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【1321】CRHの旅 Part9 深セン地鉄初乗車
 中国特派員便り  - 08/5/7(水) 20:05 -
  
東洋一の広さと呼ばれる広州空港に到着後、リムジンバスで広州駅に向かい、CRH1のD779に乗車して、深センに入りました。

D779は、CRH1-019Aの8両編成で、
ZY101901+ZE101902+ZE101903+ZE101904+ZEC101905+ZE10906+ZE10907+ZE10900
ZY=1等車、ZE=2等車、ZEC¬=2等と食堂車

2004年12月28日に開通した全国で6番目の地鉄全線乗車と飲茶、広東料理のグルメが目的です。現在での総延長は1号線と4号線と合わせて21.9km。19駅が設置されています。

乗車の度に切符を買うのは、面倒です。まずは、改札口横の有人精算所で、ICカードを購入します。
デポジットは、30元、運賃は70元込みの100元です。

全線地下駅で、全駅にホームドアが設置され、安全対策ができています。乗降に時間のかかる設備ですが、やはり安全が第1です。日本の地下駅にも是非とも設置していただきたいと思います。

車両は、ボンバルディア社から技術援助を受けた長春軌道客車製で、全線6両編成で運用されています。1号線は、香港との乗換駅の羅湖駅があり、2〜3間隔の運転でも満員の乗客ですが、4号線は、8〜15分間隔でも、ガラガラ状態です。

新しいだけに最新設備満載です。バリアーフリーも完備されていて、とても使いやすい地鉄です。切符をいちいち購入するのは面倒なので、ICカードを購入しての移動です。

1号線(羅湖〜世界之窓)は、深セン国際空港への延伸工事が進められています。中国国内から香港への航空券は、高価ですが深セン便だとかなり安くなります。

完成すると、各地空港→深セン空港-(地鉄)→羅湖駅(MTR乗換)→香港ルートの利用客も増加が見込めます。

2号線、5号線とも工事が進められていて、遅れていた交通インフラは、香港に隣接する深センのさらなる経済発展に大いに寄与すると期待されています。
深セン地鉄の公式HPです。 http://www.szmc.net/

深センは、中国でも治安の悪い都市の1つです。羅湖駅構内や駅前広場では、いたる所で公安が巡回しています。

以前に天津から来た日本料理屋の板前さんが、散策している途中で、3名の暴漢に無理やり車に拉致され、暴行を受けて金品を略奪された事を本人から直接聞きました。

夜は、繁華街を含めて、1人では絶対に行動しない方が安全です。
私は、治安の悪い都市に行く時には、その都度、現地を熟知している案内人を探して一緒に行動してもらっております。
夜の移動は、タクシー利用をお勧めします。

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【1320】地中からエレキ
 湯口 徹  - 08/5/7(水) 14:05 -
  
[1310]今出川浄福寺さんの Underground conduct system 興味深く拝読。線路軌間中央にかようなエレキテル装置を地中に収め、しかも極狭の開口部から集電するシステムには、土木工学的にも相当高度の技術が必要でしょう。しかも雨水等を排する、完璧な下水道システムも必然と思います。

これはサードレールシステムに限らず、サンフランシスコに代表される埋設エンドレスワイヤーでのケーブルカーも同じでしょうが。

我国の道路が実に貧弱だったのは、9〜10トンのセルポレー式蒸気動車が本来想定した都市内用としては橋梁や地下埋設物(特にガス)に重過ぎるとして不許可(呉)になり、発明者想定外の郊外路線で用いられた(瀬戸)ことからも分かります。

我国の併用軌道は大都会の目抜き通り以外無舗装が常態で、散水車が各地に活躍したのはそのためです。筑後軌道には動力車が牽引する付随散水車(容量二十八石五斗)があり、しかも6年半無認可のままでした。岡山電軌のは1958年7月23日、岡山駅前で、流石にこの時点ではヘェー、珍しい!と思った記憶があります。

京都市標準軌間のは大橋一央氏1939年12月8日壬生車庫で、北野天神さん鳥居前のN3号は撮影者不明。和服が圧倒的な皆の衆厚着ですから冬でしょう。散水車はけして夏だけのものではなかったのです。土埃は年中立ちますから。

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【1319】Re:伊豆急行サシ191
 K.H.生  - 08/5/7(水) 1:12 -
  
往古、でもない73年頃の鉄道ジャーナル誌上で「スコールカー」サシ191の
行く末という記事を読み、大いに感心を持った記憶があります。
伊豆急という鉄道の野心とでもいいましょうか、五島と堤の箱根山戦争が
一段落して次に伊豆半島南部の観光開発で、今なら3セク国鉄、JR系になるべき
新線を東急系の私鉄が乗り入れ前提で開業させたこと事体が奇貨とでも
言い得ましょうか。

その栄光の裏面史に位置付けられるのが短命だった新製私鉄食堂車の
運命でしょう。寿屋(サントリー)がビールに参戦、佐治敬三社長の
トップダウン戦略だったにしろ、換算1億円級の投資失敗ですから
株主責任など五月蝿い今ならどんなに追及されたことでしょう。
寿屋は今でも非上場ですから、その心配は要りませんが昨今の蚤の心臓の
ような雇われ社長らを見ていると、こんな歴史事実だけでも若い諸君は
胸躍らせるのではないでしょうか。

伊豆急を例えると初々しい新進女優から円熟した美女に変身しましたね。
ただしJRと寝るのも、元のパトロン東急との付き合いにも昔と違って
淡白さを感じ、かつてのような細やかな色気は感じられません。
そのあたりがマニア(舞台ファン)から見れば物足りなさと言ったら
言い過ぎでしょうか。
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【1318】京阪快速急行用新3000型発表!
 元祖青信号編集部  - 08/5/6(火) 21:32 -
  
10月19日に開業予定の京阪中之島新線の4新駅と、新たに導入される新型車両「3000系」のイメージなどが公開された。他の車両も同時にマイナーチェンジ、ダイヤも全面改正するという。

 中之島公会堂や府立図書館など美しい近代建築が並ぶエリアに位置する「なにわ橋駅」は、出入り口を世界的建築家の安藤忠雄氏が設計。背後にLED照明を内蔵したガラスブロックの内壁で、光の強さに濃淡のグラデーションを施した。

 また構内は地下1、2階建ての大胆な吹き抜け構造で、壁には煉瓦風のデザインを採用した。

 「大江橋」、「渡辺橋」、「中之島」の3駅は、出入り口のデザインが統一され、公園や街路樹をイメージした「木」と、川をイメージした「ガラス」をメーンにデザイン。構内も同様のコンセプトとなっている。

 一方導入される快速急行などに投入される3000系は、水都・大阪と京のれんなどを連想させる紺色を基調にした落ち着いたデザイン。

 車内では、鉄道車両としては初めて、座席の表地に座り心地が良く柔らかい手触りの東レ製「エクセーヌ」を採用した。

 また既存車両も含めて従来のイメージを一新する外装を採用。一般車両では、京阪のシンボルカラーとも言える緑色を残しつつ下半分を白にするという。

 中之島線の列車は、中之島駅発が平日昼間で1時間8本、うち2本は京都・出町柳行快速急行とする。

 中之島線内の全駅に全列車が停車するため、快速急行の停車駅は渡辺橋、なにわ橋、天満橋、京橋、守口市、寝屋川市、香里園、枚方市、樟葉、中書島、丹波橋、七条、祇園四条(現・四条)、三条。所要時間は65分。

 また中之島駅から主要駅への運賃は、天満橋210円、枚方市400円、三条460円、出町柳530円。

※車両写真は京阪のHPをご覧下さい。

産経izaより転載
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【1317】伊豆急行
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/5/6(火) 19:56 -
  
【1277】で乙訓の長老が伊豆高原に行かれたことを書込みされたが、何年か前にサシ191の撮影に行った時のことを書いてみたい。

その前にサシ191について簡単に述べると、開業2年後の昭和38年東急車輛で作られた私鉄では珍しい全室食堂車で、当時サントリー社がビールの発売を記念して伊豆急行に寄贈したと言われ、サントリー社の飲料とつまみ、軽食類が販売されていた。国鉄から伊東線への乗り入れを拒否され、伊東〜伊豆急下田間のみの営業であったため、所要時間が短すぎ、飲食中に目的駅に着いてしまうことになり、利用者は少なかった。昭和47年頃食堂車としての営業は休止となり、伊豆稲取駅に疎開留置されたが、昭和49年6月サハ191に改造され、平成3年12月廃車となった。

この車の登場時より是非見たいと思っていたのであるが、機会に恵まれず、昭和48年5月にやっと実行に移すことができた。

この車の撮影だけでは勿体ないので、前夜京都を出発し、大垣夜行で東京へ、上野駅で東北本線の一番電車(当時は日光行)で、小山下車、両毛線の旧形国電、宇都宮で当時1編成だけ残っていた日光線の旧形国電を撮影。直ぐに東京に戻り、熱海から伊豆稲取へ。その後、沼津で御殿場線の旧形国電、三島で伊豆箱根鉄道を撮影後、新幹線で帰京した。

伊豆稲取駅で撮影後、駅事務所にお礼に行った時、助役氏から興味深い話をお聞きした。50歳前後の方であったが、以前草軽電鉄の北軽井沢駅に勤めておられたとのことで、草軽電鉄廃止の時、会社から勧められて移ったとのこと。こちらは息をつく間もないほど忙しいが、雪がないので助かる。動力者の免許保持者は東急に研修に行った。貨物列車の運転は元草軽の運転士が断然うまい。伊豆急は元草軽の社員で持っているようなもの等と40分位話し込んだ。あれから35年経っているが、今でも草軽電鉄出身の方はおられるだろうか。

長老が撮影されたハワイアンブルーの車は、開業時に作られた両運のモハ103で、伊豆高原電車区の入換用として残されたもので、イベント時には公開されているので、是非行って見たいと思っている。

話は変わりますが、デカンショまつり号さんのご自宅は松戸市でしょうか。この夏より207系の置換えが始まりますので、真面目に撮影しておこうと思っています。どこかでニアミスする可能性がありますね。

写真1.2.3  サシ191  昭和48年5月13日  伊豆稲取

写真4. クモハ73900   昭和48年5月13日  沼津(御殿場線)
昭和23年製のモハ63848改造のクモハ73174を、昭和31年大井工場で全金車体に改造した。東京地区で使用されていたが昭和44年4月明石電車区に転属し、京都〜西明石間緩行線で使用されたが、付属編成に組み込まれていたことが多く、偶数向きのため先頭に出る機会は殆どなかった。昭和46年12月沼津区に転属し、御殿場線で使用、昭和55年1月、115系と交替して廃車となった。

写真5. クモハ73902  昭和48年5月13日  沼津(御殿場線)
昭和28年製のモハ63形最終製作の63856を改番したモハ73400の事故復旧時に、昭和32年大井工場で全金車体に改造した。東京地区で使用されていたが昭和44年4月前述の73900と共に明石電車区に転属し、京都〜西明石間緩行線で使用されたが、やはり付属編成に組み込まれることが多く、偶数向きのため先頭に出る機会は殆どなかった。昭和47年3月沼津区に転属し、御殿場線で使用、昭和55年3月、115系と交替して廃車となった。

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【1316】早起きは三文の得のはずが・・・・(国鉄色...
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/5/5(月) 18:14 -
  
今日は、遠方から夜通し走って、ねずみがキャラクターの遊園地に行く国鉄色の489系金沢車と583系仙台車が来るということで、五時台に起きて、武蔵野線東松戸駅へ。12月に、同じ東松戸で、583系の秋田車・仙台車、続行で10分も時間を空けず来たので、効率がよく撮影できた記憶があり、今日は、489系・583系とおいしいなあ。とカメラを構えることしばし・・・定刻になっても現れず、遅れて、583系が姿を現しました、本来なら489系、583系の順に舞浜に向かうはずが・・・いやな予感!と思ったと同時に後方から205系が・・・見事にかぶられました。さて、489系は、いづこ?583系が通過し、カメラの片付けをしていた同業者に聞いたところ、とうの昔に通過したとのこと、ダイヤ改正で、ひと駅先の市川大野で長時間停車に変更されたようです。早起きしたものの、かぶられるは・撮り逃がすは、散々でした。東大宮への回送は、撮るつもりはなかったのですが、あまりのショックでそのまま、二時間待ってやっとこさモノにしました。こんなことなら、ゆっくり起きて最初からこれを狙えばよかったです。それにしても、波動用の489系H4編成はボロボロでした。

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【1315】CRHの旅 Part8 広州〜深セン
 中国特派員便り  - 08/5/4(日) 15:46 -
  
お正月の東北地区を走行するCRH5に続き、今回は広東地区のCRH1に初乗車してまいりました。

この電車の技術供与元は、カナダのボンバルディア社製で、原形車はRegina C2008形です。中国では、CRH2と同様の南車四方機車車両有限公司で製造されています。
どちらかというと、寒冷地に適応した車両ですので、広州のような熱帯に近い路線に使用するのは、不思議に思いました。

2008年現在、深セン〜広州・広州東間(147km)には、早6時から23時まで上下合わせて通勤列車並みと言って過言ではない146本ものD列車が走行しています。停車駅は6駅ありますが、ノンストップもあれば、全駅停車、また1~4駅停車があって、選択できるようになっています。最も早い広州東〜深セン間ノンストップは、所要時間52分で、平均速度は、160.4km/hを誇ります。

各停車駅には、和諧号専用の有人切符売場の他に自働券売機も設置されていて、待たずに乗れて快適と申し上げたいのですが、中国鉄道駅では、改札口がわずかで、改札開始は、10数分前です。そこへ数100名の乗客が殺到しますので、大混乱となります。

ホームへ降りるエスカレーターやエレベーターもなく、大きな荷物を抱えた乗客は、1つの階段を降りるのは一苦労となっています。何とかスムーズに快適に乗車できるようにならないものかと、乗車するたびに思います。改善の余地、大いにありです。

さて、CRH1ですが、ステンレス製とあって、ずっしり感があります。車内空間もCRH2同様の車体幅があって、天井も高く、すこぶる快適な第一印象をもちました。圧迫感のあるCRH5とは、えらい違いです。乗車ドアーは、車体中央に1ケ所あり、開閉幅が広くて大きな荷物も問題なく乗せられます。

CRH2に劣る点は、CRH5同様に狭い洗面設備とシートです。専用の洗面器設置されている方が、女性にも好評でしょう。温風乾燥機もハンカチを携帯しない中国人には必要設備です。

シートも回転機能がない集団お見合い席で、リクライニング機能もなく、シートピッチもCRH2と比べると若干狭いようです。やはり日本の新幹線ベース車両は、優れています。
ただ、食堂車は、CRH中で最も広く席も十分あります。無座席乗客には、ありがたい車両です。

路線は、勾配も急カーブも殆どなく、乗り心地は快適でした。車内販売も来ますが、短時間乗車ですので、購入する人は殆どいませんでした。

京津高速鉄道を走行するドイツ製のCRH3が、ようやく4月11日に完成したとの報道がありましたので、また比較が楽しみです。
先月に北京・天津とまいりましたが、まだ電気関係の工事中で、残念ながら、まだ試運転は行われていませんでした。その後もニュースが全くありません。

8月1日に開通との報道発表がありましたが、もう残すところ2ケ月あまりです。300km/hで走行する路線です。こんな状態で、大丈夫なのでしょうか? 

滞在中、4月28日山東省内において、北京発四方行きT195次が50km/hもの制限速度オーバーで走行したため脱線転覆して、そこへ反対側から来た5034次が衝突し、72名が死亡、400人以上が重軽傷する大事故が発生しました。

尼崎事故と同様にスピード優先の落とし穴が招いた事故です。交通機関に最も必要な事は、安全性です。
再発防止を徹底して行われる事を望むと共に、不幸にも事故に遭遇して亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

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【1314】快速エアポート常磐
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/5/4(日) 14:42 -
  
大学卒業後、東国に飛ばされて、はや22年「東風吹かば、匂いおこせよ梅の花、主なしとて春な忘れそ」の心境もいずこやら・・・すっかり「あずまびと」になってしまいました。巷は、ゴールデンウィークですが、帰省する金もなく、近くの成田線で、数を減らしつつある国鉄色の183系が走りましたので、カメラ片手に撮影してまいりました。この快速「エアポート常磐」は、上野から常磐線を我孫子まで走り、そこから、成田線で成田へ。方向転換し、成田空港までいく列車で、今年の年末年始に続き、二度目の登場です!このGWは、4月26・27・29日と三日間、一日二往復運転されました。上野から成田空港まで二時間もかかりますので、乗車率はいまひとつのようですが、国鉄特急色ということもあり、沿線は、結構な人出でした。
丁度、下総では、田植えの季節でもあり、水面に映える姿は、なかなかのものです。

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【1313】上毛電鉄
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/5/4(日) 11:57 -
  
【1306】で長老より上毛電鉄を1999年(平成11年)1月に訪問された時の書込みがあった。その前に訪問されたのが37年前の1962年(昭和37年)と書かれており、その間の変化について触れてみたい。

昭和42年1月輸送力増強のため、国鉄で廃車になった17m国電を4両購入し、デハ222(元クモハ11214)+クハ771(元クハ16259)、デハ224(元クモハ11444)+クハ773(元クハ16529)として使用開始したが、在来車と併結不能(ラッシュ時はMc+Tcの基本編成にMcを増結していた)、消費電力が大きい等の理由により、昭和52年に廃車となった。

昭和52年から昭和55年にかけて元西武鉄道のクモハ351+クハ1411が8編成入線し、デハ310+クハ30となり西武時代の塗装のままで使用。デハ310は正面が湘南タイプの17m車、相棒のクハ30は国鉄クハ55タイプの20m車であった。この時点で在来車は貨車牽引用として残されたデハ101と104以外は廃車となった。

平成に入り、デハ310+クハ30の置換えのため、元東武鉄道の3000系が8編成入線し、デハ310+クハ330となった。東武3000系はデッカーと呼ばれていた元3200系の車体更新車である。平成7年、元東武3050系が8編成入線し、デハ350+クハ360となり、デハ310+クハ330を置換えたが車体が3000系と同形のため、遠目には区別はつかなかった。こちらは元5400系で電装品が日立製である。

長老が撮影されたのは、上から3番目がデハ356+クハ366、次のアンパンマン電車はデハ352+クハ362である。

余談であるが、同社の路線バスが地元で話題を呼んでいたことがある。同社で保有していた昭和41年製の日野のボンネットバス(型式BH15)が昭和49年に廃車され、スクラップ屋で物置代わりに使用されていたものを、昭和62年10月群馬県主導で実施された「バス・電車利用促進強調月間」の行事の一環として現役復帰させることになり、群馬日野自動車工業(株)で整備が行われ、10月5日より前橋駅〜前橋病院(赤坂駅の近く)間の一般路線で営業運転を開始、平成5年3月末に引退するまで前橋名物となっていた。引退後は日野自動車に引取られ、現在は八王子市の「日野自動車シャノン21」で動態保存されている。尚、バス事業は、平成7年4月7日をもって路線、貸切共撤退している。

(1)デハ224   昭和42年3月24日  大胡
元国鉄クモハ11444で最終配置は豊橋機関区、飯田線で使用されていた。前歴は木製車モハ10034を昭和13年大井工場で鋼体化してモハ50052となり、昭和28年の改番でモハ11444となった。

相棒のクハ773は元クハ16529で最終配置は富士電車区、身延線で使用されていた。前歴は木製車サハ25052を昭和17年大井工場で鋼体化し、クハ65177となり、昭和28年の改番でクハ16529となった。

(2)クハ771    昭和51年2月15日  大胡
元クハ16259で最終配置は北松本支区、大糸線で使用されていた。前歴はモハ30163として昭和3年川崎車輌で誕生、昭和24年電装解除してクハ38087に、昭和28年の改番でクハ16153に、昭和31年日車支店での更新修繕で丸屋根に改造された時にクハ16259となった。

相棒のデハ222は元クモハ11214で最終配置は、デハ224と同じ豊橋機関区、飯田線で使用されていた。前歴はモハ31040として昭和4年日本車輌で誕生、昭和28年の改番でモハ11214となった。

(3)デハ238   平成元年4月23日   大胡
元西武鉄道クモハ368で、昭和31年所沢工場で作られた。入線はグループの中では最も遅く、昭和55年であった。

(4)クハ36    昭和61年3月30日  江木〜赤坂
元西武鉄道クハ1448で、昭和32年所沢工場で作られた。入線は昭和54であった。右端に後部がチラッと写っているバスは、昭和42年式日野RB10Pで当時としては古い部類であった。

(5)群22あ20-39  平成5年3月23日  赤坂車庫
昭和41年日野自動車工業製で型式BH15、車体は帝国車体、元の登録番号は群2い3527であった。同時期に群2い3526〜3528、3537〜3540の7両購入し、3526〜3528、3537の4両が前後扉のワンマン車、3538〜3540の3両が中1扉のツーマン車であった。現役9年で廃車となり、12年間放置後現役に再復帰、7年間現役を勤めた。ボンネットバスは、この時代でも狭隘路線用として僅かに製作されており、京阪バス、江若鉄道、奈良交通等にも納入されたが、前後扉のワンマンカーは極めて珍しく、他に例はなかった。

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【1312】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-23
 湯口 徹  - 08/5/3(土) 9:43 -
  
TPC=Transports Publics du Chablais その8―BVB=Bex-Villars-Bretaye II

Villars-sur-Ollon の配線は完全なデルタ線を形成しており、先回ご覧頂いた右手に下部線、左に金網扉がある上部線の両方の線路がつながっており、三角形の二辺になっている。画面の奥にも上下線を結ぶ三辺目があり、上部線のホームや上屋はこの三角の敷地内で当然三角である。

青い凸型電機はボンネット部分の中央が通路のように見えるが、キャブへの出入りははサイドからで、妻面に扉はない。なぜこんな構造なのかは誰か教えてくだされ。機器点検のためか。上部線は先述のように全線ラック(二列歯アブト)で、当然平坦な駅構内でもラック走行である。

我々2人は1枚に2人の名を記したスイスパス(若干割引がある)だから同一行動が必然だが、+1人氏は単独行動ができるパスで、下部線車両基地のある Bevieux で下車して配線を記録。2人はベーの町へ先行し旧市街の狭い町並みを抜ける電車を撮影に。

やたら狭い区間を電車が単線で抜けるシーンはリスボン(ポルトガル)が有名だし、かなり以前モノクロでご覧頂いたリンツ(オーストリー)旧市街もかなりの長さがあった。このベーでの狭隘区間は長くないが、軌間から判断して車道部分は3メートル+αぐらいか。電車優先を明示する三角標識をとくとご覧あれ。かつての京都N電西洞院通は複線だったし、到底比肩されるものではない。

このボトルネック区間を抜けるとさして広くない広場に入り、そのド真中に電車の停留場 Bex-Place-du-Marche がある。スイスでは珍しいかと思う安全地帯が設けられており、簡単な(バス停並みの)上屋もある。ドイツ語圏の町ならマルクト・プラッツで必ず教会と町役場があってかなりの広さがあるのが普通だが、ここはフランス語圏である。

国鉄ベー駅前側線には誠にカラフルな貨車の一群が。現在では使うことも少ないのだろうが、貨車をかように彩色する発想は我国にはない。

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【1311】5月1日の日経朝刊「春秋」欄
 ロクイチ  - 08/5/2(金) 10:12 -
  
クローバー会メンバー(紳士)各位には、改めてご連絡するまでもかもしれませんが、鉄道趣味が社会的にここまで認知されてきた喜びを分かち合えればと思い書込ませて頂きます。(思わず嬉しくなってお昼休みにメールしてしまいました同年代会員各位! 速攻で、返信頂きましてありがとうございました。笑)

 昨日(5月1日)出勤の電車を待つ間、駅の売店で買い求めた日経朝刊の一面「春秋」欄を見て思わずニヤリとしてしまいました。(恐らく、同じ感情をお持ちになった会員諸氏も少なくないと思います。)

 もし、お読みでなかった方は、
日本経済新聞のホームページ
http://www.nikkei.co.jp/

にアクセスし「社説・春秋」タブをクリックして、「春秋(5/1)」を選択頂ければ、当該記事にアクセスできると思います。(このような不特定多数の方々が参加するサイトに於いては、日経HPのコンテンツにリンクを張る際には、著作権やリンクポリシー関連事項として、いろいろな手続きが要る様です。コンプライアンスに抵触しない範囲として、このような表現なら大丈夫だと思いますが・・・・。)

 会員諸氏で「新聞社の記事」を直接貼り付けされておられる方がお見えの様ですが、どのように新聞社に著作権やリンクについて承諾を得られているのかそのノウハウをお教え頂ければ幸いです。

 先日の「893−2」氏の「東洋経済」誌の紹介をはじめとして、鉄道模型業界のネタが、経済紙の看板とも言える「春秋」欄で話題になるとは、「鉄道趣味」が改めて本物の大人の趣味としての評価を受けてきていることの現れかと思い、嬉しくなって思わず書込んでしまいました。
(昨日の投稿を一部修正のうえ再投稿させて頂きました。)
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【1310】Conduit-system
 今出川浄福寺  - 08/5/2(金) 9:26 -
  
【1287】Re:NY市の2階附新電車 元祖青信号編集部 殿

 率爾ながら、乙訓の長老様未だ御出まし成らざる故、門外漢ではありますが少しばかり書き込みさせて頂きます。

>また、集電が地中集電とありますが最近欧州で出来つつある地中に埋められた送電線をコレクターを使って集電する方法でしょうか?

 当時の集電方法は、(Underground) conduit system と、称呼されている集電方法であります。地中に埋設された、一対の給電線に集電用摺板を装着したplow(鋤)を通して集電します。plowの取り付けは、台車、或いは車体中央に取り付けておりました。
  又、plowは地中にあることからその取り外し方法は、ピットを設け作業員が地中よりその作業を行いました。
 これらのことは、米国で出版されたWashington D.C. の路面電車について書かれた書籍に詳細に記述されています。
 英国倫敦に於けるものは、線路中央から線路外へ車輌の走行に伴い脱着を行いました。
 http://dewi.ca/trains/conduit/index.html
併せてWashington D.C. その他リンクを張っておきます。

日本語の簡単な説明のHP
http://eurotram.web.infoseek.co.jp/lrt/sp/sp03.htm

Washington D.C.
Navy Yard Carhouse
http://davesrailpix.com/dct/htm/ehd015.htm

plow pit
http://davesrailpix.com/dct/htm/dct301.htm

New York Railway
"Broadway Battleship" car #6000
http://davesrailpix.com/nyc/htm/mnyr26.htm

"The Green Line"
http://davesrailpix.com/nyc/htm/mnyr01.htm
http://davesrailpix.com/nyc/htm/mnyr08.htm

 乙訓の老人がいみじくも述べておられましたが、Broadway Battleship も技術の進展過程に於いて生まれてきた物であり、決してゲテモノと称される謂われはないものと思慮します。抑も、下手物とは上手物に対しての言葉、或いは風変わりと見られるもの。ですから、先人の奇抜なアイデアは大いに賞賛すべきではないでしょうか。
 斯く申す小生、際物(きわもの)が好きであります。
広辞苑第六版に依ると、「際物」とは、
(1)その時を失すれば無用・無価値となる。
(2)一時的な流行をあてこんで売り出す品物。
と、ある。
 技術の進展過程云々と云いながら、無理矢理一例を挙げると、
http://www.ifun.ru/comments/joke10305.html にあった記事ですが、http://www.ifun.ru/ そのものがネット上から消えてしまいました。で、そこに在った写真を貼っておきます。
 此方、New York Central M-497。最高時速296km。B36H用エンジン。1966年。
hdH4uzOAnY.jpg
 詳しくは、PDFファイルで。
http://www.midwesthsr.org/pdfs/M-497online.pdf
 彼方、ソ連のもので、最高時速は180マイル(約249km)。Yak-40用エンジン。1970年初期。
AxG7HJRy8u.jpg
N6INkSsacr.jpg
 あっちこっちに転用されてますから、ちょっとググって頂ければ直ぐ出て来ます。興味在る方は検索を。まあ、実用化されなくて良かったですね。
 もし、踏切で通過待ちしている時にこんなものが来たら、笑うしかない?

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【1308】平身低頭
 乙訓の老人  - 08/4/30(水) 15:07 -
  
ただひたすらに読者諸兄に老人の愚かさをお詫び申しあげます。

NY「戦艦」の数を15ダース余としたが、実は1艘であった。

読者である名古屋のポン友に指摘された。【戦艦】は6000、15ダースは5000代
であるので、5と6の数字を読み間違えたのではないかと、ご忠告いただいた。
原本を確認せずうろ覚えでやってしまい、呆けていたのではありません。
ありがたいことに明5月1日より医療費負担額が1割となるとか。本4月30日は老人降臨の日である。その差額で百均眼鏡から解放されることにするか。
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【1307】Re:(続)DRFCはゲテモノ好きの集まりか?
 K.H.生(弘津 興太郎)  - 08/4/28(月) 18:18 -
  
下手物/字源的に云うと吉谷大人(たいじん)の謂うところの
女性の好み論に帰着するのでは、ないであろうか。
ということで、私もこんなの古書から転用です。
july31.1936の署名のある科学書から、実業の日本社「百年後の世界」より
電車上の住宅、移動ホーム?

追伸、名手君、写真展高覧ありがとう。
5月18日、模型運転会は参加します。

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【1306】(続)DRFCはゲテモノ好きの集まりか?
 乙訓の老人  - 08/4/28(月) 16:56 -
  
20年ばかり前の話だが、関西鉄道研究会では年2回の例会をやろうとゆうことになった。
だれか1時間ばかり話をして情報交換の場とすることでプログラムは決まった。その2回目の時、乙訓の老人にやれと藤井編集長から連絡が入った。乙訓へ転居してからは鉄道趣味界の人々とは没交渉に近い生活を送っており、旦那を中心としたDRFCメンバーとのみ旧交を温めていたのであった。そのころ取り付かれていたのはアメリカ・インターバンの世界で、特に貨物運輸の探求であった。郵便事業とのかかわり、カタログ販売の始まり、宅配、牛乳の集荷と配達など、日常生活に密着したものが中小都市では電車中心に展開されているのを知り、文献を通じてのめり込んでいった。
 これを手近な京阪電車の貨物電車中心に話せば、新しい話題が提供できるのではないかと考えた。反響はあった。不惑を超えた年代の方々は、自身の見聞を話して下さった。乙訓の老人には初耳のものが次々と披露された。日本でも活発な時期もあったのである。締めくくりを亀井一男さんがなさったのだが、「同志社にはゲテモノ好きが居りますな」とポロリとおっしゃった。乙訓の老人は反発しなかったし、追求もしなかった。
須磨の大人が書き込んでくれた20世紀初頭の報道コピーを前に乙訓の出番だと言っているが、年令が団塊族以下の会員はどう感じたか、それが知りたい。技術の進歩は新しいデザインを呼び込み時代の要望に応えている。元JRの社員だと言っているオッサン、茶化すにも程がある。ゲテモノは進化の過程で誕生するのである。これ以上の演説はやめ。
【写真説明】
1999年1月11日、「18切符」で京を出た。雪よふれふれ、長靴姿であった。鶴君が紹介した柏崎付近の海岸べりは浪の華が立ち壮烈であった。翌日、新潟交通へ行ったが、鉄チャン多数で、直ちに五泉へと向かった。新潟市内からシャーベット状、その夕には高崎に移動。13日朝から上信、上毛を訪問。東京出張の時に立ち寄ってから以来だから37年ぶりだ。今回添付の101、104と同型の合造車やまるごと貨物電車があったように思う。東武からの中古車の塗装は3種類だった。井の頭線の電車は昼寝していた。14日午後には鎌倉の旦那と高岡君で乾杯していた。泊まりは橋本の高校同級生宅。翌日リフォームの図を画き、午後には京へ。この友人は今、普通列車の旅に凝っている。

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