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【1399】少し前の東武鉄道野田線T
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/6/4(水) 22:28 -
  
【1271】でささやかではあるが東武鉄道伊勢崎、日光線系統の車両を紹介したが、今回は野田線の車両を紹介する。

野田線は、大宮から春日部、野田市、柏を通り船橋を結んでいるが、全線通しで乗車する客は少なく、沿線の途中駅から大宮、春日部、柏、船橋で乗換え都心に向かう客が多い。つくばエキスプレス開業後は、交差する流山おおたかの森駅で乗換えて秋葉原に向かう客が増えている。船橋から春日部経由で日光、鬼怒川方面に向かう客は少ないため、「日光フリー切符」「尾瀬・鬼怒川ルートパス」等の割引切符類は新柏から船橋方面の各駅では発売されていない。昼間10分間隔で運行されており極めて利便性は高いが、単線区間(春日部〜運河、逆井〜六実)での離合待ちは如何ともし難く、全線で約90分を要している。

野田線の歴史を簡単に振返ると、明治44年5月、野田で生産されている醤油を輸送する目的で、野田町(現野田市)〜柏間を千葉県営軽便鉄道野田線として開業。軽便鉄道と云っても軌間は国鉄(当時は鉄道院)と同じ1067mmであった。大正12年8月北総鉄道に譲渡、同年12月柏〜船橋間を開業した。その後部分開業を繰返しながら昭和4年11月大宮まで全通し、社名を総武鉄道に変更した。昭和19年3月1日に陸上交通事業調整法に基づき東武鉄道に吸収合併された。北総鉄道→総武鉄道は元々京成電鉄系の会社であったが、東武と合併当時は京成との関係は薄れ、キッコーマン醤油の傍系会社となっていた。

全くの余談であるが、銚子電鉄の本業は煎餅会社と思っている人がいるそうであるが、売上高、利益構成を見るとそのように思われても無理からぬところである。しかし煎餅のおかげで有名になり、乗客が増え収益が改善されたのであれば結構なことではないか。聞くところによると来年度中古の冷房車を4両も導入するとかで、元近江鉄道の701、702、鶴見臨港の買収国電生残りの301、元伊予鉄の801の引退は残念ながら避けられない。何処の中古が入るのか興味深い処である。

話を野田線に戻すと、現在車両は、オール8000系の6連で変化に乏しいが、昭和40年代は3200系、同系の車体更新車3500系を主力に、4扉の7800系が4連で運行され、40年代前半では総武鉄道から引継いだ車両も健在であった。

1.大宮公園〜北大宮間を走る4両編成(後追い)  昭和43年9月16日
昭和40年代の野田線を代表する編成で、2両目は野田線の前身、総武鉄道引継ぎのクハ220形である。

2.モハ3200   七光台検修区        昭和43年9月16日
昭和2年日車製で、デハ4形と称されていた。次の3210形と共に戦前の東武を代表する車両で、元は両運、クロスシート、トイレ付であったが、戦前にロングシート化され、戦後、トイレと副運転台の撤去が実施された。

3.モハ3211    七光台検修区     昭和45年9月15日
昭和3年から4年にかけて、日光線全通、伊勢崎線、東上線の電化に備えて、日車と汽車会社で44両作られた。電5形と称され、2扉ロングシート、長距離運転のためトイレ付であった。当初は片運であったが、単行運転の必要性から副運転台が設置され両運になったが、増設運転台はトイレが左側にあるため右側に設置された。写真のモハ3211は日車製である。

4.5. モハ3237   七光台検修区     昭和45年9月15日
 昭和3年汽車会社製の車である。日車製はスソに切れ込みがあるのに対し、汽車会社製はスソが一直線になっている。多くの車は戦後副運転台の撤去が行われたが、この車は残っていた。
 
 トイレ付の電動車は近鉄モ2200が有名で、トイレ部分に窓が無く、正面から見ると片目であったが、東武は目隠しのため窓ガラスを白に塗っていた。

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【1398】34年前の時計塔
 湯口 徹  - 08/6/4(水) 11:11 -
  
中国特派員氏[1339 深センから香港]から香港ネタが続き、旧九龍駅の時計塔が出てきたので、拙老も記憶を絞り出してお仲間に入れて下され。34年前の1974年、生まれて初めて海外なるものを経験し、その帰路香港に立ち寄り、九龍の安ホテル(エレベーターが故障でスーツケースを5階まで担ぎ上げさせられた)に投宿。

早速九広鉄道の起点九龍駅に。当時香港島に渡るスターフェリー乗り場に向かい合い広大な駅とヤードが展開していた。お誂え向きに陸橋があって、その上から対岸香港島をバックに写真が撮れた。

カラーネガ退色復元技術未習得で不思議な色になり見苦しいのはお詫びするが、タブレットキャリアの輪が日本に比しやたら大きかったのが印象に深い。プラットホームが何面もあって、ラッシュ時には次々と列車が出発していった。特派員氏が記した時計塔が画面右端に写っている。

この駅はその後都市計画でずっと後退し中心部から外れ、敷地は付加価値の高い施設に分捕られたが、この時点の香港=特に九龍地区はまだまだ素朴で、いい意味で猥雑だった。

車体一杯の広告で有名な香港島の二階路面電車は、現在も車体を新調して健在だが、一部トレーラーを引いているものがあって、その7年後ではかなりの電車がトレーラー牽引だったと記憶する。

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【九龍駅1.jpg : 317.0KB】

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【1397】Re:香港鉄路博物館
 中国特派員便り  - 08/6/3(火) 20:52 -
  
デカンショまつり号様、お写真掲載いただきまして、ありがとうございます。参考になりました。次回は、休館日を避けて見に行ってきます。

宿泊されるなら、シンセンが良いですよ。何よりもホテル代が、香港の半額以下です。食事をするにも香港のようにチップも不要です。時間帯や客数に応じての料金の上下もありません。お勧めします。
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【1396】Re:香港鉄路博物館
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/6/3(火) 0:09 -
  
三枚目は、1920年代に香港を走り、その後、フィリピンで活躍し、香港に里帰りした狭軌の蒸気機関車です。
ではなく、1955年製の223号三等客車でした。失礼しました。
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【1395】香港鉄路博物館
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/6/3(火) 0:06 -
  
中国特派員さんからの投稿があった香港鉄路博物館に昨年、職場の旅行で香港に行ったついでに行ってきました。場所は、九広東鉄の大哺(口ヘンが土ヘンです。)嘘(同じく口ヘンが土ヘンです。)駅または、太和駅どちらからも徒歩約10分です。中心地の尖沙粗(米ヘンが口ヘンです。)から地下鉄全(草かんむりに全)湾線で油麻地か旺角か太子で地下鉄観塘線に乗り換え、さらに九龍塘で九広東鉄に乗り換えていくか、尖沙粗(米ヘンが口ヘンです。)から少し歩いたところにある九広東鉄の尖東から行くかどちらかですが、後者が乗り換えなく便利です。とてもこじんまりとした博物館で、7〜8両ほどの車両が旧大哺(口ヘンが土ヘンです。)嘘(同じく口ヘンが土ヘンです。)駅を利用して作られた場所に展示されています。入場は、無料で9:00〜17:00の開館です。休館日は、火曜日と12/25,26,1/1と旧正月3日間とのことです。香港への旅行で、午後、日本に帰国する行程でしたら、最終日、ホテルを朝9時前に出て、見学し、ホテルに戻るような行程がお勧めです。
訪れたのは、2007年12月17日の夕方でしたが、ほとんど誰もいませんでした。
一枚目の写真は、旧駅舎で事務所になっています。模型や資料が展示されております。ミュージアムショップはありませんが、事務所で絵はがきを売っています。
二枚目の写真は、二・三年前に新たに展示物に加わった51号ディーゼル機関車です。最近まで、現役だったようです。
三枚目は、1920年代に香港を走り、その後、フィリピンで活躍し、香港に里帰りした狭軌の蒸気機関車です。
四枚目は、1974年近畿車輛の車内銘板です。1974年製の276号3等客車でKD台車をはいていました。
五枚目は、同車の車内です。転換クロスシートではありますがとても簡単な構造です。天井が高く広々しているので、思わず教会の礼拝堂を想像してしまいました。

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【PC170228.JPG : 93.7KB】

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【1394】CRHの旅 Part10 深センから香港
 中国特派員便り  - 08/6/2(月) 21:18 -
  
Part9の続きを連載しようとしていましたら、予期せぬ転勤で、バタバタです。1ケ月近くも経過しました。申し訳ありません。

その間、中国では、四川大震災勃発、多くの人命が奪われました。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

実は、今回のCRHの旅は、広州→シンセン→昆明→成都を予定していました。四川のナローゲージにも行くつもりで、現地の旅行社に切符の手配を依頼していたのですが、出発直前になって、NGが出てしまいました。大丈夫だと言っておられたのですが、中国ではよくある事と諦めてシンセン、香港、広州のみに切り替えた次第です。

現地情報では、被害が少なくまだ動いていると聞きますが、実際は行って見ないと、分かりません。多分、成都周辺の鉄道網はズタズタでしょう。落ち着いたら、再挑戦してみるつもりです。

さて、シンセン地鉄視察の次は、新しくできた皇崗駅からの香港行ルートに初挑戦にしました。ついでに香港鉄道博物館にも寄ってきたいと、昨日見た皇崗駅を目指しました。

非常に大きな駅で、コンコースもホームもたっぷりと余裕をとってありましたが、利用客は少なく、あっという間に出国審査所をでると、○(四に維)湖駅同様に橋がかかっており、徒歩での香港入りです。

香港側は、落馬洲駅です。こちらも広い駅で、待っていると長編成の電車が入線してきましたが、乗車客は、1両に数名です。乗り換えなしの直行で、終点の○(小に大)東駅まで約50分乗車でした。勿論、途中からは、満員となりました。

折角の香港です。地下鉄移動は味気ないので、やはりスターフェリー乗り場に向かいましたが、数年前とは周辺の様子が変わっていて、迷うこと数回。道を聞きながらたどり着きました。

スターフェリー乗り場前には、かっての九龍駅の跡地を残す時計台があります。高層ビルが立ち並ぶ九龍半島を見ながら香港島に到着。久しぶりの、2階建ての路面電車に乗って、街の見学です。香港見学は、これが1番です。

香港は2年ぶりの訪問でしたが、ラッピング技術が上がったのか、以前よりとても綺麗に見えました。日本のメーカーの掲出も多く、1両1両を楽しめます。

シンセンとは違って、やはり大都会です。湧くように人があふれています。
復路もスターフェリーにして、MTRは、鉄道博物館のある太和駅で下車。乗車時間は約30分です。香港に行かれる方は、近いですので是非にお勧めします。駅から歩くこと約10分で着きましたが、残念ながら休館日でした。事前に調べてなかったことを悔いました。

シンセンへの帰りは、○(四に維)湖駅経由にしましたが、こちらは一杯の人でした。夜は、現地案内人に任せて、香港で食いそびれた海鮮料理を堪能しました。

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【1393】そうだ!北陸へ行こう!Part4(パノラマ・...
 ロクイチ  - 08/6/1(日) 23:04 -
  
 今回の北陸行のメイン・イベントはこの「雷鳥」号の「パノラマ・グリーン車」(金沢〜大阪・全区間)運転席かぶりつきの乗車会でした。

 4月末、ブギウギ氏にこのパノラマ・グリーン車乗車会の企画のお話をしたところ、二つ返事で「是非出かけましょう!GWでもどうですか?」と逆提案もいただきましたが、当方の仕事の都合からGWはどうしても無理なのと、出来れば観光客が比較的少ない時期に出かけたいとの思惑から、今回の日程での開催となりました。

 今回パノラマ・グリーン車「クロ481−2000」に乗りたいと思ったキッカケは、当方の友人のブログ(RMのホビダス趣味ログでも常に人気上位10位以内に入っている人気ブログです。興味のある方は探してみてください。)で、京都総合車両所の485系の連載をしており、その中で「クロ481−2000」の特集を行っていたことでした。

 また、3月末に東海地区にJRCの「ひよこさん」の記念IC乗車券を買い求めに出かけてきた際に、久しぶりに乗車した名鉄7000系のパノラマカー(ここ最近、地元新聞の記事の影響等で週末は親子連れで超人気モノのようですが・・・)の展望席の楽しさをアルコール片手に(旧国鉄の)特急電車で体験したいとの思いが沸々と沸き起こり今回の企画実施となりました。

以下に、写真の解説を交えてその乗車記を紹介します。

@「1枚目」今回の乗車列車は「雷鳥38号」(金沢発16:11⇒大阪着19:08)のです。およそ3時間の今回の我々の乗車編成・車両はA01編成のクロ481−2001号車です。
車内の改造銘板によると「平成元年・吹田工場でサロ489−1001より改造された」とありました。金沢駅への列車の据付に運転してきた運転担当者は写真のとおりヘルメット着用でした。(検車担当者が本線運転資格を所持しているのか?それとも、通常の乗務員または、構内運転担当者がその業務の特殊性からヘルメット着用をしているのか?興味があるところです。)
 
A「2枚目」本日の金沢駅⇒敦賀駅間の担当運転乗務員は新人さんの研修でした。お師匠さんの指導員氏が運転席の左側に立って厳しく指導されておりました。(当方のグリーン券で指定された席は1号車1番A席で、折角の展望が悪くなりそうでしたので空いている反対側のC席に移動しました。)カレチ氏の検札の際に、その旨と「C席のグリーン券所持者が現れた場合はA席に戻る」と告げましたが、終着大阪到着までに1号車に乗車したのは我々のほかに、3番C席と4番C席の合計4名だけでした。真剣に運転する運転士氏とその指導をする指導員の姿は、こちらも安全運行の大切さを教えられているようでした。

B「3枚目」福井駅からは、敦賀駅⇒大阪駅間を運転する乗務員氏が乗り込み都合、3名の乗務員での運行です。前方を監視する3名の様子はまるで一世代前の大型航空機のようです。
真剣に運転する新人氏の確認・喚呼の様子を眺めていると、金沢駅で乗車前に購入したアルコール片手に客席から眺めるのが申し訳ないようにも思いました。(笑)

C「4枚目」目にまぶしい新緑を眺めながら進んできた行程半ば、新人運転士氏の交代前の最後の山場がこの北陸トンネル通過直後の交直転換のセクションです。(交直セクションの写真はその様子がよくわからないので、北陸トンネル突入の様子を載せることにしました。)

D「5枚目」敦賀駅で金沢駅から乗務してきた新人氏と指導員氏が下車した後は、福井駅から乗務してきた運転士氏一人での運転です。京都駅発車後に、A席からの眺めも確認しようと思って梅小路(貨物)駅通過あたりで撮ったのが、この写真です。「1枚目」から「4枚目」の写真とはまた、一味違ったアングルをお楽しみいただけると思います。

以上、金沢駅⇒大阪駅のおよそ3時間の展望席の旅は、今回の鉄チャン旅の最後を締めくくるものとしては最高でした。
皆さんも一度、お試しになることをお勧めします。

長期に亘る拙文にお付き合いいただきありがとうございました。

添付画像
【金沢駅入線.jpg : 102.7KB】

添付画像
【指差喚呼.jpg : 268.9KB】

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【寛ぐブギウギ氏の背後から.jpg : 126.1KB】

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【北陸トンネル突入.jpg : 207.8KB】

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【1392】そうだ!北陸へ行こう!Part3(Re:455...
 ロクイチ  - 08/6/1(日) 22:07 -
  
かつての鈍行列車のように(富山駅で)長時間停車をしてしまいましたが、「そうだ!北陸へ行こう!」シリーズを続けさせていただきます。(笑)

 今回の北陸行での北陸本線内での移動は、旧583系改造の419系の乗車も期待したのですが、すべて急行型の475系列もしくは、その改造車の413系にお世話になりました。(気心の知れた同行者とボックスシートから眺める鮮やかな新緑や水を張ったばかりの田圃の風景は目にとても優しく、またなんだか懐かしくもありました。)
 
 さて、3月に引退した東北方面の急行型交直流電車について、藤本先輩が以前の投稿でコメントをされており、楽しませていただいたことを思い出しました。琵琶湖総会でいただいた編成表、とても興味深く拝見しました。車両だけでなく過去の優等列車等の列車編成に関するお話などもお聞かせいただければと、思っております。厚かましいお願いだとは思いますが、是非ともよろしくお願いいたしたく存じます。
今後ともよろしくお願いいたします。

▼藤本哲男さん:
>かつて首都圏と東北地方を結び、多くの人々に愛され親しまれた交直流急行形電車が終焉を迎えたことは、時代の流れとはいえ大変残念でならない。個人的には、元の急行塗装で上野〜仙台間の急行「まつしま」のリバイバル運転を実施してもらいたかった。しかし、俄かファンの殺到による混乱を考えると今回のような形が精一杯だったのかも知れない。何はともあれ、我々の世代にとって馴染みの深い車両が姿を消したことは一抹の寂しさを覚える次第である。私が東京に引越した昭和58年には、既に急行列車の運用から退き、東北本線黒磯以北、磐越西線、常磐線水戸以北のローカル用となっており、青春18切符で乗車することも多かったが、往年の健脚振りは変わらなかった。

 当方の東北方面の交直流急行型電車の思い出は、周遊券を片手に、大学入学直後に、東北新幹線開業前に「ひばり」「はつかり」「やまびこ」や(ED71)ED75などの牽引する列車の撮影の際に、福島周辺で「まつしま」などに乗った程度です。(あのころは急行といえば客車の夜行急行を多用しており、電車急行は短区間利用が多かった記憶がありますね。)
その中では、日にちが変わるころに上野駅を出る夜行の電車急行「ばんだい」に乗って喜多方駅からの日中線をたずねたことが一番印象に残っております。

 閑話休題
それでは、今回の北陸行で撮影した写真を簡単なコメントを加えながら紹介します。

@「一枚目」は10日(土)に直江津駅⇒筒石駅を乗車した532Mを直江津駅発車前に写したものです。隣のJREの旧北越(白鳥)色も久しぶりに見ることが出来ました。列車種別表示窓の埋め込みと併せて、北陸線の交直流急行型電車の特徴のひとつであるクモハの運転台の上のベンチレータが片方撤去されている様子が良く分かります。隣のJREの485系はT16編成ですが、「893−2」氏の情報によるとT18編成が国鉄特急色に最近塗り替えられたとのことです。

A「2枚目」は、同じ10日に富山地鉄の西魚津駅で、隣の北陸本線を直江津方面に向かう現行北陸色普通列車「クモハ」の流し撮りの練習を愉しんだときのものです。車内の一部ロングシート化した部分のつり革の設置状況や、上記でも取り上げたベンチレータ撤去の様子などが分かります。

B「3枚目」は、翌11日(日)に、富山駅⇒倶利伽羅駅に向かう際に乗車した、クモハ413−101と北越急行の683系8000番台「はくたか」を捉えたものです。
どちらも番台区分上、1組しかない車両が並びました。(ちなみにクモハ413−101は、1形式1ユニットしかなかった473系からの改造車、683系8000番台も「はくたか」用の追加増備編成で同じく1ユニットのみです。)

C「4枚目」は、倶利伽羅駅で捉えた国鉄急行色です。色は国鉄時代に復元されていますが、運転席の窓ガラスの熱線入りガラス化(デフロスタの撤去)や屋根上の列車無線アンテナなどが整備され、旧型とは言えども列車運行の安全に対する装備を(追加)整備していることが写真からも見て取ることが分かります。
(ちなみに、同じアングルで先日「ブギウギ氏」が紹介されていた「快速・ホリディライナーかなざわ」に使用中の北陸色のクハは屋根上のクーラーがAU12のままのようで、冷房準備車として増備された車両だと判りますね。列車無線アンテナの取り付け位置も違っておりなかなか楽しめますね。)

D「5枚目」は、同じく倶利伽羅駅で撮影したもう1本(10日に我々がお世話になった「1枚目」の写真)の編成の反対側のクハです。乗降の少ない山中の小さな無人駅であっても、列車側方監視動作としてレピーターと鉄道時計を交互に見つめる「基本動作の励行」の後ろ姿に同じ運輸マンとして安全運行に対する信頼感を感じました。国鉄時代には考えられなかった女性車掌と国鉄急行色のコラボ写真をどうぞ。

以上、今回の北陸行で接することが出来た普段着姿の国鉄型急行型電車の活躍する状況のご紹介でした。

添付画像
【直江津駅にて.jpg : 350.4KB】

添付画像
【クモハ475@西魚津.JPG : 35.5KB】

添付画像
【富山駅にて.jpg : 462.3KB】

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添付画像
【国鉄色&女性車掌.jpg : 235.3KB】
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・名前 : クモハ475@西魚津.JPG
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【1391】長徳寺
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/6/1(日) 18:54 -
  
DRFCは長徳寺を忘れてはならない。先ごろ祇園長楽寺の話題で賑わったが、今日は長徳寺です。

真宗大谷派長徳寺。上京区西洞院通上長者町上ル。住職は円乗師(当時)、摂師(
現在)。 寺領約300坪、門をくぐると右手に厠と、歯のお墓(この墓は京都市内でも珍 しい。筆者の永久歯1本−下前歯、根元を含め長さ約20mm−もここに眠る)がある。左手に鐘楼(写真参照)。奥は中央に枯山水、右手が本堂、左手が庫裏。

こないだの話です。

この庫裏の2階の二部屋こそ好学の徒2名が起居した下宿部屋であった。1958年頃から、まず章元さんが、61年から64年まで筆者が、63年から65年までは名古屋の宗教家が部屋主であった。なお、この宗教家は浄土宗知恩院派でありながら、真宗の寺に下宿、通う学校がキリスト教と分けのわからぬ御仁でもあった。

下宿部屋は日々勉学に勤しむ者のみが入室を許される神聖なる6畳部屋である。部屋中央にボールを置くと、自然に窓側に転がっていくような、いささか古びた部屋でも、勉学以外の目的には、本来活用してはならない筈なのであった。

にもかかわらずである。DRFCの連中はお寺、下宿生など関係者に一切の断りも無く活用と利用を行ったのである。下宿代の一端を補完するでもなく、寺社への寄進行為も一切無くである。しかも時間無制限に。1時間目が休講だといっては、下宿生をたたき起こして押し入った岩波君。下宿生が勉学中で不在でも勝手に上りこむ、深夜お引取りを願ってもなかなかお帰りにならない連中が占拠していたのである。よくもお寺が文句を言わなかったものである。ただの1回の文句も聞いたことはない。本当にありがたいことであった。階段下の靴の数といったら、とっくに寺社関係者の人数を凌ぐ。

青信号の11号に始まり、多分15,16号くらいまでは、編集室兼印刷工場でもあった。4級スーパーラジオの中継する日本シリーズを聞きながら手動で印刷したものである。休憩時には下宿生の粋な計らいで、ネスカフェのインスタントコーヒーが戴けたのである。それでもDRFCからの感謝の意は未だ聞いていない。

下宿生の発端は、現在安城市に在住の章元さんである。二代目が筆者、三代目が名古屋の坊主兼教育者の哲彦さんである。DRFCでない四代目も居た。三代目は、浄土宗知恩院派でありながら、真宗の寺に下宿、通う学校がキリスト系と訳のわからぬ坊主ではあった。

DRFCの連中と、お寺で一番顔見知りだったのは、おばさんである。今も健在であり、毎年正月に電話で歓談する。'08年の正月も電話を掛けてていただいた。とても元気で、声も話し方も当時と全く変わらない。いつも決まって出る話は、『章ちゃんは元気ですか、魚住さんは?』である。それは良いとして次に出るのが『卵やの吉田はんはどないしてはる?』である。断っておくが吉田君は、下宿生ではない。ただひたすらに入りびったっていただけである。にもかかわらずおばさんの脳裏に焼きついているのだ。当時から個性の強烈な人だったのでしょうね。

世の中様変わりだらけですが、お寺のおばさんのように今も変わらぬ人もちゃんといらっしゃるのですね。筆者のお爺さんはどうでしょうか。女子高生から若さの素を頂いてはいますが、もうすぐ70歳です。

あれからもうすぐ50年、半世紀近くが経ちました。

写真は、上から順に、
1.長徳寺門前、真宗大谷派長徳寺の札が見える
2.本堂前の廊下で日向ぼっこ
  (左から)吉田君、筆者鶴、亀田君

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【621025m.jpg : 155.1KB】

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【1390】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-2
 湯口 徹  - 08/5/31(土) 16:19 -
  
IL TRENINO VERDE =サルディーニャ島「緑の列車」その2 島に着いたら・・・

広大なモンセラット車両基地には工場もあり、新しい鉄道博物館も併設されている。1928年509Aフィアット・2扉セダンのゴムタイヤをフランジ付鉄輪に嵌め変えただけの、支配人専用インスペくションカーが動態保存され、先回紹介したNHK心象画像にも登場した。しかし土曜の夕方とあって人気はなく、ガラス越しに覗くだけだったのが何とも無念だった。

その外には全身赤錆なのか、錆止めペイントなのかの、優雅なBBマレー機M30がいる。恐らくは将来復活(静態保存であっても)させるべく、保管(雨ざらしだが)しているのではないか。これはボルジッヒ1909年製で、砂箱がやたら背が高いのは、8輪に砂を供給するため、容量が大きいのであろう。

マレー機残骸は他にもシュヴァルツコフ1909年製BB機201が。なぜかボイラーが前後逆(火室を前頭に)に収められ、これには首をひねるのみ。

さらにコッペル1914年製機の残骸が4両(300〜303)=クライン・リンドナー方式のラジアルアクスル機で、Dでありながら第1、第4動輪が連動ロッドにかかわらず首を振る=1B1と同じ働きをし、急曲線に対応する特殊構造機関車である。本来先輪はないのだが、脱線防止に後からフレームを継ぎ足して付加された。

廃車の大群は前回記したようにうんざりするほど。これはこの後も各地で見、撮影することになる。

日も暮れたのでカリアリに戻り、ホテルのクラークに車の置き場を尋ねたら、こともなげにすぐ前の路上駐車場(時間に応じコインを入れる)に、最低額のみ入れておけ(と言ったんだろうと思う)とニベもない。0.5ユーロ(1時間分)入れた。

相棒は念のため猿股と靴下を買い、リストランテで海鮮サラダ、スパゲッティ、ビール、1人13ユーロ。うまかった。明日は荷物が到着していることを祈りながら。

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【ボルジッヒのマレー機.jpg : 343.6KB】

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【クライン・リンドナー機.jpg : 439.1KB】

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【1389】天然色で振り返る 40年前の日々 −9−
 総本家・青信号特派員  - 08/5/31(土) 0:20 -
  
◎電化直後の札幌にて
昭和43年という年は、北海道の鉄道にとっても記念すべき年だった。8月28日に、小樽〜滝川間で電化が完成したのである。電気機関車、電車が初めて北海道を走り出した。その直後に札幌駅を訪れ撮影を行った。
ただ、電化に必要な車両は充足されておらず、札幌駅で見る限り旅客列車の半分以上が蒸機牽引で残り、朝などは、「まりも」を牽くC57、「石北」を引くC62が、通勤列車に混じって堂々と出入りしていた。ダイヤも、増発・改定は10月のヨンサントウ改正を待たねばならず、現行ダイヤで一部の車両を置き換えただけの電化完成だった。そんな中で、ED76500代に置き換わった列車があった(写真1)。函館発釧路行の長距離鈍行である。従来の九州地区のED76と違って貫通型であり、耐寒耐雪装備の初の交差型パンタの電機であった。電車も真っ赤な711系が投入された。電車で交流専用というのが、すごくインパクトがあった。
そんな世代交代の進む札幌駅で、1番ホーム端の切欠きホーム0番線でポツンと発車を待っていた単行のDCがいた(写真2)。定山渓鉄道のキハ7000だ。定山渓鉄道は東札幌から定山渓までの電化鉄道であるが、非電化の千歳線に乗り入れて札幌駅まで直通するDCを昭和32年に新製した。それがキハ7000、75000の4両で、札幌駅0番線を専用ホームとして発着し、豊平からは電車と併結され自身はトレーラーとなって定山渓へ向かって行った。しかし、地下鉄建設に伴い、この1年後には廃止されてしまう。二枚窓といい、白線の処理といい、いかにも地方鉄道然とした昭和30年代製造のスタイルをしている。
過日、初めて高架になった札幌駅を訪れた。周囲の高層ビルとともに、その変わりようには言葉もないほどだった。

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【写真1 ED76の牽く列車.jpg : 330.7KB】

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【写真2 定山渓キハ7000.jpg : 241.6KB】
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【1388】上信電鉄 デハ100形について
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/5/30(金) 23:04 -
  
【1330】でK.H.生さんが疑問を持たれた件、【1340】で回答したところ「あれではわからん」という声があったので補足する。

件の台車は【1340】でも書いた通り、元々西武501系のモハ501形が履いていた台車であるが、501系は初代と2代目があり、これが西武ファン以外の方にとっては混乱の元となっている。簡単に説明すると、初代501系は昭和29年から作られた車両で、モハは湘南スタイルの17m3扉車、中間サハは20m3扉車で、Mc−T−T−Mcが10編成作られた。(モハ501〜520、サハ1501〜1520)【1313】で紹介した上毛電鉄デハ238は正に初代モハ501の後身である。

昭和32年から初代501系の増備として、モハ521〜530、サハ1521〜1530(4連×5本)が作られ、モハは20mとなったが主電動機は初代と同じ128kWのMT30であった。話がここで終わると混乱は生じないが、昭和33年、初代モハ501形の置換えとして2代目モハ501〜520が作られ、主電動機と台車を初代から流用した。置換えといっても初代が廃車になった訳ではなく、形式をモハ411と改称、主電動機の取替え(100kWのMT15EまたはMB146C)、台車をTR14に履替えを実施した。更に昭和39年に形式を351系クモハ351形に改番した。(昭和39年1月、運転台付電動車の形式を国鉄並に「クモハ」に改称している)

話をモハ501形に戻すと、台車の空気バネ化が実施されたのは、TR25系を履いていた501〜510、DT13を履いていた511、512、DT12を履いていた513〜515の15両で(写真1)、TR22を履いていた516〜530はそのままであった。(写真2)

上信電鉄デハ100形の前身、451系について簡単に解説すると、昭和34年に作られた、西武初の3扉両開車として登場、正面は湘南スタイルから切妻に変化した。最初はモハのみ451〜470が作られ、従来のクハ1411形(3扉片開き)と組んだ。足回りは中古品で、台車はイコライザーのTR14A、主電動機は100kWのMT15Eであった。その後、クハ、サハ、中間モハが誕生し、更にTcのMc化、McのTc化等複雑な経歴を経ているが解説は省略する。(写真3)

話を上信電鉄のデハ103−クハ103に戻すと、デハ103の台車は西武クモハ501〜510のいずれかが履いていたTR25A(前回のTR25Cは誤りであるが、このタイプの台車はTR25A、25B、25Cと3種類ありタネ台車の違いだけで、外観はほとんど同じ)主電動機は128kWのMT−30、クハ103はTR11Aを履いている。
先週の5月19日、20日と仕事で高崎に行ったが、ED316と共に放置状態が続いており、荒廃が一層進んでいるように見えた。

参考までに451系の次に作られた551系の写真も添付する。

1. クモハ508(台車はTR25A)  昭和45年9月14日 小手指検車区
2. クモハ521(台車はTR21)   昭和45年9月14日 小手指検車区
3. クモハ474(台車はTR14A)  昭和45年9月14日 小手指検車区
4. クモハ556(台車はTR14A)  昭和45年9月14日 小手指検車区
451系に続いて昭和36年に作られた551系は再度正面2枚窓になった。
翌年の昭和37年に作られた601系からやっとカルダン駆動になったが、クハの台車は相変わらず中古のTR11Aであった。

添付画像
【クモハ508.jpg : 48.4KB】

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【クモハ521.jpg : 45.3KB】

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【クモハ556.jpg : 43.7KB】
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【1387】天然色で振り返る 40年前の日々 −8−
 総本家・青信号特派員  - 08/5/29(木) 22:42 -
  
◎お召、北海道を行く
【1379】のように、昭和43年9月に、開道百周年と道北視察によるお召列車が道内各地に運転された。まだ良き時代のこと、事前に大まかなダイヤが、鉄道雑誌や新聞に公表されていた。それをもとに撮影スケジュールも立てられたが、牽引機までは分からない。まだ非電化区間は蒸機中心の時代、もしやと期待したが、直前に問い合わせると、すべてDLということで、淡い期待は外れてしまった (ただ、往きのお召編成の回送を東北本線で撮ったところ、これはC60の牽引だった)。
しかし初めてのお召撮影、胸は高まる。ただ警備の厳しさだけは、昔も今も変わらない。とくに大学紛争が頂点にあった時代、みすぼらしい風体の大学生は、今の大学生以上に怪しい存在だった。線路沿いに立つだけで、警備陣が近づき、カバンの中身まで調べられた。

お召列車は以下のように運転された。
9/1 千歳→札幌 
9/3 札幌→旭川→上川
9/5 上川→旭川→豊富
9/6 稚内→千歳
牽引機は千歳・函館・石北線がDD51548、宗谷線がDE10501+502で、最北の稚内までお召が走ったのは初めてで、DE10がお召に使用されたのも今回が初めてだった。稚内から千歳まで約550km、ほぼ東京〜大阪間に相当する距離を一日でロングランしたのもお召史上で特筆されるだろう。
写真1は、美唄鉄道へ行った折、美唄駅の北側で写した旭川行きお召、写真2は新旭川から歩いて写した上川行きお召。このときは山川さんと一緒だった。写真3は音威子府からヒッチハイクして写した豊富行きのお召。このときも山川さんと一緒だった。こちらが立つのは手塩川の対岸、さすがの警備もここまでは及ばない。線路端で警備する保線区員に「どけー!」とみんなで叫んだことを思い出す。撮影が終ってから、すぐ近くの小学校へ先生に招き入れられ、冷たい水を飲ませてもらいながら、北海道ならではのいろいろな話を聞かせていただいた。

添付画像
【写真1 美唄.jpg : 219.5KB】

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【1386】ラブラドール鉱山専用線
 '82年度生 大墨佳司  - 08/5/28(水) 8:14 -
  
このところ自宅からは投稿できない状態が続いていますが、出張先からトライして投稿に成功しました。
今、ラブラドール鉄鉱石のヤマへ来ています。
切り出しから、ペレット工場への運搬に専用線が使われていますが
そこで見つけたDL(写真1)です。
もうひとつはEL(写真2)です。
仕事中だったので、アングルにこだわることが出来ず、恥ずかしい作品ですが・・・。
カナダで初めてELを見ました。一般営業線では見られません。専用線ならではです。

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【DL重連(2).JPG : 243.0KB】

添付画像
【EL.jpg : 279.1KB】
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【1385】2階建て客車
 ブギウギ E-MAIL  - 08/5/27(火) 23:30 -
  
先日2階建ての電車(家?)の投稿を拝見しましたので僭越ながら当方も小ネタを少し。もう3年前の夏になりますが、米国カリフォルニア州に行った折、サンマテオからサンフランシスコまで1時間弱CALTRAINという鉄道に乗りました。西海岸の郊外都市で鉄道という選択肢は想定外だったのですが、本数は少ないながら(日中は1時間ヘッド)なかなか快適で渋滞しがちのフリーウェイよりもかなり速達しました。この鉄道はサンフランシスコからサンノゼまでの間をDL牽引5両程度の2階建ての客車で運行されています。その客車ですが写真の219と表示のある赤白の洗練されたタイプは215系や京阪特急の2階建てのような形状ですが、もう一方のステンレス車体(3800?)は写真のように中央の通路部分が吹き抜けになっていて長身の人が歩くのに好都合と思いつつも2階部分が両側一列しか座席がとれないので収容力が???です。この車の銘板を見ると日本車輌1985とありました。

添付画像
【IMGP0273.jpg : 118.0KB】

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【IMGP0276.jpg : 136.7KB】

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【IMGP0289.jpg : 162.4KB】

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【IMGP0381.jpg : 110.1KB】

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【IMGP0525.jpg : 116.5KB】
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