勘秀峰さんとともに行いました「市電と昭和の京都」展は、3月8日を持って8日間の会期を閉じました。休みなしの8日間というのは私も初めての体験でしたが、二人とも元気にフルタイムで来場者の対応に当たり、いまは快い達成感と疲労感に包まれています。最初は一日10~20人の入りで、まったりとした雰囲気でしたが、途中から新聞で紹介されるや、開場前から門前に列ができるありさま、新聞を見た方、またラジオでも案内があったとのことで、ご近所、遠方から続々の入場となりました。ご来場数はサイン帳では184人、サインなしで帰る方も含めて約240人が入場です。15分に一人入場の計算であり、皆さん、“写真展に行く”と明確な意志を持って来場されているわけで、外出も制限を受ける、この時期、よくぞ来ていただいたものと、厚く御礼を申し上げます。▲西木屋町通に面した会場の「高瀬川四季AIR」、新聞には紙面の都合で住所の記載がなく、迷いに迷って来られる方が多く、ご迷惑をお掛けした。
京都市電展は、何度も開催していますが、来場者の内訳が少しずつ変化していることを感じています。当たり前のことですが、京都市電を知っている世代が、さらに高齢になっていることです。約50年前の廃止ですから、若い世代はもちろん、その親の世代でも、京都市電は知らないことが多く、時代の移り変わりを痛感します。京都市電を知っている世代では、今まで一人での来訪が圧倒的でしたが、夫婦連れが多かったことも今回の特徴でした。若い世代でも、カップルの来訪があり、なかには京都観光の折に、たまたま入ったというケースもありました。新聞には、クローバー会の名が出たこともあり、同志社の出身の方がとくに多く、初対面ながら、学生時代を共有することができました。
▲高齢のご夫婦も多く、二人で若き日の思い出を語り合うなど、仲睦まじいところを見せていただいた。▲▲たまたま会場で出会った、見ず知らずの二人が意気投合、延々と市電の話に興じることもしばしば、こちらのお二人は、堀川通の同じ高校の出身で、話は留まるところを知らず、私も知らないような京都のディープな暗黒史にまで話が及んだ。
▲第一部は写真展「きょうと七条市電通り」として、七条線のシーンを集めた。内容もサイズも強弱を付けて展示したが、本命と思っていた写真には眼が行かず、スペース稼ぎ的に展示した思わぬ写真が注視されることがあった。
「市電が潜ってましたやろ」、「ここは七条線で‥‥」と紹介すると、この声がよく返って来ました。七条線が山陰本線をアンダーパスする区間で、たしかに私もこの区間でしか味わえない、ジェットコースターに乗っているような爽快感がありました。人車通行止めですが、自転車で走り抜けたという人が数人、クルマで抜けたという猛者もいました。写真を見ても分かりますが、この時には、すでに山陰線の高架が完成していて、市電は潜る必要も無かったのですが、設備はそのままで、無用の潜りを続けていたことになります。▲最終日、山陰本線のアンダーパスに近づく、ヘッドマーク付きの2000型(昭和52年9月)。▲第二部は「下京区の停留場 新旧対比」、下京区にあった26の停留場(北野線を除く)を、定点から新旧対比して、50年間の周囲の隔たりを感じてもらった。
この展示には、とくに下京区在住の方から、極めてローカルな多くの思い出が寄せられました。「写真のあの家は、○○ちゃんの家で‥‥」と話は果てしなく続きます。ある方は、会社の看板を指さして、「あそこを就職試験で受けたけど落ちてしもた。そやけど、あとで倒産してしもてな‥‥」と悲喜こもごもの話も。▲定点対比は、変化が全くなければ意味はなく、全く変わってしまえば、比較のしようがない。京都のように“適度に”変化することこそ、対比の意味があると感じた。
“街並み”という視点で見ると、変化が激しいのは、中心部の四条、烏丸通です。なかでも、当時の看板の賑やかさには目を奪われます。いまは、ビルが連なる、整った街並みにはなりましたが、強力な看板規制で、ほとんど看板が見当たらないのも、洗練されてはいるものの生活感が感じられません。極端なのは銀行の看板、よくぞ、これほどの銀行があったものと思います。名古屋から来られた方はT銀行の出身、「京都にもありましたよ」と写真で看板探し、四条烏丸と四条大宮でT銀行を発見、「懐かしいだがや」と、スマホで写真を撮影されていた。▲四条烏丸の今昔、京都の金融の中心で、交差点の角はすべて銀行で占められていた。
総本家青信号特派員様、勘秀峰様
お疲れさまでした。
お二人の写真展は和やかな雰囲気で、初めて出会った方とも市電がいた頃の思い出話に花が咲き、時の経つのも忘れてしまいました。ご夫婦で来場された方も多かったですね。ご主人が中学の先輩で、奥様は高校の先輩という方にも出会いました。なつかしい市電の写真を拝見するのはもちろんですが、来場者との会話も楽しいものです。
市電がいた頃は看板があふれ、空には無数の電線が張り巡らされてました。今では看板は規制され、電線は無電柱化ですっきりしたのですが、皮肉なことに空が狭くなったように感じます。買い物もネットで済ます人が増えて出かける必要もなくなったのか、かつての賑わいが感じらず寂しいことです。
T銀行もありましたねえ。銀行も統廃合で訳が分からなくなりました。私の頭の中は市電がいた頃のままで、いまだに上書きができていません。自称「街並み研究家」としては、半世紀前の金融機関の位置と名称も調べなければなりません。
紫の1863さま
今回の写真展も熱心に見ていただき、鋭いツッコミもいただき、ありがとうございました。書いておられるように“和やかな雰囲気”は、写真展の演出として、たいへん大事だと思います。来場者は、大なり小なりの緊張感を持って来場されるはずですから、それを解きほぐす雰囲気は大切ですね。私も写真展見学で経験するのですが、会場で何を切り出していいのか分からず、シラケた雰囲気が支配することもありました。
今回は、初対面の方が意気投合して、市電の思い出に花を咲かせるシーンもあり、ムード作りの大切さを教えてもらいました。
総本家様と開催した京都市電の展示会も、盛況でトラブルなく終わることができました。第六波で感染状況も落ち着かないご時世、来場いただいた皆さん、ありがとうございました。
展示会をするたびに手ごたえを感じています。今回は下京区特集で、京都駅のループ線を紹介したのですが、ループ線のみならず、駅舎や設備など話題がどんどん広がりました。総本家様の的確な写真のアソート+私の古地図の効果ではないか、と思います。
この展示会で得られた情報を生かして、また次のネタを仕込みたいと考えています。改めてありがとうございました。
勘秀峰さま
お疲れさまでした。楽しい8日間でした(いまは逆に脱力感で何もする気が起こりませんが)。ループ線については、たしか、いちばん最初の打ち合わせの時に、勘秀峰さんから提案があったと思います。地図、写真も駆使して、よく深堀りしていただきました。“知っているようで知らない”のが、いちばんウケるテーマだと思います。そういう意味では、昭和27年に京都駅前から消えたループ線は、適切なテーマだったと思います。