奈良線桃山駅界隈の新旧対比

DRFC現役時代 私は伏見区に住んでいました。故澤村氏も同じ町内だったので、休日には散歩がてら、2人でよく奈良線や京阪を撮りに行ったものです。あれからもう半世紀。この度開催されたDRFC設立60周年記念行事に参加すべく上洛した際に、思い出多い奈良線桃山駅界隈を歩いてみることにしました。

京都駅から奈良線で桃山に向かうことにしました。ところがどんなトラブルがあったのか、京都発13:03奈良行き「みやこ路快速」2617Mが運転取り止めとなっていて、それに乗れなかった乗客が次の普通635Mに乗ろうと10番ホームへ押しかけたため、狭い10番ホームはあふれんばかりの人人人。そこへ奈良から636Mが延着。降りる人は降りられず、狭いホームは大混乱でした。何とか635Mに乗り込んだものの、ラッシュアワーさながらの寿司詰め状態で、身動きがとれないまま鴨川を渡り、東福寺を過ぎ、稲荷着。稲荷でかなりの乗客が降りてくれて、スキマができました。チラッと見えた稲荷大社の参道は人の波で驚きました。かつては初詣のときぐらいしか目にしなかったような光景が、ただの土曜日の光景になっていました。観光立国を目指すのであれば、観光客による恩恵とそこに暮らす住民生活への悪影響をどのようにバランスをとるのかは、大きな課題であると感じました。

平成30年11月10日 奈良から満員の636Mが延着。

 さて本命の桃山駅周辺散策です。桃山駅は現在改良工事中のため、予定していたアングルでの撮影が思うようにできませんでした。まずは駅本屋から。

昭和46年2月14日の桃山駅   360CC 軽自動車花盛り。

現在の桃山駅本屋  駅前を駐輪場が占領。左手の木造のホーム上屋は当時のまま。

駅を出て少し行くと大手踏切です。伏見桃山城の大手門に続く大手筋です。

昭和46年夏 大手踏切から見た桃山駅構内。C58190牽く694レ到着。

跨線橋が出来ていて、背後の山並みが隠れてしまった。ホームも嵩上げされている。

昭和48年 跨線橋は無く、ホーム端の構内踏切を渡っていた。

上の写真の右手向こうにワムが停まっていますが、奈良寄りに貨物側線がありました。現在はそこに大きな老人施設が建っています。

昭和46年 大手踏切を行くC58240。かつてはギロチン式遮断機だった。

現在の大手踏切。上の写真にある「マルナカ工務店」は無く、三角形の空き地になっていた。

大手踏切を渡ってみます。

昭和46年2月14日 入換中のC58191

踏切から構内を望む。現在の保線車両の留置線がかつての貨車留置線。

C58が牽く貨物列車が到着すると、長時間踏切を遮断して、C58が貨車の入換えをしていました。

昭和43年10月27日 入換中のC58355。踏切警手小屋があり、入換作業を行う構内手も常駐していた。

踏切後方の景色は一変している。跨線橋があるので駅本屋は見えない。

踏切後方の瓦葺きの旧家はことごとく姿を消し、マンションや駐車場になり、かつての風情は微塵も感じられません。画面左端に並ぶ道路脇のコンクリート柵は 鉄筋が露出したものもありましたが、当時のままの姿でした。

さて駅北側に回ってみます。

昭和46年2月14日

上の写真で枕木の上に並ぶ3人は、左からキハ82大好きなK氏、中央は故澤村氏、右は模型ひと筋のH氏です。多分期末試験が済んで、澤村氏の自宅を訪ねて模型談議に花を咲かせたあと、汽車を見に来たときのスナップだと思います。

現在の桃山駅は2面3線で、1番線が京都行き、3番線が奈良行き、2番線が通過線となっていますが、かつては皇族が乗降される格の高い駅で、明治天皇崩御後には棺を乗せた明治天皇大喪列車が桃山へ向けて運転され、昭和3年には昭和天皇即位大礼のためのお召列車が運転され、そのために構内は拡張されて跨線橋を含む5番線まである駅になりました。また北側には明治天皇桃山御陵参拝者用の「御陵道口」改札も設けられ、昭和26年まで玉砂利を敷き詰めた広場がありました。その後ホームや改札口は撤去され、保線機材置き場になっていて、通過する列車を眺めるには格好の場所でした。現在は住宅地と化し、同じアングルでは撮ることができませんでした。

南側の光明天皇陵入口との位置関係で このあたりと判断した。

さて今度は大手踏切を渡って、京都方面に戻ってみます。

平成28年 第6回クローバー会写真展に出展した写真。昭和43年10月撮影。C58355

大手踏切を渡り、線路際の坂道を登り切った先に古レールで組んだ跨線橋がありました。そしてそのすぐ手前まで線路が伸びてきていました。この線路は大手踏切の京都寄りに広がっていた貨物駅の引上げ線でした。

昭和46年2月14日 694レ C58191

上の写真で中央の線路が貨物駅の引上げ線。右が日本曹達のカセイソーダの荷役線でした。ここには日通桃山のニチユ製貨車移動機も常駐していました。

昭和45年3月29日 入換中のC58355と貨物駅。酒壜の山が見える。

日本曹達 カセイソーダ荷役線とカセイソーダ液専用 タキ32621(能町駅常備)

現在の同地点。貨物駅跡にはマンションが立ち並び、重機がいるあたりがカセイソーダタンク跡

上の貨物駅の写真にぎっしりと積み上げられているのは一升瓶の木箱です。現在も日本酒の一升瓶はありますが、主流は紙パックに代わっています。当時は酒や醤油に限らず液体の輸送容器はガラス瓶の時代でした。伏見の清酒も酒瓶で出荷され、また回収された空き瓶が戻って来ていました。そして各酒蔵が一升瓶を洗浄するのに使われたのがカセイソーダで、この貨物駅のタンクからタンクローリーで酒蔵に運ばれていました。紙パックの出現でガラス瓶は主役ではなくなり、貨物輸送の廃止もあってカセイソーダタンクも消え去りました。

さて跨線橋がどうなっているかと言えば、クルマも渡れるコンクリート橋に架け替えらえ、その北側に以前の石積み橋台が残っていました。なおこのコンクリート跨線橋の名前はすぐ西側にある「御香宮(ごこうぐう)」にあやかって「ごこうばし」でした。

かつての貧弱な跨線橋の橋台が残っていた。

この跨線橋の上から両方向の写真をよく撮ったものでした。

昭和46年夏 694レ。東レ宇治と北九州黒崎や居能間を往復する ナイロンの原料カプロラクタム専用の三菱化成工業のタキ14800が夕陽を浴びて輝いている。

国道24号線沿いの建物もすっかり変わってしまった。

橋のたもとには大きな木があったが、今はない。

JR藤森と桃山間は今も単線

ここから少し北に進むと 昭和46年に国道24号線に架けられた桃山横断歩道橋があります。その歩道橋からもよく撮ったものでした。

昭和48年 C58に代わってDE10が登場。24号線は広い2車線。現在は3車線。

線路東側のコンクリート壁は変わっていない。辛うじて御香宮の木立も見える。

昭和48年撮影。踏切そばにガソリンスタンドがあったが、今は空き地になっていた。

歩道橋の北側手すり上にはびっしりと板が貼られていて、上の写真との対比撮影ができませんでした。

最後におまけの1枚を。

昭和43年12月30日 C58358牽く694レ 後が見えない長編成。 桃山・稲荷間

今回はこの場所まで足を延ばしませんでしたが、年末になると日本酒の出荷はピークを迎え、C58にはかわいそうなほどの貨車を牽かされてノロノロと進む光景が見られました。貨車の扉には「われもの注意」の赤札がくくりつけられ、赤い紙がひらひらと風になびく光景が忘れられません。

ひと通り思い出の場所を巡ったあとは桃山駅に戻るより近鉄丹波橋駅の方が近いので、これまた久しぶりに近鉄丹波橋駅から京都駅に戻りました。短い時間ではありましたが、50年前の思い出が次々と浮かんできて、楽しい時間でした。

6 thoughts on “奈良線桃山駅界隈の新旧対比

  1. 以前に西村さんが投稿された「宮城県下の保存C58」に最後のところで「私にとってのC58は、かつて伏見に住んでいたとき桃山あたりで撮っていた奈良線のC58が最も印象深く、今は亡きS氏とともになつかしくよみがえります。」と書かれていた写真を見せていただきありがとうございます。私の桃山付近のC58は「父ちゃんのポーが聞こえる」の写真しかありません。再び、線路沿いの道にある側溝に入って撮ったことを思い出しました。時々、奈良線で京都へ行くときに桃山駅を過ぎてから側溝のあるところを車窓から眺めています。ところで、西村さんが書かれているように奈良線はトラブルが多いように感じています。なかったとしても京都駅到着が遅れることが多く、京都駅での乗換時間をかなり余裕を持っていないと、とんでもないことになることを覚悟していないといけないようです。比較的安心できる近鉄や大阪から新快速を利用するようにしています。複線化工事が進んでいるようで、完成すればもう少し安心して乗れるかもしれません。しかし、次第にローカル色が消えていくようですが。

    • どですかでん様
      コメントありがとうございます。いつも感心するのですが、本人もとうに忘れている投稿内容をよく覚えておられますね。先日のホームカミングデーで元祖特派員氏から紹介があった投稿録を作らねばと痛感します。

  2. 西村雅幸様
    貴兄や澤村さんが伏見区にお住まいであったことを始めて知りました。失礼なことを申し上げますが、奈良線は不人気な路線で当会の山科にお住まいの大先輩も居住地の候補として奈良線沿線は外したと言われたことを思い出します。以前趣味誌「蒸機の時代」からも奈良線の写真がないかと言われ困ったことがあり伏見区在住のヨーロッパの鉄道と京阪がお好きなNさんに助けを求めました。奈良線も桃山の築堤など見所がありましたが、C58と気動車ばかりの雰囲気が敬遠させたのでしょう。しかし、このように新旧対比をされると俄然と興味が沸いてきます。今後の参考にさせていただきます。今回の写真はtsurukameさんや総本家さんのお得意のジャンルと思いますが、西村さんも古い写真やネガを持参して場所の確定等に苦労されたことと思います。そういえば私が三原界隈の古い写真をデジ青に出したところ即現況を報告していただいたことを思い出します。有難うございました。ところで103系はまだ走っているのでしょうか。

    • 準特急様
      いつも素早いコメントありがとうございます。貴殿が三原で撮影された場所を辿って新旧比較をしたのを思い出しました。数年経過程度では大きな変化もなく面白みもありませんが、半世紀近くが経過すると歴史の記録としての意味合いが増してきます。各自治体には「〇〇市史」「△△町史」がありますが、その多くは昭和40年代で記述は終わっていて、平成時代が含まれたものはあまり見かけません。財政豊かな大都市は別として、地方の力の衰えた自治体には市史や町史を新たに編纂する予算も人材もなく、組織的、計画的に街の日常風景を記録することはなおざりにされ、昭和40年代以降の歴史を後世に残そうといういう動きは残念ながら無いと感じています。50年後、100年後になって 平成時代の我が町はどうだっただろうと振り返っても、何も記録が残っていないということになりかねません。そんなことを思いつつ、街歩きをし、写真を撮り、定点観測をしている私です。ただその情報が個人だけのものになっていては宝の持ち腐れであって、何らかのかたちでオープンにならなければ意味がありません。鉄道写真、特にあたりの風景を含んだ写真は立派な時代の記録です。話が変な方向に行ってしまいましたが、103系もまだ元気でした。永くこの趣味を続けている者の楽しみとして、新旧対比を続けてゆきたいと思っています。

  3. 外野より失礼致します。偶然と云うほどではないが、西村さまが桃山を再訪された同じ11月10日、小生も中書島から京阪・宇治線で宇治へ行き、駅前の鉄橋で撮影をし、JR奈良線で京都へ戻って、デジ青の皆様とお目にかかりました。正直言って、ここを通る車輛にはこれまであまり関心を持っておりませんが、鉄道の歴史と云う観点からは、伏見桃山辺りの鉄道はたいへん興味深いです。桃山駅は、御陵の存在から過去に多くの絵葉書が発行されており、小生のコレクションにも何枚かあります。しかし、鉄道施設以外のものが写り込んだものが少なく、今昔比較的には、面白くありません。ただ所蔵する中に1枚だけ、遠くから駅を眺めたものがあったので、お目に掛けたく存じます。西村さまが紹介された、桃山駅の稲荷駅寄りとは反対の、六地蔵駅寄りから撮影されたものです。画面に「伏見桃山両御陵参拝記念」の記念印があるので、大正期のものでしょう。だいたい百年前の様子かと。駅の端にある道路とは、既に立体交差だったと判ります。右へカーブを切って、駅へ進入して行くのは、今と同じです。

    • 宮崎繁幹様
      貴重な絵葉書とともにコメントを頂きありがとうございます。同じ日に桃山を通っておられたとはご縁がありますね。立体交差は今と同じですね。この右手、奈良寄りは切通しとなっていて、そこに乃木神社に通じる細いみちがあり、跨線橋が架かっています。よくその跨線橋からも撮影したものです。今回は時間がなく、訪れませんでしたが、C58時代の写真を添付しておきます。

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