癒しの島台湾春の旅から帰国した先は鹿児島です。今回の旅は貯まっていますJALマイレージを特典航空券に交換したマイレージチケットでした。空港使用料、燃油サーチャージの12,480円は必要ですが日本発着の空港はどこでも選べます。台湾に続いて日本の早い春を見たくて九州の空港行きを探すと鹿児島だけが確保できました。
鹿児島市電は昨年3泊して全線に乗車して撮り鉄もしましたので今回はJR未乗車区間の指宿~枕崎に乗り鉄です。しかし時刻表を調べると早朝の列車はなく10:05発が始発です。
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癒しの島台湾春の旅から帰国した先は鹿児島です。今回の旅は貯まっていますJALマイレージを特典航空券に交換したマイレージチケットでした。空港使用料、燃油サーチャージの12,480円は必要ですが日本発着の空港はどこでも選べます。台湾に続いて日本の早い春を見たくて九州の空港行きを探すと鹿児島だけが確保できました。
鹿児島市電は昨年3泊して全線に乗車して撮り鉄もしましたので今回はJR未乗車区間の指宿~枕崎に乗り鉄です。しかし時刻表を調べると早朝の列車はなく10:05発が始発です。
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郡元からは谷山行きに乗って南鹿児島駅前を目指しました。JRとの乗換駅でもありますので乗降客が多いだろうと思ったからです。
11:47 JRとの乗換駅の南鹿児島駅前に到着です。向かい側のホームは20人近くの乗客がお待ちでした。路面電車のお客としては多い方です。1日平均乗降者数はJR2,575人、市電は1,326人です。
昨日は全線を乗り、雨の降っていない間は歩きましたので沿線の大体の様子は分りました。今日はまだ撮れていない車両の撮影と気になった撮影地のもう一度の本チャンの撮り直しです。
移動に利用するのは今日も1日乗車券(600円)です。
▲ 7:09 ホテルに近い「天文館前」からの撮影開始です。幸先よく初めて見る600形614がやって来ました。
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第6日目 2月28日 その1
昨日台湾から帰国しましたが、着いた羽田から国内線に乗り換えて鹿児島へとやって来ました。学生時代も勤務時代も西鹿児島駅には各1回だけ訪れてはいますが、降りて市内に出た事はありません。ですので路面電車を見た事も乗ったこともありません。
用意したのは路線図だけ、後は白紙で朝食後電車通りへと出ました。
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蒸機を巡る九州の旅は続く。相変わらず夜行列車を活用した南北トンボ返りパターンだった。満員の夜行臨時急行「しろやま51号」で西鹿児島駅に降り立った。多くの蒸機が集結する鹿児島機関区でたっぷり時間を掛けて撮影し、久しぶりのユースホステルへ向かう途中の西鹿児島駅前で鹿児島市電をとらえる。
この時代の鹿児島市電、のちに廃止となる上町線、伊敷線も健在で、市電のピークを迎えていた。増加する需要に対処するため、廃止の続いていた大阪市電から大量の車両を購入していた。懐も豊かだったのだろうか、徹底的に改造され、鹿児島市電型ともいうべきスタイルに生まれ変わった。中には鹿児島では初登場となる連接車も含まれていた。
そのような中で現れたのは、412号(400形)と607号(600形)であった。
400形は、元は東京都電の木造ボギーの4000形で、鹿児島で半鋼製の正面二枚窓に改造された。東京と大阪の路面電車が在籍したのも鹿児島だけではないだろうか。しかし、この車両も大阪からの転属車両の増加に伴い、撮影したこの年には廃車されてしまう。
もう一方の600形は昭和34年の鹿児島生まれ。正面が小大小の3枚窓、方向幕上のヘッドライト、パンタ集電と、典型的な鹿児島市電スタイルである。それ以上に鹿児島を印象づけるのは、この黄と緑の塗装だろう。一見、ド派手な趣味の悪そうな塗装に見えるが、いかにも南国らしい鹿児島を印象付ける色である。事実、のちにクリームに赤帯が標準塗装となるが、リバイバル塗装として、この色が復活している。
この西鹿児島駅前、現在までに2回の路線移設を経て、九州新幹線の終点の駅前としての形を整え、電停名も鹿児島中央駅前となった。少し前、40年ぶりに駅前に立った。低床車1000・7000形が走る市電にも、観覧車がある駅前風景にも、当時の面影はなかった。