たった三日間の写真展が終わってから、三日間以上も経ってしまい、報告するのも気が引けるのですが、 “ヒマを持て余して困っている方だけ限定”と本欄でご案内した京都市電写真展、多くのクローバー会員の皆さん、またいつもコメントをいただくサポーターの皆さんに来場していただきました。改めて、御礼を申し上げます。
▲繁華街の裏通りの極小スペース、ふだんなら5、6人でも多いぐらいのスペースに、一時は十数人にご来場いただき、“密”どころではない、超過密な状態で見ていただいた。今回はテーマを絞り「秋、そして冬へ。」として、この季節に似合うシーンで構成、従来展示の流用もあったが、約半数は新規プリントして入れ替えた。
▲密ではあるが、高瀬川べりの窓を開け放つと、涼しい風が吹き抜けて、換気は十二分、いかにも京都らしいロケーションのなかで、皆さん思い思いに当時を懐かしんでいただけた。▲今回は、スペースも苦しく、記帳台も設けられなかったが、三日間で約130人の記帳、二階の別展示も含めて、実際はその倍ぐらいの来場があったのではと思われる。直近の市電の河原町丸太町展、上京区電車物語に比べると、絶対数は少ないが、単位面積当たりの人数は、むしろ、こちらのほうが上ではなかっただろうか。
▲関西大学の名誉教授をされているI先生が造られた、木屋町蛸薬師付近の京電を再現した模型。背後の建物は、もと立誠小学校、私の出身の中学校は、この立誠校も校区で、懐かしい思いで拝見した。ちなみに、京電の社長の髙木文平の邸宅がこの立誠校付近にあったと言う。髙木はその後、関西電力の前身となる宇治川電気の設立にも尽力している。いまも、繁華街に不似合いな関西電力の変電所が、立誠校の横にあるのは、その因果があるようだ。▲いつも一緒に市電展示をしてもらっている勘秀峰さんは、三代に渡って収集された記念乗車券、乗車券を展示いただいたほか、来場者の説明に当たっていただいた。来場の男女比、年齢構成を見ると、男女ほぼ同数で、年齢比もやや低くなったような気がする。繁華街だけに、さすがにご近所さんは少なかったが、通りすがりの観光客が立ち寄られるケースもあった。それと、“市電に携わっていた”という方も多くおられる。ご主人が運転士、奥様がバス車掌というご夫婦もおられ、二人で懐かしそうに見ておられた。ただ現業におられた方は故人となられており、“父が壬生で運転士をしていました”と言う子の世代が来場された。今回は、時間も限られて、私自身の広報も十分にできなかったが、新聞に大きく載せていただいた点が大きかった。▲暮れてくると、いっそうの風情が増すギャラリーのエントランス。
▲HO線路にオーバースケールの紙製N電模型を高瀬川に走らせる大胆な試みも。ところが、風であおられて、車体が飛ばされて高瀬川に水没!あわてて私が長靴に履き替えて、高瀬川を探索、石に引っかかっている車体を引き揚げた。一時は、「堀川にN電転落事故の再来や」と大騒ぎになった。
生まれた時には、もう京都市電が無かった世代も多く来られた。感心したのは、CGで京都の市電のある風景を描く方、広島へよく行って1900形を記録する方と、別の手段で京都市電への思いを寄せようとされている。
写真は、その表現のひとつであって、京都市電を偲ぶ手段は、世代によって、さまざまであり、その多様性によって、京都市電が後世まで語り継がれていくことを再認識した。私も大いに勇気づけられた。まだまだ懲りずに、京都市電を発信していきたいと思っている次第だ。
11月13日~15日までの3日間、
大変多くの方にお越しいただき、ありがとうございました。
時間帯によっては、昨年春の展示会以上の来客で、
大忙しでした。
今回は、併催されていたほかのほかの展示会や
大学生のワークショップなどもあり、
京都市電の展示を少しでもご覧になった方が多く、
新鮮な感覚でした。
私も総本家様と同様、京都市電を後世に伝えるために、
これからも発信し続けます。
勘秀峰さま
準備や開催期間中も、ご協力をいただき、ありがとうございました。今回も切符のだけで無く、写真の説明もしていていただき、京都市電展は初めてと言う方にも、よく理解していただいたと思います。今回は、いろいろな催事との併催となりましたが、コアな市電ファンだけで無く、多くの皆さんに来ていただき、市電への間口を広げられたのではと思います。ほかの皆さんのお蔭です。オーナーとは意気投合し、来年もいろいろな展示をしたいと思いを巡らしているところです。