暖かい内地への旅 Part10 鹿児島市電を撮る③

第7日目 3月1日 その1

昨日は全線を乗り、雨の降っていない間は歩きましたので沿線の大体の様子は分りました。今日はまだ撮れていない車両の撮影と気になった撮影地のもう一度の本チャンの撮り直しです。

移動に利用するのは今日も1日乗車券(600円)です。

▲ 7:09 ホテルに近い「天文館前」からの撮影開始です。幸先よく初めて見る600形614がやって来ました。

▲ 7:10 続いても貴重品価値の500形507です。営業で運用されている車両では最古参で1956年12月に東洋工機で製造されています。501, 504, 507の3両が在籍しているようですが、今回走行しているのを確認したのはこの507のみでした。

▲ 7:17 これも始めて撮る9500形9513です。日にちが替わると運用も変わりますので昨日見られなかった車両たちに会えます。行き先は車庫のある「脇田」で、この後は入庫するようです。

▲ 7:28 小学生たちの通学時間になったようです。電車道を渡っての通学です。いずろ通の交差点です。いづろの名前の由来は、石灯籠が訛って「いづろ」となったそうです。

▲ いずう交差点にあるのが「龍馬、お龍と薩摩でひと休み」像です。1866(慶応2)年1月21日、苦心の末、薩長同盟を成功させた坂本は宿舎の京都伏見の寺田屋で幕吏の襲撃を受けて負傷、薩摩藩邸にかくまわれます。そして西郷隆盛の勧めに応じて、お龍との新婚旅行を兼ねて薩摩へ湯治旅行に向かいました。3月10日に鹿児島に入港。仲睦まじい龍馬夫妻は、日当山から塩浸、栄之尾と温泉を巡り、谷川で釣りをしたり、ピストルで鳥を撃ったり、ミヤマキリシマが一面に咲く高千穂に登り、天の逆鉾をひきぬいたり、ハネムーン気分を満喫したそうです。これが日本最初の新婚旅行とされています。
坂本龍馬の33年間の短い人生で最も幸せだったのは鹿児島で過ごした日々だったのでしょうね。

▲ 7:32 いずろ通の交差点を曲がってきます、これも初撮りの2120形2122です。

▲ 7:36 最古参の507鹿児島駅前から折り返してきました。後方山形屋前の歩道上のアーケードは屋根の高い独特の形をしています。鹿児島は桜島噴火時の降灰対策が必要で天街(てんまち)と呼ばれる天文館辺りの繁華街に長いアーケード街が続いています。これで降灰の日でも、雨の日でも、夏の強い日差しの日でもを自由に歩きまわれるようになったそうです。


▲ モダンルネッサンス式社屋の山形屋前の「加治木通り」を走ってくる1000形1018です。
現在では市電が走るメインの通りになっていますが、建設前の計画では海側のもう1つ向こうの「広馬場
通りだったそうです。しかし当時、広馬場通りには4つの銀行や老舗・大店などが並んでおり、いわば鹿児島経済の中心地でした。広馬場通り周辺の商店主たちは、所有地の一部を線路用地に取られることや、騒音で客足が遠のくなどの理由で猛反対しました。工事計画案は、市会でも同意を得られず宙に浮いていました。
そこで山形屋の当主岩元信兵衛は、山形屋本店裏の当時狭い道だった「加治木通り」に軌道を通す代案を申し出ました。軌道敷地の提供、建物移転費用の自己負担など。これにより、電車会社や広馬場通りの店主などに異論はありませんでした。

市電の路線変更で、新築中だった山形屋社屋は電車通りとなった「加治木通り」に玄関を向けることにしました。大正3年10月の電車開通で、人の流れはこれまでとまったく異なってしまいました。大正5年に店開きした山形屋の正面玄関前には電車が通っていました。行きかう電車に、華やかなショーウインドウを見せるのでした。
エレベーターを備え、本格的なデパートとして登場した山形屋を中心に、金生町周辺がにぎわいを増していきました。広馬場通りは裏通りとなり活力が失われ、軌道の走る加治木通りが目抜き通りとなって行きました。

鉄道が通る際も全国各所で蒸気機関車の火の粉で火事が起こる等々の反対で路線変更した所が多かったのですが反対した所は衰退し、鉄道の通った所は繁栄していきましたと同じようなことがあったそうですね。
▲ 7:48 昼は車が多くて撮れませんが、この時間なら少し待てば撮れます。
2120形2121が行きます。

▲ 大正5年10月6日に新築されたルネッサンス様式の山形屋ですが、当時は3階建てで屋上に塔屋ドームがありました。
太平洋戦争の空襲で、鹿児島市は一面焼け野原となってしましい被害を受けました。
現在の社屋は戦後に再建され、塔屋も当初の姿に戻されたそうです。

▲ 8:12 「朝日通」電停に発着する1000形1016600形614です。

▲ 8:13 朝日通に入線する「私立病院前」行きの初撮りの600形601です。

▲ 8:24 「市役所前」に入線した脇田行きの9500形9502です。車庫行きの電車が連続します。

▲ 8:25 鹿児島標準色の600形602と同じく614が並ぶ市役所前です。

▲ 8:27 1937年(昭和12年)6月15日 に竣工した鹿児島市役所本館の前を9500形9513が走ります。

▲ 8:37 水族館口~市役所前 朝のラッシュ時です。左から9500形95079700形97029500形9509と続行します。

 

▲ 8:38 桜島桟橋通を発車した9500形9513です。

▲ 8:43 鹿児島駅前に来ましたが珍しく1両も入線していません。いつも3両がビッシリでしたがこんな事もあるのですね。

これからは昨日小雨のため徒歩での撮り鉄を中止した中央駅から先へと向かいたく電車に乗って移動です。  Part11へ続く

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