長岡、直江津、糸魚川で見た電機たち
何十年も昔の数時間、今から見れば一瞬の出来事ですが、妙に記憶に残っていることがあります。否、それは正確な表現ではなく、記憶は消え去っているのに、撮った写真が引き金になって記憶が蘇って来るのです。これも写真の持つチカラだと思います。そんな経験を電機でもしたことがあります。昭和47年2月、東北旅行の最終日、長岡、直江津、糸魚川と駅撮りしました。疲労蓄積と気力低下で、ほんの数枚撮っただけで、覚えも何もないのですが、改めて写真を並べて見ると、さまざまな電機に囲まれていた記憶が蘇ったような気になりました。撮影順に並べて、電機に限らず電車も見ていただきます。▲前日は米坂線で撮影し、坂町から満員の「鳥海3号」に立ち詰めで揺られて深夜の新津に到着、駅で寝て、翌朝、新津5:43発330レに乗って7:03に長岡に着いた。330レを牽いていたのはEF58 110〔岡〕、ヒサシ付き、スノウプロウ付きと関西では余り馴染みのないゴハチだった。左は上野行きの724Mで、クモニ83002+クモユ141-4+115系11連、当時は、長岡発の上越線経由の上野行き普通が3本あり、うち1本は夜行だった(昭和47年2月、以下同じ)。
▲目にも鮮やかな赤黄の新潟色スカ形を初めて見た。柏崎発長岡行き325M クハ76080+モハ70024+モハ70092+サハ75000‥‥
▲330レにそのまま乗って、9:19に直江津に着いた。330レの牽引は、ここからEF62 26〔高二〕に代わった。EF62もじっくり初めて見た。側面のルーバーがほぼ全面にあるスタイルに目を見張った。
この付近の電機事情を見ると、昭和41年8月に、信越線長野~直江津が電化、EF62が走り始め、同44年8月には直江津~宮内が電化し、新潟方面とも架線で繋がり、EF58も見られるようになる。そして、同44年10月には、北陸本線の最後となる糸魚川~直江津の電化が完成、日本海縦貫線が電化で結ばれて、3電源方式のEF81がデビューした。その2年余り後の訪問だった。
▲新潟行き525レがEF8115〔冨二〕に牽かれて直江津駅の1番ホームに到着、ハーフティンバーの駅舎がチラリと見えている。
▲直江津の構内にEF62 15〔高二〕がいい位置に停車していて、思わず線路に飛び降りて、形式写真を撮影。
▲直江津10:23発の長野発富山行き621レに乗車して糸魚川へ。牽引はEF81 5〔富二〕▲C56を求めて糸魚川機関区へ。最近まで残っていた煉瓦造りの矩形庫の中から構内を見ると、EF81 10が停車中だった。▲12:58に金沢発上野行き急行「白山」がEF81 22に牽かれて到着した。「白山」は、唯一残った昼行の客車急行だった。金沢を10:40に出て信越線経由で上野には19:30に着く。あと一ヵ月後の昭和47年3月改正で489系電車化されて特急「白山」となった。
この付近で撮った電機はないので、「白山」つながりでお茶を濁します。時は昭和40年(頃)、場所は信越線田口(付近)、列車は上り急行「白山」{たぶん)です。同行者は大阪通信員氏、I波氏。
米手さま
いつも速攻コメント・写真、ありがとうございます。まだ非電化時代の信越線ですね。時刻表を見ますと、この時代でも、昼行の客車優等列車は「白山」のみでした。牽引機はナメクジですね。貴重な写真、ありがとうございます。I波さん、どうされているのでしょうね。
I波さんはこの後、雪に覆われて見えなかったノツボに落ちました。ウンのいい人でした。
米手さまに畏れながら申し上げます。「たぶん」を付せられたのは、正解でした。本編成は「白山」ではないと思います。幾つか理由があり、1:この区間、白山は重連で運行されていました。2:上りは上野寄りに一等車の連結があった、3:2等車は殆ど軽量客車で編成。従い、この写真は各停列車と思います。小生この時期、白山には何回か乗車し、撮影もしたので、少し拘りがあるのです。お許し下さい。
宮崎繁幹さん
ご指摘ありがとうございます。
当日は朝から吹雪で、諸先輩が「白山を撮りに行く!」と言われるのに付いていきました。ところが積雪がひどく、目的地に行くことすらできず、(同行者の一人は足を滑らせてノツボに落ちるほど)その中で来るもの全てを手当たり次第に撮ったため、どれが「白山」か分からなくなっていました。そこで良識ある私は(たぶん)と付けて責任をヤンワリ回避したのでした。
だとしたら撮った写真の中には「白山」はないことになります。半世紀に亘り「白山」を撮った、という誇りは雪煙のように消え去ったのです!
宮崎さん、これからもご遠慮なくご指導くださいね。本当にありがとうございます。
ハーフティンバーの直江津駅舎のことに触れましたが、駅前にも、同じような西洋建築の「いかや旅館」が建っていました。駅前で向かい合って建っていた、ふたつの西洋建築が、直江津の強烈な印象として残っていましたが、さすがに撮影はしておらず、記憶の片隅に留めているだけでした。ところが私が預かっていたNさんのネガにあるのを見つけました。「いかや旅館」は、建て替えられたうえで、ビジネスホテルとして盛業中のようです。
1985年にはいかや旅館は健在でした。
信州私鉄巡りの帰途、直江津で「きたぐに」待ちの間、駅周辺を散策した時に見かけ、印象に残っています。
写真を撮りプリントした記憶がありますが、整理が悪くすぐには見当たりません。
今残っていれば登録有形文化財ですね。
直江津の少し先の柿崎に取引先があって良く出かけていました。たいていは柿崎に泊まるのですが、直江津で泊まったこともあり、その時は駅前のビジネスホテルに泊まりました。センチュリーホテルと思っていたのですが、そのうしろにイカヤがついていて確かに前身がいかや旅館だったことがわかりました。写真は一昨年に行った時のもので、駅もきれいになりましたが、乗り換え待ちで寄った居酒屋や土産物屋がなくなっていて少し寂れた感じがしました。
宇都家さま
大津の86さま
はからずもお二人から直江津駅前の記憶を聞かせていただきました。私は、読者の誰も知らないだろうと思って写真も添えたのでしたが、いかや旅館のことをしっかり覚えておられ、また掲示板の隅までちゃんと読んでいただき、ありがとうございます。調べますと、いかや旅館は、明治42年の建築で、昭和62年に今の建物に建て替えられたとあり、宇都家さんの証言とも符号します。いまの正式なホテル名は、ホテルセンチュリーイカヤと言うそうですね。ネットを検索しますと、谷村新司も、この旅館に強烈な思い出があるとの記述がありました。写真は、ネットから拾った、直江津駅と並ぶいかや旅館です。
総本家青信号特派員 さま
宇津家 さま
大津の86 さま
いかや旅館の詳細な説明ありがとうございました。「いかや」という屋号は漢字ではどう書くのか、由来は姓からなのか元魚屋だったのか考えるとコロナに感染しそうです。米手作市氏が白山もどきの写真を貼ってから流れが変わり、電気機関車の話なのにと特派員さまは気を悪くされておられるのではと心配しています。
流れを変えて気を悪くさせたついでにもう一つ。
「いかや」というのは当時イカを使った駅弁を売っていたからだそうです。どんな駅弁なのか、森の「イカめし」なのか「いかの活け作り弁当」なのかは知りません。
以下、ヨロシク!
信越線のEF62を撮っていました、ただ車体に労働争議のトバッチリの落書きがあり決して美しくないので止めときます。その代わりですが新潟色のクハ75の写真を見つけましたので載せます。1973年5月古津です、赤黄は今までの国電では想像も出来ない配色と思いました、ただ雪の中では映える色ですね。
wakuhiroさま
クハ75先頭の貴重な新潟色編成、ありがとうございます。長いですね。何両編成なのでしょうか。赤黄のカラーは、当時派手すぎるとか、酷評されたのですが、今から見ると、なんとも昭和、これぞ国鉄で、ホントにいい配色ですね。ところで、撮影された古津がどこにあるのか、迂闊にもよく知りませんでした。なんと、新津の隣駅なんですね。これも対称的な駅ですね。
蒲原鉄道と同じように予備知識無しでF氏、I氏にくっついて行って実現できました、今では両氏に感謝です。米手さまがおっしゃっていましたがこのコーナーがあるお蔭で古い写真も日の目を見ることができました、乏しい・少ない資料のなかですが掘り出して行きます。
1966.2.11 上り601列車 急行「白山号」D51重連
二本木-新井 吹雪の中をザーと下ってきた
宮崎繁幹 さま
米手作市 さま
白山つながりの写真ですが、ほんまの急行白山の画像がありました。宮崎さまご指摘の機関車重連と二号車に特別二等車(金サワ)の連結。客車一号車はスハフ42で座席指定の標札が入ってます。三号車以降は軽量客車だったのかスハ43系だったのかは覚えていません。横軽対策で軽量客車が充てられてたとは思いますが。軽量客車は窓のすきま風があり、指定席車はすきま風のないスハフ42にしてあったのかも。それに台車はナハとスハでは乗り心地が大違いですからね。
飯山線冬季狂化合宿参加の道中に撮影した一枚の写真でした。
米手さんサブかったですね。ペンタックスのシャッターが凍らないか心配したのを思い出します。田口か関山という駅の近くじゃなかったでしょうか。左端で線路が左右に曲がって離れていくのと白山が右側通行なので場所は判るかもしれません。
駅撮りでしたか。それなら私は撮っていませんね。
二両目はオロ(スロ)60です。
勇壮なD51重連の「白山」を見せて頂き、有難うございました。田口か、関山かなら、ここは関山と存じます。関山はスイッチバック駅だったからです。関山駅前には、とても古いタイプの郵便ポストがあったことを、憶えています。もぅ無いだろうなぁ。