ふるさと銀河線での「またきてね」

♯21036 kawanaka_t氏「またきてね」の写真を見て、16年前の北海道ちほく高原鉄道―ふるさと銀河線での記憶が蘇った。60歳になり、あと5か月で定年という時期北海道出張があり、恐らく見納めと根室本線池田まで特急に乗った。北海道ちほく高原鉄道に乗るためである。

学生時代、何度か釧路や根室まで足を伸ばしたのは、いずれも私鉄―十勝、雄別炭鉱、根室拓殖鉄道、鶴居村営軌道、標茶町営軌道等のためで、観光地とは全く無縁だった。池田-北見間の池北線は、1961年3月まで網走本線であり、北見は1942年9月まで野付牛という駅名だった。小生が初めて通して乗ったのは1957年8月だが、沿線ともかく材木だらけ。駅のヤードにはうずたかく材木が積まれ、足寄、陸別、置戸には営林署があり、森林鉄道―流石に小型蒸機の姿はなかったが、ディーゼル機が這い回っていた。沿線ことごとく、活気にあふれていたのである。

それから40年以上経ち、足を踏み入れたふるさと銀河線は過疎、それもただ事でない超超過疎の一言に尽き、駅前の旅館兼料亭、営林署をはじめとする官庁出先機関、材木商、諸商店、民家は綺麗に消滅。駅も側線を外し、かつて材木が山をなしていたヤードは単なる空き地と化し雑草が生い茂っていた。ここにぎっしりレールが敷かれ、大勢の人が立ち働いていたなどとは、初めて来た人には到底想像すらできないだろう。


陸別駅の標識 ここには辛うじて店もあったが駅周辺はご覧のとおり

左側停車中ディーゼルカーの右2階建がお目当ての宿泊棟だが貸切で残念

新潟製ディーゼルカーの車内で、隣の人が当方の沿線での宿泊希望を聞き、そりゃ陸別にしなされ。あのホテルはいいとのお墨付きを。沿線住民自慢の施設だったのである。ところがシーズン外で観光客皆無、ホテルは建設会社に貸切で、作業員が一杯でお気の毒様。駅前に辛うじてもう一軒あった旅館も別の土建会社が借り切っており、当方の願いは聞き入れられず、宿無しとは相成った。

段々日は暮れてくる。あと2時間後の列車で北見まで出れば、当然ビジネスホテルはあるだろう。それともこの駅でステホ?と迷っていたが、先ずは缶ビールで気を落着け、電話帳を繰ると2駅北の川上近くに民宿らしきものがある。電話すると、どうも応対が芳しくない。当方は通常の旅館と思われると困ります。男女別部屋で、風呂も御気に召さないかもしれないという。どんな宿でもこの歳になってのステホよりマシと食下がり、OK取り付けに成功。真っ暗の中川上に下車したが、駅は乙女チックだが無人で、周囲には民家など一軒もない。

先ほどの電話では駅から真っ直ぐ、500mぐらい歩けとのことで、乏しい星明りの下を歩き出しかけたら、若い兄ちゃんから声がかかり、4駆車に乗せて宿まで運んでくれた。てっきり宿の人かと思ったが、単なる宿泊者で、初めての人が真っ暗な道では大変だろうと、ボランティアで迎えに来て呉れたのだった。

これは廃校になった小学校で、脱サラ夫婦がバイク野郎相手の民宿を開業したもので、客はバイクか4駆車で北海道を走り回る「北海道オタク」の若者ばかり。皆さん菓子や焼酎などを持ち寄って、素朴な夕食後はそれをつまんだり、回し飲みで話を弾ませていた。この沿線が材木で賑わっていた事、ましてナローの森林鉄道が縦横に走っていたなど、宿の主人も含め誰も知らない。小生だけが手ぶらだったから、焼酎をご馳走になったかわりにそんな昔話をすると、皆の衆感心して聞いてくれていた。

夜半、星が綺麗に見える場所があると、観星ツアーが企画され、各人の車に分乗して出発。生憎天気が良くなく星はそれほど見えなかったが、戦時中以来の「真っ暗」はたっぷり体験できた。


無人の川上停留場に終結した「見送り隊」

翌日ふるさと銀河線に乗車するのは小生一人。出発前宿の主人が一声掛けると、全員が500mほど離れた駅まで見送ってくれたのに驚いた。犬も一緒だったから、宿はこの間完全に空っぽである。こんな経験は後にも先にも、これだけ。このときの写真を大きく伸ばし、宿に送ったから、しばらくは居間に張ってあったことだろう。


白ゴム長は宿の奥さん 犬だけがソッポを向いていた

川上駅を後にディーゼルカーは北見へ かつてはこの駅も左右は材木だらけだったのだが

ふるさと銀河線での「またきてね」」への2件のフィードバック

  1. また来てねをUPしたら、湯口先輩のすばらしい「また来てね」が出てきました。
    言いようがありません。小生も昔、池北線全線乗ったことを思い出し、その後の超超過疎になった現在を訪ねて見たくなりました。

    マルーン様、こうた里は仕事で行けませんでしたが、こころ温まる写真を心がけたいと思います(しかし、休みには阪急を撮りにぶらつくけど、子供が窓にしがみ付いているのはなかなかお目にかかれないですね)。
    準特急先輩、ネガを探すのが大変なのですが、見つけてお送りしたいと思います。在京(京都ではない)のY君と一緒のいろんな写真があるはずです。
    鉄道の温かみをじっと共有したいと思います。

  2. 湯口徹様
    井笠鉄道の大荷物に続いてまたまた素晴らしい「また来てねin Hokkaido」。私も札幌での赴任を終えて東京に戻るとき駅で大勢の人の見送りを受けたことがありますが、これほど多くの人ではありませんでした。犬は勿論いませんでした。この犬も恐れ多くて湯口大先輩をまともに見ることができなかったのでしょう。車両に乗っても最後までカメラは離せないという好作品です。

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