私の好きな電気機関車たち   ⑬

ED電機の宝庫 中央東線②

では中央東線に沿って、飯田線との接続駅、辰野へ参ります。みどり湖経由の短絡線がまだ開通していなかった時代、辰野は中央東線のすべての列車が発着し、「アルプス」などの急行は全停車、一部の特急「あずさ」も停車するなど、賑わっていました。ただ、周辺は電化しているものの、構内の入換にはC12が煙を上げていました。接続する飯田線へも乗換客が多く、貨物も多く設定されていました。飯田線北部の貨物牽引を当時担当していたのが、伊那電鉄出自のED26と、国産電機で優美なスタイルのED19でした。

辰野の構内で発車を待つED26 11、ED26は、もと伊那電気鉄道のデキ20、昭和4年、輸入機のED11、ED14を模して、国産で造られた。国鉄に買収後に、ED33となり、そのあとED26(2代目)11、12となった。PS13がより無骨さを感じさせている。(昭和45年8月)

もう一両のED26 12、11と比べると、パンタがPS16に換装され、デッキもRが付くなど、外観が異なっている。伊那松島区に配置され、辰野~飯田の貨物を担当した。買収電機としては最後まで残り、昭和48年に廃車されている。(昭和46年3月)

こちらは辰野に到着するED19 5の牽く飯田線貨物、広い構内が広がっていた。

ED19は、大正15年に製造された輸入機の旅客用ED53が前身で、昭和12年に、仙山線用として、ED53 3~6の歯車比を貨物用に変更、ED19 1~4とした。のちに御召用だったED53 1、2も改造され、ED19 5、6となり、計6両となった。ED19 1 1B+1Bのデッキ付で、前部は三面折妻になっていて、ほかのEDデッキ付きに比べて優美なスタイルが特徴、伊那松島区に配置、飯田線の辰野~飯田の貨物を担当した。昭和51年に廃車となった。駒ヶ根

飯田線では唯一の信号場、伊那田島~高遠原にある大沢(信)を、右側通行して通過するED19 4の牽く貨物。(昭和45年8月)

大糸線のED電機

中央東線は塩尻までだが、優等列車はそのまま篠ノ井線に入って、松本へ向かうので、実質的には松本が終点と解釈できる。接続する大糸線にもED電機が働いていた。ED21、ED60で、つぎの駅、北松本に松本運転所北松本支所があって、貨物駅の南松本から貨物を牽いていた。現在、大糸線は、二社に分割されて、電化、非電化の境の南小谷で区切られているが、当時は、信濃大町で客貨とも段落ちがあり、運転上の境界駅となっていた。貨物牽引も、電機は信濃大町まで、以北は電化区間ながら、C56が糸魚川まで通しで牽いていた。

大糸線の主力電機、と言っても2両だけのED21、富士身延鉄道の210形で、国鉄に買収後、ED21となった。前回に紹介の立川区のED27とほぼ同じ箱型のED電機。北松本(昭和45年8月、以下同じ)

買収後のED21は、もとの身延線で働き、あと豊橋区に転じて飯田線で貨物を牽いた。ED21 1は廃車となり、2両のED21が、大糸線に転属となった。▲▲もう一両のED21、ED21 2は北松本支所の木造の庫から顔を出していた。ED21は昭和48年に廃車されている。

前々回の阪和線の項でも紹介のED60 1   最初から大糸線の配置で、当初は黒四ダムの建設資材の輸送にも活躍した。大糸線の電機は、以上のED21 2、3、ED60 1の3両がすべてだった。信濃大町

 

 私の好きな電気機関車たち   ⑬」への8件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    こんなんありました。
    1964.3.23 武蔵小金井-国分寺間下りED1720[八王子]

    • 準特急さま
      ED61が投入する前に、ED17は八王子区にいて、EF11とともに中央東線で貨物を牽いていたのは知っていますが、本を見ても、ほとんど載っていなくて、私にとっては幻のシーンでした。第一回目の東京オリンピックの前に、すでに準特急さんが撮っておられたとは! 恐れ入りました。

  2. 総本家青信号特派員殿
    飯田線にはEF10もいましたが、何と言ってもED17,18,19,26が活躍していましたね。昭和49年7月27日 DRFCの飯田線合宿で温田ユースに泊まり、上片桐でED195を撮っていました。夏の盛りに鉄の箱の中の乗務員はさぞ暑かったことでしょう。抵抗器の放熱も兼ねて、窓もデッキの乗務員扉も全開で走っていました。上片桐駅は今では単純な対向2面の交換駅になっているようですが、この時には北側に引き込み線と貨物ホームがあり、多くの貨車が停まっていました。ED19も入換えを終えて発車待ちだったようです。写真右側の一段高いところが本線です。

    • 西村様
      飯田線の思い出、ありがとうございます。温田での飯田線合宿へは私は行けなかったのですが、皆さんから話は聞かせてもらっています。上片桐は私も別の時に撮った記憶があるのですが、本線とは高低差のあるところに、貨物ホームがあったのですね。ED電機に限らず、夏場、電機の運転台は相当に暑かったと思います。デッキの扉は、恰好の外気取り入れ口になり、開けていることが多かったです。なかには、本線走行中でも開け放たれていて、ガッカリしたこともありました。

    • 米手さま
      はい、デッキ付きもいいですが、ED17、18のような箱型車体もいいものです。この角度、ED18の特徴の中間の一軸従台車がよく分かります。ありがとうございます。

  3. 飯田線といえばデッカーのED17やED18で、飯田線に行く目的がデッカーの写真を撮ることだったのでEF10が来たら「なんや、EF10か」という感じだったのですが、そんなEF10の写真を。温田に早く着いたのでYHに何でか知らんが交渉にYHへ行ってこいと言われて、雨がショボショボ降る中をトボトボとYHへ向かったのです。すると踏切で列車が来たのでせっかくだから写真を撮ったのがEF10牽引の貨物列車です。飯田線にはEF10はちょっと場違いな感じ。そしてYHでなく+100円で駅前旅館に泊まることに。詳しいことは青信号27号で

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