続・熊電探訪

 室園車庫から北熊本駅へ旧街道筋を炎天干しとなり歩く。やって来た藤崎宮前行きは待望のモハ51号であった。運転台にはGE4個モーター用のでっかい制御器が鎮座していた。かぶりつきで前方注視していたから車内の印象はない。駅前食堂で丼とうどんを食って水道町交差点に向け再び炎天下を歩いた。交差点から電車通りの正面を見ると、熊本城がみえた。お城見物で熊本に来たわけではないが、木陰を求め休息の場とした。その後、大江車庫まで歩き市電撮影となった。車庫では在籍車についていろいろ教えて貰い、駅前で再び市電撮影。陽が傾いたころ、大牟田に向け普通列車に乗ったのは良いとして、うたた寝となり気づいたら久留米を発車したところであった。ステホは博多に変更としたのは良いとして、台風来襲を知り逃げ帰る始末となり1年後、再挑戦となったのだが……。

富山、大阪勤務時代の業務出張では熊本市電の変化を追うことが出来たガ、「熊電」にお目にかかることはなかった。観光で熊本に立ち寄ることがあっても城か公園で、藤崎宮参りはなかった。

1967年向日町に転居してからは冬眠、やっと1986年に目が覚め鉄道趣味界に再び足を踏み入れた。新しい仲間から情報を貰い電車行脚のスタートは四国、そして九州となり198952日夕は門司港駅に着いたのであった。この時、鹿児島に向け乗った夜行列車は“かいもん”で、“玄海”は記憶違いである。3日は鹿児島市内をうろつき夕方には熊本着となり、大江車庫至近のビジネスホテルを予約しておいた。

4日は朝8時、大江車庫を訪問した。こちらも昨夜予約済みであった。現況についてお話を伺い、入庫車両を中心に車両移動もして頂き、在籍全形式撮影が出来た。その時、2人の若者が参入した。「お早うさん、何処から来たの?」「京都からです。30日の“かいもん”で鹿児島、長崎へ、昨日は熊本電鉄に行って来ました。」「なに、熊電へ!どうだった。」「71号が残っていたし、古い車もありました。」「ほんまかいな、そら行くべしや。」2人は立命鉄研現役であった。

予定を変更、午後は久留米移動の筈が昼食後は上熊本へ。出迎えてくれたのは“青蛙”であった。車庫移転先の北熊本へ。32年前は室園車庫から遠望しただけに終わった71号が迎えてくれた。

これだけで満足だが、目に付いた元静電と若者が旧型車と言っていた元小田急の廃車体も撮影した。静電がモハ100形を熊本、福井に売却したと聞いた時「もったいないことをするなぁ」と思ったが、背後に東急が居る会社だけに「さすが」と感心したものだ。片運電動車6両が入線し後にMcTc3本になったと聞いていた。ところが601号なる両運車がやって来たので、キョトンとなった。なんでも事故車復旧の際にワンマン改造に合わせ1両のみ片運にしたとか。

元小田急モハ1100110511084両を1959年に購入しているが、これらは1958年春に経堂車庫を訪問した時、110111044連と共に現役古参車として、朝ラッシュ時のみ新宿・成城学園間の各停専用で使われていた。この小田急中古車導入がモハ51形の追放に繋がり、静岡からの導入車が小田急中古車引退を促進させた。青蛙は何を蹴りだしたのかは知らない。新車を自社発注が出来ない地方私鉄は、最近大手私鉄の中古冷房車の吐け口となっている。その中で遠州鉄道は全て自社発注車で、全車冷房化をいち早く達成した優等生である。福井の熊電501形と同系車モハ300、クハ350形は冷房化されていたが、LRT構想のため2005年廃車となった。もったいない話だと思った。廃車直前の姿を紹介しておく。熊電についてはネコ・パブリッシング、RM25に詳しく紹介されており、今回参考にさせて頂いた。

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