「伏見線」写真展 ご来場ありがとうございました ②

車両編~みなさんからの声

伏見線写真展では、3日間とも10時開場から18時閉場まで、勘秀峰さんとともに、ご来場者の対応に当たりました。ずっと立っぱなし、食事もほとんどできずの3日間でしたが、ご来場の皆さんから、多くの感想や質問などを対面で直接聞くことができて、写真展の醍醐味を感じていました。ご来場の方々から、今回は車両に関する感想をまとめました。

全部ツーマン

伏見線廃止時は、すべて車掌が乗ったツーマンカーだったことに驚かれます。京都市電の体験者でも、全廃時の赤帯を巻いたワンマンカーの印象がより強いのでしょう。伏見線廃止が昭和45年、すべてワンマンカーの外周線廃止が昭和53年、今なら瞬間で過ぎ去ってしまいそうな数年間は、改めて市電激変の時代だったと思います。なかでも伏見線の再末期には見られなかった、ツーマンカー800形の姿に、京都市電の黄金時代を感じておられるようでした。

800形の一次車とも言うべき801~865の直接制御車は、昭和43年から順次1800形ワンマンカーに改造が進んでいた。これらが見られたのは、廃止前年の昭和44年までで最末期にしか行けなかった私は、1両も写すことができず、先輩方から写真をお借りして、肥後町付近の情景を展示した。800形が走る、いわば伏見線の原風景を皆さん感じられていた(写真:大西友三郎、藤本哲男)。

エエなぁ 700形

もうひとつ、皆さんから評価を受けたのは700形のカラー写真でした。ほかの形式とは違うライトグリーンとクリームの塗装は、カラーでしか伝わりません。その軽快なスタイル、明るい車内は「これを待って乗ったものです」と言うお年寄りの話も、聞きました。そして、ドアが4枚折戸であることを鋭く指摘され、その後の路面電車では見られない700形の特徴をよく言い当てられていました。折戸のため戸袋がなく、直後の窓を全開して、走行中の爽快感を味わっていたことを私も思い出しました。

廃止に当たって装飾された700形は706、707の2両あったが、「これも、よう似合ってます」の声、撮影地は「京都駅八条口」で、京都タワーと、京都駅には新幹線0系の頭だけ見えている。今はアバンティほかのビルが建ち並び、京都タワーも新幹線も見えない。「肥後町」電停に停車する700形、「こんな傾いたとこに、止まってましたんか」の声が。これだけカントが付いたうえ、もちろん安全地帯などないから、乗降はさぞ大変だっただろうと想像できる。(写真:宮本郁男)。

展示はしなかったが、私も同じ場所で700形を撮っていた。しかも同じ706号、電停にいる人物数人は? 実はDRFCで撮影会に行った時のもの、昭和45年2月28日だから土曜日、午前の講義を終えてみんなで行ったようで、棒鼻から中書島まで歩いて写し、私にとっては初めての伏見線撮影だった。

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