第7日目 6月6日 その2
10:04 田原町から鷲塚針原への戻りにも相互乗り入れの列車に乗ってみたいのですが、日中は1時間に1本ダイヤです。田原町の次発は10:58発と、時間があります。市役所前まで撮りながら向かうことにしました。
▲ 10:07 時刻表に記載のない770形(774+775)が来ました。方向幕は”回送”の表示です。福鉄の車庫は北府にあって逆方向への走行です。田原町で折り返す運用でもあるのか?
▲ 10:25 次に来たのは美しいFUKURAMU第2編成の急行田原町行きです。福井新聞を見ますと3月27日以降からダイヤが乱れることが多くなっているそうです。これも遅延しています。
▲ 10:28 すぐにFUKURAMU第3編成の続行、普通田原町行きが来ました。こちらは定刻の走行です。乗り入れには車両が指定されています。FUKURAMUは第1と第2編成が指定されていて第3編成は除外されています。なぜなのでしょうか?
福鉄の超低床連接車FUKURAMUの導入については”地域公共交通の活性化及び再生に関する法律に基づく鉄道事業再構築実施計画”の認定を国から受けています。
今年2016年3月17日に導入された第3編成の製造費3億1,690万円は、国が1億560万円、県が2億700万円、福鉄が430万円を負担しています。多額の公的援助により福井の公共交通の活性、再生化が進んでいるのは望まれる姿であり嬉しい限りです。
今年秋には第4編成が増備される予定ですが、ただ一方で既存の200形が押し出されて消えていくのも現実で、路面電車ファンとしては残念な事でもあります。
▲ 軌道上では保線区員が軌道幅の確認をされておられました。歩きながら約5m間隔で軌道幅が広がっていないか測るそうです。全線20.9㌔、丸1日は歩き詰めです。これから日差しが強くなりますので激務ですね。
▲ 10:38 先ほどのFUKURAMU第2編成が急行越前武生行きとして折り返してきました。
▲ 10:46 日中の普通列車は上り下りとも盲腸線の福井駅を経由します。770形と880形が運用されていました。
▲ 10:50 足羽川橋を渡って、FUKURAMU第1編成の急行鷲塚針原行きが来ました。定刻の運行です。
【 FUKURAMU F1000形 】
ボンバルディア社のライセンスを受けて2012年から新潟トランシスでの製造されています、100%低床式3車体3台車の連接車です。
欧州で走行しています多くのトラムでは車幅2,350㎜前後となっていますが、福鉄は鉄道車両として車両限界は大きいものがあって、2,650㎜に300㎜拡幅されていますのが特徴です。
定員も155人(座席53人)と多く、車体長27,160㎜、車高3,437㎜、出力100kw×3基、最高速度70km/h、起動加速度3.5km/h/s、減速度4.4 km/h/s(常用最大)、5.0 km/h/s(非常)、台車は独立車輪式ボルスタレス台車 ×3台、ブレーキには回生・発電併用電気ブレーキ、油圧式ディスクブレーキを備えています。
▲ FUKURAMU、F1000形の車内です。車幅2,650㎜がありますので1.5人分の座席ではなく、2人が座れるクロスシートです。広さが快適性を与えてくれます。
越前武生~田原町(20.9㌔)~鷲塚針原(6.0㌔)を合わせて26.9㌔を約65分で走行します。平均速度は24.8km/hとなりますので、近郊電車としては遅くとも路面電車として見た場合は欧州各地で走るトラムと並ぶ高速です。
ちなみに表定速度では所要約54分で29.8km/hです。鉄道線の最高速度70km/h、軌道線の最高速度40km/hとしては頑張っています。
◀ 運転手が持つ運行表は、田原町からの走行区間によって運転手が替わりますので2つに分かれています。
▲ 11:09 鷲塚針原に到着したFUKURAMU第1編成です。折り返しは約40分後の11:49発です。えち鉄路線を走るFUKURAMUを撮ってみたいので、鷲塚針原~中角を選びました。
▲ 11:28 鷲塚針原~中角 Google座標; 36.110782, 136.203206
福井⇒三国港の6108号車が単行でやってきました。
▲ 11:28 鷲塚針原~中角 Google座標; 36.106908, 136.206538
三国港⇒福井、7011+7012の2連です。
▲ 11;51 FUKURAMU第1編成が九頭竜川鉄橋への築堤を駆け上がっていきます。福鉄車両が、えち鉄路線を走ります。
▲ 駅前線(通称;ヒゲ線)は以前よりJR福井駅寄りに延長されて駅前広場に新しい電停が新設されました。
島式と片式ホームに2線の電停となっています。今まではJR福井駅からは見えない場所にありましたがこれで正面から見えるようになりました。
JRやバスへの乗り継ぎも便利になりましたが田原町、越前武生へ向かう列車は日中、1時間に各2本のみに減便されています。
今となっては遅いのですが、えち鉄福井とつないで環状線化する計画が出来なかったものかと思いました。
▲ 12:24 以前にあった福井駅電停は撤去されました。新築された高層ビルをバックに880形普通は田原町へと向かいます。
これで切り上げて前回は青春18きっぷで訪問したために歩いては行くのが辛く、行けなかったえち鉄永平寺口~下志比の山の上、永平寺緑の村野外緑地広場へとぶんしゅう7号で向かいました。
▲ 13:17 永平寺口~下志比 Google座標; 36.089209, 136.326981
前回来た時の記憶をたどって目的地までやってきました。えち鉄勝山永平寺線は九頭竜川に沿って山間を走っていますが中々俯瞰して撮れる場所が見つかりません。唯一見つけたのがこの場所ですが、徒歩では約1.9㌔ある急坂の道を約30分も上がっていくのは老人には辛いものがあります。
田植えの終わった水田の中を1両のディーゼルカーが勝山方向から走っていく望んでいた光景がありました。
▲ 13:21 永平寺口で交換した勝山行き列車も単行です。軽快に勝山へと向かっていきました。
▲ 14:11 以前にあわら湯のまち駅舎内に展示されていた写真を気に入っていました。
雪山が後方に撮れる場所はどこなのかと探していましたが中々分りませんでした。
今回は出かけ前に運転席横から撮影したビデオを見てようやく見当がつきましたので現場にきてみました。
残念ながら雑草が生い茂っていて降雪時のような光景は撮れませんが、間違いありません。今年の冬、雪が降った頃に訪問したと思いました。
撮りたい場所の確認が終わりましたので最後は越前武生駅と北府車庫に行って在籍車の確認です。北陸道に乗って向かいました。 Part11へ続く
ぶんしゅう君の初夏の北陸路を読む内に6000型の走行写真が随所に登場するや、こんな話をご存知かなと思った。6000型はえちぜん鉄道に無償譲渡されたことを。この話には前段があることも・・・。6000型は愛知環状鉄道開業時の車両であるが、この愛環は本来は国鉄線となるものが第三セクター方式で開業した。それに至る難問解決には民間からの出資者101社の内に沿線大学19校が参加した。鉄道沿線であることを大学が作ったのだ。そしてえちぜん鉄道発足時、旧京福電鉄の老巧車両取り換えに愛環の車両が無償譲渡されたことを、御存じであろうかな?
この話を知ったのは愛環開業に合わせ愛知県を始め沿線都市が、当時の新聞報道を収録した冊子を作ったが、それを名古屋のポン友から頂いたことによる。そして開通20年後、車両更新に当たり全車取り換えとし、旧車をえちぜん鉄道に無償譲渡することにした。さすが世界に誇るトヨタの傘下だけあるわいと、京都人から見ると羨ましい話である。でも福井鉄道のLRT化については中古車は名鉄の置き土産のみで終わったようで、今後は富山に負けないLRT中心の町作りに邁進してくれるのを祈っている。さて残るは石川県だ。25年ばかり前のLRT中心の街造り図を保管しているが、着手する気配がないようだ。新幹線ブームなるものは後2,3年であろう。
乙訓の老人様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
6000型は愛知環状鉄道から来たことは知っていましたが無償譲渡されたとはとは知りませんでした。ご教授いただきましてありがとうございます。
しかし全車が置き換えとは、改造費や輸送費も半端でなかったはずです。福井県の公共交通に対しての公的援助、熱意には驚きです。日本全国のローカル鉄道にも大きく波及していくことを望みます。金沢も市内線の復活が叫ばれています。盛り上がりが強くなればと願っています。