変か?と思いましたが、実際はガラガラ、乗車しても下段がサラッと埋まる程度で、静かに寝台急行の旅を楽しむことが出来ました。上りの場合、普通のサラリーマンなら大阪発の夜行をどうしても使わなければならない状況では「サンライズEXP.」を使うのが順当なところなのでしょうね。)して、東京まで出かけて威風堂々と走行する『ロクイチ』の艶で姿を無事にカメラに収めることが出来ました。当日原宿駅では、お昼休みの時間をずらして、カメラ片手に出かけてきた「ヴギウギ」氏同期の(前出の)T氏ともしばしの語らいを愉しむことが出来ました。

閑話休題
 さて、今回の撮影行は、同期の「デカンショ祭り号」氏から「(その)銀河号の3月7日東京発の(週末プレミアム)チケットを手に入れることが出来たのでどこかに鉄チャンに出かけませんか?」とのメールが届いたのがキッカケです。日和見会(82年度生の同期会)のメンバー数人に声をかけたところ、「893−2」氏は二つ返事で、一期下の「松柏」氏に声をかけてくれ、それではと言うことで中小私鉄フリークの「銀ちゃん」氏に声をかけましたが「生憎当日は予定が入っており、とても残念!次回は是非とも!!」とのお返事でした。是非ともまたの機会にご同行できることを楽しみにしています。
 
8日当日は、「デカンショ祭り号」氏夫妻乗車の「銀河」を山科駅東端で、その後京都駅西端で「あかつき・なは」号を青信号57号の表紙の「DRFC30周年号」と同じアングルで迎え撃ち、JRで大阪駅へ。阪急梅田駅で3複線の列車撮影中の「デカンショ祭り号」氏と落ち合い、「893−2」氏が車で待っている西宮北口へ。

久しぶりに4人が一堂に集まりましたが、それはDRFC仲間の有り難いところで、学生時代と同じノリで早速、一路播但線へ「はまかぜ」号の撮影に向かうことに。当日の夕方に宝塚で解散するまでの「893−2」氏の素晴らしいエスコート(撮影地へのガイド&運転手役)振りには非常に頭が下がる思いです。晴天とも相まってとても有意義な一日でお互いの旧交を暖め合うことが出来たのは、氏のレポートにあるとおりです。(各人のボケ・ツッコミの様子も学生時代のままで、とても楽しい撮影行でした。すっかりDRFC現役時代に戻ったかのようで、皆一気に(一部の方の御髪を除き、笑)若返ったようです。)
「忙中閑あり」、忙しい時ほどこのような趣味三昧でリフレッシュする集まりの有難さをひしひしと感じる今日この頃です。また、機会があれば是非とも次回の撮影行を楽しみたいモノです。

追伸:当方のパソコンから写真を添付して投稿が出来ない状況でしたので、管理人Jr.氏にいろいろとお世話になり投稿させていただきました。ありがとうございます。

添付画像
【銀河@山科駅.jpg : 103.5KB】

添付画像
【あかつき&なは@京都駅.jpg : 157.1KB】

添付画像
【姫新線ローカル.jpg : 98.8KB】

添付画像
【石野駅@三木鉄道.jpg : 74.7KB】

添付画像
【ロイヤルエンジン@原宿.jpg : 141.5KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 銀河@山科駅.jpg
・サイズ : 103.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : あかつき&なは@京都駅.jpg
・サイズ : 157.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 姫新線ローカル.jpg
・サイズ : 98.8KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 石野駅@三木鉄道.jpg
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【1208】通勤の車窓 今昔 −4−
 総本家・青信号特派員  - 08/3/13(木) 22:09 -
  
◎天神橋筋六丁目
通称“天六”である。現在は阪急千里線と大阪市交堺筋線が接続する地下駅となって、両社の電車がここから相互乗り入れする。駅の管理は市交側が行っており、駅ホームの内装や表示類もすべて市交スタイルになっている(写真1)。写真の電車は河原町まで直通していた「堺筋快速急行」。夕方3本のみの運転だったが、昨年3月の改正でこの長い種別も消え、「河原町」の行き先もなくなった。現在は準急茨木市行きとなっている。
地下鉄堺筋線ができる昭和44年までは、地上の阪急天神橋駅が終端駅だった。大正15年、新京阪鉄道によって造られた天神橋駅ビルは、日本で初めてのターミナルビルで、電車は高架の2階から出入りする画期的な建築だった。その駅が天神橋筋と都島通の交差部に天六阪急ビルとして今も残っている(写真2)。外部は改装されているものの、茶系の外装が当時の面影を残している。現在、1階は阪急系列のスーパーマーケットになって当時の面影はないが、2階へ回る階段などは駅があった当時のままだという。外部から見える遺構としては、ビルの北側に2階駐車場への入り口があり、かつての高架駅への進入路に当たる場所である(写真3)。

特派員には天神橋駅の思い出はない。団塊世代が“天六”と聞いて思い出すのは、昭和45年4月8日に起こった地下鉄谷町線の工事中に起こったガス爆発事故だろう。その前月から開催された大阪万博に浮かれ、桜も咲いて、世は昭和元禄の真っ只中。特派員も現役の3回生でわが世の春を謳歌していた。そんななか、地下鉄工事でガス管が損傷して大量のガスが洩れ、そこへ来たガス会社のパトロールカーから引火、大爆発が起こって多数の死傷者が出た。現在の谷町線ホームの東端当たりがその現場である。これが契機となって危険を伴うオープンカット工法は回避され、シールド工法が多用されることになる。
事故が起こったのが夕方6時前のことだった。家にカラーテレビが来てまもない頃だったと記憶している。テレビの画面に映し出される真っ赤な火柱がすさまじく、さすがはカラーテレビだと感心したものだ。
それから少し時代が下って、昭和50年には天六から野田阪神まで結んでいた阪神電鉄の軌道線、北大阪線が廃止された。大阪市電はすでに廃止されているのに、なぜこんなところに路面電車が生き続けていたのか不思議なくらいだった。廃止の間際は、何度も天六まで行き、歩いて中津、野田へと向かった。
当時の終着風景(写真4)と約30余年後の現在(写真5)を比較してみた。背後の天六ビルに大きな変化はないが、道路が拡幅され家並みが一変した。天六の西側地域は大阪には珍しい非戦災地域で、当時は古い家並みが残っていた。今行くと、取り壊されて拡幅されたうえ、すっかりビル街になっていた。鉄道も変わるが、街並みも変わって行くのである。

添付画像
【写真1 天六ホーム.jpg : 124.7KB】

添付画像
【写真2 現在の旧駅.jpg : 274.7KB】

添付画像
【写真3 高架ホーム跡.jpg : 214.5KB】

添付画像
【写真4 阪神軌道線.jpg : 167.6KB】

添付画像
【写真5 上と同一地点.jpg : 326.0KB】
引用なし
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・名前 : 写真1 天六ホーム.jpg
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[添付]〜添付ファイル〜
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【1207】少し前の名鉄岐阜市内線
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/3/13(木) 21:57 -
  
 昭和42年7月23日のことである。私と山川氏は同一学部、同一学科、同一専攻で同じ学問を勉強していた。彦根市内のお寺で、前日より2泊3日勉強会が開催されていた。気が付けば2人は勉強会を抜け出し、上り電車の乗客となっていた。私の目的は、近鉄養老線と名鉄岐阜市内線、山川氏は、名鉄「たかやま号」と国鉄キハ90の撮影であった。

大垣で近鉄養老線に乗換え、次の西大垣で下りた。普段見慣れている京都線、奈良線、大阪線とは全く毛色の異なる電車にビックリしながら検車区の事務所へ。来意を告げると助役氏が「毎年2人くらい写真を撮りにくる人がいる。今年はあんたらが初めてや」とのこと。丁度ラッシュ明けの車両交換の時間帯であったため、約1時間でいろんな種類の電車が撮影できた。それにしても、元伊勢電鉄、養老鉄道、吉野鉄道引継ぎ車がゴチャマゼに連結されているのには恐れ入った。

すっかり気を良くして次の目的地、岐阜に向かった。市内線の単車に装飾看板が付いており「のびゆく岐阜にふさわしく、7月24日から全電車を大型ボギー車に」とのこと。と言うことは、今日は単車の最終日、滑り込みセーフであった。40分程撮影後、新岐阜駅からパノラマ特急で金山橋へ。次々にやってくる電車を撮影、「たかやま号」も無事撮影することができた。新名古屋に戻り、近鉄に乗って2つ目の黄金駅で下車。山川氏の今回の最大の目的、キハ90撮影のために名古屋機関区へ。ところがあいにくキハ90の姿は無く、聞けば試運転に出ているとのこと。名古屋駅の到着時刻を教えていただき、急ぎUターン。その前に名古屋工場入場待ちの有田鉄道キハ250が機関区の外れに停められていたので撮影した。名古屋駅で試運転から戻ってきたキハ90を撮影し、彦根に戻った。夕食の時間には早いので近江鉄道の車庫を覘くと、東急から購入し、整備を終えたばかりのモハ201+サハ101+モハ202(元東急モハ3151+サハ3101+モハ3152)が停まっていた。ゴミ処理場に捨てられていた、サハ3101の木製の車内プレートは、今も山川家の家宝として大切に保管されている筈である。その日の夜と翌日は、多分しっかり勉強したと思う。

写真は上から
1.モ3 
明治44年1月天野工場製で、美濃電気軌道開業時に12両作られた。美濃電気軌道時代の形式はD1形で、名岐鉄道を経て名鉄合併後モ1形となった。もとはオープンデッキで、扉は後付けのため外吊りとなっている。岐阜の人は、昭和42年まで、わざわざ明治村まで行かなくても明治の電車に乗れた訳である。
2.モ10
大正3年9月に12両増備された車両で車体は名古屋電車製作所製。2両が戦災で、復旧時にモ50形となったため、10両がモ10形(10〜19)となった。扉は最初から付いていた。
3.モ17
上記のモ10と同じグループで、装飾電車となっていた。
4.モ33
瀬戸線の前身、瀬戸電気鉄道(通称瀬戸電)の車両で大正9年名古屋電車製作所製。瀬戸電時代の形式、車号はテ1形No.28〜32で名鉄合併後モ30形30〜34となった。
5.モ554
岐阜市内線の伊奈波通〜長良北町間は急曲線の存在により、ボギー車の入線ができず、長らく明治、大正時代に作られた単車で運行されていたが、車両の老朽化、輸送力増強のため、昭和42年2月に廃止になった北陸鉄道金沢市内線の車両が導入されることになった。こちらは元々車体幅が狭かったため、問題なく入線が可能であった。単車と比べると格段に大きいものの、決して大型車ではない。
モ554は、昭和25年近畿車輛で作られたモハ2001〜2010のグループで、全車名鉄に転入し、一躍岐阜市内線本線の主力となった。北陸鉄道からの転入車については、別の機会に解説したい。

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【1206】狩勝峠で危うく遭難しかけた若者の話その2
 湯口 徹  - 08/3/13(木) 13:01 -
  
ともかくせっせと狩勝随道が穿つ山を上った。2m以上の積雪は硬く締り、ゴム長がせいぜい10cmほど沈む程度で、その山自体そんなに高くないから、まあ楽勝か。ところが上りきって十勝側になると情勢がガラッと変った。

トンネルを越えると天候が一変するのは常識だが、この日は幸い天候変化はなかった。ただ積雪の硬さが全く違い、十勝側は雪がゆるんでいたからさあ大変。片足踏込むたびに腰のあたりまで沈み込む。手を使ってやっと這い上がるようにして次の足を踏込むとまた同じ繰り返し。雪の中を泳ぐ、とは「八甲田山死の徘徊」の表現だが、雪の深さこそ浅くともその通りであった。

それでもその奮闘中はまだよかった。突然クレパスと思しきところにズボッとはまり込んだのである。何が何だか分からないまま、気が付けば雪の中に完全に埋まっていた。雪がそれほど深くなく、緩みきらずある程度硬かったのも幸いし、窒息には到らなかった。しばらくぼんやりとした後、体を動かしてみたが怪我もないようだし、回りの雪もそう硬くない。

恐る恐る見上げると、雪穴の上にぽっかり青空が見えるではないか。天気が良かったのが最大の幸運で、これも新島襄の助力(校祖墓参に行っておけばよかった)であろう。気を取り直し、右、左と、交互に段を切り、少しずつ這い上がっていった。

何十分を要したか、単純極まる肉体作業を繰り返し、首から胸から全身雪まみれ、汗まみれでともかく穴からは脱出できた。と、汽笛が聞こえるではないか。あわててバッグからカメラを取り出しシャッターを切ったのが最初の挿入「狩勝峠1」である。

トンネルの上を越す時は、電線・電柱をガイドにする。何分場所探しなどの余裕皆無だから、電線がばっちり写りこんでおよそ他人様のご覧に供するものではないが、小生には「生還直後」の思いで尽きぬカットである。

列車の時間は狩勝信号場で上り下りとも調べていた。次の列車までしばらくあり、列車本数が少ないのを幸い、まずは服やゴム長の中に入り込み、体温で解けかけたり、反対にカチカチになった雪退治を懸命に展開。足だけが冷え切っていたと記憶する。

それから十分注意し、といってもあたり一面の雪で高低差など消えて平たくなっている斜面をそろりそろりと下りる。線路に到達した時は本当にホッとした。急に空腹を覚え、バッグにあったコッペパンをかじったが、不味かった。

本日最大のお目当ては釧路発函館行418レである。快晴で見通し抜群、Y2フィルターの効果でバックに雄阿寒、雌阿寒がバッチリ(画面右上)写っており、本務機C5744、補機D51、客車13両であった。この時の写真は鉄道ピクトリアル141号(1963年2月号=C55、C57特集)で見開きに採用された。

後の列車はオマケのようなもので、狩勝峠と記した立札を入れた下り(勾配も)列車などを撮りながら新内まで歩く。途中で線路班の3人連れに出会ったが、彼らは学校で小使、いや校務員さんが時間の合図に鳴らすハンドベルを、親父=熊除けに鳴らし続けていた。雪解け時は熊が冬眠から醒め、空腹だから一番危険だと教えられ、正直ゾッとしたことであった。

と、これで話は終わりだが、かようなことは家族にもついぞ話したことがなく、両親も倅がそんな経験をしたなど知らぬまま逝った。確かに若気の至りではあったが、就職後の「暁に祈る」や「サンパチ豪雪」では、万一を予想して単独行はせず、かつビバーグも想定した装備や食料の携帯を欠かしていないのは、万事これが原体験になっている。

1966年新狩勝随道の開通で根室本線は従前のはるか下で分水嶺を抜けるようになり、日本三大車窓の絶景は視野範囲を減じ、新内駅も廃止された。1981年には石勝線が開通し、滝川−新得間は根室本線の名は残っても完全なローカル線に。札幌方面とはトマム・夕張経由に切り替り、距離・時間とも大幅に短縮した。

廃線後新得−新内間が2軸貨車の競合脱線実験線に使われたのも記憶に新しいが、貨物大撤退で2軸貨車そのものが消え去った。かつての狩勝への一帯にはゴルフ場が出現しているが、熊は出ないのだろうか。

最後に、この一連のネガは富士フイルムだから、小生が「鎌鼬」(かまいたち)と名づけた、富士のこの時期独特のフイルムベース劣化をしている。6コマのネガが長さで10mm、幅で2mmぐらい縮み、ボッテリと膨らみ、それだけでなく画面全体に無数の傷のようなものが発生していて、アナログでは救いようがない。

この時は天気が良かったからネオパンでも幸いFを使ったため劣化程度は比較的ましで、SSでは壊滅的な被害である。こうなる前に猛烈な酢酸臭が出たが、その時点で富士フイルムが適切なアドバイスをしていれば、紙焼きするなど救いようもあった。然るに富士は企業防衛を優先してだんまりを続け、日本中計り知れない貴重な映像が失われたのである。

ネガを見る気もせず長年放置してきたが、今回思い立ってデジタル修正を試みた。以前鶴氏からも投稿があったが、小生の場合脱脂綿にフイルムクリーナーを含ませ、先ずはフイルム表面に発生しているものを極力こそぎ落とす。これは文字通り力任せだから、自分のネガでなければ怖くて出来ないだろうが、この効果も一時的で、すぐ元の木阿弥になる。

それから後はフォトショップの出番だが、何とか修正が可能なものと、絶望的なものがある。今回でも約半分はあきらめざるを得なかったし、これがSSだとキズの如きに加え青い輪のようなものが表面に発生し、これはどうにもならない。

以前にも何度も記したが、かような悲劇は1950年代半ば数年間のフジフイルム、中でも35mmのSSに集中して発生しており、他メーカーでは皆無である。フイルム製造会社が製品に何年間「法律的」責任があるのかは別にして、世界的メーカーに成長した富士フイルムに、生涯付きまとう汚点であることは間違いない。製品の欠陥よりも、それに対する無作為のために。

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【1205】3月12日
 大阪通信員  - 08/3/12(水) 22:42 -
  
奈良市二月堂のお水取りが12日の夜クライマックスを迎えます。
大阪では、「お水取り」と「相撲取り」で、もうすぐ春ですねぇ〜。
お水取りの水は、若狭の小浜が水源とされ、はるばる流れて奈良で
湧き出るといわれています。
小浜線のある若狭は、原発が多く懐が豊かのようです。小浜線の電化に
あたって125系(両運)、湖西線の永原と近江塩津の間の直流化では
521系(二両固定)と、何かあると新造車をおごってもらえるようです。
でも北陸線はまだ懐かしの電車が現役です。
また琵琶湖若狭湾快速鉄道早期実現という運動がおこなわれています。
小浜線上中駅と湖西線近江今津駅を結ぶ鉄道を敷こうというもので、
できると小浜京都間は55分で往来できるとのことです。さすが電力
会社も応援だめでしょう。今はそこをJRバスが走ってます。

さて、15日はもうすぐです。ハンガーは序の口、ヘッドマークまで
盗まれた寝台列車もあと少し。大阪ひがし線・島本駅・須磨海浜公園駅
・はりま勝原駅と新線・新駅の開業も楽しみです。須磨には、当会所属の
おじんのお一人がおられますが、海浜公園駅はお役に立つのでしょうか。

画像1 小浜はまれに見る接戦の大統領予備選挙を勝手に応援しています。

画像2 寺の参道を横切る125系。すぐ三扉化できるようにしてます。

画像3 むかしの急行、いまの新快速播州赤穂行き。

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【1204】No.15 JR因美線・那岐駅舎内に診療所
 米っ子便り  - 08/3/12(水) 21:19 -
  
本日の日本海新聞に注目すべき記事が掲載されていました。
表題は、『駅舎内に診療所 お年寄り患者に粋な計らい』です。

鳥取・岡山県境の那岐山への入り口として多くの登山客に利用されている鳥取県智頭町のJR因美線・那岐駅。一九三二年の開通時に建設された風格ある駅舎に十一日、「那岐診療所」の看板が取り付けられた。駅舎内に診療所が併設されるのは珍しく、鉄道関係者も「聞いたことがない。全国初ではないか」と話している。

診療所を開設したのは智頭病院(智頭町智頭、浜崎尚文院長)。同病院の外来患者のうち、那岐地区の高齢者の比率が高いことから、綾木諭事業管理者が「わざわざ智頭まで来てもらわなくても」と開設を思い立った。

那岐駅から智頭駅方面に向かう列車は一日にわずか九本。五時間待たなければ列車に乗れない時間帯もあるという。

当初は同地区内にあった旧診療所の建物に目を付けたが、閉鎖から二十年近くが経過。その間、まったくの手付かず状態だったため、老朽化が激しく、断念せざるを得なかった。

旧診療所に代わって白羽の矢が立ったのが、デイサービスセンターとしても利用されていた那岐駅舎。住民とも相談し、岡野一広医師が毎月二回、第二、第四火曜日に診察を行うことになった。

開所式では織田洋智頭町長が「地域の皆さんに近いところで医療を行いたいという思いが実った。健康で長生きすることを目指して、診療所を利用してほしい」とあいさつ。開所式に駆けつけた同町野原の無職、栗田光治さん(83)は「これまでも地区住民の集まりなどに駅舎を利用してきたが、今後は医療の拠点としてたくさんの人に利用してもらえると思う」と話し、喜びもひとしおのようだった。

以上、日本海新聞記事より引用

何と、心温まることです。駅舎の上に病院があるのは都会の駅では、よくありますが、ローカル線の片田舎の駅がレストラン、郵便局、スーパーになった事は聞きますが、診療所になるとは初めてでしょう。

特に高齢化社会が進行している山間部等でこんな風に有効利用される事は、非常に素晴らしい事です。2番目、3番目の駅利用が出てきて欲しいものです。

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【1203】No.14 2008年春 青春18切符の旅
 米っ子便り  - 08/3/12(水) 21:01 -
  
早春3月1日と言えば青春18切符使用開始日です。いろいろとプランを練ってみました結果、雪景色の残る木次線と復旧なった三江線の乗車を目指しました。

米子発10:21→11:14宍道11:18→13:55備後落合13:58→15:11三次16:56→18:24浜原19:01→20:54江津21:06→22:44出雲市22:46→23:57米子着。
7列車を乗り継いでの13時間半強の鈍行列車の旅を決行しました。

宍道からの木次線乗客は同業者ばかり20数名で、鉄子ちゃんまでいました。
殆どは,途中で下車、また三次駅から広島方面に乗り継ぎましたので、三江線へ乗車したのは3名のみでした。

今回のローカル線乗車で感じた事は、快速列車以上が走る路線との相違です。同じ芸備線でも三次以東となると、時速15km/hの速度制限が続きます。昨秋乗車した備後落合〜新見間も同様で、トロッコ列車に乗っているようでもあります。

運転手に聞くと、理由は聞かない方が良い。恐ろしくなりますよとの一言です。渓谷沿いを走行する辺りは、線路に苔まで生えていて。満足に保線等されていないように見受けられます。道床が崩れて運行停止になったとのニュースを時々見ます。

三江線も30km/h制限箇所が多く、対岸を走る自動車に次々と追い抜かれていきます。
乗客も全線わずかです。閑散とした車内です。平日の高校生の足となっているだけで、休日は客0名で走る事も珍しい事ではないと聞きました。乗客の大多数の高校生も少子化で年々学校統廃合も進み少なくなっています。

かっては、生活に必要不可欠と熱望され建設されたローカル線ですが、道路が整備されて、一家に1人1台にもなっている車社会の現状からみて、既に役目を終えています。地域自治体への経済的負担も大きくなっています。我々鉄道ファンの喜びだけに存在するのには、時代に迷惑をかけてしまっているだけと感じずにはおられませんでした。

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【1202】狩勝峠で危うく遭難しかけた若者の話 その1
 湯口 徹  - 08/3/12(水) 15:44 -
  
1960年3月=当時3年から4年になる春休み=48年前のハナシである。3月16日草軽電鉄を皮切りに、17日秋保電鉄、仙北鉄道、18日花巻電鉄を撮りながら北海道入り。寿都、羽幌炭鉱、天塩、美唄、夕張、雄別、釧路臨港、鶴居村、定山渓、北炭真谷地、三菱大夕張、夕張、留萌と各鉄道、簡易軌道などを訪ね歩いた。

3月28日南新得で北海道拓殖鉄道8622が逆向きで曳く混合列車を撮影。新得から反対向けに折り返して狩勝信号場で下車。メモも記憶も全くないが、当時の時刻表で見ると新得発10時28分の釧路発滝川行434列車だったと思われる。その前は7時30分、その後だと14時02分までないからである。

それも貨車を併結した混合列車だった。後部に補機をつけ、右に左にと忙しく曲がりながら25‰勾配を懸命に上って行く。この日は絶好も絶好の快晴で空気は乾燥し、新島襄(単独行だからこの時点福沢諭吉の助力はない)が前途有望な若者の日頃の善行を心から愛で、意気投合し強力してくれたと思われる。

小生この時の旅姿は、足元こそゴム長だが荷物は小さなショルダーバッグがただ1個。中にカメラとフイルム、時刻表(当時のB6版は携帯に至極便利だった)、入浴セット、歯ブラシ、若干の着替えと靴下ぐらい。この時は特にコッペパンが少し入っていたと思う。最低限度もいいとこで、何一つ欠けてもたちまち困窮すること必定。

こんな軽装で冬場3週間(帰宅は4月6日)が過せたのは、郵便局止め小包である。出発前に札幌中央郵便局止で自分宛小包=フイルム、着替え、ゴム長=を送っておく。札幌で小包を受取り包み紙を裏返し、要洗濯の肌着、撮影済フィルム、ここまで履いてきた靴を包んで自宅に返送。ゴム長姿で颯爽と雪の中へ。

新得から狩勝信号場へは途中新内駅があるが、これとて信号場同然。狩勝も人家は鉄道宿舎のみだが、なぜか時刻表にも掲載されている。434レ狩勝到着は11時09分で、貨物列車と離合した。普段は駅員以外人気のないが、この日は何人かがおり、保線区員だったか。

狩勝峠は名前の通り、石狩国と十勝国との大分水嶺で、ご存知我国鉄道三景のひとつ。根室本線が落合、新得の両側から上り詰めた挙句、狩勝信号場の西端で953mの狩勝随道で抜ける。真っ暗でも歩いて抜ければ時間的には最も早いが、この時は雪も固く、さしたることもなさそうなので、電柱と電線を頼りに、余り高くないその上を越そうと歩き出した。

当時大動脈たる1級国道38号線は冬場完全に交通途絶中で、国鉄が唯一の移動手段である。天気はいいし、寒くもない。ゴム長で適当に段切をしながら、石狩側は汗こそかいたがさしたる苦労もなく頂上へ。語るも涙の物語はこのすぐ後、十勝側に入ってからである。

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【1201】Re:ヘッドマーク盗難!
 893-2  - 08/3/11(火) 23:25 -
  
多分こうなると思っていました。
三木鉄道のサボみたいに大量に複製して販売すればと
思いますが、サボと違ってそう大量に作れないのでしょうね。
ネットの発達とともに情報は簡単に入手できるようになり
ましたが、それとともに現場の人とのふれあいなどが
なくなったと思うのはすでに、年寄りの域に突入している
のでしょうか。残念な話です。
写真は2月9日の上り「なは」@大牟田駅です。

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【1200】ヘッドマーク盗難!
 元祖青信号編集部  - 08/3/11(火) 15:00 -
  
 JR九州は11日、寝台特急「なは・あかつき」(京都−熊本・長崎)のヘッドマークがなくなり、何者かに盗まれた可能性があるとして福岡県警門司署に被害届を出したことを明らかにした。

 同特急は昭和43年から約40年間にわたって九州と関西方面を結び、今月14日を最後に廃止が決まっている。14日の出発式は予定通り行うという。

 JR九州によると、無くなったのは機関車に付けられ、中央に「なは・あかつき」と書かれた直径約70センチのヘッドマーク1枚。

 8日に熊本駅に到着した後、車両基地に運び込まれた際、無くなっているのが見つかり捜索。盗難の可能性が強まったとして9日付で被害届を出した。

産経イザより転載
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