国鉄クモハ73=ロクサン

この連載も63回になったそうです。そのせいかどうか、今回はあの63の登場です。私には環状線(城東線)で活躍したオレンジ色の仲間を思い出されます。皆さんはどんな思い出をお持ちですか?

国鉄クモハ73=ロクサン」への4件のフィードバック

  1. 始めてみたのが1947年(小3)秋、京都駅3番線国電専用ホームでした。モハではなくサモハ63でした。木のベンチが6ケ、天井はお寺の構造と一緒。それがモハ51に挟まれて登場です。そのうちモハ52に挟まれたのにも出くわしました。この頃、乗ったことはありません。月に1回位、兄貴払い下げの自転車で京都駅に汽車、電車見物に通っていた時です。自転車は南口、奈良電改札の横に放り出し、改札のオッチャンに番を頼み狭い跨線橋を走って一目散に3番線へ。案内係りのオッチャンと仲良しになり国電の事を教えてもらいました。今では見向きもしない国電も、その頃は少しは関心を持っていました。63で国電に嫌気を刺したのかもしれない。

  2. 中学通学の頃より毎日、神足~京都間の国電で通学しておりました。途中からは、72系が東京から大挙して押し寄せ、その中にクモハ73型もおりました。クハ68等の3扉車、セミクロスシートに慣れていたので、ロングシートのこれらが来ますと、イヤで復路は見送って次の電車にしたのを覚えています。
    3段窓は、ガタガタと鳴り、冬は隙間風が入り首元が冷たくなりました。夕方遅くに乗車しますと、車内の蛍光灯は半分切れた状態で薄暗く、車内は寒々としていました。
    駅近くに住む同級生は、この国電に乗るのを嫌い、わざわざ長岡天神まで歩いて、綺麗な阪急に乗っていました。乗客からは、とても嫌われた電車でした。

  3. 長老様、
    サモハ63とは、電装予定でとりあえずはモーター無しで竣工したヤツでしたかね。
    我ら戦後生まれの若者にわかるようにご説明をお願いします。

    ぶんしゅう様、
    早く帰ってきて下さい。赤い夕日の満州で野末の石の下などにならないように気をつけて下さい。

  4. 失礼しました。サモハなる用語、物知り族の多い若い世代の「鉄チャン」では常識用語だと
    思っていました。それと比べると戦前生まれは棺桶を前にして、【日本語になった外国語辞典】を携えウロウロしております。どうかお目こぼしを賜りますようにお願いします。

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