四国の鉄道

3月の終わり、某旅行会社がツアーで、国鉄復古塗装のキハ185と高松琴平電鉄に残る旧型電車120型+300型を走らせるのに合わせ、香川~徳島周辺でJR四国と高松琴平電鉄の撮影行を敢行した。3月27日、309D徳島行き、勝瑞―池谷

四国のキハ47とキハ40は、もともと小世帯だったが近年数を減らし21両しかない。運用も朝晩に限られているが、車体の内外装は比較的原型を留めており、エンジンも国鉄時代からのDMF15系列のままで深い味わいを残している。

3007Dうずしお7号、徳島行き、讃岐相生ー阿波大宮

うずしおはJR四国の中でも好調なのか16往復もある。新鋭DC2700型は大坂峠もやすやすと駆け抜ける。SA6D140HEエンジンは1基で450馬力あり、これを2台積んでいるのだから強馬力だ。

3009Dうずしお9号、徳島行き、阿波大宮ー板野

うずしお9号と32号の一往復のみ二世代前のキハ185系が使用されている。うずしお9号は、徳島到着後、剣山5号、8号で阿波池田まで往復した後、徳島で夜まで休み、最終のうずしお32号で高松へ戻る。四国特有のアンパンマン仕業のため生き残っていると言えなくもないが、後発の2000型DCが先に引退していく中、貴重なキハ185系の運用となっている。

361D徳島駅

361Dは高松を18時33分に発車して徳島には21時7分に到着する。今やキハ47に2時間半も乗れる列車は貴重な存在となりつつある。一度、乗り通してみたいと思っている。四国にも国鉄色が存在する。かつて首都圏色とも言われた朱色5号である。JR西日本も、ローカル車両の単色化の一環でキハ40と47を朱色5号にした。電車の抹茶色やたくあん色よりしっくりくる。やはりもともとのオリジナルカラーがいい。四国の車は、灰色のHゴムと白地の方向幕とこだわりを見せていて、写真も、後部の四国色のキハ40がいなければ、徳島駅の古びた跨線橋と相まって昔のままに見える。3月28日、剣山1号、阿波池田行き、阿波山川ー川田剣山2号、徳島行き、阿波山川ー川田

特急剣山は全てキハ185で運行されている。元は急行よしの川だった。こちらはこの3月改正で昼間の列車が一往復減便されてしまった。後の写真の2号は、剣山では長編成となる4連となる。かつてのDC特急といえば、「まつかぜ」やそのもっと前の「白鳥」などのように10両を超える長編成が普通だったが今や、JR西も含め2~4両が当たり前になってしまった。

旅行会社のツアー列車、琴平行き、善通寺駅

貴重な国鉄時代の復古色のキハ185である。このカラーの時代、キハ185系は、昭和から平成にかけての頃、多客時には特急しおかぜ運用で8連を組むこともあったが、主役の時代は短かった。平成の初めころには振り子式の2000系DCと8000系電車が登場し、今や特急運用は少ない。九州に転じて活躍している車もあるが、3000番台のローカル列車格下げ車やジョイフルトレインの改造種車にもなっている。最近も、キハ47からの改造を受けた「伊予灘ものがたり」が、来年の令和4年にはキハ185からの改造車に置き換えられる、と発表された。

琴電の1200型 岡田ー栗熊

高松琴平電鉄1211Fの京急700ラッピング車。もう1本1080型のラッピング車もあったが2月末で終了となってしまった。1080型には、京急の全面広告車で、もし今も京急に先代の1000型が残っていたらこんな塗装になっていたかも、と思わせるラッピング車も走っているが、こちらは撮る機会に恵まれていない。

旅行会社のツアー列車、琴電の120+300、琴電琴平ー榎井

高松琴平電鉄の旧型車も残り2両となり、5月には引退の予定となっている。昭和の初めに登場して90年以上、よくぞここまで動く状態で残してこられたことには一愛好者として感謝しかない。

48D南風18号 琴平ー善通寺

新鋭2700型DC特急のアンパンマン列車である。真っ赤な車体色のおかげで菜の花の黄色に負けなかった、と勝手に思っている。もう1本のアンパンマン仕様は黄色となっている。この3月の改正で南風は全て新鋭の2700型DCに置き換えられ、2000型DCは撤退したが、人口集中地域での一部列車の引退と違い、大きく報道されることはなかったようである。

JR四国は過疎化や高速バス等との競争で厳しいとのことだが、集客のため、車両の置き換えや新たなジョイフルトレインの投入を進めている。その過程では、古い車両は去っていくことになるが、国鉄の時代から活躍するキハ47やキハ185には、最新の車両とは違った重厚な魅力があり、一日も長い活躍を願うものである。四国の鉄道撮影シーンでは、撮影者も多くもなく、会話も自然に和やかとなる。コロナ禍の第4波が報じられており、今はまた難しくなったが、落ち着いてきたら四国の車両群にまた親しみたいと思っている。

 

四国の鉄道」への12件のフィードバック

  1. ブギウギさん
    ごぶさたです。
    四国の気動車にはあまりお目にかかる機会がなく、新鮮な驚きで見ました。近畿のキハ120とちがって風景にしっくりと違和感なく見られるのは幸せです。久しぶりに四国へ汽車旅行に出かけたくなりました。

    • 米手作市様
      コメント有難うございます。JR化後、30年以上が経ち四国の鉄道の独自の発展を遂げていると思います。四国まんなか千年ものがたり号など楽しい列車も運行されていますので是非行かれることを薦めます。写真は四国の一般形気動車1500型+1200型の二連です。

  2. 四国にはバースデーフリー切符を使って毎年1月に行っていたのですが、今年は行けずでした。ゴールデンウィークに行われる最後の旧型車運行、こちらも行きたいところですが、どうでしょうか?

    • 事務局様
      それは素晴らしいと思います。ただ今度は真のラストランと公表周知されているので恐らく相当の密空間となると思われます。100人規模で集まっても撮れる場所となると羽間ー榎井の土器川の土手、羽床ー滝宮の綾川の土手くらいでしょうか。
      バースデー切符安くて魅力的ですが使ったことはありません。6月末までの限定ですが、四国三日間乗り放題で10500円の切符が出ています。これは特急自由席に加え、土佐くろしお鉄道、JR四国バスにも乗れるので心が動いています。

  3. ブギウギ様、初めまして。1980年度四方です。
    40系DCが初めて四国へ投入されたのが私の入学年度の7月で、高知機関区へキハ47の0番台8両、1000番台6両の計14両の配属でした。重いため一般気動車より速度が出ないのですが、四国では従来の一般型気動車と混用され、F1の基準運転時分のままで走っていました。現在では、JR6社の旅客列車としては最も遅い速度記号の旅客列車ではないかと思います。
    投入当初の写真、貼っておきます。(土讃本線黒川~讃岐財田間、241D、1980年8月27日)

    • 四方誠さま
      のっけから失礼なお訊ねですが、四方様は小生の子供の幼稚園入園申し込み時にお世話になった、DF50が大好きだと仰っていた四方様でしょうか?その際にご無理をお願いしたK林です。あの時の僅かの時間のDF50談義は未だに忘れておりません。
      もしそうでしたら、よろしければメールアドレスの交換等でご連絡を取れればと思いますがいかがでしょうか。よろしいようでしたらお手数ですが、本欄にその旨をご記入頂けませんでしょうか。
      以降は「伝言板」の方でやり取りできればと存じます。万一お人違いでしたら失礼の段お許し願います。

      • 1900生様、ご挨拶が遅れ申し訳ありません。また、その節はお世話になり、ありがとうございました。
        40年程前にお会いさせていただいていることはもちろん覚えておりますし、1900生様がその方だということも薄々は理解しておりました。ただ若い時分の私のこと故、きっと失礼なことをしでかしているのではないかと思うと、気が気ではありませんでした。
        当掲示板やメールでやり取りさせていただくことは、私にとって願ってもないことですので、どうかよろしくお願いいたします。

        ※事務局の方へ
        たいへん私的なお願いで恐縮ですが、このコメントを見られていましたら、1900生様へ私のメールアドレスをご連絡していただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。

        • 四方さま
          1900生です。ご連絡有難うございました。よく覚えていていただき有難うございました。その節は大変お世話になりました。なんの失礼も無かったですよ。ご心配には及びませんのでお気遣いなく。
          さて伝言板の方へ連絡先を載せようと試みたのですが、なにぶんPCオンチの小生故どうもうまくゆきません。申し訳ないのですが、そのうち事務局が気づいてくれるのを待ちたいと思いますので、しばらく楽しみに待ちたいと思います。

          • 1900生様、こんばんは。
            私も伝言板経由にすれば何とかなるかと思いましたが、投稿できる術を知らず、また、このページのソースを見ればどこかにアドレスが書いてないかと探してみたのですが、ありませんでした。コメントの際のアドレスはどこに行くのかわかりませんが、セキュリティがしっかりしているという点では安心です。申し訳ありませんが、事務局の方が気付くまで、暫くお待ち願います。

  4. 四方様
    コメントありがとうございます。土讃線では、キハ47ではパワーがないから運用に入らないと聞いたことがあります。国鉄時代には使われていたのですね。投入当時は従来からのDCも一般形はせいぜい180馬力、DF50けん引の客車列車もあったでしょうから今日よりは出力の問題はなかったのかも知れません。今は1200型や1500型DCは軽量車体で400~450馬力のエンジンなので電車並みの加速に思えます。

  5. ※事務局の方へ
    本日、1900生様よりメールをいただきました。
    従いまして、先のコメントのお願いは不要となりましたので、ご連絡申し上げます。
    お騒がせいたしました。

    ※ブギウギ様へ
    本投稿とは関連のない私的なコメントが続き、大変失礼をばいたしました。切にご容赦願います。

  6. 事務局さま
    1900生です。お忙しいところ、お手数をおかけするのもいかかがと考え、テレパシーにて四方さまにメールを送った結果、お陰様で無事通じましたので、何かと勝手なお願いを申して申し訳ありませんでした。
    またご関係の皆様には本欄において、準私的な案件でお騒がせいたしましたことをお詫び申し上げます。

1900生 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください