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【1489】拙老もお仲間に パート2
 湯口 徹  - 08/7/27(日) 9:40 -
  
2回目の阪和線は3年後の1955年11月17日。このときは木製客車にカンカンになっていて、鳳区のオエ19911が主目的。ついでに光線状態や条件の好い電車だけ何両か、付録として撮っただけ。カメラは6×6の二眼レフ、1浪中であった。

この時点では社型も改番済で密連装着だが、パンタグラフは昔のまま。床下器具などはかなり制式化されているんじゃないかと思うが、このあたりはどなたか一言お願いしたい。

以来阪和線も何度か乗りはしたが、写真は確かEF51「くろしお」ヘッドマークを撮ったことがあるだけ。以後小生はもっぱら地方私鉄―それも軽便と非電化の―屋に成り果てた。不思議と京阪だけは少し撮り続けたが。

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【1488】京阪中の島新線
 田野城 喬  - 08/7/26(土) 21:59 -
  
高度で専門臭ぷんぷんの投稿相次ぐ中にいささか気恥ずかしい限りだが“旬の味”というものがあるので我慢してみて下さい。
本日京阪電車中の島線地下線ウォークがなにわ橋駅(本線・北浜駅)から終点の中の島駅まで約2kmの区間で開催されました。仕事の都合で最終回の15時〜に参加しました。
中央公会堂前にあるなにわ橋駅まで炎天下を歩くのは5分と言えども大変です。
JVの技師から説明と注意を受けていざ出発。地下は完成していますが湿度が高く(80%とか)汗が流れます。木目がきれいなコンコースから線路脇の歩経路を前後を護送されながら歩いたのは学生時代に見学した京都刑務所以来でした。
鋳物のチューブで壁面が覆われていたのは驚きでした。深部は鋳物製で、浅部はコンクリートです。
写真を撮りましたが浮遊物が多くフラッシュが乱反射して見にくい写真になりましたがお許し下さい。
中の島駅では地下駅では初めてとなる木製壁面について詳しい説明がありました。完全不燃木材を使って出来たそうですが、これなら木造車両や木製の車内をもった客車の復元も可能ではないかと思いました。

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【P7270101.jpg : 99.3KB】

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【1487】拙老もお仲間に
 湯口 徹  - 08/7/26(土) 16:49 -
  
飯田線や阪和線が続き、拙老も確か少し撮っている筈と、またネガ箱をひっくり返し(全く整理がなっていないので、何か探すとなると全部目を通す必要あり。5万分1地図も然り。ヒマだからいいか)、拙い写真をご覧に供する。

撮影は1952年12月22日だから55年半前。戦時中防空壕の中で半年過したためレンズがカビに犯され、おまけにテッサーf2.8/50mmという、元来があまりピントのいいレンズではなかったのが、余計甘くなったバルジィーナなる、ドイツ製スプリングカメラであった。親に無断で持ち出した。

フイルムだけでもまともな代物(当時なら富士FPかSP=感度が32か64だった)ならいいのだが、当時映画カメラマンの助手が残尺(撮影の僅かな残り)を小遣い稼ぎに持ち出して写真屋に売った映画用で、それはパーフォレーションの形が少し違う(角がやや丸い)ので分かる。

現像してみないと感度すら不明。何回使ったか分からんパトローネに詰め、1本150円ぐらいだったか。純正品の半分以下だった。

当時の記憶は乏しいが、社型の電車はまだ自連である。ところが制式電車は密連で、制式と社型の併結もあったから、これは密連に換装していたのか。拙老はこのあたり全くのドシロウトだから、どなたか教えて下され。

モハ43は俗に「合の子」(差別用語としてその後は使わなくなった)と称した旧京阪神間急行用の広窓車(というくらいは、幾らなんでも拙老でも知っておる)。ED20は天王寺での入換中。

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【1486】懐かしの阪和線 (羽衣支線)
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/7/26(土) 12:04 -
  
【1473】で893−2さん、【1485】でH.K.生さんから阪和線の話題が出たところで少し前の羽衣支線を紹介してみたい。

893−2さんは、H.K.生さんも言われておられる通り、阪和線の旧形国電をよくカラーで記録に残されたと思う。ちなみに一番下の写真はクハ55065、その前はクモハ60151、153、155、157のいずれかである。

昭和45年4月に大阪市内の会社に就職し、昭和52年3月まで京都〜大阪間を国鉄で通勤したが、休日には通勤定期でよく阪和線、片町線の撮影に出掛けた。昼前に家を出て京都駅と大阪駅で適当に撮影して阪和線へ、夕方16時頃に住道に移動して折返し電車を撮影して帰るというパターンが多かった。僅かな乗越し運賃で1日中楽しめ、これが最も健全で充実した休日の過し方だと思っていた。昭和50年代に入ると旧形国電は全国的に急速に姿を消し、それが原因で鉄道趣味から次第に足が遠のき、それ以降半分休眠状態が続いている。

関西の旧形国電は通勤でお世話になったこともあり、数え切れないほどの思い出があり、いづれ自分でHPを作ったときに紹介しようと思っていたが、時間と能力を考えると何時のことか判らない。

1.クハ55072+クモハ20052        昭和42年5月28日
クハ55072は昭和15年7月川崎車両製で元々関西の車である。当時の阪和線でノーシル・ノーヘッダーのクハ55は、072と892−2さんが撮影されている065と2両のみで、065には「急行板挿し」が残っており判別は容易であった。後ろのクモハ20052は元阪和電鉄モヨ104で、昭和4年川崎車両製である。

2.クハ79306+モハ72+クモハ60121   昭和48年3月18日
クハ79306は昭和28年1月東急車輛製、昭和43年3月阪和形置換時に松戸から転入した。

3.クモハ60157                昭和52年4月10日
前身は昭和8年2月16日の城東線電車運転開始時に、同年1月モハ41011として誕生、昭和26年吹田工場で更新修繕、27年から28年にかけてモーターを128kwのものに取替えた。41の出力強化車は、昭和28年6月の改番でモハ60150番台となり、151〜157の奇数のみ4両在籍した。

4.クモハ73181                昭和47年5月7日
モハ63509として昭和22年12月に誕生、昭和27年11月の整備改造でモハ73181となった。阪和形置換時昭和42年4月に東神奈川から転入した。

5.クモハ73613                昭和47年12月10日
モハ72585として昭和29年8月日車支店で誕生、昭和43年3月鷹取工場で運転台を設置して現車号となった。阪和線には605、611、613、619、621、623の6両在籍した。方向幕を持ち必要な行先はすべて網羅されていたが、何故か使用されず行先板を使用した。この辺の事情は、京都〜西明石間の緩行の103系の方向幕が冷房改造と同時に電動化されるまで、行先を出さず常に「普通」を出していた件、旧形は乗客からの苦情を無視して行先板を外してしまった件を含め、複雑な問題が存在していたらしい。

添付画像
【クハ55072羽衣線.jpg : 58.3KB】

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【クハ79306(羽衣線).jpg : 73.1KB】

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【クモハ60151(羽衣).jpg : 89.4KB】

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【クモハ73613(羽衣).jpg : 84.9KB】
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【1485】飯田線考察
 K.H.生  - 08/7/24(木) 9:03 -
  
藤本氏の飯田線の現況に対する分析を読んでなるほど、と思った。
国鉄管理局時代の官僚的体質、現在の分割会社化における問題点も
然りである。
何事もやる気のある人は居るのだが、全体の見えていない人が
立場上、上にいると、手を打たない、これも世の失敗の常である。

小生は近年、伊那に縁が出来、飯田線沿線によく行くようになった。
辰野の駅前、築100年の駅前旅館のことを知ったのも最近である。
鉄道ファンが自動車で行くのは後ろめたいが、三州街道とその裏みち、
恵那山トンネル以前の旧道である大平峠と木曽に抜ける旧権兵衛峠の
風光など、これは別の魅力がある。
また辰野ー塩尻間の元中央線区間など、今では蛍の名所として知られ
関東からも季節客を集めているようである。

地図を見るのが楽しい。それを久々に感じたのは木曽谷を走る
歴史の重い中央西線山岳区間と伊那谷を走る軽やかな飯田線の対比。
街道風景の違い、植物、花の色、地酒の味まですべて違って見えるので
ある。

あと、これは是非やってみたいと思うのが飯田線南部の山岳区間、
大嵐や佐久間ダム周辺を1970年代に流行った分解型の自転車、
輪行ランドナーで走ることである。
これは数年前、自動車の運転に倦むような体験があり、その横を
自転車のツーリングの一群が駆け抜けていった時に気付いた。
そう、体力で行ける範囲を自転車旅に費やして、最後は飯田線の
最寄りの駅から電車に乗れば、豊橋から先は新幹線で帰れるのである。
孤独な駅の旅情も「俺一人」の旅も楽しめる。

豊川や浜名湖付近から関西まで疲れきった体で車を運転するより
何百倍も精神的にも健康であろう。
こだまで帰っても、渋滞の高速より遥かに楽だ。ビールも飲める!
ローライ35一台で鉄道の写真も写しながら。

まだ実行に移せていないが、これからのおじん旅を開拓したいと思う。
おまけ
893-2君、阪和線の旧型時代、よく撮られてましたね。
そういう小生も可部線17mや宇部線を撮っていますが。
私は東羽衣に幼い時にいたので阪和線の古い電車は遠い日の原風景です。
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【1484】懐かしの飯田線
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/7/23(水) 23:52 -
  
【1473】で893−2さんから美しい飯田線、懐かしい阪和線の画像の公開があった。そもそも、クローバー会会員の中で多少とも旧形国電に興味をもっていたのは、私と近鉄南大阪線沿線に住んでおられたT氏位のものと思っていたところ、他にもおられたことは誠に喜ばしい限りである。

飯田線の魅力は、車両と風景の双方にあったが、昭和51年頃までは旧形国電や旧形電機ファンが時折訪れる程度で、同業者と会うことは滅多に無かった。昭和53年10月末で流電クモハ52の勇退が伝えられると、俄かファンの急増で沿線が急に騒がしくなった。当時流電の運用は南部が中心で、北部まで足を伸ばすのは1運用のみで、それも撮影可能な時間帯ではなかったが、かつての蒸気機関車ほどではないものの、旧形国電がブームになった感があった。

関西からは南部の方が近いが、何故か北部に足が向いた。前述のように流電こそ撮れなかったが、半流の53007、53008、車内で運動会が出来ると云われた47153、47155、ロングシートながらスタイルの良かった61003等魅力的な車両が多かったし(最もこれらの車両は南部でも見ることが出来た)、貨物列車の先頭に立つのはED19、ED26で、こちらも電車に勝るとも劣らない魅力の持ち主であった。更に列車本数が多く飽きることが無かった。急行列車だけでも豊橋方面からの「伊那」新宿発の「こまがね」長野からの「天竜」があり、普通列車は今よりずっと本数が多く、貨物列車は駅の有効長の短さを本数でカバーするため本数が多かった。これらの上下を合わせると1時間に4〜6本、10分から15分間隔で列車が運転されていることになり、移動する間も無いほどの忙しさであった。

私自身は人出が多くなってからはあまり出掛けていないが、折角景色の良い所に行っても、走っている電車の方が気になり、結局中途半端な写真しか撮っていない。

中央高速道路が全通し、名古屋、新宿、長野行の高速バスが運転されるようになると乗客は、車両がデラックス、運賃が安くて早いバスにシフトしたため、急行列車はことごとく廃止されてしまったが、これは国鉄が何の対策も打たなかったからに他ならない。飯田線の管轄が全線静岡鉄道管理局で、東京管理局との連携が取り難かったことも原因かも知れないが、「こまがね」に代わって振り子式の「スーパーあずさ」の付属編成の乗り入れ、「あずさ回数券」のような大幅割引の運賃設定等で高速バスに十分対抗できた筈である。

新宿7時発の「スーパーあずさ1号」に時々乗るが、車掌から岡谷までの「あずさ回数券」で飯田線の駅までの乗越し切符を買っている乗客は少なからずおり、登山シーズンは「ムーンライト信州」で岡谷まで行き、タクシーで辰野まで行って飯田線の一番電車に乗る乗客もいるため、登山シーズン中だけでも上諏訪始発にできないものかと思っていたところ、一昨年のダイヤ改正(実際には改悪)で伊那松島始発になってしまった。

JRになってから更に連携が悪くなってしまったように感じる。最もJR東海にしてみれば名古屋から遠く離れた北部飯田線はお荷物以外の何者でもないのであろう。分割民営化の時、天竜峡以北の旧伊那電区間がJR東日本になっておれば、もう少し違った展開になっていたのではなかろうか。

旧形電車を置き換えた119系の寿命もあと4〜5年と云われている。115系は既に313系に置き換えられてしまった。119系の撮影を兼ねて、かつて旧形国電を撮影した場所を訪れてみたいと思っている。

今回はかつての飯田線の急行列車の画像を添付した。

1. 急行「伊那」80系       昭和46年9月25日   宮木〜伊那新町
2. 急行「伊那」165系      昭和49年2月18日   田切〜伊那福岡
3. 急行「伊那」165系7連    昭和48年7月28日   天竜峡〜千代
この当時、急行「伊那」は名古屋〜上諏訪間3往復、豊橋〜飯田間1往復運転されていたが名古屋〜上諏訪間の列車は飯田まで付属編成を3両増結し、7両編成で運転されていた。
4. 急行「こまがね」キハ58×2  昭和46年9月25日   宮木〜伊那新町
5. 急行「こまがね」165系    昭和48年1月14日   大田切〜宮田

添付画像
【急行伊那80系.jpg : 63.0KB】

添付画像
【急行伊那165系.jpg : 157.2KB】

添付画像
【急行伊那165系A.jpg : 72.5KB】

添付画像
【こまがねキハ58×2.jpg : 64.0KB】

添付画像
【急行こまがね.jpg : 125.5KB】
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・名前 : 急行伊那80系.jpg
・サイズ : 63.0KB

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・名前 : 急行伊那165系.jpg
・サイズ : 157.2KB

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・名前 : 急行伊那165系A.jpg
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・名前 : こまがねキハ58×2.jpg
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【1483】成田新高速線建設現場での出来事
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/7/21(月) 23:22 -
  
三連休最終日、成田線の久住−滑河間に鹿島貨物を撮りに行ってまいりました。手元の配置表では新鶴見所属のEF651050が1455列車で、検査出たてのEF651036の単機が73列車でやって来て、本日のお目当て国鉄色のEF651056が72列車でやって来ました。
その帰り道、折角なのでと少し寄り道して成田新高速鉄道の工事現場の写真を撮りに行ってきました。鉄道ファン2008年8月号の草町義和さんの「幻の成田新幹線をだどる」記事にも掲載されている。北印旛沼付近で、何箇所かで車を止め写真を撮っていました。途中、紺色の警察のワゴン車をやり過ごし、甚平渡しの近くの公園駐車場に車を止め、印旛沼にかかる架橋の工事現場を見渡せる堤(写真四枚目・五枚目)に向かう途中、私の車を止めた駐車場に、先ほどの紺色の警察車両が入って行くのが見えました。撮影を終えて、駐車場に戻る途中、二人組みの出動服姿の警察官がこちらに向かってくるではありませんか!?尾行されていた上、明らかに不審者扱い!?案の定、職務質問です。まず、若い方の二十歳前半の少年のあどけなさを残した警察官が自分の所属・姓名を名乗ったうえ(もう一人の二十歳後半の警察官は名乗りませんでした。)「さっきから工事現場の写真を撮っているけど、何の目的か?」と質問された後、こちらが気を利かして、免許証を出しました。名前を名乗らなかったほうが、住所を書き写していました。今まで、長く写真を撮ってますが、お召しの撮影以外で、写真を撮っていて、職務質問をされたのは初めてでした。(中国・韓国などもっとやばそうな海外でもそんなことがありませんでした。)周りが田んぼだらけの印旛沼の近辺ですが、なにか破壊活動の下見でもしているものと思われたのでしょうか?成田空港は、いまだに検問などが実施されていますので、わからなくもないのですが、小市民にとっては、実に不愉快な出来事でした。暑い中、職務に忠実な若い二人の千葉県警の警察官には、申し訳ないのですが、もっとほかにやることがあるんじゃないの?と思った一日でした。ということで、警察に尾行されながら、決死(!?)の撮影した成田新高速鉄道の建設現場の写真を公開します。

添付画像
【s-IMGP2160.jpg : 166.8KB】

添付画像
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添付画像
【s-IMGP2170.jpg : 178.6KB】

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【1482】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-7
 湯口 徹  - 08/7/21(月) 10:22 -
  
IL TRENINO VERDE サルディーニャ島鉄道「緑の列車」マコメール その2

先回マコメール基地から先の記述に混乱があった。当時の頼りないメモの頁を読み飛ばし、自分でもおかしいと思いながら、西海岸のボサ近辺が飛んで、いきなりサッサリに行ってしまった。これも記憶減退と加齢が原因で、後期高齢者予備軍は情けない。

マコメール車両基地には結構標準凸型ディーゼル機関車がおり、客車を牽引している。貨物はご多分に洩れずトラックになっているが、かつては島の特産品であるコルクなどの輸送に当たっていた。

そのコルクだが、ワインの栓や内装材など、やや茶色がった綺麗なものである。ところが何やら得体の知れぬ、薄汚いというより、汚い鼠色とも黒ともつかぬ粗大ゴミのような代物が、実はコルクの原材であった。

その日は駅近辺のモーテルにチェックイン。エアコンなくツインで46.5ユーロだった。夕食も散々歩き回ったがバールばかり。イタリア本土のバールはエスプレッソやカプチーノの立ち飲み、軽食に煙草なんぞを売っているが、この島では酒場に近い。

致し方なくホテルに戻りパスタとサラダ、ビッラで22.7ユーロ。

翌朝はヌオロ行き列車をひとつ東の駅ボルティガリで捕まえる。DL+客車1両だが乗客はゼロ。2階建ての駅舎は駅長宿舎を兼ねているようで、黒い私服のおばさんが下りて来て乗務員に合図。これが駅長なのか、その嫁さんが代理しているのかは分からない。

列車は大体1時間に1往復程度あるが、駅の列車時間表が我々の常識というか、欧州一般のシステムと根本的に違っている。まず目的地を探し、そこに行く列車を列挙してあって、見方を理解するまでしばらくかかった。

また各列車の発車時間の前にG、Fの記号が付してある。これもよく分からなかったが、Gとはgiornaliero(毎日)、Fはferiale(平日)、すなわち後者は休日運休を示す。それが分かったのもかなり後だった。

マコメール〜ヌオロ間はほぼ全線国道129号に並行しているのだが、その国道たるや、前に記したように自動車専用、当然無料の実に立派なもの。それだけに村落とは離れていて、鉄道より真直である。だからこそ950mm軌間鉄道が生きているのだろうが、利用者は多くない。いつまで保つのかという気もする。

線路と並行とは、列車の追いかけには好適なのだが、さて撮影となると車を止められる適地がすぐ見付かる訳ではない。準高速道路だけに、そうやたらと止められず、みすみす列車を逃がしたのも何回か。

添付画像
【マコメール基地.jpg : 309.1KB】

添付画像
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添付画像
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添付画像
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【1481】北京空港線リニア開通 速報
 中国特派員便り  - 08/7/20(日) 20:24 -
  
7月19日14時に北京空港線リニア線が開通しました。
詳細は、次回ご報告させていただきますが、超ラッキーにも1番電車の乗車できました。

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【1480】DRFC日帰り旅行
 乙訓の老人  - 08/7/17(木) 16:52 -
  
1泊旅行の年、6月6日(土)だったと思うが、DRFCは他国へ日帰りの旅に出ている。50年前、創立の年は思いつきで梅小路機関区や市電壬生工場に出掛けている。5、6人が突然「見せてください」と行っても、どこでもOKとなり案内役がついたものだ。2年目ともなると会員数も20人を超え、それなりに会としての体裁も整ったようだ。新入生を迎えたところで「何処かへ行こう」と、希望先を例会で聞いたように思う。「敦賀で交流電機見学」と提案があった。そこで2代目会長が交渉役となった。当時、会長は交通公社でアルバイトをしており、「鉄電」が引かれていたのでそれを利用して敦賀機関区のOKをとったと記憶している。旦那よ、どうやった?
さて、どのような軌跡を取ったのか、本隊は京都8:04発511レ青森行で出発したと思われる。老人は7:36発124レ東京行で彦根へ、乗り換えは9:27発、気625レ柳ヶ瀬線経由敦賀行に乗っている、理由は田村で本隊を迎えるためで、E10→ED70付け替え作業に興味があったからだ。625レはキハ52ではなかったかしら。本隊に合流後は会長の指揮下に入ったと思われるが、幾度か脱線している。
敦賀一区はC58と86、DD50(新、旧)とDF50の配置であったが、DDしか撮っていない。介護士3号の好きな職用車を居ったはずだが、四国でDF40、DD50、DF50牽引列車にお世話になったことからと思われる。二区ではED70の説明を受ける場面では抜け出した。交流電車がある建屋を見付け、これに関心をしめし潜り込んだのだ。幸いなことに架線電流が落としてあり、自由に見せてもらえた。そしてラッキーなことに天窓があり車庫内が明るかった。F3.5解放で1/15露出のNEOPAN SSでの姿をご覧いただこうと思う。この日は梅雨入り前で曇天であった。
細々した解説は哲男君にお任せしよう。老人は走っているのを見たことがない。敦賀といえば他国で京都圏ではない。直流電車が走るアーバンネットワーク外でのことだから、見たのはこれ一度切りのことになった。このあと九州へ送られモハ421系の露払いをしたそうな。
帰路は敦賀16:04発、512レ青森初発14:43、大阪行きに乗車、京都19:18着。この512レは大阪終着20:09。走行時分29時間26分に及ぶものであった。DRFCにはこのような鈍行に乗車した輩もいらっしゃるので、いずれ道中記が披露されることに期待しよう。
京都〜敦賀間 113.5km 270円(学割で往復運賃)。今なら135円区間往復?やで。

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【1479】神戸駅の山側ホーム
 湯口 徹  - 08/7/17(木) 11:26 -
  
井原 実氏が「神戸駅のいちばん山側の古くさいホームから」特急第一ふじに乗られた、とありましたが、これは元来県庁所在地代表駅に全部あった貴賓用=天皇や皇族、外国貴人等の特別列車発着専用ホームです。当然本屋には貴賓室がありました。

このため乗降数も売上も三ノ宮に敵わないのに、駅の格では神戸が上、席次でも神戸駅長が三ノ宮駅長より上席であることを、観光課勤務で知りました。ある懇親会で神戸駅主席助役が、神戸電鉄の神戸駅乗り入れが実現しなかったことを、口を極めて悔しがっていたのを思い出します。

神戸高速鉄道は、当初神戸電鉄のみ湊川から地上・高架で国鉄神戸駅に乗り入れる計画で、このホームの更に山側に設置されたはずですが、途中で地下、新開地での4社接続に変更されました。

現在新開地本通=旧湊川跡に接した鰻の寝床状の実に情ないモール・湊川パークタウンは、実は神戸電鉄が国鉄神戸駅へ向かう為に建造済だった高架構造物の転用です。

神戸始発唯一の夜行急行「銀河」も上りはこのホームに据え付けられました。東京出張の際、運よく寝台券が取れれば三宮で20時半ぐらいまでジャンジャン市場で安酒を喰らい、六甲道では寝入っていたのを何回重ねたか。

現在では朝のラッシュ時のみ、列車線を走ってきた上り快速が、神戸で新快速に抜かれる際、この1番ホームに停車(それも結構長く)します。このケースで新快速、あるいは各停への乗換えは大事で、快速と各停とは、一つ手前の兵庫でするようにと、車内アナウンスしています。
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【1478】Re:151系の思い出 クロ151の切符
 井原 実  - 08/7/16(水) 21:35 -
  
クロ151がデビューしたのは、昭和35年6月のダイヤ改正で「つばめ」、「はと」が電車化され、「こだま」、「つばめ」各2往復となった時でした。食堂車(サシ151)も連結され、子ども心に「乗ってみたいなぁ」とあこがれていましたが、昭和39年に新幹線が開業するとこのパーラーカーに乗って東京に行けなくなることを知って、高校に入ったばかりでしたが、アルバイトを始め、夏休みになってやっとお金が貯まったので夢を実現しようと思いました。本当は広島から「つばめ」で東京まで行きたかったのですが、今のようにどこの駅でも日本中の切符が買えるわけではなく、また、乗る前日に広島に行かなければなりませんので、諦めて、東海道本線全線に乗ることにしました。神戸始発で明るいうちに全線乗るには「第1ふじ」しかありませんので、乗りたい日の1週間前に神戸駅まで行って購入したのが画像の切符です。駅員さんに「13日はクロ150ではないでしょうね」などと余計なことを言ったのを憶えています。
13日は良い天気で、神戸駅のいちばん山側の古くさいホームから発車しました。おねえさんが来て、紅茶とクッキーを置いていきました。運転車掌は東京車掌区のA氏でした。その後昭和42年12月に「明星」に乗客専務(1組)として乗務されているA氏をお見かけしたこともあります。「第1ふじ」に乗車中そのA氏に親切にしていただき、誰もいなかった区分室で昼食を食べさせてもらったり、運転台にあげてもらって窓を開けてホームの屋根すれすれに通過するのを体験したり、楽しい時間を過ごしました。東京に着いたらもう用事はないので、帰りの切符を確保しようとしたのですが、夏休みなのでかなり混んでおり、やっと買えたのが「第2いこま」でした。これがなんとサロ152−13で、当時はたしかサロ152−1と13の2両しか冷房化されていなかったと思うのですが、たいへんラッキーでした。

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【1477】151系の思い出 (クロ150−3)
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/7/15(火) 22:20 -
  
【1468】で湯口先輩より「こだま」試運転の画像が公開されたが、このような貴重な画像が諸先輩より惜しげもなく平然と公開されるところが当掲示板のすばらしいところであろう。また、神戸駅で撮影された山陽本線時代のD62の引く貨物列車も貴重な画像である。

「こだま」ではないが、151系にまつわる思い出を一つ紹介したい。昭和39年9月23日といえば、京阪沿線の高校に通学していた頃であるが、祝日の昼過ぎのこと、たまたま乗っていた市電伏見線南行が高倉陸橋を下り始めた時、京都駅に到着する下り「つばめ」(当時は広島行)が目に留まった。先頭車はクロ150−3、同車を撮影するチャンスは明日しかないと思い、翌日授業が終わるやいなや急ぎ最寄り駅へ、丹波橋で近鉄に乗換え京都駅に駆けつけ無事撮影することが出来た。

クロ150−3とは、151系クロの中で唯一パーラーカーでなかった車で、誕生の経緯は昭和39年4月24日、下り「第1富士」が草薙〜静岡間を走行中に踏切横断中のダンプカーと衝突、先頭のクロ151−7が大破しそのまま廃車。この事故は当時の新聞で写真と共に大きく取り上げられていたので、団塊世代より上の方は覚えておられる方も多いのではなかろうか。代車として急遽浜松工場でサロ150−3に運転台を取り付け、クロ150−3として、7月1日より新幹線開業までの3ヶ月間使用された。

新幹線開業後は、「とき」に転用するため再度浜松工場に入場し、普通車に改造され、クハ181−53となったが、昭和50年、183系1000番台投入による余剰車として廃車となった。

写真1〜3    クロ150−3       昭和39年9月23日
写真4[参考]  クロ151−3       昭和38年9月23日
写真5[参考]  クモハ157−4(ひびき) 昭和38年9月23日

[お詫びと訂正]
【1469】留萌鉄道のホハニ201の経歴が間違っておりました。
正しくは、日本鉄道いろ61→国有後イネロ5050→ロネロ5080→ホロネロ250→ホロヘ6580→ホハ2213→留萌鉄道ホハフ201→ホハニ201 と変化しています。お詫びの上訂正します。

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【クロ150-3.jpg : 44.8KB】

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【1476】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-6
 湯口 徹  - 08/7/14(月) 10:47 -
  
IL TRENINO VERDE サルディーニャ島鉄道「緑の列車」マコメールで その1

マコメールは海抜約500mの高地だが、標準軌間国鉄、ハイウェイ131号線が集る要所で、我等が「緑の列車」も東にヌオロまで日常運行している。

西海岸のレジャー地ボサまで950mm軌間の線路が伸びているが、夏季木・金曜のみ、ボサ・マリーナまでの46km1往復の列車が走るだけ。そんなことは現地に行くまで分からず、この日は火曜日だった。

そのマコメールで目にしたのは、またもや廃車の列だった。複線様の片側を一列に、どっさり並んでいる。車両基地が隣接しており、そこにはさすがにまともな車両が。綺麗に手入れされたブレダ製1Cタンク機(1914年製)はツアー等での貸し切り列車用である。転車台はイタリア独特のもので、大きな車輪が特色。

ニス仕上げの実に見事な木製ボギー客車、2軸手荷物車がいる。勿論復元車だが、こういった凝り様は流石ヨーロッパで、いい加減では人後に落ちないイタリアですら、事文化財の復元に関しては例外でない。スイスやオーストリーでもそうだったが、木ネジはすべてマイナスだから、モーターツールは使えず、手で締めている。

窓下の短冊張りの下端にも木ネジの頭が見え、これは日本(原則外部に釘の類を露出しない)にない技法である。標記の類はぶ厚い真鍮板の切り出しで、FDSに統合される前の私鉄略称であるS.F.S.Sとある。

イギリスに The Railway Touring Co.という世界中を対象に、主としてマニヤ向け蒸機列車の撮影専門の旅行社があり、一度メールしたら毎年ブローシャを送ってきた。丁度この年サルデーニャのツアーがあって、蒸機をチャーターしてフォトランをする、とあった。

運がよければどこかで(只で)チャーター蒸機列車に出くわすかと期待したが、世の中そんなに甘くなかった。

この日は西海岸のアルゲーロまで行きホテルを探す。折角なら旧市街でと、実に手ごろなペンション風ホテルを見つけたが、家族連れで満員。狭い旧市街をうろつき、住民に聞くと婆さんが連れて行ってやる(と言ったんだと思う)と、さっきのホテルにもう一度。

近隣住民の交渉なら、と期待したが矢張り駄目。それにしても親切なものである。結局そのホテルで聞いた新市街のホテルを確保。この町は古い港町で、かつての要塞や砲台跡も残り、旧市街の道は狭い。それも車で行くと次第に狭くなり、一時はどうなるかと心配したが、ミラーは畳んだが何とか抜けられた。

ここからサッサリ、ヌルヴィ、ソルソへの日常運行線があり、駅は町を少し外れたところにあって結構乗降がある。しかし車両は新型DCで、期待外れ。

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【1475】友書紹介
 乙訓の老人  - 08/7/11(金) 15:22 -
  
RM107 富山地鉄 笹津・射水線 デ5000系物語
服部重敬著 発行所:(株)ネコ・パブリッシング 定価1,000円+税
ポン友の優秀なる書が上梓された。ポン友は1954年生まれ、1989年長島温泉で知り合った。1990年G.W.、日本路面電車同好会(JTS)アメリカ西海岸LRT探訪の旅で、行の半分を共にした。ヘビースモーカーで、道中サン・ホセ(ノゼ)デーポで「沖さん、煙草が切れた。一本呼んでやって下さい」と言って来てからしばらく、関空で仕入れたスーパーライトを支給した。その後、気付いたら禁煙者となっていた。理由は空の旅を重ねるためであった。
ポン友は今回のデ5000系上梓3週間前に、JTBキャンブックスで“世界のLRT”で共著者として名を連ねている。その書も紹介しようと思っていたのだが、仕事(まだ現役)が忙しく期を逸したこと、ポン友にお詫びしたい。キャンブックスではLRTを導入した代表的な都市の群像が紹介されているが、それらは主にポン友が執筆したらしい。実はここしばらく生(中)を酌み交わしていない。その彼はデジタル元祖青信号の愛読者である。学生時代を富山で送ったポン友は、富山ライトレールに関心を寄せていた。開業後、デ元青(なんぞええ愛称つけてほしい)で、須磨の大人投稿“富岩鉄道の写真”を知るや、それと射水線と笹津線の写真提供協力を言ってきた。それがほんの少し実現した結果、友書のあとがきに“同志社大学鉄道同好会クローバー会の方々や…略…貴重な写真を御提供いただいた…略…”と、記して頂けた。おありがとうございます。
ポン友が青春時代を送った越中国では、1950〜1960年に富山市を中心に電鉄網は発展を遂げた。ところが急速なモータリゼーションの前に萎んでいった。その背景には高度経済成長の波に乗ったと言ってしまえばありきたりで、その根底には富山ならではの立地条件があったが、それを語ると長話となるからカットする。その結果、世帯当たり自家用車保有数が日本の都道府県では2番となった。富山新港による分断話は別として、射水、笹津線両線の凋落ぶりが切々と語られている。ポン友の青春時代に身近であった電車が消えて行くなんて断腸の思いであったであろう。
ヒギンスさんを口説き落としたのは、ポン友と老人の仕業であった。日本でLRT研究の第一人者であるポン友の書を紹介できるのはとても嬉しい。手ごろな価格でもあるのでぜひ手にして欲しいと、御願いする次第である。
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