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【1565】Re:マニM3200
 米手作市  - 08/9/4(木) 0:49 -
  
ありました。
@マニM3212のサボ 
AマニM3221
Bマニ34
Cマハ29

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【マニM3212.jpg : 99.2KB】

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【マニM3221.JPG : 0.6MB】

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【マハ2962.JPG : 375.3KB】
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【1564】マニM3200
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/9/2(火) 23:26 -
  
【1511】で湯口先輩より、昭和30年7月に京都駅で撮影された「マニM3206」の画像が公開されたが、昭和40年代になっても接収中の「マニM3200番台」が見られた。最後の接収車が返還されたのは、何と昭和45年1月1日のことである。

最後の接収車とは次の4両である。
マニ3118(昭和7年大阪鉄工所)軍番号M3203
マニ3223(昭和16年汽車会社)軍番号M3212
マニ322 (昭和15年汽車会社)軍番号M3217
マニ3138(昭和10年汽車会社)軍番号M3221

軍番号でお判りいただけると思うが、締切郵便車として使用され、接収解除後は、4両揃って昭和45年2月26日付で廃車された。

マハ29について
【1451】で米手作一様、【1455】で総本家青信号編集部様がマハ29について書き込みされておられるが、確かに昭和30年代、37年頃まで京都駅でマハ29をよく見かけた。昭和33年10月の配置表を見ると大キトに70〜74・76の6両が配置されている。米手作一様は草津線列車、総本家青信号編集部様は鳥羽快速の京都〜姫路間増結車で見られておられるが、私は京都〜名古屋間の普通列車422レ、423レでよく見かけた。

中学2年の夏休み、林間学校で妙高登山の帰り、田口(現妙高高原)から夕方の普通列車で長野に出て駅前の「池文」という旅館で夕食後、夜行の準急「きそ」に乗り、翌朝5時頃名古屋に到着した。当時の時刻表が手許にないが、6時頃発の京都行422レは前方がスハ32、後方がマハ29で、背摺り板座席は嫌ということでスハ32に乗ったこと、車掌が検札に来た時、隣に座っていたおじさんが、大垣〜京都間の通勤定期を見せていたことを記憶している。

総本家青信号編集部様が乗車された鳥羽快速の京都〜姫路間増結車であるが、私が知る昭和40年前後はスハ37が使用されていた。スハ37も在籍4両で、しかも元スロ32とスロ33が2両ずつという珍しい車であるが、鋼体化客車と同じ背摺り板座席、定員は96名であった。

1.マニM3203    昭和40年11月4日
2.マニM3212    昭和39年5月3日
3.マニM3217    昭和41年4月8日
4.マハ2964     昭和39年8月16日   大分駅 
大キトのマハ29は取り損ねたので分オイのものをお目にかける。元食堂車で昭和3年川崎車両製。スシ37700として誕生し、改番でスシ37、戦時改造でマハ47、昭和28年の改番でマハ29となった。

5.スハ38112    昭和40年3月22日   仙台駅
【1447】で米手作市様がマロネ37改造のマハ29について触れられておられるが、スロハ38格下げのスハ38の写真があったので併せてお目にかける。

添付画像
【Mマニ3203.jpg : 87.3KB】

添付画像
【Mマニ3212.jpg : 57.8KB】

添付画像
【Mマニ3217.jpg : 69.4KB】

添付画像
【マハ2964.jpg : 37.1KB】

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【スハ38112.jpg : 33.2KB】
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【1563】Re:遅れ馳せながら暖房車;橋本工房から
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/9/2(火) 22:11 -
  
ヌ100の件ですが、多分煙突は電気配線工事に使うラッパ状のスリーブだったように思います。いまだになぜヌ100を作ったのか思い出せません。窓も少なく
簡単そうに思えたからか、TMSで製作記事を見て刺激されたか・・・。いずれにせよ大亀谷のぷるぷるさんの家の2階で 16:00頃に奈良線の貨物列車(694レ?)が通るのを見ながら 模型談義をしたあの頃がなつかしく思い出されます。この掲示板を通じて タイムスリップできる幸せを感じつつ・・・。
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【1562】Re:遅れ馳せながら暖房車;橋本工房から
 ぷるぷる  - 08/9/2(火) 16:16 -
  
米手作市さん、西村雅幸さん貴重な写真をありがとうございました。実は最も解らなかったのは屋上です。暖房車は室内にボイラーがあるわけですが、安全弁は動作すると大量の蒸気を吹き出すので屋上に出ているはずだと思っていました。

例の「国鉄暖房車のすべて」の本文中にはマヌ34について、(2120型の缶を流用したので)「缶の安全弁は取付け座との間に安全弁座を新設して高さを増大し、頭部を屋根より出して吹き出し時の蒸気を外気に導くようにした。」とあります。スヌ31は飛び出しが大きいためかアイレベルの写真にもよく写っています。ところがナヌ32はどの写真を見てもこれが見えないので、なぞのままです。

同書にはオヌ33の俯瞰写真が掲載されていて、モニター屋根に半分埋め込まれたような形になっていますので、ナヌ32もこれに近い形態だとは想像はつくのですが、位置が不明なのでとりあえずモニター屋根をネジ止めにして追加工ができるようにしてあります。

1枚目の写真:ナヌ32の屋根。ご覧のとおり、煙突と大きなガーランドベンチレーター(EF58用)だけで、屋根を外す時に使うのであろう取っ手様の吊カンも今はつけていません。

2枚目の写真:スヌ31の屋根。安全弁がついていますが、実車写真ではオヌ33同様半埋め込みになっているようですので、これは正しくないと思います。

3枚目の写真:ヌ100の屋根。歩み板の間の四角い蓋は水取入れ口で、安全弁は蒸気ドームに取り付けられていて室内にあり、排気口が歩み板の下にあったようです。
西村雅幸さん、この煙突は何かの廃品利用でしたよね?

添付画像
【NEC_0099.JPG : 110.0KB】

添付画像
【NEC_0100.JPG : 104.9KB】

添付画像
【NEC_0101.JPG : 85.0KB】
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【1561】京都駅付近の鉄道遺跡を偲ぶ
 総本家・青信号特派員  - 08/9/2(火) 0:37 -
  
「大西顧問を偲んで」と題された投稿を読むと、故大西顧問が、明治期の京都の鉄道について、史実の発掘に注力されている様子がよく伝わってきます。私も顧問が健在のころ、友の会の行事に潜り込ませてもらったりして、その一端に触れることができました。
大西顧問に案内していただいた京都駅周辺の鉄道遺跡について、いくつかを紹介しましょう。一例を除いて、京都駅ビルの建設、および周辺の再開発で姿を消してしまった、今は見られない遺跡ばかりです。

(1)女人を護る堂宇に残っていた京都鉄道(?)のアーチ煉瓦
京都駅の西、堀川通に面して建つリーガロイヤルホテル京都の北側、住所で言えば岩上通塩小路上ルに粟嶋堂という小さな寺がある。もともとは宗徳寺という寺であったが、境内にある粟嶋明神が女性の守り神として知られ、通称「粟嶋堂」と呼ばれる。
その粟嶋堂の前で熱心に説明する大西顧問【写真1】。指し示す先は、境内に敷き詰められた敷石である。ここに使われているのは煉瓦なのである。しかもよく見ると【写真2】、方形の煉瓦に混じって、台形をした不定形の煉瓦が見られる。
明治期の煉瓦は建築資材の主流であったが、建築物は壊されても、煉瓦は再利用するのが常であったという。この台形をした煉瓦というのは、鉄道において、窓部やアーチ橋など曲線を造る際に使われる。大西顧問は、この煉瓦が鉄道施設から転用されたのではと推察された。
個々の煉瓦の来歴など調べられる由もないが、ちょうど粟嶋堂の前の塩小路通の南側が現・山陰本線の前身、京都鉄道の旧線跡に当たる。開業当時は官鉄京都駅に乗り入れできず、半年間だけだったが、仮駅である大宮駅を造って急場をしのいだ。その仮駅の跡地である梅逕中学校(現在は廃校)も近く、付近には鉄道施設が集中していたと推測される。近くにあった鉄道施設の廃煉瓦を転用したと見るのが自然だろう。
その当時には、中学校と民家を区切る塀の大きさ・形が、あきらかに旧線跡部だけが異なっていた。中学校から一筋東の細い道路にも途中に僅かだがズレが生じている【写真3】。これも手前側が線路跡地と見ることができる。
その後、境内は普通の敷石に置き換わり、もう煉瓦は見られない。大西顧問に案内していただいたのは昭和59年のことだから、もう20年以上も前のことである。
(続く)

添付画像
【写真1 説明する大西顧問.jpg : 254.9KB】

添付画像
【写真2 粟嶋堂の煉瓦敷き.jpg : 241.2KB】

添付画像
【写真3 道路にズレ.jpg : 169.9KB】
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【1560】Re:こんなんも安置してます!
 893-2  - 08/8/31(日) 23:49 -
  
なぜか私も撮影していました。場所は西大寺駅だと思います。
昔のコンパクトカメラなのでブレてますが、多分1974年頃の
撮影かと・・・。大した写真でなく申し訳ありません。

添付画像
【IMG_0024.jpg : 240.8KB】
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【1559】Re:こんなんも安置してます!
 米手作市  - 08/8/31(日) 23:36 -
  
昨日ぷるぷるさんへのプレゼントを用意していたらこの写真もあったのでついでにご覧下さい。もっともありふれた写真で興味もないでしょうが私は近鉄には何の興味もなかったので整理をしていません。貴重なのかしょうもないのか分かりませんのでご笑覧いただければ幸いです。

添付画像
【近鉄804.jpg : 99.2KB】

添付画像
【生駒駅の805.jpg : 99.7KB】

添付画像
【近鉄225.jpg : 99.0KB】

添付画像
【近鉄奈良線723.jpg : 99.8KB】
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・名前 : 近鉄804.jpg
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・名前 : 近鉄奈良線723.jpg
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【1558】Re:遅れ馳せながら暖房車;橋本工房から
 米手作市  - 08/8/31(日) 21:33 -
  
遅まきながらプレゼントです。探し出すのに時間がかかりまして間が抜けたかな?

添付画像
【スヌ311.jpg : 97.9KB】

添付画像
【ナヌ325.jpg : 99.6KB】

添付画像
【マヌ344.jpg : 98.0KB】

添付画像
【マヌ346.jpg : 99.0KB】

添付画像
【マヌ3427.jpg : 97.5KB】
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・名前 : スヌ311.jpg
・サイズ : 97.9KB

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・名前 : マヌ3427.jpg
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【1557】こんなんも安置してます!
 大阪通信員  - 08/8/31(日) 21:25 -
  
 近畿日本鉄道から、かっての奈良線特急モ800型のN寸展示模型が8月7日から発売されています。1955年に就役し近鉄に新風を吹き込んだ車輌です。スイス風の窓枠のない大きな下降窓を持ち、小豆色の車体に窓下へ細いステンレス帯をまとった瀟洒な電車でした。模型では窓ガラス上部のアクセントだった二つづつの取っ手も懐かしく表現されています。ネットでの販売は終了しましたが主要駅では発売中です。昨年の鉄道記念日に発売された伊勢特急モ2250型に続く懐かしの車輌第二弾というところでしょうか。
 モ800型が上本町駅〜奈良駅を颯爽と走っていたとき、列車の前後を飾っていたヘッドマークも、大阪・日本橋で大事に安置させていただいております。
 やがて阪神電車が同じ線路を走り出します。近鉄と阪神では車体長が違い、当然扉の位置も違いますので、整列乗車が保たれるのか心配です。でも、同じ河内を京阪の5扉車が騒動なく毎日駅で乗降を繰り返しながら走っているので杞憂かもしれません。
 

添付画像
【近鉄奈良線特急標示板.jpg : 178.7KB】

添付画像
【近鉄モ800型模型.jpg : 138.0KB】
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【1556】築堤と洪水
 湯口 徹  - 08/8/31(日) 14:24 -
  
乙訓老人は敷物や建築内装・営繕等が本職で、長年の付き合いで見識のやたら広いことはかねがね承知してはいたが、土木治水にまでも薀蓄が深いことが分かった。なんとも幅・奥行の豊かな御仁である。

かつての我国は道路といえば地平で、河川堤防(専門語では堤塘というらしい)の横断や取付以外築堤とは無縁に近かったが、明治以降鉄道築堤が出現し、これが洪水時溢水をせき止める水害の原因となった事例が少なくない。

例えば紀勢西線御坊駅は実は御坊町を避け、北側に接した湯川村の、それも全く何もない場所に設置された。これは周知のように地域と支持政党が絡んだ政争の余波で、国鉄はわざわざ人口が多くこの地域の中心地である御坊町をぐるりと迂回し、「我田引鉄」の好例にされる。

元来低地である湯川村は、常識的な熊野街道沿いだと溢水時鉄道築堤(と言うほど高くなく、せいぜい土盛程度だが)が水を堰き止め、被害を倍増し、かつ一方的に自村に及ぶと言い立てて、結局御坊駅を自村内にむしりとるのに成功した。

政争がからんだ鉄道争奪戦に敗れた御坊町の有力者が結束し、自前で御坊臨港鉄道を建設し紀勢西線と繋いだのだが、当然仲の悪い湯川村が用地取得に協力しなかった。小作人組合とも紛糾し、土地収用法のご厄介になったため、開業は紀勢西線が御坊(その実湯川村)に伸びた2年以上後になった、と言う話。
引用なし
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【1555】続々大西顧問を偲んで
 乙訓の老人 E-MAIL  - 08/8/31(日) 12:31 -
  
またしてスカタン発生。【1542】の記事コピーを漢字の好きな身近な人に送ったら、葉書が一葉舞い込んできた。「鉄路閣は誰が付けたかなかなかの命名です。
「閣」は元々下が吹き抜けの渡り廊下の意味があり、高架橋を「閣」と呼ぶのは適切な用語です。訂正、「木へんに共」は肘木の意味で、アーチは「拱」−手へんのほうです。大きな思い違いでした。ゴメン。とあり、スハ33に続くスカタンとなってしまった。身近な人は傘寿を迎えた後期高齢者につき、お許しの程を……。
さて、なぜこのような構築物が造られたのか新聞では、洪水時に線路の土手が水を遮らないように、となっているが、「溢」の字に注目していただきたい。溢れる水を土手が損傷することなく、下流へ一早く処理することが目的なのである。後期高齢者は「避溢橋」は土木の専門専門用語なのでしょうが、中国の建築書にはありません。と言っている。馬場の6連は「洪」となっていたように思うが、上植野村の方は「水」となっていた。
こうした洪水に対しての備えについては農民の力は強いもので、水処理を先祖代々伝えられているから、田圃をはじめ財産を守るため時の権力者との係争が今もある。1953年9月、宇治川洪水での京阪本線宇治川橋梁と木津川橋梁間の築堤流出は、こうした教訓を無視したもので、食糧増産の掛声の下、巨椋池干拓工事の配慮がなかったことに起因している。旧流路はまだ生きていることを認識すべきであった。1958年の出来事は「関西の鉄道、44号」で老人の手により紹介した。関心ある人は1890円ご用意の上、梅田旭屋書店へお出まし下され。
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【1554】Re:遅れ馳せながら暖房車;橋本工房から
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/8/31(日) 7:23 -
  
ぷるぷるさんへ。
ナヌ32の完成おめでとうございます。すばらしい出来栄えに感心しきりです。
ところで驚いたのは すっかり忘れていたヌ100です。何を思って作ったのか
思い出せませんが、橋本で暮らしていたんですね! ナヌとは比べようもない拙作ですが、かわいがってやってください。
そのお礼でもないのですが、スヌ31の写真を添付します。昭和43年3月30日に雨の平機関区で撮影したものです。
橋本で続々と真鍮車両が完成しているのに励まされて、私も江若シリーズでがんばります。ぷるぷるさんと同様、つい浮気の虫が動き出し、今C11に手をつけようかとパーツを通販で買い集め中です。湯口先輩の江若の写真にもありますように
オハ27を作るとDD13よりはC11のほうがお似合いだし、林君の作であるC11の未完成車が棚のなかで眠っていることからC11に手を出した次第です。
真鍮工作は苦手ですが なんとか陽の目をみるようにがんばります。もしC11が
完成すると 関西鉄道から来たナハも作らねば・・・そうなると・・・と思いは尽きません。それが模型製作の醍醐味かもしれません。
ところで 次なる運転会はいつ開催されるのでしょうね。

添付画像
【スヌ31.jpg : 126.7KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : スヌ31.jpg
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【1553】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-12
 湯口 徹  - 08/8/30(土) 14:51 -
  
IL TRENINO VERDE サルディーニャ島緑の列車 テンピオとパラウ・マリーナ

パラウ・マリーナからの帰路は先ず推進運転でそろりそろり。先頭の客車デッキで誘導員が赤青の手旗をもって誘導、この間併用軌道では一方通行が信号でストップする。スイッチバック地点で今度は機関車が先頭になり、パラウ駅で機関車を付け替え、テンピオに戻るのである。

テンピオで、日本人にとってはかなり遅い夕食の飯屋を探す。観光客が多い割りに(むしろそのために)「リーズナブル」な我々向きの店が見付からない。観光客に無縁の小汚いピッツァリアに入ったが、このピッツァは美味ならず。本場のイタリアでも、こんな僻地では流儀も違うのか。

カリッとせず、もんじゃ焼きとはいわないがべちゃついて、食い物のない頃に育ち、出されたものを残すのを罪悪と心得る小生でも食い残す稀有の事例となった。ただこんな山間なのにタコの酢の物?は旨かった。生のタコが食えるなんて、ギリシャかイタリアぐらいであろう。

翌朝町を散歩したが、意外に大きく、綺麗な町に感心。昨日目をつけていたポイント=国道との並行区間で列車を待つが、定時より30分ほど遅れていた。踏切毎にボランティアと思しき男たちが車で待ち構え、携帯片手に指令を受け、道路交通を止める。列車は下り勾配も手伝い結構なスピードで、列車の追っかけや追い抜き運転にに慣れている先達は大変だった。

今日の列車は末尾にニス塗りの復元客車を連結した3両編成で、マコメールで見たのと同じだが、標記が少し違っている。どうやら旧所属でのレタリング(といっても金属板切抜き)に合わせ凝った復元をしているようだ。

終点のボサ・マリーナでは、観光客が復元客車の真っ赤な座席テレンプ、ピカピカの磨き出し真鍮金具類など、キンキラキンのド派手な車内にとまどっていた。在来客車と余りにも差があって、乗っていいものかどうか分からないからである。

網棚はヨーロッパの古い2軸客車などに見られる横型で、かつての修学旅行用電車「きぼう」がこのマネをしていた(小生の時代は中、高とも蒸機牽引客車列車の時代で、電車なんぞ1回も乗せてもらえなかった)のを思い出す。

添付画像
【手旗誘導で推進運転.jpg : 323.0KB】

添付画像
【夏季1日2往復の列車.jpg : 346.1KB】

添付画像
【併用軌道をそろりそろり.jpg : 326.3KB】

添付画像
【復元客車が連結.jpg : 314.4KB】

添付画像
【ピカピカの車内.jpg : 349.6KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 手旗誘導で推進運転.jpg
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 夏季1日2往復の列車.jpg
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[添付]〜添付ファイル〜
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 復元客車が連結.jpg
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : ピカピカの車内.jpg
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【1552】遅れ馳せながら暖房車;橋本工房から
 ぷるぷる  - 08/8/30(土) 11:26 -
  
tsurukame先輩の写真にあったホヌ30を見てまたもや浮気心が起きてしまい、この冬の就役を目指し暖房車ナヌ32を増備することにし、他の入場車両をそっちのけで突貫作業に没頭、この程完成間近となりました。

現車は昭和9年と11年に中央本線用として計5両作られましたが、中央本線のほかには上越線で使用されたようです。外観は前出のホヌ30が蒸機の炭水車のようなイメージだったのに対し、次にできたスヌ31は前後にデッキを設けた凸形となり、旧型電機、特にデッキ付の機関車とよくマッチしています。ナヌ32もこれを踏襲した形で、線区の条件から少し小型化され纏まりのよい外観となりました。なお、この形態はオヌ33も同じで、最終形式のマヌ34まで続きました。

さて今回の模型は昔、鉄道模型社から発売された一連のエッチング板製品のひとつで、バラキットができるまではこういった製品が貧乏なモデラーにとっては有難い存在でした。例によって車体部分だけのエッチング板で床板、デッキ、床下は自作です。小さな車体の割りに板が厚く、屋根を曲げるのに苦労しました。また、こういったマイナーな車両を模型化する時いつも苦労するのは細部写真をはじめとする資料探しです。

幸い、日本の車両スタイルブックに図が掲載されていましたので、煙突やベンチレーターの位置など基本部分はこれによりました。しかし床下機器やエンドビームの細部が解らず、最初はネット検索で出てきたわずかな写真を頼りにしていましたが、結局NEKO PUBRISHINGのRM LIBRARY 44 岡田誠一氏著「国鉄暖房車のすべて」を購入しました。随分参考になりましたが、適当に作ってしまってから間違いに気づいたところもあり、最初から買っておけば良かったと後悔しています。なお、同書には佐竹先輩の貴重な写真が多数掲載されており、改めて先輩の凄さを実感しました。

写真1枚目:嵩上げされたコールバンカー側から見た外観。デッキ前部の斜めステップは電機のデッキに高さを合せるためと思われます。表面が酸化し、すっかり黒くなってしまったエッチング板もトイレ洗剤の「サンポール」と液体クレンザー「ジフ」のおかげで輝きを取り戻しました。真鍮工作の醍醐味ですね。塗装するのが惜しくなります。台車はTR24。

写真2枚目:先輩のスヌ31。天賞堂のバラキットを組み立てたものです。オーバーコートしなかったため、車番表記のデカールが経年劣化してしまいました。現車は昭和初期に24両作られ、主に東海道線で使用されました。台車はTR23。

写真3枚目:北海道の混合列車などに使用された簡易暖房車ヌ100。西村雅幸さん現役時代の作品で、竣工後間もない頃から当社でお預かりしています。

写真4枚目:これは何でしょう?正解は次の写真にあります。

写真5枚目:ナヌ32のサイドビュー。床下の蒸気管のパイピングにはφ1.0の真鍮線にt0.2×w1.0の帯を巻きつけてそれらしく見せました。4枚目はその使い残りです。

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【1551】続・大西顧問を偲ぶ
 乙訓の老人  - 08/8/26(火) 16:31 -
  
【1547】で長岡京駅下り方の遺物が紹介された。上り方の方を掲載する。京都から国道171号を高槻方面へ、名神高速を挟んでしばし、馬場の信号を右折直進、三菱電機京都工場正門前の前方に馬場6連が見える。下り方から水路+歩道で1連目、2、3連目は府道。4〜6連目はH建設工業が車庫兼資材置き場に使用中。中に入って見上げると腰部分は石造、アーチ部分が煉瓦造りとなっている。下津林がこうだったかは思い出せない。2箇所としたが、思い違いなしかどうか?である。下り方は這いつくばらねば潜れず、上り方は腰をかがめて潜って歩けた。写真を撮ったが、馬場のものと共にフィルムごと顧問に渡したので何もない。
さて馬場の方だが避溢となっているが、老人宅の裏を流れる小畑川の旧流路であるのは間違いないが、この6連が完成したころ既に小畑川は現在の流路になっていたという。ではなんのための6連かといえば、もともと小畑川は東へ流れ菱川(自動車免許試験場前の川)に合流していたが、一文橋辺りで堤防が切れるので流路を犬川の方に切り替えた。ところが鉄道建設の話が出た頃に大出水があり、上植野地区一帯が水漬きとなった。そこで一たび大出水となると、旧流路へも水が流れるように交渉、あの6連橋が出来たのだとか。
上植野地区は豪農が多く、政治力があったようだ。鎌倉時代に有料橋のはしりと言われる一文橋を村でつくり、流されるや貯めた一文銭で橋を造り、田圃が水漬きにならぬよう煉瓦アーチの避水(溢に非ず)きょうを造らせたり、明治の先人が努力した賜物を、小畑川改修工事が完了した1978年に上植野区事務所で、当時の絵図、書類と共に古老から聞き取る事が出来た。因みに老人宅の小字・切の口は、大出水の時に堤防を切り、田圃の方へ水を流さないようにした地点であったとか。

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