昭和の電車 改訂版(202)ー伊豆急100系ー 投稿日時: 2021年8月15日 投稿者: 米手作市 乙訓の長老様が撮っていました。「これも100系や!」 関連記事: 昭和の電車 改訂版(198)ー揖斐川電気モハニ1型ー 昭和の電車 改訂版(73)ー国鉄キハ44000型ー 昭和の電車 改訂版(67)ー熊本電鉄モハ55型ー 昭和の電車 改訂版(65)ー山陽電鉄700型ー 昭和の電車 改訂版(40)ー阪神ジェットシルバー5201系ー 昭和の電車 改訂版(13)ー阪堺電車デト11号ー 昭和の電車 改訂版(4)阪急電鉄1301 昭和の電車 一畑電鉄デハ20型
乙訓の長老撮影の100系はクハ161です。、サハ176に運転台を増設改造(1982年)した車両。元車が中間車ゆえに切妻形状の前面で、クモハ129 ~131(もとモハ145 ~147)も同様の改造をされています。 返信 ↓
100系とは全く関係のない、場違いな闖入者ですがお許しを。伊豆急線及び伊東線は今までに一度しか足を踏み入れたことがなく、それも56年も前の昭和40年8月です。家族旅行で伊豆急下田まで乗った時ですが、さっぱり記憶がありません。ただ途中のどこかの駅で、ステンレス製の電車と交換し、あわててハーフカメラで撮ったものが残っています。東急7000系です。昭和39年から41年までの夏の間だけ6両編成1本が貸し出されていたそうです。関西では目にすることがなかったステンレス車に驚いたものでした。 返信 ↓
伊東線のED型旧電機というと、古くはED13(後のED17)、ED53やED11が入線していたと思います。 伊豆急線には、豊川/国鉄デキ54→国鉄ED30 1→国鉄ED25 11→伊豆急ED25 という日車製の凸型EDがいましたね。伊豆急で1994年に廃車となり、東急に移り再びED30 1 を名乗りましたが、長津田の工場での入替機として車籍無しの扱いでした。2009年に用途廃止、解体されています。 返信 ↓
昭和56年の夏期旅行で東北に向かう途中、熱海で写した100系のサロです。国鉄のサロに似たグリーン車を私鉄が持つことの珍しさ。伊豆急の国鉄模擬でオリジナルな車体形状に、関西に無い文化を感じて感動し、フィルムが惜しいのでサロだけ写していました。 返信 ↓
一番見たかったスコールカーは昭和48年頃に旧車になっています。池田の近所のサントリーOBの立ち飲み屋の大将は「スコール!」という乾杯の仕方と佐治敬三時代の社内の自由な空気のことを、今でも懐かしいと言っています。 返信 ↓
米手作市様
片瀬白田-伊豆稲取間を行く2633M熱海発伊豆急下田行き伊豆急100系です。1982年8月20日でもう随分昔のことですがリバーサルで撮っていました。
ありがたい!
誰からも反応がないと長老様が力を落とします。
ところで長老様が撮った車輌は中間車をクハにした物の様に見えるのですが?
乙訓の長老撮影の100系はクハ161です。、サハ176に運転台を増設改造(1982年)した車両。元車が中間車ゆえに切妻形状の前面で、クモハ129 ~131(もとモハ145 ~147)も同様の改造をされています。
100系とは全く関係のない、場違いな闖入者ですがお許しを。伊豆急線及び伊東線は今までに一度しか足を踏み入れたことがなく、それも56年も前の昭和40年8月です。家族旅行で伊豆急下田まで乗った時ですが、さっぱり記憶がありません。ただ途中のどこかの駅で、ステンレス製の電車と交換し、あわててハーフカメラで撮ったものが残っています。東急7000系です。昭和39年から41年までの夏の間だけ6両編成1本が貸し出されていたそうです。関西では目にすることがなかったステンレス車に驚いたものでした。
皆様のコメントを見ていたら、なぜか伊東線にED型旧電機が走っていたように思い出しました。
どなたか覚えていませんか?
伊東線のED型旧電機というと、古くはED13(後のED17)、ED53やED11が入線していたと思います。
伊豆急線には、豊川/国鉄デキ54→国鉄ED30 1→国鉄ED25 11→伊豆急ED25 という日車製の凸型EDがいましたね。伊豆急で1994年に廃車となり、東急に移り再びED30 1 を名乗りましたが、長津田の工場での入替機として車籍無しの扱いでした。2009年に用途廃止、解体されています。
そんなに古かったのですか。
中学生の頃、旧型EDに興味を持ち、本をあさった時に見たおぼえがありました。主に輸入電機で、見に行けないことを残念に思ったものです。でも最近まで生きていたとは・・
昭和56年の夏期旅行で東北に向かう途中、熱海で写した100系のサロです。国鉄のサロに似たグリーン車を私鉄が持つことの珍しさ。伊豆急の国鉄模擬でオリジナルな車体形状に、関西に無い文化を感じて感動し、フィルムが惜しいのでサロだけ写していました。
一番見たかったスコールカーは昭和48年頃に旧車になっています。池田の近所のサントリーOBの立ち飲み屋の大将は「スコール!」という乾杯の仕方と佐治敬三時代の社内の自由な空気のことを、今でも懐かしいと言っています。
もう一枚みつかりました。
クハ156か8のようです。同じ昭和56年の8月です。
やっと原画通りの写真がでてきました。
K.H.生さん、ありがとう!