暖かい内地への旅 Part14 熊本市電を撮る①

第8日目 3月2日 その2

16:01 熊本到着です。まずは宿泊するアパホテルへチェックインのため熊本駅前からA系統の市電に乗車して向かいました。下車駅は1駅先の辛島町にしました。
1日乗車券は車内で買い求めましたが鹿児島より100円安い500円です。

熊本は学生時代に高森線訪問の際に立ち寄りましたが市電は見向きもしませんでした。勤務時代も立ち寄ってはいますが市電に接する機会はありませんでした。最近では2000年にSL人吉撮影のため市内をぶんしゅう7号で走りましたが撮影することはなかったので初めての訪問と言ってよいと思います。
改めて熊本市電の歴史を見ていきますと路面軌道では珍しい蒸気機関車が走っていたという記載があり引きつけられました。ヨーロッパの各都市では路面電車が走る前は蒸気機関車が客車を牽引していた例が多いのですが、日本でも松山の坊ちゃん列車以外にもあったのかと驚きながら調べてみました。

【熊本市電の歴史】
熊本市電のルーツは1907年(明治40年)12月20日 安已橋~水前寺(2.4㌔)に開業した熊本軽便鉄道です。762㎜のナローゲージで蒸気機関車が小型客車1両を牽引していましたが輸送力は低く、市街地内で黒煙を出すため不評でした。それでも翌年1908年(明治41年)7月にはナロー蒸気機関車製造で有名な雨宮製作所傘下の大日本軌道となり、7月24日 には南千反畑(県庁前)~上立田も開業、徐々に延伸して1908年(明治41年)9月8日 には 上熊本~大津(23.8㌔)が開業して最盛期を迎えました。1910年(明治43年)には雨宮製の蒸気機関車は10両在籍していました。
そして1,067㎜への改軌、電化の許可を取得して更なる発展を目指していましたが、国鉄豊肥本線の開業籐等による乗客減のために1914年(大正3年)6月21日に陣内~大津を廃止、 1920年(大正9年)7月2日には残り区間も廃止しました。市民から嫌われるほど町の中を煙を噴き上げて走行していたスチームトラムの姿はいったいどんな具合だったのかと想像するだけでもワクワクします。

廃止後に市民から煙の出ない市内電車が欲しいとの要望で建設されたのが熊本市電です。当初は熊本電車株式会社として会社設立されましたが1923年(大正12年)に熊本市に予定線の特許などの全権利義務を譲渡されて熊本市営として1924年(大正13年)8月1日に 熊本駅前 ~浄行寺町および水道町 -~水前寺が開通しました。走行区間はスチームトラムと重なりますが軌道を再使用したものではなく資本関係もなく新たに建設されています。
開業当時の経緯につきましてはこちらに詳しく掲載されていますのでご覧になればと思います。
 

▲ 16:30 市電に乗車して辛島町で下車、チェックイン後の撮影開始としました。
まずは1350形1352との出会いです。

アパホテルは2回目の宿泊です。ちょっと高めのビジネスホテルとの認識でしたが今日は4,803円と、リーズナブルでした。

▲ 17:03 最寄り電停「慶徳校前」でやってきた9200形9204に乗車して終点の健軍町までの車上ロケハン開始です。ご覧の通り鹿児島市電と違って軌道は敷石仕様で軌道敷緑化とセンターポール化はまだ全線ではできていないようです。

▲ 17:05 辛島町手前で直角に曲がって上熊本線と合流しました。後方から続行して来るのは1993年(平成5年)にレトロ調車両としてアルナ工機で新製された8800形101です。丁度いい具合に来てくれました。

▲ 17:15 熊本城のお堀横を通って繁華街上通と下通の間を東西に貫く通道筋に来ました。地震で大きな被害を受け再建が着手された熊本城をバックに、片側3車線の広い道路中央に設置された併用軌道を走ります。熊本交通センターが近いためにバスの運行も多く市内でも最も混み合う区間です。

▲ 17:21 かつては写真の右側へ曲がって浄行寺へ向かうのが幹線のルートでしたが1972年(昭和47年)3月1日 に廃止されています。全国的なモータリーションの発展は市電の走る軌道に自動車が侵入するようになり、運行速度はどんどんと落ちていきました。それは乗客減を招き、また自動車通行の邪魔になると公共機関を道路上から追い出す結果につながっていきました。全国的な流れにもなり次々に市電の廃止が続き、排気ガスもなく環境に優しくエコな交通機関として市電が見直され出したのは多くの廃線が進んでしまった後ではありましたがまだ営業区間が残っていたローカル都市では復権が始まっていきました。
熊本も全線が廃止される直前まで行きましたが、存続が見直されて廃止された路線の復活や空港等への新たな公共機関として検討が進んでいます。

▲ 17:43 終点の健軍町に到着です。1電停1線になっていてここで折り返しです。

▲ 17:47 続いて続行していた101も到着です。これにも乗車してみたいので1本待って乗車しました。

▲ 白熱灯色に照らされた101の車内はレトロ色をより強く感じさせてくれます。

▲ 17:54 健軍交番前⇒動植物園前 1960年(昭和35年)、東洋工機で6両が製造された1350形の1352が緩やかな坂道をやって来ました。

▲ 17:57 空が夕陽に染まりだした頃、神水・市民病院前⇒八丁馬場 1992年(平成4年)から3年間にアルナ工機で5両が製造された9200形のトップバッター9201が来ました。

▲ 18:00 市立体育館前⇒水前寺公園 22年ぶりの新車として1982年(昭和57年)に日本車輌製造にて8200形2両が製造されましたが使用年数が経ってきましたので1985年(昭和60年)と1986年(昭和61年)に更新車として8500形が登場しました。車体はアルナ工機にて製造、主要機器及び台車等の機器類は旧型車両から流用されています。写真はトップバッターの8501です。

▲ 18:01 体育市立館前⇒水前寺公園 夕方の帰宅ラッシュになってきたのか自動車が増えてきた併用軌道を走るのは1060形1063です。

1060形は更新車で元は熊本市電初のボギー車として1951年(昭和26年)に160形の3両が広瀬車輌にて製造されました。そして1969年(昭和44年)にワンマン化改造され1060形に改称されています。

▲ 18:03 国府⇒水前寺駅通 やって来たのは8500形8502です。

▲ 18:04 JR豊肥本線とオーバークロスする水前寺駅通に近づきました。対向車は熊本市電2形式目の超低床車の0800形0801です。新潟トランシス製のブレーメン形、1台車のみの車体を2つ繋げた連接構造の超低床電車です。

▲ 水道町方面から着いた健軍町行きの1350形1355です。1350形は1960年(昭和35年)、熊本国体に備えて輸送力増強のために東洋工機にて6両が製造されたいます。

▲ 18:11 似たような外観の車が続きます。1090形の1094です。1957年(昭和32年)に東洋工機で製造された190形を1968年にワンマン改造時に改称した車両で同じく改造された188形を含めて7両が在籍しています。

▲ 18:14 先ほど日の入りになり夕暮れ時になってきました。街の明かりが広がりレールが輝きだす時が1日でも一番好きな時間です。やってきた対向車は1968年アルナ工機で製造された8800形8801の回送車です。夏季はビール電車「ビアガー電」に使用されたこともあったそうですが、通常期は一般運用されています。姉妹都市テキサス州のSan Antonio(サンアントニオ)にちなんでヘッドマークを取りつけています。

▲ 18:15 今日はよく見かける8500形の8504です。市内で最も混み合う通道筋ですが市電軌道の緑地化が出来ていました。熊本市では「市電緑のじゅうたん事業」を立ち上げて募金(サポータ制度)による軌道緑地化を推進しています。
現在までに熊本駅前~田崎橋(約400m)、熊本城・市役所前~通町筋(約280m)、通町筋~
水道町(約190m)、熊本城・市役所前~花畑町(約65m)の合わせて約935mが完成しているようですが、費用が掛かる「ヒートアイランド抑制」です。黒字で費用投入ができた鹿児島市電と比べると明らかに牛歩になっています。地震からの莫大な復興費用もあって仕方がありませんが、夏目漱石が「森の都」と称した熊本市の緑復活となって欲しいものです。

芝生化の効果としてはヒートアイランド現象の緩和、景観向上、電車通過時の騒音低減、そして軌道敷内に自動車が侵入しにくく、定刻運行を守れます。ヨーロッパのトラムの走る都市のように混み合う道路に渋滞する自動車をスイスイと追い抜いていく市電の姿を日本でも見たいです。また維持管理コストもアスファルトより低いそうです。

▲ 18:17 軌道敷内に自動車の侵入がない軌道緑地化区間を行く9200形9203です。

▲ 18:21 熊本城・市役所前~花畑町 この区間も少しながら緑地化区間があります。走るは1090形1092です。

▲ 幹線上熊本線が分岐する交差点です。対向車は1200形1207です。
これ以降は車内の明るさがガラスに反射して撮影困難になってきましたので明日に回して終点までは大人しく座っていきました。

▲ 18:39 終点の上熊本駅前に到着です。折り返しの頭端式ホームになっています。

▲ 18:53 降りた上熊本駅前には熊本名物「だご汁」と、始めて聞く「おく村食堂」の懸垂幕がありましたので入って食しました。
だご汁は熊本県の他、大分県でも地元名物になっているようで大分では「だんご汁」と呼ばれています。みそ汁の具材が違ったもので小麦粉を練っただんごをベースに油揚げや様々な野菜が入っています。味噌っぽくはなく、野菜のうまみがでた汁なので寒い冬にはあったまって良さそうですね。冷たいなまビールをのんでから夕食に美味しくいただきました。

▲ 19:28 JR九州の上熊本駅です。1891年(明治24年)7月1日 、 九州鉄道の池田駅として開業。1901年(明治34年)1月1日 、 上熊本駅に改称。1911年(明治44年)10月1日 -、菊池軌道(現・熊本電気鉄道)の駅も開業。1935年(昭和10年)3月24日 には 熊本市電が駅前に乗り入れ、上熊本駅前電停開業。3本の路線のターミナル駅になりました。
熊本電鉄の見学は明日にして今日は切り上げです。

▲ 19:29 8500形8501に乗車して宿泊ホテルのある辛島町まで戻ることにしました。車内はセミクロスシート車です。最近の低床式の連接車では見る事はありますがこんな車両があったとは不勉強で知りませんでした。ロングシート車の方が立ち席の方はたくさん乗車できると言われていますが、実際は足を前に投げ出して座る若者も多く、むしろクロスシート車の方が座れる乗客も多くなり快適です。ヨーロッパのトラムではこの車体幅で2+2または2+1のクロスシートを設置している車両も見ました。日本でも採用して欲しいシート様式です。

▲ 19:40 洗馬橋付近です。対向車は1060形、現存する唯一の1063です。熊本市電では最古参の車両で元は160形、1951年(昭和26年)に広瀬車輌で160形として161~163の3両が製造されました。160形は1969年(昭和44年)にワンマン化改造され、1061~1063に変更されていますが、その後2両は冷房化されないまま廃車され残るは1063だけになりました。
【DATA】NikonD500 ズーム90㎜ F5.3 1/1000秒 ISO51200 露出補正-0.3段

▲ 19:58 繁華街が始まる辛島町に到着。街路灯の明かりで撮影開始です。
先頭は1350形1353です。
【DATA】NikonD500 ズーム112㎜ F5.3 1/50秒 ISO3600 露出補正-0.3段

▲ 20:17 折り返してきた1060形1063、最古参の車両ですが頑張っています。
【DATA】NikonD500 ズーム36㎜ F4.2 1/125秒 ISO6400 露出補正-0.3段

▲ 20:25 1090形1095です。
【DATA】 ズーム29㎜ F4 1/125秒 ISO7200 露出補正-0.3段

▲ 20:25 待っていました101です。これで夜撮は切り上げです。夜の繁華街を散歩してからホテルへ戻りました。

予定では長崎にも行こうかと考えていましたが疲れてきたようなので明日の撮影で今回の旅は切り上げることにしました。明日は終日、熊本市電を撮りまくります。Part15へ続く

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