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  1. 老人は1946年12月に闇米を運んだことがある。近鉄榛原駅より2里南の父の田舎に行った時の帰路、榛原駅で兄(1929年生まれ)が警官に連れて行かれた。弟はこれ幸いと、貨物ホームの隅のほうで電車見物開始となった。暫くして兄が憮然とした顔つきで返ってきた。「どうしたの?」と聞けば、「リックサックのもの全部召し上げられた!」と言った。彼は嵩張る大根をはじめ野菜類を担いでいたのだ。小学2年(1938年生まれ)は玄米を担いでおり、貨物ホームの片隅で薩摩芋のするめ(薄切りをふかし乾燥させたもの)をしゃぶっており、リックサックの中身を改められることなく改札を抜けていたのだ。以来、田舎から米運びは老人の仕事となり、中でも暮のもち米運びは大切な仕事だった。小学校3年から近鉄乗り回しを始めたのはこうした家庭の事情?があったからだったのだ。京都駅の高倉高橋から見ていた闇米列車の光景、闇米投下現場を見に行ってみたり、山科から当該列車に乗り合わせたこともある。東海道電化工事と共に姿を消したと思っていたら、北陸からの普通列車で出会ったこともあった。

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