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【1199】おじさんの集まり
 893-2  - 08/3/9(日) 22:33 -
  
この週末、3/7金曜日東京発の銀河で「デカンショ祭り号」氏がご夫婦で西下
されるということで、同期の「ロクイチ」氏と一期下の「松柏」氏とともに
その御行幸に運転手として参加させていただきました。
まず、土曜日は早朝に起き出してご乗座されている銀河を名神クロスで
撮影の後件の山崎のカーブで警官も出動するお祭り騒ぎの中「なは・あかつき」
を撮影し、西宮北口で3氏と合流、「デカンショ祭り号」氏の一声でまずは
播但線長谷−生野にて「はまかぜ1号」を撮影、久しぶりに撮影する方、
一週間前に一眼デジカメを買ったばかりの方、下手な写真を量産してる方など
皆それぞれのスタイルで撮影後、「松柏」氏の提案で姫新線の東嘴崎に
行きました。これが事件の発端でした。というのも長谷−生野で撮影時に
「デカンショ祭り号」氏と「松柏」氏は踏切の設備にそれぞれの鞄を掛けて
いたのです。東嘴崎に移動して丁度いい具合に10分程度で1本下りが
来たので撮影後のことでした。運転手の私が車のキーを開けたところ
「松柏」氏が急に「鞄がないです!」と言い出しました。
車の中を一通り探しましたが見つからず、「今撮ってたとこにおいてきたん
ちゃうん。」と能天気に話す「ロクイチ」氏の傍らで呆然と佇む「松柏」氏
でした。「さっき踏切のところに忘れました。」と叫ぶ「松柏」氏に
他全員の冷たい視線が集中したのは言うまでもありません。しかし貴重品一式
が入っているということで仕方がないので戻ることになりました。
げんなりしている我々を尻目に「デカンショ祭り号」氏は「いや〜、今から
行けばはまかぜ3号に間に合いますよ〜。」と相変わらずの転んでもタダでは
起きない性格を発揮してご発言されたので運転手としては間に合わせるべく
車を進めました。件の踏切に戻ったところその袋はまだ踏切にぶら下がった
ままでした。「ありました〜。」と興奮する「松柏」氏の髪の毛の後退具合を
見つめながら「ひょっとしてアルツハイマーの走りか?」と思ったのは私だけ
だったのでしょうか。すぐに無事「はまかぜ3号」も通過し、本日のメイン
三木鉄道に向かい、私がドライバー兼ガイドとしてご案内を差し上げ、
夕刻の宝塚駅で無事解散となりました。その後「デカンショ祭り号」氏は
ご両親との晩餐会へ、「ロクイチ」氏は駄洒落を飛ばしながら実家へ遺産の
勘定に、「松柏」氏は緊張のあまり抜けた毛を植毛に、私は車庫で車を磨きに
それぞれ帰途につきました。たまには、こんな集まりも良いですな。
今日の教訓は「ロクイチ」氏にお任せ致します。

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【1198】少し前の名鉄本線
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/3/8(土) 8:25 -
  
【1179】【1180】で湯口先輩より、またまた昭和32年に撮影された貴重な画像を公開して戴いたが、前回同様乏しい資料で判った範囲で解説したい。その前に【1168】「かなり前の名鉄築港線」の中の「サ11」と「サ21」について、乙訓の長老を通じて、長老のご友人である服部重敬様よりご回答を戴いたので紹介したい。

サ10形は明治40年11月、瀬戸電鉄テ3、4で後にレ3、4に改番、サ20形は昭和41年1月製造のレ5、6である。昭和26年5月に東名港線(築港線)の認可が下りているので、それまでは瀬戸線で使われていたのかもしれない。サ20形は丸屋根であるが、これは嵐山電車軌道と並び、我が国鉄道車両で最初期の採用の筈である。いずれも昭和32年に廃車となっており、それまで東港線で使われていたのだろう。

【1179】のモ102は、元谷汲鉄道のデロ1〜6で、黒野〜谷汲間開業に際して大正13年に製造。その後、50形を経てモ100形となっている。昭和25年夏に軌道線であった豊川市内線用に転属し、昭和28年の昇圧まで使用された。廃車は昭和34年に揖斐線で、その後再度揖斐線に転属したものであろう。(原文を一部修正させて頂きました)

【1179】の上から順に解説する。(ク2091とク2131は【1183】参照)
クニ2032(【1180】のクニ2031、ク2006も同様)
神宮前〜豊橋間と神宮前〜常滑間の前身の愛知電気鉄道の付2形(サハ2000〜2004、2006〜2010)として大正12年12月に日本車両作られ、後に2両が荷物室を設置して、サハニ2030形となり、名鉄合併後ク二2030形となった。後に荷物室を撤去して客室に復元しているが、復元工事で新川工場に入場している時に撮影されたのではないだろうか。

モ1063、モ1072
愛知電気鉄道の電6形(デハ1060〜1064、1066〜1074)として、大正13年から14年にかけて日本車両で作られた。本線の1500Vに備え、1060〜1064は複電圧、1066〜1074は1500V専用で作られた。名鉄合併後1066〜1074は、モ1070形に改称された。いずれも昭和34年までにモ3700形の種車となり姿を消した。

ク2265
名岐鉄道の前身、初代名古屋鉄道の1511〜1517として大正12年8月に名古屋電車製作所で作られ、後にデボ400形(401〜407)に改称された。戦後、昭和23年に電装解除され、ク2260形となったが昭和40年5月までに廃車された。

モ354
初代名古屋鉄道の1501〜1505、1510として大正12年8月に名古屋電車製作所で作られ、後にデボ350形(351〜357)に改称された。昭和37年までに廃車されたが、昭和18年に焼失し、2扉、丸屋根車で復旧したモ353のみ北恵那鉄道に譲渡されたので、こちらで見られた方も多いのではなかろうか。

サ2252
昭和18年に近江鉄道から購入した車両で前身は同社のクハユ25である。大正14年12月、彦根〜多賀間の電化完成時に電1〜5として加藤車両製作所で作られた木製車で、昭和3年7月1500Vに昇圧時、電装解除してサハ21〜25に、昭和4年12月、23〜25に荷持室、郵便室を設置して、サハ二23、サハユ24、25に、翌年の昭和5年12月に運転機器を設置してクハ21、22、クハニ23、クハユ24、25と目まぐるしく変化した。昭和18年に鋼体化、電動車化が計画され、車体、台車ともに新製されることになったため、旧車体は名鉄に譲渡し、サ2251〜2255となる予定であったが、時局柄完成が遅れたため名鉄に行ったのは、クハニ23とクハユ25の2両のみとなった。名鉄では当初5両入線することを想定して、サ2253、2255としたが、後にサ2251、2252に改番した。前回解説したサ2111の台車の件であるが、湯口先輩が撮影されたサ2252は、リンケホフマン社製の台車を履いているので、サ2251のものを流用したとも考えられなくはないが確証がなく、同時期に撮影されたサ2251の写真が発掘されれば解決するものと思われる。車籍は近江鉄道で鋼体化後のクハ21〜25が引き継いだため、名鉄での製造年等は、昭和18年新川工場か鳴海工場製となっている筈である。尚、鋼体化後の近江鉄道クハ(実際は機器不足のためサハ)21〜25については、複雑怪奇な運命を辿っているので別途解説したい。

サ2252の前にチラッと写っているのは、広見線、八百津線の前身、元東美鉄道のデボ100形(昭和5年日本車両製)で、名鉄合併後、モ300形、後にク2190形となって瀬戸線に入った車両であるが、詳細は瀬戸線の項で解説する。

ここから「少し前の話」で、今回は戦前に作られた本線系の車両を紹介したい。
上から
1.モ3403−サ2453−モ3453−ク2403  昭和42年7月23日 金山橋
 モ3400形は、昭和12年に登場した戦前の名鉄を代表する電車であった。この編成のモ3403−ク2403はモ3401−ク2401に改番の上、動態保存的に残されたが平成12年8月に廃車、現在モ3401のみが保存されている。

2.モ3401−サ2451+モ3821−ク2821 昭和42年7月23日 金山橋
 昭和42年から車体更新が開始されたが、この編成は2両単位で実施されたため、モ3800形−ク2800形との併結が見られた。

3.モ3401−サ2451−モ3451−ク2401  昭和45年10月4日 新岐阜
 車体更新後ストロークリームに赤帯塗装の時。個人的にはこの塗装は似合っているとは思わなかった。

4.モ804     昭和42年7月23日 金山橋
 元名岐鉄道のデ800形(801〜810)で、昭和10年日本車両製である。本来両運であったが、801と写真の804は片運化された。

5.モ3551    昭和42年7月23日 金山橋
戦時中の昭和19年に日本車両で作られた。当初電装品がなく、サハ代用で電機に引かれて使用され、昭和22年に本来の電動車となった。3扉ロングシートであったが、ラッシュ時のみならず、データイムでも意外によくみかけた

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【1197】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-15
 湯口 徹  - 08/3/7(金) 11:29 -
  
旧GMF=現TPEその2

先回得意げに紹介した標準軌間貨車をメーターゲージに直通させる接点でのランプだが、いまひとつ分かりにくいとのご意見(文句)が。待っていましたとばかり写真1コマを使って講釈に及ぶ。実はこれだけはRVO(Regionalverkehr Oberaargau)での撮影だが、こっちのほうが原理が分かりやすい。

メーターゲージと標準軌間と4線式にレールが敷設されている。標準軌間の方だけ次第に高くなって、メーターの方はそのまま。アダプターを履いた標準軌間貨車をこの区間に押し込んでいくと、やがて標準軌間の車輪が勾配のついた区間でレールに接し、更に高くなると下部のメーター軌間アダプターが自然に離れる、という仕組みである。

緑色の電車は、現在は予備あるいは特別運行用であろうが、そんなに古くはないがやはりスイスの電車とは、かくありたいものだ。2軸の客車はホイルベースが長く、手前の狭窓車は窓下側板が湾曲。その後ろの広窓車は電車同様裾が丸められている。

側廊下付客車は明治から大正にかけ我国にもボギー車を含め結構沢山あった。例えば旧加悦鉄道SL広場に保存されているハブ3は、加悦の前は伊賀鉄道、さらに讃岐鉄道だが、バンデルツイーペン製造時やはり郵便室横が側廊下式だった。しかし全車にわたり側廊下という車輌は日本にはなかったはずだ。

書留便も扱う郵便室には車掌といえども通り抜けを許さず、完全に閉鎖空間を保ちながら乗客や車掌の通過を保証するための、欧州独特の構造である。遥か以前旧東ドイツのドレスデン近郊=ラーデボウル・オストに保存されている2軸郵便車を紹介したことがある。

これは軽便(軌間750mm)だから側廊下が設けられず、その代わり車体外にステップと手すりを付け、車掌は車外を蟹のように横ばいして列車の前後に行き来する、というものだった。

派手な色の有蓋貨車だが、右側のワフの屋根にはガラス張り?のキューポラーらしきものがある。手前のワム?の側面には上部鉄蓋?が3か所あって、その下部にはY字型の鉄棒がつき、レールに沿って鉄蓋が開けられるのは通風のため?。これもスイスやドイツの貨車特有の構造らしい。

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【1196】余部鉄橋の桜伐採は開花後に
 元祖青信号編集部  - 08/3/5(水) 11:10 -
  
JR西“粋な計らい” 余部鉄橋の桜伐採は開花後に

伐採延期が決まり、余部鉄橋で“最後の桜”を楽しめることに

 JR山陰線・余部鉄橋(兵庫県香美町)が平成22年度の完成に向けてコンクリート橋への架け替え工事が進むのに伴い、伐採予定だったプラットホームそばの樹齢約50年の桜5本が、今春の開花後まで延期されることになった。JR西日本は当初「工事に支障が出る」として、年明け早々にも伐採する予定だったが、地元住民の「せめて今春の開花まで待って」の要望に応えた形だ。

この桜は、同駅が完成した昭和34年4月、それまでは隣駅まで歩いていた当時の住民たちが念願の駅開設を喜び、旧国鉄と一緒に同駅のプラットホームそばに苗木を記念樹として植樹。その後、桜は約半世紀で高さ4〜5メートルにまで成長し毎春、満開の桜とワインレッドの橋脚の競演は春の風物詩となった。
 しかし、新橋は現在の鉄橋から7メートル南に建設され、桜の場所が建設地に含まれることから、JRは昨年末、5本すべての伐採を決定。住民らは同町を通じ、JR西日本福知山支社に「伐採は仕方がないが、せめて満開の桜を見届けたい」と延期を要望。同支社が町に「伐採は開花が終わってから」と回答した。
 JRの粋な計らいに、地元の余部地区連合自治会の山本美津男会長は「新芽が出ている桜が切られるのには心が痛んだ。伐採が延期となったことで、“最後の桜”をしっかりと見届けたい」と話している。

3月5日10時45分配信 産経新聞より転載
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【1195】通勤の車窓 今昔 −3−
 総本家・青信号特派員  - 08/3/4(火) 22:11 -
  
通勤途上、始発電車に乗り換えるため、ときどき高槻市駅で下車する。阪急のなかで有数の乗降客数の同駅ではあるが、以前と比べると閑散とした印象は否めない。
それで思い出すのは初めて阪急で通勤を始めた25年ぐらい前、高架になる前の地上時代の高槻市駅のことだ。このときも始発の電車に乗るためも、ホームに降りた。ところが、ホームに人があふれていて、長蛇の列がいくつもできている。通勤特急の列、急行の列、動物園前行きの列と、狭いホームに列が渦巻き、どこが列の終端なのかも分からないありさま、すごい人の熱気を感じ取ったものだった。それほど当時の高槻市駅は人が多かった印象が残る。
そう思い、資料の裏づけをと乗降人員を調べてみた。昭和50年代の前半、高槻市駅の一日の乗降人員は約7万人、ところが最近は6万6千人程度で、JRへの転移があるとはいえ、格段の減少ではない。そう映ったのは、単に旧駅に狭さのせいだけだったのだろうか。
写真は、昭和27年の高槻市駅【写真1】。故羽村宏さんの撮影で、原型のP−6型2連の特急。戦後再開された特急は京阪間無停車だったが、その後、高槻市と西院に停車するようになった。周囲の町並みも実に鄙びたものである。【写真2】は、昭和48年3月にあったP−6型のお別れ運転時のもので、特急の通過待ちのため、高槻市駅で待機中。鉄道友の会の主催で、正雀車庫で撮影会を行って、その後、桂までP−6最後の走行を飾った。私は友の会会員でもなかったが、当会顧問で友の会支部長の大西さんによく誘われて、藤本さんらと行事にもぐり込ませてもらい貴重な体験をさせてもらった。
最近ではちょうど上下の特急が並ぶシーンが日中見られる【写真3】。話に聞くと、今年9300系がさらに増備されるようで、30年以上の間、長らく京都線の顔として君臨した6300系もいよいよその座を降りる日が近づいてきた。

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【1194】釜石線をアップしました
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/3/2(日) 17:13 -
  
『蒸気機関車山路を行く』に、釜石線を追加しました。こちらからご覧下さい。
http://kabutogoe.web.fc2.com/kamaishi/taiki.html

また、その他の各線はこちらからです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~tsuru/yama.html

下はその一部、建設歴史年表と、D50のダブルで、たこトンネルを出たところです。

この前当欄で、釜石駅舎の写真をお願いしたところ、大阪特派員様よりご協力を
頂きました。駅前に製鉄所が迫るど迫力の写真です。
あと、たこトンネルの図面などもあります。

1.釜石線変遷年表
2.写真 貨666列車 機 D50166【釜】+D5061【釜】
      陸中大橋−上有住間、1967.1.1

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【1193】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-14
 湯口 徹  - 08/3/2(日) 12:44 -
  
旧GMF(Gruyere-Fribourg-Morat)=現TPE(Transports publics fribourgeois)その1

標準軌間貨車をメーターゲージで輸送し、また戻す風景をご覧頂く。過去しつこく書き続けたからもう結構という向きも少なくなかろうが、従前とは若干異なるランプ利用方式で、貨車もボギー車であるとして「押し売り」しておく。

標準軌間貨車は当然ながらバッファーと螺旋連環式=左右逆ネジを利用し、連結遊間をなくす欧州標準連結器で、車輪をメーターゲージ小車輪で支えているから、バッファー中心高は更に上がる。この方式はアップ写真でご納得頂きたい。

牽引する電車は連結器がドイツ・スイス軽便独特の密連で中心高が低い。このためメーターゲージ電車牽引区間では貨車との間には有蓋貨車を控車として間に挟み対応している。

ビュールまで電車に牽かれ到着した貨車は、ここでB凸型電機に引き継がれ、構内のランプに押し上げられる。貨車が長いフラットカーなので、そのランプも長い。電機はこのためだけのものだから、標準軌間貨車対応のバッファーを備えている。

先ずメーターゲージ線を車軸アダプターのまま、ランプに押し込んでいくと、途中から標準軌間の鋼桁が貨車の車輪を受け止め、メーターゲージとの高低差により自然にアダプターが外れる仕組み。その逆も同様である。

ただこの作業には警戒色作業衣姿の職員と電機運転手とも4〜5人は掛かっていて、何が何でも鉄道で運ぶという姿勢だけでなく、ほぼ各電車とも貨車を牽いているようだから成り立っているのかもしれない。日本ならこんなことは物理的に無理だし、例え出来ても採算に合わずとして、トラック輸送以外発想すらしないだろう。

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【1192】恐る恐る・・・
 米手作市  - 08/3/1(土) 12:20 -
  
試しに投稿してみましょう。う〜んコチョコチョっと・・・、はい、どうや?

よかった!大成功!

和田平助さんも清水三重子さんも書いて下さいね。
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【1191】No.13−3 雪の境線
 米っ子便り  - 08/3/1(土) 0:38 -
  
5枚目です。

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【1190】No.13−2 雪の境線
 米っ子便り  - 08/3/1(土) 0:31 -
  
続きの写真をを掲載します。

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【1189】No.13 雪の境線
 米っ子便り  - 08/3/1(土) 0:27 -
  
2月24日も降雪です。1週間前程ではありませんでしたが、今回は、次回撮れなかった境線の米子〜和田浜を目指しました。

雪の大山は、終日雪雲に隠れて雄姿を見せませんでしたが、降ることがあっても強い浜風が吹き、積ることが少ない境線を撮影することができました。

ただ前夜から満充電しておいた電チャリのバッテリーは、寒さで急速に劣化して、いつもの半分しか持たず、1歩手前で帰途を余儀なくされました。

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【1188】ありがとうございました
 K.H.生  - 08/2/29(金) 19:30 -
  
藤本さま、御回答ありがとうございました。
作業局の時代、明治30年代といいますと東海道線や各地幹線が開通して
10年内外、1900年代の頃ですね。
作業局の客車というと、新橋工場、神戸工場が頭に浮かびますが
名古屋工場というのはその後国鉄名古屋工場になったのでしょうか。
メーカーとしての印象が少し薄いのですが、修理で無く新製もどのくらい
程度していたのか、概要を知りたくなりました。

さていよいよこの掲示板もパスワード制に。スパム投稿が横行するから仕方ないですが
時代の流れなのでしょうか。
しかし誰でも見られるHPや掲示板というのが理想のように思えても
今の時代、大学でもIDカードがなければ入っていけないし
そのへんに知識と情報を共有することの難しさも感じます。

あすから季節も春、50周年に向けて盛り上げていきましょう。
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【1187】四国のキハ58+キハ65
 85年度車輌班高橋 E-MAIL  - 08/2/28(木) 23:22 -
  
不用意に触っていたら削除してしまったのでまた書き込みます。
さる25日、土讃線のキハ65+キハ58に乗ってきました。急行型DCのキハ28、58、65は全国的に見ても定期運用が無くなりつつありますが、DMH17サウンドも相俟って最新車輌とは違う重厚な味わいがあります。この日、首都圏色に塗り直されたキハ47が入線したこともあってか、かなりの人が写真を撮っていました。勾配のある非電化区間をキハ58+キハ65は山あいにエンジンの音を轟かせて山峡の無人駅坪尻に着きます。坪尻は何度行っても飽きないいい雰囲気の駅で、最近では新聞等にも取り上げられたりしてちょっとしたブームにもなっているのではないでしょうか?私はDF50+旧型客車時代の土讃線は知りません。また先輩諸氏の書き込みや写真を拝見できれば幸いです。阿波池田から4連で254Dとなり、とりわけ坂出ー高松間は快速サンポートとして21.3キロを19で走破するなかなかの俊足ぶりです。かつての急行時代が思い出されます。四国のキハ58+キハ65の活躍もあとわずかです。皆様もいかがですか?

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【1186】消えゆく381系の快速通勤ライナー
 米っ子便り No.12  - 08/2/28(木) 22:29 -
  
2008年3月15日の時刻改正で、“特急やくも”の車両を使用して西出雲7:35−(5416M)→8:36米子の快速通勤ライナーが消えます。

どこかの○○ライナーと違って、追加料金は取らず、グリーン車も解放されていて、毎日400名が乗車する山陰での最高のサービス列車だっただけに消えゆくのは残念です。381系以前は181系が使用されていました。

松江方面に行く際にすれ違うことはあっても乗車したことはありませんでしたが、最後の日は是非とも乗りたいと思っています。

代わって登場するのは、名前は同じ快速通勤ライナーでも、113系と格落ちです。せめて、221系か、117系でしたら少しは、許されるでしょうが、明らかにサービスダウンです。これでまたJR利用者が減るのでしょう。

113系は、2月21日に京都から回送されてきました。出雲方向から、
クハ111-7760+モハ112-7706+モハ113-7706+クハ111-7710
まだ京キトの表示です。

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【1185】期待はずれの出雲
 米っ子便り No.11  - 08/2/28(木) 21:16 -
  
2月17日、2日前より降り続いた雪で、今期1番の積雪の日を迎えました。鳥取はもっと積もったようで、ポイントが圧雪で動かずで、ダイヤはガタガタです。出雲市まで自腹で特急に乗るハメとなりました。

日曜日でしたが、出雲のお客様との商談です。勿論、前後の時間を利用して、出雲を走る一畑電鉄の撮影と張りきって出かけましたが、松江を過ぎると車窓からの風景は、一転して雪は降れども直ぐに消えてなくなっています。

昼食に入った出雲そば屋のご主人も“最近は降っても積もらなくなったなぁ”。JA島根の広報者も“温暖化の影響で、島根のお米は、コシヒカリが中心だったが、山間部を除いては適さなくなってきている。今は、北海道が適作地だろう”とのお言葉が実感できます。

そんなわけで、皆様方のご期待に応える写真は撮れませんでした。
次回は、雪の大山をバックに機会を待っておりますので、ご期待下さい。

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