【95976】 駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈2〉

札幌駅 昭和43年(1968年)9月10日の記録

つぎの駅は札幌です。撮影した昭和43年は、43-10ダイヤ改正に先立つ8月28日、小樽~札幌~滝川で、北海道初の交流2万Vの電化が完成し、営業運転が始まりました。真っ赤な交流電車711系が走り始めますが、絶対数が足りず、旅客列車は大部分が蒸機の牽く客車列車のまま残っていました。駅もまだ地平駅で、いまに見る札幌駅とは全く違っていました。この時は、釧路からの夜行鈍行424レに乗って、6時02分に札幌に着き、10時00分発の「ていね」に乗るまで、朝の札幌に発着する列車です。
1番ホームの東寄りには切欠きの0番ホームがあり、おもに千歳線の列車が発着していた。列車は定山渓行きの1761Dで、定山渓鉄道のキハ7002が、単独で東札幌から千歳線に乗り入れて札幌駅に顔を出した。定山渓の札幌乗り入れは、一日9往復あり、うち2往復は千歳線のDCに併結されていた。


この時期の駅舎は4代目で、民衆駅として建設され、昭和27年に完成、貨物取扱いを止めて旅客駅となり、昭和40年には増築されて5階建てとなった。このなかには、国鉄北海道総局も入っていた。駅舎とつながる片面の1番ホームと東側には0番ホーム、島式3面6線の2~7番ホームがあった。その後昭和48年にもう一面8・9番ホームが増設された。高架の5代目の駅舎が供用を開始するのは、昭和63年11月のダイヤ改正からだった。
また小樽~札幌~滝川電化で用意されたのは、交流専用電車711系、試作車4両と、第一次量産車25両の計29両、また電機は、試作のED75501と量産型のED76501~509の9両、これがすべてだった。

昭和42年の時刻表地図、月寒付近の旧線が描かれているほか、定山渓鉄道も見える。2番ホームに、キハ091(札ナホ)を後部とする札幌発石狩沼田行き623Dが停車、キハ09は、60系客車を種車として気動車に改造した。

6時18分、朝陽を浴びて到着した、仁木発稚内行き321レ、C57138〔築〕牽引、この時期のC57は、予備灯の予備灯を付けた三ツ目だった。6時25分、網走発函館行き急行「石北」がC6232〔築〕に牽かれて到着。この時期、C62は旭川まで足を伸ばし、この「石北」も旭川からC62に代わった。地方の中枢都市で、たとえば広島駅にC62が出入りするのは分かるが、札幌駅にC62が堂々と入線してくるのは、私にとっては違和感以外になかった。なお、編成の中には、1・2等寝台のオロハネ10502(札サツ)が連結されていた。あとは「利尻」にも連結される、中央扉の貴重な合造客車だった。続いて6時37分、釧路発札幌行き急行「まりも」がC57177〔築〕に牽かれて到着する。6時台の札幌は夜行列車の到着ラッシュ。「まりも」は普通車も全席指定で、均一周遊券では乗れない。ほかの夜行急行より、少し格が上のように映った。私もどうしても釧路に早朝に着きたいため、一回だけ大枚100円の座席指定券を払って「まりも」に乗ったが、あとは夜行鈍行利用だった。7時04分発の小樽発岩見沢行き43レ、D5113〔岩〕の牽引。小樽~岩見沢と言えば、全区間が架線の下だが、まだ蒸機のままだった。キハ22が単行で発車を待つのは、札幌発夕張行き準急「夕張1号」キハ22207〔札サツ〕で、運転距離100キロ未満のため「準急」のまま残っていた貴重な列車。これも来たる43-10改正で、すべて急行になるので、あと20日ほどの姿だった。7時13分発の小樽発室蘭行き722レ、C57140〔室〕で、千歳線の列車もC57で、室蘭区のC57が札幌でも見られた。右手キハ22「夕張」のサボに「準急」の文字が見える。やっと電機の姿が見られた。7時57分発の函館発釧路行き421レ ED76505〔札〕+客車11両で、北海道では最長を走る鈍行列車で、20時間を要して走る。8時14分発、小樽発岩見沢行き821レ D5148〔岩〕 ナメクジ機も多く見られたが、D51はデフの切り詰めがされており、あまり魅力を感じなくなった。上掲の821レの発車、客車には「行商指定車」の札が入っている。東側には陸橋、踏切があったことも分かる。8時17分、仁木発札幌行き823レ D51465〔築〕牽引で到着。ラッシュ時間帯となり、ほぼ10分おきに長編成の蒸機列車が出入りする。8時24分、追分発札幌行き824レ C57194〔築〕牽引で到着、岩見沢でスイッチバックとなり牽引機の付け替えが発生するが、こんな面倒なことまでして旅客の便を考えた当時の国鉄の熱意には頭が下がる。8時41分着の小樽発札幌行き825レ C5791〔築〕 まだ北海道のカマもきれいで、給水温め器には真鍮磨き出しも見られる。そろそろラッシュ時も終わり、駅は落ち着きを取り戻したようだ。私も撮影を切り上げて朝食へと向かった。

 駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈2〉” への6件のコメント

  1. なつかしい写真に思わず見入っています。
    昭和40年には本州では見られなくなっていた「合造車」を見るために渡道しました。マロネロ38、オロハネ10、スハシ38などでしたが、すでに北海道でも運用している列車は限定的で、時刻表を見ても準急「たるまえ」、準急「石北」に“寝B寝2”つまりオロハネ10が、準急「利尻」に“寝C自1”つまりマロネロ38が、不定期急行「石狩」に“2食”つまりスハシ38が連結されていたぐらいでした。ロやネは利用できませんが「石狩」のスハシには函館から札幌まで乗車しました。

    • さすが米手さん、北海道でも客車を多く撮っておられるのですね。私が初めて行った昭和43年には、マロネロ38も、スハシ38もいませんでした。「石狩」の食堂車で粘って食べられた食事は、さぞおいしかったことと思います。ところで、番号付きの客車写真がすぐ出てきますが、写真を形式別にちゃんと整理されているのでしょうか。

      • 回答
        ①スハシ38で食べた食事・・・
        答え:食べてません。ハに乗っていただけです。拓大の柔道部が柔道着のまま食堂車で食べていました。三軸台車(TR73)の乗り心地の良さに感激しておりました。
        ②写真を形式別に整理しているか?
        答え:全くしておりません。ネガ単位にCD化したものをHDにコピーして何回も見て大体暗記しています。「あ、あれ、有ったなぁ」でアタリ調査して見つけています。

        • 米手さま
          コメント、ありがとうございます。「ハ」に乗られたことは、以前に米手さんも言っておられた、合造車の個室感覚を楽しんでおられたのですか。写真の整理ですが、“あれ、あったな”のアナログ感覚は大事だと思います。それだけ熱意を持って写真を撮っておられた証左です。

  2. 総本家青信号特派員様

    今回の札幌駅は、小生にも思い出深い部分がありますが、SL音痴を大いに反省させられるレポートです。
    では、何が思い出深いのかと言うと、定山渓鉄道の茶色い湘南顔をした車体が大変スマートだった事で、夢中でシャッターを切ったものです。
    続く思い出深い車両は、60系客車そのままの姿にワクワクしながら撮影した45系キハです。(後に09系に改番されたようですネ。)
    結局、駅撮りだけでは満足できず、翌日はこの『変わり種』を極めようと苗穂機関区まで出向いてパチパチやったものです。
    そうそう、キハ20系の北海道バージョンだった窓の小さいキハ22も印象的でした。

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