四条・千本・大宮線の時代
古いネタを懲りずに出していますが、蒸機だったら何でも共感が得られるはずとt勝手に思っていても、読者の感覚・嗜好はさまざまです。蒸機と決めつけず、もっと鉄道の魅力を引き出すテーマが必要だと痛感しています。ここらでガラリと方向を変えて、「バス」に頭を突っ込んでみようかと思っています。
バスは、レールがないだけで、あとは鉄道趣味と共通点が多いと解釈しています。私もバスに熱中していた時期があり、今でもチャンスがあれば記録をしています。本欄においても、過去にはバスの記事もあり、先般も、電気バスの過去記事に、外部の方からコメントをいただきました。そろそろ私をバスを蔵出し‥、と思ったのですが、ストレートにバス車両だけでは抵抗があるかとも思っていたところ、“そやったら鉄道とセットにしたらエエ”という妙案(?)が浮かんだのです。
バスと鉄道、とくに路面電車とは共存・競争の間柄ですから、路面電車を撮っていたら、ジャマをするバスがよくありました。でも、バス好きの身には、市電、バスと一粒で二度おいしい絶好の機会と、その組み合わせを楽しんでいました。そこで、身近な京都で、その例を見てみました。今から約50年前、四条・千本・大宮線がなくなるころ、市電を撮っていると、ファインダーに入ってくるバスに、さまざまなスタイルがあることに気がつき、バスに手を染めるきっかけにもなったのです。
▲四条線、千本線、大宮線が、三方向へ分岐する四条大宮、市電17系統1627号の右折を待っているのは、車体を泥だらけにした、市バス28系統の大覚寺行きツーマンで、いまもほぼ同じ径路で京都駅~四条堀川~大覚寺を結んでいる。車両は「京2い・237」で、昭和40年式いすゞBR20で、中扉のみのツーマンバスだった。この角度から見る四条大宮は、看板が違うだけで今も全く変わっていない(昭和47年1月)。
▲四条京阪前で、京阪の踏切を越えるため、山なりになって市電、市バスが同時に発車する。市電1系統1808号の隣は、「市内半日Aコース」の幕のとおり、定期観光バスとして使われている「京2い・869」、推定で昭和45年式、最新の観光バスふそうMR470で、写真では分からないが中扉で、扉付近にバスガイドが乗車し、車内はロマンスシートだった。ツーマン路線車として兼用していた(昭和47年1月)。
▲祇園祭りの鉾立でにぎわう四条通、大丸前を行く市電20系統713号の後を追うのは、市バス82号の中書島行きワンマン、行き先から分かるように、昭和45年廃止の伏見線の18系統(中書島~河原町二条)の代替バスで、一方循環で、河原町~四条~烏丸の径路で中書島へ向かっていた。地下鉄の延伸もあって、昭和56年に系統廃止されている(昭和46年7月)。
▲上掲の写真とは反対側から。市電7系統1630号と、市バス11系統の三条京阪行きツーマン、径路を変更しながら今も走っている三条京阪~嵐山を結ぶ。車両は「京2い・714」で、昭和39年式の日野RB10である。バスも去ることながら、背後の日本信託銀行、山一證券などの看板が時代を物語る(昭和47年1月)。
▲こちらは大宮線、大宮松原付近、市電17系統1026号と、前を走る市バス18系統東土川行きツーマン、当時、京都の南西部の東土川操車場へ向かう多くの系統が設定されていたが、18号も三条京阪~東土川を結ぶ系統、その後経路の変更、他系統の統合もあったが、現在でも二条駅西口を始終発とする系統として残っている。左手奥のビルは石材店だが、看板や広告にも「吉相の石碑わ当店え」と書かれていて、なぜ新かなづかいに逆行するような宣伝をするのか訝かったものだ(昭和47年1月)。
▲国鉄線を越える大宮陸橋を行く、市電7系統1608号と、併走する市バス71系統の京都駅八条口行きワンマンカー、車両は「京2い・296」、昭和46年式の日野RE100で、当時は最新のバスとなる。ボデーは、通称“カマボコ”の西日本車体工業製、京都がほぼ東限となる西日本でしか見られないボデーで、以降の京都市バスのスタンダードになる(昭和47年1月)。
総本家青信号特派員様
これは楽しみなシリーズですね。
確かに市電を写した写真には、よく市バスが写り込んでます。邪魔やなあとおもってました。ところが長い月日が流れ、今では当時邪魔者扱いにしていたバスや車、さらには背景のありきたりの街並みに注目してしまいます。四条大宮はずいぶん変わりましたが、阪急大宮駅ビルだけは変わりないですね。しかし、東を見ると背の高いビルが林立して、市電時代に広く感じた四条通が狭く見えます。
昨夜のことです。市電の写真集を見ていて、52系統が七本松通りを走っていたとの記述を見つけ、えっ?ウソやろと疑って確認したところです。今では見られなくなった系統も多く、また逆に半世紀近く同じコースを走る系統もあったりして、バスもなかなか興味深いものです。
蒸気機関車はもちろん楽しみですが、市バスへの期待も膨らみます。
紫の1863さま
さっそくの応援コメント、ありがとうございます。そうなんです。当時の邪魔者は、今では歴史の証言者となりましたね。何でも撮っておくべきと痛感します。たしかに四条大宮は、阪急大宮駅だけは変わらないのに、周囲は激変しています。でも切取り方次第では、全く変わっていないように見えるのも写真の面白さだと思います。七本松通のバスは、奇跡的にまた復活していますね。昔は、幅の広い幹線道路は市電に任せて、市バスは、あえて幅の狭い道路を走らせ、フィーダー輸送を担っていました。そのため、市中には、寺町、七本松、御前、松原などを走っていた系統がありました。次の回には、1863号も登場します。またご覧ください。
市電と市バスの並んだ写真を探してみましたが、無いものですね。よほど市バスを邪魔者扱いしていたのか、シャッターを切るタイミングをずらしていたようです。
そんな中で唯一、昭和46年11月に高島屋の前で写した一枚が見つかりました。中学生がハーフ版で撮った下手な写真ですが、17系統の1025とすれ違う、8系統の市バスの全体が見えます。祇園・三条京阪を表示してますが、郊外の高雄を結んでいた距離の長い系統でした。ナンバーは京2い・712ですので、昭和39年式の日野RB10でしょうか? バスに関しては素人以下ですので、全くわかりません。この組み合わせは大宮松原の写真と同じ形式ですね。
そういえば例の石材店には、「世にも不思議なお墓の物語」という看板があったような気がします。
紫の1863様
写真、ありがとうございます。こうして見ると、改めて1000形の車体の長いこと、よく分かります。なるほど大宮五条の組み合わせと同じですが、1000形は、日中はあまり出番がなかったはずですから、その意味でも貴重ですね。市バスは、大丸前と同じバスですが、なんせ高雄から来るものですから、雨のあとなどは、泥々になって、四条通を場違いのように恥ずかしそうにして走っているのが印象的でした。