駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈4〉

昭和41年8月21日 広島駅

広島駅で下りブルトレが次々発着していた1番ホームの東端に行くと、切欠きホームとなった短い0番ホームがあり、そこで発車を待っていたのが、機械式のDC、キハ04でした。このホームは、広島の市街地を東縁に沿って宇品まで向かう宇品線の専用ホームで、ラッシュ時以外はキハ04が単行で運転されていました。しかし超赤字路線で、訪問した昭和41年の末には旅客営業を止めており、その直前の情景でした。
広島駅0番ホームで発車を待つ、宇品線531Dのキハ04 104〔中ヒロ〕、現在、この場所は埋められて、JRの駐車場になっている。

宇品線は、明治27年、広島から宇品まで、日清戦争の物資輸送を目的とした開業した軍用線だった。着工から17日間で完成させたと言われるほどの突貫工事だったらしい。その後、国鉄線となり、旅客営業も行なうようになり、沿線の学校・工場などへの通勤・通学輸送と、宇品港などへの貨物輸送を行っていた。しかし平行する、広島電鉄やバスとの競合で客足が減少、営業係数が4000を超える全国有数の赤字路線となった。結局、訪問した昭和41年の12月限りで上大河~宇品を廃止、広島~上大河で、定期券利用者のみの旅客営業と貨物扱いを存続させることになった。宇品線の名称も無くなり、市販の時刻表にも掲載されなくなった。しかし、それらも昭和47年に廃止となり、国鉄の営業線としては使命を終えた。その後、同区間は側線扱いで貨物を取り扱っていたが、これも昭和61年には廃止された。
昭和41年3月訪問時の宇品線の時刻表、上下34本の列車(うち2本土曜のみ)があり、4往復が客車列車、あとはキハ04の単行運転だった。2往復は休日運休。
キハ04は、中ヒロに104、105、106の3両があった。この時、全国で10両が在籍していたが、中ヒロ以外はすべて北海道の配置で、たいへん珍しい存在だった。

1番ホームに掲げられた、旧宇品線の時刻表、広島~上大河で、定期券所持者のみを対象にした旅客営業を行っていた時代。広島駅でも、これ以外に駅での時刻表示は無かった。定期券に限られたが、料金さえ払えば、一般利用者も乗れたと言われる。

 

 

 

 

広島駅北端の7番ホームは、芸備線用のホーム、キハ23などの新形式のDCも走っていたが、とくにラッシュ時は、蒸機牽引の客車列車が中心だった。左:新見行き824レ、C58 226〔新〕、右:C58 34〔新〕
非電化のローカル線、芸備線、呉線にはDC優等列車が多く走っていた。上は、「しらぎり」キハ55 191〔中ヒロ〕ほか、「ちどり」の増発用として芸備・伯備線経由で米子まで結んだ。「しらぎり」の名称由来は途中の三次の川霧から。この名称は、昭和43年10月改正で「ちどり」に統合されてしまう。下は、岩国発呉線経由岡山行き「にしき」キハ28 432〔中クニ〕ほか。この名称も、昭和43年10月改正で「吉備」に統合されてしまう。
山陽本線の最後の非電化区間であった広島~小郡は、昭和39年10月に電化が完成した。それから1年半が経過しているが、まだ電機・電車の新製が進まず、C62が堂々と本線を行く姿が見られた。徳山発糸崎行き624レ、C62 28〔広転〕。この機は、ナンバープレートの取付位置が低く、ちょっと間の抜けた印象だ。

17 thoughts on “ 駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈4〉

  1. いつも感心するのは、特派員氏は“駅撮り”であっても絶対に手抜きせず、しっかりと構図をとって「作品」並の精度で仕上げていることです。さらに撮影データもきちんと整理されていて“さすが”と感心しております。
    次が待ち遠しいですね!

    • 米手さま
      お褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。撮影のデータは、思いを込めて撮っていた高校・大学時代は、一点一点に、きっちり撮影データを書き込んであり、それを見れば分かりますので、50年前の写真でも大丈夫です。逆に最近になるほど大量の撮影で、ほとんど整理まで手が回りません。「作品」の精度は、今回改めて、ビネガー状態に犯されたネガが多数見つかり、公開を憚るようなヒドイ状態です。今回の掲載分も、露出不足の荒れ荒れの傷だらけネガを、修整ソフトでいじり倒して、ようやく公開できました。

  2. 総本家青信号特派員さんの投稿ピッチがはやいのでコメント遅れて申し訳ありません。広島駅のレポートをみて関西深夜通過広島早朝の九州特急について夏至の頃に上りの「さくら」を神足付近で狙ったことを思い出しました。湖東平野(盆地?)くらいまで行けばもう少し楽に撮れたと思います。広島駅では他の大きな駅同様に貨物列車が堂々と通過したことも思い出しました。機関車は勿論D52でした。広島機関区や広島運転所ではC59やC62ばかりに目を奪われていましたが、もちろん蒸機である限り三次のC58、宇品線のC11も撮っておりますが、それらが広島駅の海側、山側に発着場がありどういう感じであったか記憶にありません。よくまとめて発表していただき参考になりました。181系+補機EF61もただ撮っただけでした。有難うございます。

    • 準特急様
      いつも、ありがとうございます。九州特急の時刻を改めて見ますと、上り「さくら」の京都到着が4時47分でしたので、夏至のころなら撮影可能だったのでしょう。ちょうど現在では、夏至限定で、M250系電車の牽くスーパーレールカーゴが撮れるのと同じですね。広島駅で準特急さんが撮られたのは、私より数年前でしょうか、旅客はC59、C62、貨物はD52が牽いて、ひっきりなしに来たのは、さぞ壮観だったと思います。宇品線はキハ04しか知りませんが、旅客はC11でしたか。D51が牽いていたとも聞きますが、呉線からの宇品行きも、C62は入線できませんから、広島で牽引機が替わったのでしょうか。特急電車については、補機を付けたり、関門以西では、交流機が牽いたりと、当時の必死ぶりが伝わってきます。多少のコメント遅れは、一向に気にしませんので、今後とも、またコメントいただければ有り難いです。

      • 総本家特派員さま 準特急さま
        夏至に神足で撮られていましたか。夏至の頃とは言え光量としてはちょっと苦しい撮影だったのではと推察します。
        小生は唯一の京阪神地区でのブルトレムービーをお盆に米原で撮ったことがありました。ムービーはスチルよりいくらか光量の制約が緩いとはいうものの、やはりギリギリの撮影でした。もっとも明け方の雰囲気は撮れたのではと思っています。その時は上り「さくら」通過の暫く後に急行「銀河」がEF65に牽かれて下って行きました。

        • 1900生さま
          コメント、ありがとうございます。米原ですと、上り「さくら」の通過が6時前後ですから、十分な光量はあったと思います。私も、以前に米原付近での撮影を画策したことがありましたが、早朝のため、近い距離ながら前泊しなければ不可能で、諦めたことがありました。1900生さんは、どのようにアクセスされたのでしょうか。

  3. 総本家青信号特派員様,1900生様&西村雅幸様
    総本家さん、1966年11月28日の記録ですがC11328[広島]がバック運転で広発の925列車を牽引して到着した時のもの。この後の広発927列車はD51518[広島]のバック運転でした。このD51518は早朝呉線で広発921列車広島行きを牽引していました。また宇品駅には534Dのキハ04106+キハ40104が発車待ちしていました。

    1900生さん、神足は木造の学生アパートでしたが深夜まで話し込んでそろそろ寝ようかなと思った時にもう少しで夜が明けることに気づきノコノコと「さくら」見物に出かけました。もうひとつ下り夜行で夜が明けてしばらくして上りの「さくら」とすれ違った時の強烈な印象があるのです。東海道本線で最も素晴らしい大カーブのある近江長岡の柏原よりです。太陽は既に上がっていましたが朝の空気、光線がさわやかでした。

    西村雅幸様
    脱走犯も捕まってよかったですね。泳いだり、呉線の電車に乗ったり、最後は広島球場に近いところをうろついていたそうですが、これで安心ですね。カープも巨人に勝ち越しておめでとうございます。

    • 準特急さま
      またまた貴重な写真のご披露、ありがとうございます。宇品までちゃんと乗っておられたとは知りませんでした。ほかのサイトでも、宇品で写された蒸機列車の写真は見たことがありません。たしかにC11がバックで牽いていたのですね。またキハ04は、単行だけでなく、2両の時もあったことも初耳でした。ありがとうございます。

  4. 特派員様
    広島駅の貴重なカットありがとうございます。特に0番線のキハ04がいいですね。スプリングポイントがいかにも機回し線であることを示していますね。最近広島駅は大改装されて橋上駅になりましたが、ホームに降りると山陽鉄道時代のものではないかと思われる石積みの低いホームの痕跡が一部残っています。宇品線ホーム跡もかろうじて残っています。キハ55や58たちを見ていると、アイドリング中のエンジン音が聞こえてきそうです。「にしき」は撮っていませんが、小屋浦で撮った「吉備」を添えておきます。トンネル脇のアヤシイ人影はKAWANAKA氏です。
    準特急殿
    世の中を騒がす元凶がなぜか今治なのは偶然でしょうか?ところで今回の逃走劇ですが、私の推測は泳いで渡って、国道2号線を歩き、無人駅と化した糸崎駅から電車と思っていましたが、バイクで呉線という発想には至りませんでしたね。おかげで全く注目されることのない安芸長浜駅が有名になりました。この駅は海側に石炭焚きの火力発電所ができたのに伴って開業した駅です。さて宇品駅でC11を撮っておられたとはさすがですね。現在広電で宇品、広島港まで行くと30分以上はかかりますが、宇品線が残っていれば南北を結ぶ便利な路線になっていただろうと思われます。さて今夜は神宮で国鉄スワローズ戦。連勝を期待しましょう。

  5. 総本家青信号特派員さま
    米原での上り「さくら」撮影時は実は彦根駅前のホテルに前泊しました。時期は丁度223系の増備と113系のカフェオーレ色化が進みだした頃でした。新聞で昼間時の快速も221系に置き換わると報道されたことや、塗色変更により長編成の湘南色113系快速を今のうちに撮っとかんとどんならんという気持ちに突き動かされての出動でした。現在と異なるのは前記さくらをはじめ、貨物機にも原色車がまだまだ見られたので、ついで!にそれらもという次第でした。それでも朝ラッシュの快速には湘南色11連がありましたが、日中はすでに全車湘南色は2時間粘って1本ほどしかなく、オーレ色との混色が幅をきかせつつありました。下り「銀河」はここでの1回しか撮っていません。上りは湯河原で撮ったと記憶します。
    準特急さま
    近江長岡~柏原間の大カーブでの朝日輝く中でのすれ違いシーンは目に浮かぶようです。舞台としては最高のステージではないでしょうか。ここは今でも優良撮影ポイントと思っていますので、EF66や65の原色機を撮りに度々訪れています。なんといっても伊吹が圧巻です。
    西村雅幸さま
    小屋浦はSL時代には行ったことがなく、5~6年前頃に広島区の113系湘南4連を撮りに初めて行きました。SL時代から写真は雑誌や写真展で見ていましたが、時代が変わって現在ではいい撮影ポイントが無くなっていて難儀しました。海側道路の拡幅と周辺建物の増加は想像以上でした。勢い余りやらない駅撮りが増えてしまいました。仁方と忠海は2回ほど足を運びました。思ったほど海を入れてのポイントは無かったように記憶しています。

    • 1900生様
      明知の夜に「総天然色8㎜大映写会」が賑々しく催され、一同感涙にむせび泣いたという夢を見たのですが、これは正夢にならないのでしょうか?

      • 西村雅幸さま
        もうそんな夢をご覧になりましたか。実は事務局へはもし当夜の退屈しのぎのネタとして、大映写会ではないのですが「よろしければSL時代の中央西線を観て頂けるように準備します」とお伝えしてあります。前回の潮温泉では三江線を観て頂きましたが、あいにく明知線は撮ってないので、D51ばかりですが近くの中央西線でお茶を濁させていただこうかと計画中です。宿の設備等の条件もあり、正夢になれば良いのですが。
        感涙にむせんでいた頂けるかどうか自信はありませんが、だからといって石は投げないで下さることを条件にしたいと思っております。

        • 1900生様
          寝覚めにうれしいコメントを拝見しました。中央西線のD51是非見たいと思います。木曽福島にたむろしていたD51を思い出します。楽しみです。

  6. 皆様へ
    歳だけは確実にとっておりまして、7日には73歳になります。当然皆さんも平等に追い抜かれたり追い越したりすることになく歳をとられていることと思います。さて鉄をやっていると時として歳をとっていることがよかったと思うこともあります。機関区など現場に行っても撮影を歓迎されたり、蒸機がいくらいても公害だと騒がれなかったり、貧乏で不便でも懐かしい時代を経験することができたことです。さてその歳を取っている分、尊敬する特派員さんでも撮り逃したり、間に合わなかったものがおありなようですので改めて宇品線の若干の記録を発表します。
    1900生さんは京都から近いのに彦根での前泊はよく頑張っておられたなと改めて感心しました。基本には国鉄形車両狙いとお聞きしましたが、いつぞや高崎線の岡部か本庄でも夜明けの決戦に備えて前泊された聞いたこともあります。余計なことですが1900生さんと私は酒が飲めないことが共通点です。

    • 準特急さま
      コメント有難うございます。お互い下戸でしたかね。就職してからはお酒に纏わる話は色々ありますが、クラブ時代のお酒のことはもうすっかり忘れておりました。学生で元々懐が乏しかったわけで、当時は余り大酒飲みの方はおられなかったと記憶しています。それでもコンパでは当時流行っていた一気飲みなんてこともありましたね。
      彦根での前泊は特派員さまも驚いておられましたが、早朝を狙うには車に乗らない小生にはそれしか方法が無かったのです。確かに距離からするといささか馬鹿馬鹿しい気もしましたが、獲物を仕留めるためにはの心境からでした。
      岡部~本庄の話をよく覚えていて下さいました。高崎近辺の原色車を撮りに行った際で、あけぼの牽引機に64-1000が復活したのと、489系急行能登の終焉期に合わせて行きました。この時前夜に本庄駅前のホテルに投宿、午前4時起き4時半にタクシーでポイントへというものでした。余談ですがこの頃はまだ地方でも24時間営業のタクシーが多くあったのですが、最近は早朝のタクシー予約がままならないことが多くなりました。尤も最近はもうそこまでしてまで撮りたい列車が無くなってきましたね。

  7. 一葉目の写真
    後で気が付くなんとやらで、読み返していてハタと気が付いたことがあります。キハ04が停車中の線路に機回し用のポイントがあることです。といっても昔は終着駅(線)には必ずといっていいほどあったもので、見慣れた風景でしたから当時の写真に写っていることになんの不思議もありません。我々に馴染みの深い京都駅山陰線の旧ホームにもありました。現在では機関車牽引列車の廃止や駅施設改修に伴って、もう殆ど残っていないと思っていました。ところが昨年たまたま18きっぷで訪れた参宮線鳥羽駅に、未だ残っているのを発見しました。鳥羽駅も近鉄開業時に改修したはずなのですが、見たところホーム部分は従来のままのようで、そのため今に至るも存置されたものと思われました。皆様ももし機会があればご覧になって下さい。機回しポイントが残っているのは改札を入って手前側の線路なので、参宮線に乗らなくても列車さえ在線していなければ、改札口からでも見えると思います。
    現在、一体どこにどれだけ残っているのか興味深いですね。

    • 1900生さま
      一枚の写真を詳細に見ていただき、ありがとうございます。京都駅山陰線ホームにも機回し用のポイントがありましたね。京都駅のものは、広島駅とは逆で、機回し線側に本線がカーブしてポイントがあり、ホームもそのカーブに沿って、三味線のバチのような形になっていました。JR鳥羽駅は何度か行きましたが気が付きませんでした。

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