「信号場」を巡る  ⑫

城東貨物線 蛇草(はぐさ)信号場

もうひとつ、当時は関西で馴染みの信号場がありました。城東貨物線の蛇草信号場でした。いまは、同線を電化して旅客営業を行なう、おおさか東線となり、同信号場付近にはJR長瀬駅が設置されています。地名の蛇草に因んだ名称ですが、その地名も、今では長瀬に改名されてしまい、記憶の中から、信号場の存在も消えてしまいました。信号場は上下2線のみの標準的な配線だった。鶴橋で近鉄に乗り換え、俊徳道で下車して十数分歩くと、信号場に辿り着いた。貨物は、一時間に上下各1本はあって本数は多かった。画一的な写真しか撮れないものの、邪魔するものは何もない。今から思うと大阪の光景とは信じられない。D51 520[吹一]の牽く877レ(昭和43年8月)

続いてD51 144[吹一]の牽く2867レが来る。標準的なD51だが、ナンバプレート位置が少し低い。後に続くコンテナ編成も、魚腹形台枠、コンテナの形状が現在とは違う。DD13 197〔竜〕+D52 28[吹一]の牽く875レ、DD13も貨物の先頭に立っていた。暑さで運転室の扉は開けっ放し。その875レを後部から見ると、蒸機はD52であることが理解できる。D52 142〔吹一〕、当時、吹一区には2両のD52がいて、いずれも集煙装置を付けていた。ここでナメクジD51 65〔吹一〕の牽く9164レと交換する。竜華区のC58も入線していた。信号場の北端で、2875レ、C58234[竜]を撮影、改めて背後に建造物のない、この頃の光景に驚く。陽が傾き始めた頃に通過した5054レ。空の車運車を連ねた編成も懐かしい。カマは先に撮ったD51 144〔吹一〕の返しだった。左手に、高くなった信号扱い所が見える。蛇草信号場は、おおさか東線の旅客線化工事に伴い、2003年9月に廃止された。信号場の施設も解体され、現在はJR長瀬駅として生まれ変わっている。

 

 

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