駅撮り一時間 〈10〉

昭和47(1972)年2月16日 新大阪駅

新大阪を通過する、下り新快速の西明石行き。設定当初の新快速は、京都~西明石の運転で、昭和46年4月に草津まで延長された。当初の停車駅は大阪、三ノ宮、明石で、新幹線と接続する新大阪、神戸市の代表駅、神戸も無視、あくまで京阪神の中心駅の直結輸送を目的とした。京都~大阪の所要は、特急と遜色のない32分運転だった。

大阪駅で優等列車を写したあと、新大阪へ移動しました。翌月の昭和47年3月改正による新幹線岡山開業に伴い、新幹線接続は新大阪から岡山に移り、新大阪発着の優等列車は、大幅な改廃が実施されることになります。

昭和42年10月改正の「月光」「みどり」でデビューした、座席・寝台両用の581系は、昭和43年10月改正で、山陽・九州地区、東北地区に、共用の583系が大量投入された。続く、44年10月改正、45年10月改正でも増発が続き、この時代は、まさに581・583系の絶頂期を迎えていた。新大阪~博多の「はと」、直流区間の新大阪~下関「しおじ」にも運用された。

 

 

 

いっぽうの盟主たる151・181系の活躍も続くが、新大阪~宇野の「うずしお」(一部485系)、新大阪~広島・下関の「しおじ」に限定され、前記のように「しおじ」の一部は581・583系となるなど、活躍の幅は狭められていた。翌月から「うずしお」は廃止、「しおじ」は新大阪~広島として残るものの485系化され、1往復のみ181系で残ったが、これも48年5月に485系化され、「こだま」以来の正調ボンネット特急は西日本エリアから姿を消すことになる。新大阪15:22着の「うずしお2号」で、ヘッドマークは、字幕ロール式に改造されている。

いまはすべての列車が停車する新大阪も、「新快速」は駅員に見送られて通過して行った。最初はスカ色編成のみだったが、草津延長で、一部は写真のように、冷房付きの湘南色113系が運用された。急行も新大阪発着の列車が多く見られた。新幹線乗り継ぎ割引適用がない時代で、特急料金と急行料金の差は大きく、岡山、広島あたりまでの利用客が多かった。。写真は165系三原行き「とも2号」、改めて時刻表を見ると、岡山~三原はほぼ各駅停車状態で、この区間の利用客が顕著だったことが分かる。九州地区から475系急行も多く運転されていた。この「玄海」は、博多~名古屋の運転で、新大阪を通り越す唯一の急行電車だった。800キロを超えるロングラン急行で、ビュッフェの営業も行われていた。

急行「鷲羽」「とも」「宮島」などの153・165系は、新幹線岡山開業で、廃止、または岡山発着に改められる。余剰となる153・165系は、新快速の延長・増発に転用されることになる。大部分は、すでに新快速用のブルーライナー色に改められ、ひと晩で急行から新快速に変身する準備が進んでいた。

 駅撮り一時間 〈10〉」への2件のフィードバック

  1. 新大阪駅での駅撮りをした記憶はあまりないのですが、昭和45年6月20日、80系で運転された、臨時快速「万博おかやま号」です。

    • 私は万博期間中、I原さんに誘われて、新大阪駅で駅員のバイトをしていました。連日、各地から団体列車、臨時列車が発着して、出勤すると助役から本日のダイヤが渡されて、それを覚えるのがたいへんでした。カメラの持ち込みも叶わず、万博時の記録が全くできていませんでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください