第6日目 4月3日
今日はこの旅最後の日です。早めに朝起きして浴衣を着ながら城崎温泉街を散歩です。
▲ 6:46、浜坂方面行の1番列車の161D(豊原⇒浜坂)が発車していきました。
温泉街を流れる大谿川の鉄橋たもとからの撮影です。
▲ 柳の新芽が出てきた朝の静かな温泉街です。左手の宿が宿泊した「おけ庄」です。昨日お昼過ぎに旅館組合案内所に電話をして紹介してもらいました。わずか6室の木造3階建ての旅館ですが、部屋は広く何よりも中居さんの「おもてなし」が最高で快適でした。また泊りに来たい旅館になりました。
▲ 上の方に行きますと満開の桜並木です。勤務時代には観光協会がクライアントでしたので1年4回以上は来ていましたが、この時期が一番温泉街がさわやかな時期です。多忙な毎日でしたが朝起きてこうやって散歩するのが楽しみでした。
▲ 9:44 最初に訪問した駅は「コウノトリの郷」です。開業は1929年(昭和4年)12月15日で、他の駅はリニューアルされましたが開業時の木造駅舎が唯一残っています。
京都丹後鉄道(以下略称「丹鉄」)は宮福線(宮津~福知山)30.4㌔と宮津線(西舞鶴~豊岡)83.6㌔の合わせて114㌔がありますが、兵庫県にあるのは起点駅の豊岡とこの駅の2駅だけです。
▲ 10:23 撮影地 久美浜手前 ノミネートしていたのは線路の向こう側でしたが先に列車が来てしまいました。
▲ 11:12 久美浜は、古くは丹後王国として栄え、江戸時代は直轄地、明治に入ってからは久美浜県として県都も置かれたこの地区の中心地でした。松前船も寄港して日本海の海上交通の要所 商都としても繁栄していました。宮津線の豊岡~久美浜は昭和4年12月15日開通しています。つつじが咲く久美浜町(現;京丹後市)東山公園の金比羅宮からの俯瞰撮影です。
▲ 11:38 木津温泉の玄関口の夕日ケ浦木津温泉駅に到着です。ここも桜並木が綺麗な駅です。
▲ 12:15 229D(西舞鶴⇒豊岡)の到着です。芝桜も咲く駅ですがこちらはまだ早かったようです。
▲ 足湯「しらさぎの湯」もあります。駅から木津温泉まで少し離れていますが
送迎があります。
▲ 12:30 228D(豊岡⇒西舞鶴)の到着です。
▲ 13:25 撮影地 Google座標; 35.550932, 135.148986
丹鉄№1の桜の名所「岩滝口」にやって来ました。見事に満開した桜の大木に囲まれた駅を出発していきました。233D(西舞鶴⇒豊岡)です。
▲ 13:37 続行する特急「たんごリレー3号」4003D(福知山⇒網野)です。
▲ 14:18 撮影地 喜多~辛皮 Google座標;35.507651, 135.185436
以前はタンゴディスカバリーの車両でしたが、2015年12月に水戸岡鋭治氏により「丹後の海」車両へとリニューアルされた4両編成の特急「はしだて5号」(京都⇒久美浜)がやって来ました。生野神社の後ろからの撮影です。
▲ 14:22 これも水戸岡鋭治氏設計による「丹後あおまつ4号」です。天橋立⇒福知山の普通列車に運用されています。
▲ 14:55 丹鉄のメインステージの由良川橋梁です。237D(西舞鶴⇒豊岡)にはKTR800形で「コミューター車両」としてリニューアルを受けた803号車が運用されていました。
▲ 15:48 由良川橋梁の川岸には5本の桜の木が植えられています。強風を受けるために海に向かって傾いて枝が延びているのが特徴です。春の日差しを受けたKTR705号車がゆったりと渡っていきます、232D(豊岡⇒西舞鶴)です。
▲ 15:59 向日岸の山々にも山桜が満開の中、由良川橋梁を渡ってくるのはKTR706号車の243D(西舞鶴⇒豊岡)です。
▲ 16:43 しだれ桜の大木が見事な四所駅を発車したKTR803号車、241D(西舞鶴⇒豊岡)です。
▲ 16:57 四所駅に入線して来たKTR704号車の234D(豊岡⇒西舞鶴)です。
これが「ありがとう三江線」で始まった今回の旅、最後の撮影となりました。
▲ 今日の走りは約176㌔、自宅の最寄駅の長岡京駅まで不銹鋼號さんと千住のヤスベイさんを送りして、お別れとなりました。知っている所をご案内しましたが説明不足もあったろうと思います。これに懲りず、こちらに来られます時はまたお声をかけてください。
まだ哀しみが癒えない私です。6日間の間、楽しく過ごさせていただきましてありがとうございました。少し救われました。またご一緒させていただきますようによろしくお願い申し上げます。
前回の旅の掲載を途中で中断しての紀行記でした。戻りたいのですが、5月26、27日に予定しておりますクローバー会の明知鉄道見学会の下見を先日してまいりましたのでご紹介を先にさせていただきます。 明知鉄道見聞録へ続く
城崎温泉は大好きな温泉で、年に数回日帰りで行きます。
数年前の大火で温泉街の真ん中が焼失して心配しておりましたが、最近は徐々に復旧して新しい店も開店しています。
楽しい旅行記をありがとうございました。
米手作市様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
城崎温泉は1925年(大正14年)の北但大震災で全町壊滅しましたが湯が沸いて出る限り不滅と復旧、復活した歴史がありますので不滅です。一時は三木屋の造反内湯事件で内紛しましたがかえって結束が強くなり、現在に至っています。クライアントでもありましたので私も大好きな温泉の1つです。子供が小さい時はよく家族で行きました。