広島短信2題

山陽本線海田市・天神川間は広島貨物ターミナルへの上下貨物線もあるため複々線で、呉線の電車も通るため開かずの踏切が多く、以前から高架化の要望が強かった区間です。複々線を高架化するには、まず複々線の仮線を設け、かつ途中にある向洋駅も仮線側に移すという大がかりな工事から始まります。また全区間を一気に移設するのは難しく、まず1期工事として、向洋駅をはさんだ両側の複々線と向洋駅の仮線側への移設が12月7日の夜から8日の朝にかけて行われました。

令和7年12月9日 中国新聞朝刊

移設工事は令和5年から 上り線側から順次行われてきていて、下り線側が最後に残っていました。12月7日の切換え工事は下り線の仮線側への切換えで、これで複々線全体が北側に移ったことになります。12月3日に広島に行く用事があり、向洋あたりの最後の様子を写真に収めてきました。

令和7年12月3日 広発広島行き2913Mが向洋駅下りフォームに進入。左側に見えているのが仮線の下りフォーム。旧貨物線の路盤は更地になっている。

この2913Mの後部運転台から向洋・天神川間の最後の様子を撮影しました。

2913Mの後部運転台からの眺め。左手にはすでに複々線の仮線が出来上がっている。

昔からですが、なぜかこの区間の下り線だけに途中上り勾配区間があり、貨物線や上り線を見下ろす位置を走ります。昭和44年8月にKAWANAKA氏と猛暑の呉線にC62を追いかけた際の写真が残っていました。丁度この区間での車窓からの撮影です。

昭和44年8月3日 向洋を出て広島に向かう呉線の普通列車、機関車はC62。

当時はまだ天神川駅は無く、向洋を出た列車は広島に向けてラストランの区間でした。

天神川駅到着直前に仮線の終端地点がありました。

下り線の天神川駅直前の様子。12月7日夜に仮線側に切替えられた地点。

これから移設完了した下り線のレール、路盤や向洋駅下りフォームが撤去され、高架線の工事が始まり、この区間の工事が終わるのが2033年ということで、まだ8年も先です。そのあと海田市駅の高架化が始まるわけですから、自分が生きている間に最終形が見れるのか、乗れるのかわかりません。有難いことに広電新駅は夢ではなく現実に体験できていますが、山陽本線連続立体交差も見届けられ、乗車できるように長生きせねばと思っています。

次の話題は岡山県井原市に井笠鉄道保存会の発足についてのニュースです。

令和7年12月2日 中国新聞朝刊

井笠鉄道は昭和46年に廃止され、すでに54年を経過しています。江若鉄道と同様に地元民の足として親しまれ、沿線各地のみならず遠方にも井笠車両が数多く静態、動態で保存されています。そんな井笠鉄道を懐かしむ有志が保存会を立ち上げられるそうで喜ばしいことです。会員200人が目標とのこと。早速私も200人の中に加えて頂くことにしました。具体的にどんな活動が展開されるのか全くわかりませんが、江若鉄道と同様に活発な会になってゆくことを期待しているところです。

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