私の好きな電気機関車たち   ⑰(終)

電機の似合う駅

電機シリーズもこれで最終とします。“電機のいちばん似合う駅は?”と考えることがあります。私個人としては、京都駅1番ホーム(現・0番)の西端から見る、上り列車の入線シーンも大好きです。当時、二本あった中線を“ダダッダー”と交差音を残して、外へ編成を振りながら、1番ホームで待つ乗客の前に進んで行きます。その先頭に立つ電機の迫力に惚れ惚れしました。

しかし全国的に見れば、やはり上野駅にとどめを刺すのではないでしょうか。東北地方への出発駅として電機の発着で賑わい、独特の終端駅の雰囲気を持ち、推進運転の入線・回送シーンも見られました。でも列車写真、編成写真として見れば、これほど写しにくい駅もありません。ここは、やはり人も絡めた終着駅としての雰囲気写真になるのでしょう。私も昭和の時代、上野駅は利用した口ですが、撮影はほとんどしていません。上野から出発する時は、座席のことが心配で、落ち着いて写すどころではなく、逆に戻って来た時は、ほとんどが夜行で疲労困憊の体で降りて、撮影意欲など湧くはずもなく、そそくさと去っていきました。

上野駅に似合う電機は、やはりEF57だろう。青森行き「津軽2号」を牽くEF57 5、8月も下旬になると、さすがに盆の頃の混雑はないが、出世列車として名高い「津軽」はよく混む。上野では、前へ行くほど空いているから、とにかく自由席車の一番前の車両に乗車、首尾良く右側窓寄りの席をゲット、編成調べをしてから、やっと落ち着いて牽引のEF575を観察できた。22時22分、“ピーィ”という甲高いホイッスルを残して上野を発車。1両目だから貫通扉の向こうにEF57のデッキがユラユラしているのが見える。気分は、もう東北・北海道だった(昭和46年8月)。

6番ホームに5時44分に到着の「新星」、EF57 4は主灯、標識灯、車側灯を輝かせて、轟音とともにゆっくり到着する。「新星」は仙台発の寝台列車で、仙台の発時刻が23時15分、時刻表には「寝台車は仙台で21時30分から使用できます」と書かれていて、仙台で2時間近くホームに留め置かれていたことが分かる。

パンタが中央に寄ったEF57 1の牽く福島行き125レ。狭くて邪魔物が多く、なかなか満足な編成写真が撮れなかった。

EF57が消えると、残る電機は東北本線はEF58、常磐線はEF80になった。寝ぼけで撮ったピンボケのEF80、このキモは、上野駅の最終ホームの20番線があったこと、18~20番ホームは常磐線用だった。いまは地下に新幹線が通り、この地上付近には乗り換えの自動改札機がならんでいる(昭和46年2月)。

時代が下って、東北新幹線が開業する直前、17・18番ホームに、青森行きの「はつかり11号」と、上野では残り少なくなったEF80が牽く平行き425レが並ぶ。太いセンターピラーのEF81より、数段格好良く見える(昭和57年3月)。

 

 

 

さらに時代は下って、平成の世の中になると、上野駅に豪華な特急列車が発着するようになった。撮影に適した時間帯の発着で、ホームの端で到着を待ち構えることもあった。カシオペア色と言われるド派手なEF81も、これはこれで新しい電機のスタイルなのだと納得するようになった。

 

入線する「北斗星」 ▲▲列車が到着すると撮影タイム ▲▲▲牽引機もEF510に

 私の好きな電気機関車たち   ⑰(終)」への10件のフィードバック

  1. 上野で撮ったのはこの時だけでした。
    思えば数年後に東京で仕事に就いたのですが、この時期も疲れて鉄道どころではありませんでした。ちょうど御殿場線からD52が消える頃です。同僚からお誘いがあったのに断った思い出があります。モッタイナイ!

    • 81系「はつかり」を上野で撮るとは、さすが米手さん、ゴチャゴチャの駅構内も、この時は整然としていますね。私も81系「はつかり」は、常磐線で撮っていますが、ビネガーにやられて、キズ、シミ、悪臭で、とても載せられません。

  2. 上野駅は多くの夜行列車が発着していて、機関車もバラエティーに富んでましたねえ。今では機関車が引く夜行列車も過去のものとなり、この時代が懐かしく思い出されます。
    昭和50年代の初め頃、大垣夜行で東京に着くと、上野に続々と到着する夜行列車を写しに行ったものです。EF65PFが牽くブルートレイン、常磐線のEF80、上越線からの急行はツララ切りを装備したEF58、京都では見られない電機に出会えて喜んでおりました。
    そんな中で、当時の珍客は信越線からの急行を牽いてきたEF62でしょうか。

    • 上野には、いろいろな電機が出入りしていました。同じ形式でも、装備が違っていたりで、それを見るだけで東北へ来た気分でした。まだ信越線に客車列車のあった頃にはEF62も見られたわけですね。いまの上野駅は、あの猥雑な雰囲気もなく、ずいぶんきれいな駅になりましたが、ふと高架下の地上終端付近に立つと、リュックを担いで、必死になって、自由席車を目指した、昭和の頃を思い出します。

  3. 総本家青信号特派員様、紫の1863様、米手作市様
    1982(昭和57)年11月12日上野駅の急行「越前号」福井行きです。メモによりますとEF6233+⑨オハフ452015・⑦オハ472032・⑥オハ472067・⑤オハ472033・④スロ622108・③オハネフ132607・②オハネフ122052・①オロネ102044・マニ372006(全車金フイ)
    因みにこの日撮った客車は「津軽1号」EF58152[宇]、「北陸」EF641010[高2]、「能登」EF641025[高2]、「ゆうづる7号」EF8027[田]、「あけぼの」EF651012[宇]、「北星」EF651017[宇]でした。

    • 「越前」の写真、ありがとうございます。東北新幹線開業の頃の上野駅には、実に多くの電機が出入りしていたのですね (客車も同様ですね)。この時期は、逆に電車特急の記録に追われていて、電機は疎かになっていました。

  4. 総本家青信号特派員様
    電機の話題なのに、上野駅に話をすり替えるようで、チョット気が引けますが・・・。
    小生、嫌々?東京人になってしまった約60年前、「有名な」上野駅を訪ねました。
    その時の第一印象は、高架上の山手線や常磐線とは対照的に、その陰に有る地平部分は「暗~い駅やなあ」でした。
    併せて櫛型のホームでの「撮り難さ」に失望したもので、それは阪急梅田や東急渋谷でも感じていましたが、阪急や東急は天井が高くドーム状で大変明るかったのが救いでした。
    と言う事で、まるで上野を避けていたかの如く、東北線・信越線の写真が無
    く、独特のスタイルをしたEF56やEF57の写真すら無いのは情けない限りです。

    • 河さま
      上野駅の思い出、ありがとうございます。私も記しましたが、上野駅ほど、列車写真、編成写真の撮りにくかった(と言うか、撮ることが不可能だった)駅はありませんでしたね。それ以上に驚いたのは、駅の汚さです。終着駅のため、大量のゴミが出ます。清掃はしているでしょうが追い付かず、ゴミがホーム、線路まで散乱していました。いまの駅は、上野駅に限らず、キレイになったとつくづく思います。

  5. 上野駅の電関というと、この昭和56年夏期旅行出発前日に2時間ほど列車を撮っていたうちの1枚しかありません。
    それでも新幹線開業前年の上野や東北を収めて来れたことは、旅行班班長氏の慧眼だったのではと、40年後の今に思います。

    • KH生さま
      写真、ありがとうございます。17番ホームにEF80、18番ホームに「はつかり」と、私の載せたものと、全く同じですね。EF80、485系と、この時代の上野を代表する車両です。

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